モモが実った
先週梅雨明け宣言があったのに、この蒸し暑さは何なのだろう?
以前の梅雨明けが懐かしい。
ドシャブリの雨が降ってカミナリがドシンドシンと落ちて、翌朝真っ青な空に真っ白の入道雲。
1日くらいは蒸し暑く、それまでの梅雨の湿度は簡単にはとれない。
しかし2、3日後からはカラリとした真夏がやってくる。
そんな夏休みのころの情景を思い出す。
そういう爽やかさとはほど遠い夕刻チャリで繁寿司へ出向く。
今夜は連休のせいで人々は遠くへ出かけたのだろうか。
最後まで我々三人だった。
山口夫人が昔の写真を見せてくれる。
少なくとも30年は前の写真で、繁寿司の以前のお店での写真だった。
山口瞳さんも常盤新平さんも若かった。
帰りに書簡集へ寄る。
繁寿司を出たとき、7時は過ぎていたと思うのだけど妙に明るかった。
空を見上げると(夕焼け)というより(残照)だった。
空に広がった、乱れた雲に夕日が反射して明るく照らしているのだった。
そういえば昔、京都でJOさん、Muさんと正月明けに上賀茂神社を冷やかしたとき、小説葛野記だったか小説木幡記だったかに(青春の残照)というタイトルがついていたなあ。
(夕焼け)というよりも(残照)の方が余韻が残っていいなあ、などと思う。
蒸し暑さのせいで、あまり現実感のない一日だったせいか、マスターにドストエフスキーの話をした。
トルストイやドストエフスキーはあまり読んでいないらしい。
トルストイなどは重厚長大過ぎて、刑期20年くらいで監獄に閉じこもったら読むかもしれないとおっしゃる。
しばらくドストエフスキーやトルストイなどの話に耽った。
帰り際、
(マスター、競馬は相変わらず調子いい?)
と聴いた。
(8連勝中です)
とマスターは応えた。
ドストエフスキーで読んだのは(賭博者)です、とも。
(なるほど、やはりねえ、もうすぐ選挙ですねえ?どうなりますかねえ?)
(勝負の決まっているレースは興味ないです、一票あげますよ)
なるほど、なるほど、さすが(賭博者)のお応え。
(嬉しいけど2票は投じられないので)
と書簡集を辞した。
空気が少し冷えてきて、湿度も下がって快適な帰路となった。
ドストエフスキーの(悪霊)を読んだ
源氏物語を読み終わるころからドストエフスキーの(悪霊)を読み直したいなあと思っていた。
本棚で見つかっていたのだけれど、何しろ古い文庫本故、読みづらくってしようがない。
岩波文庫は何故かこの米川正夫訳の(悪霊)を復刻しない。
新潮文庫の江川卓訳のものを本屋で冷やかしてみるのだけど、何となく雰囲気が違う。
・・・・
迷った挙げ句、結局江川卓訳で読むことになった。
ちなみにこの2種類の本の発行日は以下のようである。
岩波文庫 米川正夫訳 昭和 9年第1刷 昭和46年第32刷
新潮文庫 江川卓訳 昭和46年第1刷 平成19年第13刷
ちょうどふうてんが読んだ昭和46年に入れかわるように江川卓訳が登場している。
文庫本の初版が約40年違うということは翻訳の文体の違いもあることを意味する。
スチェパン氏、ヴァルヴァーラ夫人となっていたのがステパン氏、ワルワーラ夫人になっている。
ただ主人公のスタヴローギンは同じだったので助かった。
米川正夫の方がロシア語の発音に近いのだろうか?
もう一つ、おそらくフランス語で書かれている部分を米川正夫は(・・・)としていたのに対し、江川卓はカタカナにしている。
これはかなり大きな違いで、訳者はお二人とも悩んだのではないかと思われる。
ロシア語の会話の中に突然フランス語がはいってくる。
それを日本語に訳すとき、どうすれば雰囲気が伝わるか・・・?
カタカナ表記にすると、確かに言葉が変わった感じがして、なるほどと思った。
当時ロシアは西洋コンプレックス、特にフランスへの憧れが強くフランス語を多用していた、という話を聴いたことがある。
何故読み返したくなったのだろう?
スタヴローギンが寡黙で、じっと考えて行動に移る。
そんな一種のスタイルのようなことだけが印象に残っていた。
読んでみて、ストーリを全く覚えていないことに驚いた。
いろんな人たちが沢山登場してともかくおしゃべりをする。
本題にはいる前に、まずスチェパン氏にご登場願おう、などと彼を登場させて、ヴァルヴァーラ夫人との果てしのないアレやらコレやらから物語は始まる。
どうでもいいような話ばかりが長々と続く。
やがて、チラッ、チラッと物語の核心になりそうなことが(噂話)のような形で登場しはじめる。
ヴァルヴァーラ夫人にスタヴローギンという一人息子がいて、いま海外にいる、なんて話はずいぶんたってから出てくるのである。
この前半、スチェパン氏の友人としてGという男を登場させる。
何にも役はないのに何故かどの場面にも現われて誰が何をしたか、だれが何を言ったか報告しているのである。
(あれ~っ?ちょっと漱石のカメラワークに似ているなあ)
と、少し興味がわく。
やがて、登場人物が多くなり、物語が複雑になり、緊迫感のあるシーンになるとこの手法は姿を消したように感じた。
(漱石の方は登場人物が少なかったものなあ)
と納得しようとした。
最後の最後になってダーリャ当てにスタヴローギンから一通の手紙が届く。
状況から言うと(こころ)の先生からの手紙そのものではないか。
長い手紙ではないが、最後にこんな風に書き添えている。
(こんなに長く書いたことを許してほしい。いま気がついたのだが、思わずもこうなってしまったのだ。この調子だと百ページでも足りないだろう。十行でも十分だろう・・・)
そして巻末に、ロシアで出版された当時は割愛されていた(スタヴローギンの告白)という特別の章が追加されている。
僧院にチホン師を訪ねる場面で、チホンとスタヴローギンの二人の会話の中にスタヴローギンという男のエッセンスが凝縮された形で描かれる。
(悪霊)はロシアの農奴解放令のあった時代を舞台としている。
漱石は修善寺大患後、ドストエフスキーの(銃殺刑寸前の仕組まれた恩赦)について触れていたように思う。
ロンドン留学時代、英訳のドストエフスキーはまず全て読んだに違いない。
ちょっと確かめたくなってグーグルに聴いた。
ドストエフスキー
1821年 モスクワ生まれ、学生時代はペテルブルグ
1849年 逮捕され銃殺刑寸前に恩赦、シベリア流刑4年
1861年 農奴解放令
1866年 (罪と罰)
~
1871年 (悪霊)
1880年 (カラマーゾフの兄弟)
1881年 死去(60歳)
夏目漱石
1867年 江戸生まれ、学生時代は東京
1868年 明治維新
1900年 イギリスに留学
1905年 (我が輩は猫である)
~
1912年 (行人)
1914年 (こころ)
1916年 (明暗)
1916年 死去(49歳)
やはり間違いないと思った。
漱石は小説作りにかなりドストエフスキーの影響を受けたのではないだろうか。
ロシアの農奴解放から共産革命へ至る混乱期。
日本の明治維新から世界戦争へ向かう混乱期。
個人の心の問題を社会の大変動の中で見続けた作家たちだったように思う。
(ふうてんアーカイブス)
2009 梅雨明けのころ 色づくことのできたモモたち
(例年、まだ熟さぬうちにヒヨドリに突つかれて落ちてしまう)
その1
その2
こんな細い枝で
重たいモモを
その3
その4
その5
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