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2009年8月に作成された記事

2009/08/30

2009・8・30 政権交代につき篇

やっと晴れたKumo

 開票開始から1時間ほど過ぎて民主党の圧勝が報じられている。

この結果のことが気になって(老人日記)なぞ書く気がしなかった。

やっと筆を進めることができる。

 日本の民主主義はいつ頃からだろうか。

明治維新で開国して大慌てで西洋の制度を取り入れようとした。

大正デモクラシーなんて言葉もあったから大正時代ころからだろうか?

その後、昭和の大戦争もやったから・・・・。

結局はアメリカの占領が終わった昭和20年代後半からなのだろうか。

 それで、ほぼ60年近く自民党政権だった。

選挙で政権が交代する、というのが民主主義国家だとするならば、今回初めて日本も民主主義国家の仲間入りをできることになったのだろうか。

つまり日本はやっとピッカピッカの一年生、小学校の一年生になった、と。

 前回の衆議院選挙は本当におかしかった。

小泉チルドレンを率いた自民党が2/3もの議席を得た。

郵政民営化か否かだけで総選挙をやるのは余りに妙だと思った。

案の定、郵政民営化なんてのは選挙が終わった瞬間、話題にもならなくなったし、その後どうなったのか、投票したはずの国民がほとんど興味を持っていない。

 4年後の今回、小沢ガールズを率いた民主党がトリプルスコアで自民党を圧倒している。

政権交代のさせ方が少し極端なのが気になる。

この国の国民は本当に政治のことを考えているのだろうか?

と、フト不安も覚える。

 いずれにしても、ふうてんは投票権を持って以来、野党に投票してきた。

政権交代こそが民主主義だと思っているからである。

しかし次回の総選挙では与党である民主党に入れる積りである。

やはり2期8年、せめて10年くらいはやらせてみないと分からない。

民間企業の仕事なんかでも2、3年で成果を問われたらたまらない。

政権交代が必要だとはいっても毎回代えろ、というのでは勿論ない。

長期独裁だと必ず権力は腐る、というだけのお話。

長期になると、まわりに一杯ヘドロが溜まってしまう。

 今日まで野党だった民主党に一つだけやって欲しいことがある。

各省庁の予算とその使い方を徹底的に洗って見直して戴きたい。

去年、ちょっとあるキッカケがあって農林水産省の予算と使い方を調べてみた。

これにはビックラこいた。

訳の分からない、~行政法人というのが山ほどあって、ホームページを作っているのだけれど、まず役にはたっていないと思われるのばかりだった。

 これまで、奈良方面で日本という国家が成立して以来、まつりごとはお上がやるものだった。

今回、初めて自分たちが投票して選んだ政権を誕生させた、という実感を投票した人たちは感じるのではないだろうか。

(私たちで政権を代えられるんだ、って思ったんじゃない)

と女房が言った。

 政治というのはやはり我々の生活の最上位に位置するとふうてんは思う。

その政治に日本でも新しい風が吹いてきた。

何はともあれ愛でたい事だと、ジワジワと嬉しくなってくる。

(ふうてんアーカイブス)

2009 長かった梅雨 やっと隠宅にも晴れ間が

(この梅雨は何と、60年も続いたのだとか)

もう萩の気配Hagi  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バラの新芽、バラは案外たくましいBara  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

