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2009年3月に作成された記事

2009/03/29

2009・3・29 鎌倉さんちのミニ・コンサート篇

鎌倉さんちKamakura_2

 国立でも桜が咲き始めた。

でもまだ1部咲き、といったところだろうか。

この土、日、冷たい風が吹いて太陽の光はあるのだけどスッキリとは晴れなかった。

ビデオカメラを持って桜を写そうという気になれなかった。

家にこもってビールを飲んだり昼寝をした方がマシだ、という天気だった。

 しかし家に籠もりたくなったのは、天気のせいだけでもなかったようでもあった。

木曜日に都内で、金曜日に府中で、土曜日に国立で。

宴会が続いた。

いろんな集まりだった。

(四季の会 冬春篇)もあった。

(大相撲春場所篇)もあった。

JoBlogのJOさんがちょくちょく、いろんな宴会を報告されている。

会社勤めの時代は毎日、いつでも同僚達と飲むことができる。

会社を辞めてからは、何かのきっかけがないと集まれない。

それでいろんなネーミングの会が催されることになる。

 一週間ほど前には鎌倉大明神のおうちで(チェロとギターのミニ・コンサート)があった。

小川別邸当主はチェロ、大明神はギターで4月だか5月だかにコンサートを控えており、それの予行演習のようなものだときいた。

コンサートには奏者だけではなく、聴衆が必要である。

それで我々ふうてん夫婦も参加したのであった。

 女房を引っ張り出したにはもう一つ理由があった。

鎌倉家でも女房どのが(設計技師)のようで、最近お母さんを迎えるために増築した。

その有様をふうてん家の(設計技師)も見せていただきたいというのであった。

 行ってみると、その増築はまことに上手になされていた。

以前にも何度か訪問していたので違いがよく分かる。

しかし(増築した)という風に見えないくらい自然に、空間が増えているのであった。

外から見ても分からない。

中にはいっても分からない。

それでいて一階も二階も(増築)されているのであった。

 午後3時半ころ到着して、辞したのは9時半くらいだったろうか。

明るい光のあるうち(設計技師)たちは(増築)の話に耽っているようだった。

こちらは(家)の設計は経験がないので話に参加できない。

チェロやギターを弾くこともできないので、音合わせに参加もできない。

それをいいことに、まずビールから始めましょうかね。

 鎌倉家にはいろんな生きものがいるようだった。

大声の小鳥もいる。

馴れ馴れしいけれど、ときに噛んだりするネコちゃんもいる。

ワンちゃんもいるはずだけど、この日は姿を見せない。

男の子がチラッと挨拶に現われる。

女の子もいるのではないだろうか。

 ワインといろんな料理が出て、やがてコンサートが始まった。

何曲か聴かせてもらって、最後にふうてんは(青春時代)をリクエストした。

その後だったか、前から聴いていた(レナード・バーンスタインのウェストサイド)をリクエストした。

バーンスタインが初めてタクトを振ったウェストサイド・ストーリーのDVDだった。

大明神が感涙にむせんだというその(メイキングもの)は確かに素晴らしかった。

アメリカというヨーロッパとアフリカから流れてきた人たちの国で編み出された(結晶)がそこには見事に表現されていた。

(ふうてんアーカイブス)

2009 春 鎌倉さんちのミニ・コンサート

建築技師たちGishi_1_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Gishi_2_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギターGita_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人Futari_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Futari_2_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デュエットDuet_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青春時代Seishun_2  

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2009/03/23

2009・3・22 彼岸過ぎまで篇

ガニ股の梅(谷保天神)Yahotenjin

 3月も半ばを過ぎると、本当に(冬)が終わったと実感させられる。

季節のものが食べられなくなる。

冬はふうてんにとっては、カキがありセリがありフキノトウがある。

唯一、食材を買って、台所で過ごす季節なのである。

 カキは3月にはいると(生食用)が減って(加熱調理用)ばかりになった。

この間、未練がましく、カキの魔味、霊味を味わいたくて(加熱用)を買った。

このシーズンこれでお終いだな、という思いがあった。

オリーブ・オイル炒めにする。

予想通り(季節の終わり)の味だった。

 カレンダーを見ると、23日のところに(彼岸明け)とあって、(お彼岸)ということを思い出した。

(彼岸)と書いて(ひがん)と読むのは何歳ころに学んだのだろうか?

