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2009・7・5 伊丹一三のことなど篇

コナラの新芽?Shinme

 どうもこの季節、深い鍋底にはいったような日々が続く。

梅雨前線が上がったり下がったりしているらしい。

天気予報は当てにならず、怪しいなと思われる日はカサを持った方が無難という日々。

 繁寿司へ向かう前に、ロシナンテに一鞭くれる。

雨ばかりで(運動不足)になっているはず。

目につくホコリだけ払って、セル・モーターを回す。

アクセルを踏むこと20回、一休み。

これの3回目にエンジンが目覚める、というのがこの数年の決まり事となった。

 繁寿司で山口夫人が一枚の写真をバッグの中から取り出した。

この間見せて貰って(コピー)をお願いしていた伊丹一三の若いころの写真である。

彼が30歳代のころの写真で、サントリーの社宅に奥さんと来たときのショットである。

勿論、白黒の写真なのだけれど、伊丹一三が生々しく写っている一枚。

(これはただものではない)

と思わされる骨相をしている。

 どういう次第なのか、いつのころからか伊丹一三は山口瞳さんに弟子入りしたようである。

伊丹一三の最初の著作である(ヨーロッパ退屈日記)の推薦文を山口瞳さんが書いている。

その本をふうてんが読んだのは大学の3年生のころだったろうか。

京都の鴨川添いに下宿していたキンちゃんに誘われて、一晩飲み、明け方鴨川の土手を歩いていたとき(伊丹一三て知ってる?)と聴かれた。

何も知らなかったコチラはキンちゃんに言われるまま(ヨーロッパ退屈日記)を読んだ。

 この本の中身にも、バックカバー(本の裏側)の山口瞳さんの推薦文にもふうてんは強い印象を受けた。

まだ二十歳過ぎのころだった。

ああ、こういう生き方、付き合い方もあるのだなあ、と思った。

ふうてんの記憶では当時伊丹一三は二十八歳だったと思う。

二十歳にとって二十八歳は大人であり、大先輩なのであった。

 この本を紹介してくれたキンちゃんは松山の中学・高校、そして京都の大学と一緒に学んだ友人である。

おそらく彼は松山にゆかりのある人物として伊丹一三を教えてくれたに違いない。

 それから15年ほどたって、たまたま国立に住むようになった。

きっかけは女房が(国立音楽高校)の事務に勤めたことだった。

その学校で、出前でよく頼んでおいしい(寿司)があるという。

どれどれ?と出向いて行った。

それが繁寿司だった。

主人が娘さんのような人と二人でやっていた。

(お嬢さんですか?)

と聴いた。

(よくそう言われます)

と繁さんは言った。

 客の一人に、何だかサントリーの宣伝で見たことあるような人物がいた。

ショートカットというよりも(坊主刈り)に近い頭をしていた。

それが山口瞳さんだった。

もう30年近く前のことになるだろうか。

 今日、伊丹一三の一枚の写真を山口夫人から戴いて、こんなことを思い出してしまった。

(ふうてんアーカイブス)

2009 梅雨のころ コナラの生命力

もうドングリがDonguri  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

枝が落ちたらMae  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また出そかAto  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕もShinme_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わてもShinme_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あたいもShinme_3

  

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コメント


 雨上がり鶯の啼く文月や

 もうどんぐりの実が、幼くも一人前の形を成していますか。
 ぽたりぽたりと落ちる、一滴の雨だれに似た季節の歩みが目に映る。
 こうして季節は進むのだなぁと感じながら、なぜか雨の擬音に想いを馳せた。梅雨のせいかも知れない。
 ぽつりぽつり、ぽつぽつ、しとしと、じゃぁじゃぁ、ざぁざぁ、ごうごう。
 思い出しただけでも、雨の強さを表す擬音は六つある。雨の強さを表す擬音の多さは、多分日本だけだろう。それだけ雨とのかかわりが深く、繊細な日本人の感性が偲ばれる。
 さて今年の梅雨は、どうやら男梅雨のようだ。
 ざぁーと降っては、薄曇りや晴れの日が二三日続く。しとしとと降り続く、じっとり感は少ない。雨上がりは、すっきり感がある。
 先日も、じゃぁじゃぁと降った雨上がり、散歩中に鶯の鳴き声が聞こえた。
 七月に入って鶯?わが耳を疑ったが、紛れも無く鶯の鳴き声だった。
 梅に鶯というが、あれは目白の誤りだそうだ。これまで、五月に鶯の泣き声を聞いた覚えはある。しかし、七月とはね。
 これが本来の姿なのだろうか、それとも異常気象のせいなのか。
 ただ、澄み渡った青空に吸い込まれるような鶯の鳴き声は、心地よかった。

投稿: 楕円 | 2009/07/06 01:44

 友達の下宿で一晩飲み明かして、夜明けの鴨川沿いを酔い覚ましに散歩し、伊丹一三の本を紹介される~。よき青春が行間からよみがえってきました。それを国立(くにたち)文化にひたりながら回想する場面がよろしいです。
 と、映画を見せられているような気分になるのが、この日記。

投稿: Mu | 2009/07/06 04:20

楕円さん

 そういえば最盛期のはずの5月に今年はウグイスが鳴きませんでした。
先週、あさがお市をやっているというので大学へ寄ると、いつもの場所でウグイスが鳴いていましたね。
本当にシャイな鳥で、こんもりとした茂みに隠れて鳴きます。
まず、姿は現しませんね。

 バシャバシャ、とかザァザァとかの擬音語が発達したのは日本人が(かな)を発明したおかげなのでは、と思います。
一音、一音の発音記号を発音記号としてではなく表記用の文字として持っている言語は日本語以外にあるのでしょうか?
しかも上に書いたように(かな)もあるし(カナ)もあります。
ついでにいうと(あ)もあるし(ぁ)もあります。
(あアぁァ)と同じ一音なのに4種の書き分けができます。

 膠着語にとって究極的な表記法かもしれない、などと古代の日本人、柿本人麻呂などに感謝し、何となく誇らしい気分になります。

投稿: ふうてん | 2009/07/06 09:45

Muさん

 貴兄のコメントを読んで、
(流れ者はいろんな舞台を記憶に持っているのだなあ)
そんなことを考えました。

 伊予、京都、東京と流れてきました。
伊丹一三さんのバヤイは、これらの場所にリンクした記憶があります。
以前この日記で書いたように思いますが、繁寿司で一度だけ本人に会うことが出来ました。
映画(お葬式)の打ち上げを伊丹一家、山口一家でやっていたとき偶然行き会わせたのでした。

 考えてみると、彼も、あるいは僕たちの殆どは(流れ者)なのですねえ。
流れていくそれぞれの場所を舞台としてさまざまな記憶を刻みつける。
そこいらへんだけは(若い者)には負けていない、と。

投稿: ふうてん | 2009/07/06 10:04

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