坂の上の雲?Kumo_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Kumo_2  

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2009/08/23

2009・8・23 辻静雄という料理人のこと篇

隠宅の木もれ日Komore_1

 今年の天候は全くこれまで体験したことのない異常なものとなっている。

8月のお盆も終わって、やっと梅雨が明けたのだろうか。

お盆が明けてもしつこく蒸し暑い日々が続き、やっと今日23日になって気温も下がり湿度も下がって過ごし易くなった。

平年より一か月遅れの(梅雨明け)となった。

 異常気象の結果として、今年は珍しい体験をした。

一つは買ってきた(グリーン・ボール)が2日置いておくと腐った。

一つは買ってきた(長ねぎ)が3日ほどの間に腐った。

一つは買ってきた蕪(カブ)が冷蔵庫に入れていたのに数日後に腐った。

これらのうち、グリーン・ボールはふうてん御自ら立川の伊勢丹地下食品売り場で買ってきたものである。

もう10年以上前から繰り返している行動なのに、予想しない現象が現われてビックラこいた。

こりゃあ今年はお百姓さんも大変だなあ、と思う。

 梅雨に閉じ込められてロシナンテを運動させられなかったせいでバッテリーがあがった。

いつものように近くのガソリン・スタンドで(充電)してもらう。

昨日あずけて今日取りにいくと(もう買い換えの時期ですよ、レヘルが正常値まで上がりません)とスタンドのお兄さんが言った。

確かにそうだろうなあ、もう3年以上たつもんなあ、とロシナンテのイグニッション・キーを回す。

 20回ほどアクセルを踏み込んで20秒ほど一休み。

それを繰り返すこと3回目で(ブルンっ)とエンジンは掛かった。

もう34年ほどの付き合いである。

今でもエンジンが掛かることだけでも感謝せねばならないのかもしれない。

 ロシナンテの準備体操をしたあと、女房どのの(高枝切りバサミ)を買うのに付き合う。

2メートル近い長さなので、チャリでは運べないという。

こういう(型外れ)の物品を運ぶときはオープンの車はまことに重宝な存在である。

以前、カギを失くしたチャリを運んだこともあった。

(高枝切りバサミ)を買いに行ったとき、ポツッと雨粒がフロント・グラスに見えた。

大急ぎで家へ向かった。

辻静雄のこと

 我が家の(庭師)兼(調理人)がこのあいだ、国立市民講座(身近な野菜で和食を楽しむ)に参加したらしい。

大阪のアベノにある(辻調理師専門学校)の国立支店(国立分校?)が谷保天神の近くにある。

この料理の学校が国立市民80人を呼んで、料理の作り方を見せましょう、おいしい料理を食べてもらいましょう、というイベントをやったらしい。

 この学校の創設者である辻静雄さんは、書かれた物でふうてんには馴染みのお方である。

もともとは開高健の(食べ物に関するエッセイ)でこの人物のことを知った。

それ以来、数々の彼の著作を読んだ。

フランス料理の歴史は勿論、料理人のこと、ワイン、パリのビストロなどなど。

いずれも(読み物)としても素晴らしい。

そのうち国立に(辻調理師専門学校)の分校ができたことを知った。

またテレビで大阪の元漫才師の出る(~クッキング)という番組にこの学校のスタッフ(例えば畑先生)が出ていることも知った。

 辻静雄というお人はフランス料理が専門である。

しかし、そのフランス料理に立ち向かうアプローチの仕方が他の人とは違った。

日本人がフランス料理に接したのは100年ばかり前に過ぎない。

現地に赴いて、ある一人のコックの元に入門して、はて(フランス料理)が分かるのだろうか?

料理は手の仕事であり頭ではない、ということを知りながら辻静雄はそういう疑問を持った。

それで彼はフランス料理の(歴史)を調べはじめる。

アメリカ人のいい知己を得て、紀元前に遡って(料理とは何か?)を追求しはじめる。

ヨーロッパ中を経巡り歩いて3000店以上の料理を食べる。

 彼のことは書物のことでしか知らないふうてんが、女房に上記(分校)でのイベントの話を聴いた。

その国立(くにたち)分校でのイベントの一部始終を聴いて、ふうてんが本で知っていた創業者辻静雄さんの生きざまと全く矛盾しない、正しく継承されていると感じた。

 次回以降の日記で少し(辻静雄ワールド)のことを書いてみたいと思う。

(ふうてんアーカイブス)

2009 お盆明け 隠宅の蝉しぐれ

方丈の庭の木もれ日Komore_3_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蝉しぐれSemi_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Semi_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その3Semi_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その4Semi_4  

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2009/08/16

2009・8・16 西条高校は2回戦で敗れた篇

谷保天神のチャボYabotenjon  

 毎年、8月の13日から16日はお盆休みという気分になる。

終戦記念日の15日をはさんでいるので、戦争で死んだ沢山の先人たちを忍ぶという気分が自然に出てくる。

 