今の若い人はこの漢字と読み方を知っているのだろうか?

それくらい、難しい読み方だし、言葉の意味も二重、三重に難しい。

 (お彼岸)というと難しいけれど、春分の日と言われると多少分かりやすい。

秋分の日と言われると、ン?春分?秋分?

シュンブン、シュウブン、と音だけで聴いていたのでは殆ど分からない。

オヒガン、と言われても今の人には・・・・。

全部音読みのようだから中国から来た言い方なのだろうか・・・??

 夏目漱石が(彼岸過迄)という小説を書いたのは修善寺の大患の後だという。

本人の述懐では(お彼岸すぎまでに終える)くらいな積りで書き始めたという。

三四郎、それから、門ときて、その後の行人、こころ、明暗につながる中間点だったのかも知れない。

(お彼岸)とは確かに、冬から夏、あるいは夏から冬の間の中間点に違いない。

 我が輩はネコである

 坊ちゃん

 それから

 彼岸過ぎ迄

 こゝろ

 明暗

 どれもこれも、それがどうしたんだ?と言いたくなる題名ばかりである。

けれど同時に、どれも、よ~く考えるとピッタリのような感じもしてきて、(だろう?)とニヤニヤしている漱石せんせ~の顔が浮んでくる。

 ご本人は苦しいばかりの人生だ、とおっしゃっているけれど、小説の題名を連ねると、何となく分かるようでもあり、おかしくもあり、ようございましたねえと言いたくもなる。

毎年、春分の日となると結婚記念日でもあったりして、アレコレ考えさせられる。

今年で38年目になりますと報告したら、山田塾の御大に、当方は去年50年を過ぎましたと返事をいただいた。

 結婚して、二人で過ごすようになって50年。

えらい長い時間だったろうなあと思う。

こちらはそれまであと12年か・・・。

ロシナンテ、お前さんどう思う?? 

(ふうてんアーカイブス)

2009 梅はガニ股か? 谷保天神

その11  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その22  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その33

 

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2009/03/15

2009・3・15 日本橋丸善の山口瞳絵画展篇

山口瞳さん自画像Hitomi  

 夕刻、まだ日があるうちにロシナンテに一鞭くれた。

この季節、天気のよい日の冷たい空気はまことに心地よい。
 

 少し暖かくなったせいかエンジンの掛かりは悪くない。

ただ今日は始めに踏み込み過ぎたようだった。

 ブルルルンとエンジンは掛かって、車庫を出たのだけれど、どうもバランスのいい音にならない。

4気筒が2気筒か3気筒になっている。

アクセルを踏み込んでも加速しない。

困ったなあ、どこぞで止めて掛け直そうか、と迷っているうちにパンパンと音がした。

 やっと4気筒エンジンになって、ローとセカンドで思いっきり引っ張る。

人に迷惑がかからないストレートの道が近くの団地内にある。

その道で、一瞬だけど4000~5000回転くらいブン回す。

これが週に一度のロシナンテの健康体操なのである。

 近くのガソリンスタンドで給油する。

20リットル、2200円也。

この前入れたのは・・・去年の8月ころだったろうか。

当時は20リットルが3000円ほどだった。

半年で20リットル消費した。

半年で4×6=24回ほど乗ったはずである。

毎回何キロ乗っているのだろうか?

半径2キロメートル以内だからせいぜい4キロほど。

24×4=96キロメートル。

それで20リットル。         

ということはロシナンテの燃費は、

96÷20=アバウト5キロメートル/リットルとなる。

 これは全くの概算であり根拠が薄い。

仮に一回4キロだと仮定しての話である。

実のところをいうと以前燃費を計ったことがあり、リッター2キロという恥ずかしい数字だったのを覚えている。

 先週、日本橋丸善の山口瞳絵画展を訪ねた。

リニューアルされた丸善の2周年記念の演し物の一つとして企画された。

日本橋丸善は銀座通りにあり、若いころちょくちょく寄っていた。

それからずいぶん時間が過ぎた。

京都の丸善が店仕舞いし、この日本橋丸善も数年前に一旦店を閉じた。

 会場にはいると山口夫人がいた。

これまで何回国立の(山口瞳絵画展)を経験したろう。

同じような風景が日本橋丸善で展開された。

(瞳さんは、銀座の画廊ではなく僕は国立のエソラでいい)

といつも言ってたのよ、と夫人はおっしゃっていた。

(この雰囲気もいですねえ、何となく華やかな感じがあって)

(私もそう思うのよねえ)

 やがて息子さんも映画の試写会の日だったらしく姿を見せた。

午前中だったのでまだ客も少なく、三人で口をきいていると国立にいるのか銀座にいるのか分からなくなった。

丸善の人と夫人の許可を得てビデオで撮らせてもらった。

20ほどの作品が展示されていたけれど、何点かは今まで見たことのある絵だった。

 国立の絵画展で見たのか、山口瞳作品集という本の中で見たのだったか。

山口瞳さんという人は文章を書かせても、絵を描かせても、書を書かせても達者な人だった。

ご本人は・・・華のある、まことに魅力的な人物だった。

魅力を周り中に振りまいて我々を幸せにしてくれた。

(ふうてんアーカイブス)

2009 桜も近いころ 日本橋丸善 山口瞳絵画展

会場入り口Kaijo  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高倉健さんからの花もTakakura  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自画像Jigazo  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奈良山辺の道Yamanobe  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご夫妻Fusai_1  

Fusai_2

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2009/03/09

2009・3・8 谷保天神の梅まつり篇

天神太鼓Tenjindaiko  

 一週間前になるけれど、今年も谷保天神の梅まつりを見に行った。

今年はちょうどその梅まつりの2月28日、3月1日のころ梅が満開を迎えた。

梅は桜と違って、2~3週間は花が楽しませてくれる。

 冬の、花のない季節に香りの高い花を咲かせてくれる。

梅はまことに貴重な存在であることに、還暦も過ぎたこの歳になって気づく。

谷保天神も、まるで昔からの馴染みのようにこの(日記)で書いているけれど、実のところを言うと、60歳を過ぎて、定年退職してから馴染みになったに過ぎない。

 会社に通って仕事をしているうちは、地元との接点はほとんどなかった。

土曜日か日曜日に繁寿司へ通うことが唯一の接点で、それで精一杯だったような気がする。

谷保天神も、通りがかりにチラッと社屋を見たり、山口瞳さんの文学碑ができたという話を聴いたり、女房が年始まいりに行くという話を聴いたりしてはいた。

しかし、あなた、会社員として仕事をしている間は、地元との付き合いの余裕はないのではないのでしょうか。

 月曜日から金曜日まで、すべっただ、ころんだだで、気の休まることもない毎日。

土日の休みは、酒でも飲んでゴロゴロしていたい。

すこ~し疲れのとれた日曜日の夕刻、喉も乾いてくるし、ロシナンテに一鞭くれて繁寿司へ向かう。

とても谷保天神へお参りをする、という暇はないのでありました。

 今から5年ほど前、定年退職をする2年ほど前からこの状況に変化が訪れた。

どうも、毎日来てください、と会社が期待していないようになってきた。

ひょっとしたら、もう来なくて結構です、というサインなのかもしれないと思わされるようになった。

そうなってくると、今まで見向きもしなかった方面に眼が向く時間が出来てくるようになった。

 家の近くをチャリで流しながら、ほ~っ、ここにはこんな家あったのか、とかバラが好きなのは分かるけどこれはちょっと行き過ぎではないかしら、とかいろいろ分かってくる。

桜通りや大学通りやの賑わいはいいのだけど、車の音がうるさ過ぎることも分かってくる。

それで、4~5年前から、一橋大学の構内と谷保天神の中が国立では騒音に惑わされない珍しい場所であることに気づいてきた。

 京都や奈良ではこういう場所がいろいろあるに違いない。

松山などの地方都市では、そんなもんなんぼでもあるよ、と言われるかもしれない。

首都圏東京にはそんなにはないのである。

賑わいと静けさと。

その両方を求めるのは・・・贅沢すぎるのだろうか。

 

(ふうてんアーカイブス)

2009 初春 谷保天神梅まつり

囃しHayashi_1  

Hayashi_2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Koto_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Koot_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その3Koto_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

舞(紅わらべ)Warabe_1  

Warabe_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天神太鼓Taiko_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Taiko_21  

Taiko_22  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その3Taiko_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その4Taiko_4  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その5