 ただし、我々の世代以降は自宅でボンボリにロウソクを灯したりすることはしなくなった。

先祖たちの霊は近くの空を漂っているのだけれど、目印がないので子孫たちのもとへ帰ることが出来ずにいるのではなかろうか。

 自宅では儀式めいたことは一切しないけれど、テレビというものが戦争時代のこと原爆のこと各地でのお盆の行事を報じてくれる。

それで何となく、ああお盆なんだ、とローソクの匂い、線香の匂いをかすかに思い出す。

 このお盆の季節に夏の甲子園大会というのがピークを迎える。

今日なども愛媛代表と大分代表が2回戦を戦った。

夕刻4時から始まった試合の続きを5時からは繁寿司で見た。

山口夫人は夏バテのようで今夜もお会い出来なかった。

 今年の愛媛代表は西条高校だった。

大分代表の明豊高校のことを女房は知らないという。

新しい高校なのかもしれない。

西条高校というのは50年前に甲子園大会で優勝したことでふうてんたちの心に焼きついている。

 50年前の夏・・・ふうてんは13歳、女房は12歳だった。

当時、子供たちにとって甲子園大会は夏の最大のイベントだったかもしれない。

ふうてんなどは中学2年生で、愛媛県勢は毎年活躍していたので本当に楽しみだった。

松山商業高校などは常連で毎年堂々とした試合をしていた。

しかしこの西条高校のときは、まさかと思われるような弱小球団が活躍したので、少年たちはなおさら大喝采をしたものだった。

 女房なども愛媛に親戚があり、夏休みに別府へ遊びに来た従兄弟たちが(グローブ)を買ってもらうんだ、なんてことを言っていたのを覚えているという。

それくらい50年前の西条高校の優勝は地元の少年たちにとってインパクトが強かった。

スター選手のいない弱そうなチームが逆転また逆転でよれよれのユニフォームを泥だらけにして奮闘した姿をまだ鮮明に覚えている。

 今年の1回戦で西条高校が登場したとき、選手の中に越智(おち)とか日野とかいうのがいて、なるほど愛媛らしいなあと懐かしくなった。(同級生に同じ名前がいた)

ピッチャーが(秋山)だと聴いて、オヤッ?と思った。

ちょうど今、今年の秋から始まる(坂の上の雲)のメイキングもの、予告編を時々やる。

秋山兄弟と西条高校。

何となく因縁のようなものを感じた。

 ひょっとして秋山兄弟は西条方面の出身ではなかったかしら?

と疑問が湧いて、グーグルにいろいろ聴いてみた。

西条は松山よりは東で香川県寄りにある。

松山、今治、西条、新居浜・・・そして香川。

おふくろの里が今治でその今治の人に秋山兄弟のことを聴いたようなおぼろげな記憶がある。

 グーグルでは秋山兄弟は松山出身としか分からなかった。

じゃあ西条高校は?というので意外なことが分かって愉快になった。

その記事には以下のようにあった。

 明治29(1896):4月 松山中学の分校として、愛媛県尋常中学東予分校が創設され、西条本町133番地の矢野弥一郎宅を仮校舎として開校。
 明治31(1898) 同分校は現在地の西条藩陣屋跡に移転。
 明治32年(1899)愛媛県立西条中学として独立。

 夏目漱石の『坊ちゃん』の主人公のモデルと言われる数学の広中又一先生、『ヤマアラシ』と称されている高瀬半哉先生は、東予分校の創設にあたり、西条に転任してきた。
明治期の西条中学には学識豊富な先生が集まっており、数多くの優秀な卒業生を世に送り出している。

・・・・・・

 念の為、夏目漱石のことをウィキペディアに聴くと、

(明治28、東京から逃げるように高等師範学校を辞職し、愛媛県尋常中学校(旧制松山中学、現在の松山東高校)に赴任する。ちなみに、松山は子規の故郷であり、2ヶ月あまり静養していた。この頃、子規とともに俳句に精進し、数々の佳作を残している。)

とある。

 漱石が明治28年に松山中学へ行った翌年に西条高校は(東予分校)として開校し、(坊ちゃん)と(ヤマアラシ)を迎えたというのである。

この二人は学生をけしかけて大ゲンカをするような御仁たちだからかなりの体育会系だったはず。

松山中学時代、子規の唱えていた(野球)を知らなかったとは思えない。

(坂の上の雲)のメイキングで子規が自分の名前(のぼる)になぞらえて(野球)を(ノ・ボール 野球)と言ってみんなを笑わせているシーンがあった。

 漱石が東京でいろいろ悩んで松山へ逃げたおかげで我々はこういう歴史を楽しむことができる。

それも松山出身の子規とたまたま東京で一緒になったから。

子規と出会わなかったら漱石はどういう人生を歩んだのだろうか?

(ふうてんアーカイブス)

2009 お盆の頃 谷保天神のチャボと蝉しぐれ

蝉しぐれUme_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Ume_2_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チャボChabo_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Chabo_2  

 

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2009/08/09

2009・8・9 岡潔、カラヤン、ジョニ黒篇

盆踊りBonodori

 

 梅雨の戻り(?)とかで今日8月9日まで、まだグズグズしている。

今日など買い物から帰った女房が(蒸し風呂のようだった)と言った。

 今週は世の中ではいろんな出来事があった。

何となくザワザワとしたようなニュースが多かったように思う。

政権が交代するかもしれない時期なのでそれも当然なのだろうか。

広島の記念式典で(アメリカのオバマ大統領の核兵器廃絶宣言に賛成する)と表明したまでは驚かなかったけれど(イエス、ウイ、キャン)とやったのにはビックリした。

 日本も世界も戦後60年以上たって、やはり枠組みが大きく変わろうとしているような気がする。

 個人的にはこの一週間は40年も50年も前のことが思い出されるような、ちょっとしたことが続いた。

岡潔の(春宵十話)

 本屋さんで(リンゴが教えてくれた)の木村さんの新しい本を買おうと勘定を頼んでいると、フッと(春宵十話)が横積みにされているのに気づいた。

懐かしかったので買って読んでしまった。

 1960年ころに文化勲章をもらった数学者だけれど、我々が彼のことを知ったのは(春宵十話)が出版され、新聞や雑誌で紹介されたフトンにうつむきに寝ている姿だったのかもしれない。

ともかく型破りな学者さん、という紹介のされ方をしていたように記憶している。

 この歳になって読み直すと、なるほど、なるほどと共感するところが多かった。

日本には自然の観察から来る独特の情緒、さらには情操という、世界に誇れるものがあった。

それが敗戦とその後15年の教育によって失われようとしている。

そのことを繰り返し嘆いている。

それから50年後の現在彼が健在だったら(憤死)したのではあるまいか。

 ふうてんは数学が大の苦手なので、一体このお方はどういう数学をやられていたのかサッパリ知らない。

この本にも具体的なことは語られていない。

ただ大学3年のときに(ぼくは計算も論理もない数学をやりたいと思っている)と友人に語った、と書かれている。

どういう世界なのか知りたいものだと思う。

 今回復刊された光文社文庫の(春宵十話)には初期の春宵十話以外のエッセイも含まれているかに見える。

季節のことや奈良のことや教育のことや、どれも素晴らしい。

中で、夏目漱石のことがちょくちょく出てくる。

本当によく読み込んでいるなあと驚いた。

(私の読んだ中で、女の人のことをちゃんと描けていると自信を持って言い切ることのできる人は、日本では漱石、外国ではドストエフスキーぐらいではなかろうか)などというセリフが出てきてドキリとさせられる。

(それから)にしろ(行人)にしろ面白く読めるが、その一つの理由はそこに出てくる女性が本当に心臓が鼓動しているからだと思う。

ドストエフスキーで例をあげれば(白痴)のアグラーヤは本当に生きたものに描かれている。

・・・・

などと続く。

やっぱこのお方、大したお人やった。

一度お会いしてみたかったなあ。

カラヤン

 夜中、見る番組もないのでNHKのBSだったかつけていた

カラヤンのベートーベン特集のようだった。

6番田園とかエグモント序曲とか懐かしい曲が聴こえてくる。

アレ~ッ?カラヤンてこんな演奏だったのか、と不思議な感慨に襲われた。

 あまりにも有名な指揮者だけれど、彼のレコードは一枚も持っていない。

ということは彼の指揮をする演奏はまともに聴いたことがなかったのである。

ふうてんが中学、高校時代、レコードを買ったのはブルーノ・ワルターだった。

フルトベングラーやトスカニーニやその他の人も少しは聴いた。

しかしカラヤンというチョイスはなかった。

どうしてなのだろう?

 戦後20年くらいはナチスに協力したという烙印を押されていたのだろうか?

そんなことをボンヤリと想像しながら聴いていた。

一つ驚いたのは、ベートーベンの交響曲なのに、まことに(優雅)であることだった。

へ~ぇ?端正で厳しい顔だちと皇帝のようにワンマンだというウワサとは違うなあ。

もう一つは、ベートーベンなのに何となくワーグナーの曲のように聴こえてくる。

ベルリン・フィルとウィーン・フィル。

ドイツとオーストリア。

いろいろと考えさせられた。

ジョニ黒

 出入りの酒屋さんに届けてもらう(サントリー・リザーブ)が切れると、時々いろんなところで他のウィスキーを買うことがある。

立川のビック・カメラ地下に寄ると(ジョニー・ウォーカー黒ラベル)を1980円也で売っていた。

 ふうてんが酒を飲みはじめた頃は(ジョニ黒)は高級ウィスキーの代表だった。

国産のサントリーやニッカとは別格だった。

海外旅行した人が免税店で買うおみやげの定番の一つでもあった。

 今は輸入品の税率が下がり、国産品の品質が上がって、値段でも味でも内外の差はなくなってきた。

そういう意味で(ジョニ黒)も高級品だから有り難がる、という対象ではなくなった。

そういう(ラベル)の価値ではなく、実質の(味)がふうてんは好きなのである。

いわゆる(ブレンデッド・ウィスキー)としてなかなか捨てがたい。

(シングル・モルト)の鋭さとは違う優しい味なのですね。

 二日ほどで平らげてもう一本買いに行ったことはここだけの話にしておきたい。

真四角で角がとれていて少し細めのボトル。

これの注ぎ易さが杯を進めるのでありましょうか。

(ふうてんアーカイブス)

2009 8月 盆踊り 近くの公園で

その1Bon_1  

Bon_12  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Bon_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その3Bon_31  

Bon_32

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2009/08/03

2009・8・2 今年は冷夏だとか篇

ムラサキシキブMurasaki

 今年の梅雨はどうなっているのだろう?