その6

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2009/03/01

2009・3・1 梅まつりのころ篇

谷保天神Yaboten

 どうもこのところ涙もろくなっていけない。
 

 今日の夕方、テレビで長渕剛の(ようこそ先輩 課外授業)を見ていて目が霞んできた。

鹿児島の鹿児島南高の(情報処理学科)の2期生だそうである。

そこへ帰って、生徒たちと(叫び!!)をテーマに作詞、作曲をするという授業。

40人の男と女の生徒たち。

 ふうてんは長渕剛のファンなのである。

(トンボ)(乾杯)の2曲だけなのだけど、田舎から都会へ出てきたものの心をうまく表している。

幼い子供が社会に出て、大人になるのがいかに大変か、それを励ます彼の心が表れている。

中学、高校と自分は何なのか、何ができるのか、できる奴らを見ながらギターで曲作りをしていたという。

 秋葉原の殺人事件に、もし遭遇していたら君はどうしたろうか?と質問を投げかけた。

40人の全員が、警察に電話します、とか自分は助かってよかったと思います、とか応えた。

(どうして誰も、助けに行きます!と言ってくれないんだ)

と、長渕剛は残念がった。

 昨日、立川で時間潰しに本屋へ寄った。

特に目的の本はなかった。

何気なしにブラブラと見るうち、岩波のコーナーに紛れ込み、当てにせずに眺めると、源氏物語という文字が眼にはいった。

大野晋の(源氏物語)が岩波同時代ライブラリーから岩波現代文庫にリニューアルされていたのだった。

こんないい本が売られなくなると残念だ、と同時代ライブリーが廃刊になったとき思った。

しかし、期待に応えて岩波はちゃんとこの作品を(新装開店)してくれていた。

 やれ嬉しやとそれを買って、近くのコーヒー飲み場で手にとってみた。

丸谷才一が解説を書いている。

この岩波現代文庫版の(源氏物語)は2008年9月18日第一刷となっている。

大野晋さんはもう亡くなっていたのではなかったかしら、という思いでその解説を読んだ。

 この大野晋、丸谷才一の両氏は(光る源氏の物語 中公文庫上下)という本で共演している。

その一方が亡くなって、かたわれが解説を書いている。

かなり特殊な状況の解説ではなかろうか、あるいは生前に書いたものが刊行されたのだろうか?

そんな思いで、コーヒーもタバコも投げやりに過ごして解説を読んだ。

 その解説には何故か(まぼろし電話)というタイトルが付いていた。

解説を読むと、これまでの二人の源氏物語に関するやりとり、議論、対立と共感の話がいろいろ語られている。

日本語の碩学としての大野晋の源氏物語解釈は素晴らしい、また成立の過程の論にも大賛成であるという。

ただ、小説家として見ると、作家の実生活と作品とはイコールではない。

大野さんと僕はそこのところだけは、ずっと意見が違った。

作家というのは(想像力)でものを書けるということを大野さんは分かってくれなかった。

というような議論で、深夜であれ何であれ実に頻繁に電話をいただいた。

 こんな解説を書いて、新装なった本が岩波現代文庫として出る。

大野さんは読んでくれているだろうか。

また、夜中に電話が掛かってくるように思えてならない・・・。

 ここまで読んで、また眼が霞んできたのだった。

(まぼろしの電話)というタイトルの意味がようやく読者に伝わる。

丸谷才一さんは、やはり、小説家なのですねえ。

 ふうてんの(源氏物語)は宇治十帖を残すばかりとなった。

若菜を読み始める前にこの日記で少し書いた。

確かに(若菜 上下)から書き方がガラリと変わった。

そして(幻 まぼろし)で光源氏は生を終えることが予告される。

死の場面は描かれず(雲隠)というタイトルだけで本文のない巻が残された。

全く、紫式部は憎いお方である。

 宇治十帖の出だし(橋姫)にとりかかっている。

薫が主役として登場し、宇治が舞台で、なかなか快調である。

これもまた、それまでの四十四巻とは書き方がガラリと変わったように感じる。

 宇治にはMuBlogのMu大兄が住んではる。

考えてみれば(源氏物語)の舞台の京都は(暗い青春時代)を過ごした土地でもある。

まんざら馴染みのない場所でもない。

源氏物語で東だ西だと言われると何となくアッチャかなコッチャかなと若いころの記憶を呼び覚まされる。

 もう少し読み進んだら、ふうてんなりの感想記を書いてみたいと思っている。

(ふうてんアーカイブス)

2009 梅まつりのころ 谷保天神

白いのHakubai  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

団体Dantai  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤いのAka  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

梅園Baien  

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