やんだと思えばまた降り、もう入道雲の夏かと思えばまた降り続ける。

今日の日曜日も朝から晩まで降り続けた。

雨が小やみになった夕刻、チャリで繁寿司へ。

 今夜は山口夫人の姿がなかった。

このところ、いろんなもの、昔の切り抜き帳などを整理されていると聴いた。

日付をハッキリと書いたスクラップ・ブックがずいぶん溜まっているらしい。

伊丹一三の写真もそんな中から見つかった。

それに熱中していて少しお疲れになったのではなかろうか。

 我々だけでは寂しいなあとしばらく時間を過ごすうち、えんちゃんがはいってきた。

タクシーの運転手さんで草野球チーム(B’Z ビーズ 文蔵さんのチーム)のキャッチャーをやっていた人物である。

(かたつむりマークになりました)

という。

(おめでとう、やっと事業主ですねえ)

と、ふうてんは言った。

いわゆる(個人タクシー)を始めたのである。

 そのうちヤマちゃんご夫妻が来た。

このヤマちゃんは(B’Z)でサードをやっていた。

ふんわりとした柔らかい体のこなしが特徴だった。

出版社勤務で、一時奈良方面にも転勤され、たまたま当方が関西へ出張した時、京都から奈良の近鉄線で出会ったことがある。

その時はお互いビックリした。

(え~っ?どうしてこんなところで??)

・・・・

そんなこともあった。

このヤマちゃんは、もう会社は引退したのだろうか、今は国立で過ごしている。

 先週金曜日、珍しい会合があった。

このあいだ、神楽坂の山田塾に行けなくなった時、幹事役鎌倉大明神にこう書いた。

(今月も山田塾欠席します。たまには昔のように二人で飲みたいですねえ。ワダさんどないしてはるのかなあとも思います)

しばらくして、鎌倉大明神から、

(ついては7月31日に用賀の花むらに出頭していただきたい)

という連絡があった。

 大明神とワダさんと三人で会うのは何年ぶりだろうか。

玉村豊男の(ヴィラデスト)を訪ねて以来だろうか。

あるいはワダさんが横浜方面で(不思議な放送局)を始めるオープニング・セレモニーをやった時以来だろうか。

 大明神、ワダさん、ふうてん。

この三人が出会ったのはもう20年以上前だけれど、どういうきっかけだったかは思い出せない。

大明神とふうてんはコンピュータ・メーカにいた。

ワダさんは経済専門の雑誌社(出版社)で番を張っていた。

 三人で会って飲みはじめ、話しはじめると時間が意味をなさなくなる。

いつ始まったのか、いつ終わるのか、そういうことに観念が働かなくなる。

だから、昔はよく(終電車)の時間を忘れて話し合っていた。

渋谷だったかどこかで、もう終電車がとっくに終わった時間に、店から通りの向こうのネオンサインを見ながら、タクシーで帰るしかないなあ。

そんなことを何度かやったような記憶がある。

それだけ、時間を忘れるくらい楽しくて面白い時間を共有出来たのだろうか。

 それから10年有余。

東京の外れ、多摩川もほど近い(用賀)で三人が再会した。

大明神は相変わらず鋭いいい顔をしていた。

しばらく後に登場したワダさんはやはりおおらかなフワッと人を包む雰囲気を持っていた。

大明神は会社経営の話をいろいろとしていた。

ワダさんはボルボのコンバーチブルに車を乗り換えた話をした。

これで大明神のユーノス、ワダさんのボルボ、ふうてんのダットサン。

三人とも(オープン)の車に乗っていることになった。

(久しぶりに玉村豊男のヴィラデストを訪ねたいですねえ)

3時間ほどの会合の結論はこれだった。

 愉快な仲間たち。

何はともあれ、これでしょうなあ。

一人きりで生きるなんて、あなた、そりゃあ無理というもので・・・。

(ふうてんアーカイブス)

2009 8月 梅雨が明けない

コナラKonara  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハナミズキもビワもYane  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ムラサキシキブMurasaki_1  

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