冬のハナミズキ
もう2月になってしまった。
池波正太郎さんが(50を過ぎると坂道を転げ落ちるようだ)と書いていた。
ひぇ~っ?そうなの~?と50歳ころに思った。
この間紅白歌合戦があった、と思ったらもう2月になり、春の気配すらある。
確かに、坂道を、転げ落ちている、ような、気もする。
冬の三種の神器
今の季節、カキは真っ盛りで、週に2、3度は試みる。
それに加えて、セリとフキノトウが出始めた。
牡蠣、芹、蕗の薹、がふうてんにとっての(冬の三種の神器)なのである。
カキフライとカキナベだけは女房にまかせるのだけれど、カキの他の食べ方だとか、セリだとかフキノトウだとかに家人たちは興味を持たない。
やむを得ず、というか、幸いにというか、勝手気ままに楽しんでいる。
そう言えば、先週の(大相撲初場所篇)で飲んだラガーマンもカキ大好き人間なのだけど、スッキリとして若返っていたように感じたので聴くと、ノロ・ウィルスにやられましてねと言っていた。
殻つきのカキを買って、レモンで食べる、といういつものパターンだったのだけど、やられました、体力が弱っていたのでしょうね。
とのことで、3キロ痩せたせいか精悍さを取り戻したようで、悪くなかった。
ご本人の苦しみを知らずに、他人は勝手なことを思うものかもしれない。
源氏物語、道半ば
源氏物語に取りかかった、ということを去年報告した。
今やっと3巻目の終わりに差し掛かっている。
早く(若菜)を読みたいので、このところ少しスピード・アップしている。
谷崎源氏全5巻の半ばまで来たので、少しは源氏物語についてしゃべっても許されるかもしれない。
62歳になるまで(源氏物語を読み通そう)と思ったことはなかった。
いろいろ源氏物語の(解説)は嫌でも聴こえてきていたので、本体を読む気がしなくなっていたのかもしれない。
或いはあまりにも長い物語なので何となくとっつきにくかったのかもしれない。
還暦も過ぎてやっとこの難物に取り組んでみようかと思うようになった。
副読本として手元にあるだけでも以下のようなのがある。
・大野晋 (源氏物語)
・大野晋 丸谷才一 (光る源氏の物語)
・新潮日本古典集成 (源氏物語)
・吉本隆明 (源氏物語論)
・文藝春秋編 (源氏物語の京都案内)
これらの副読本がなかったら、おそらく(源氏物語)を読む気にもならなかっただろうし、読み続けることもできなかったような気がする。
中で一番確かそうな(先生)は、ふうてんにとっては大野晋である。
上記(光る源氏の物語 中公文庫上下2巻)の下巻の始めに、こういう会話がある。
大野 (若菜)に至って作者はいよいよ腰を据えて小説的に物語を展開していく。話が本格的に大規模に展開するという印象をこの巻で誰でも受けると思います。今までの三十三帖に比べて、物語全体をどのように進展させるかについて、作者はかなり構想を練った上でこの話を始めている。(源氏物語)はここからいよいよ始まりですね。
丸谷 いままでは長い長い伏線という感じがします。
ゲ~ッ、となりませんか?
源氏物語54帖のうちの33帖目ですよ、(若菜)の前の(藤裏葉)は。
桐壺から始まり、空蝉、夕顔、若紫、末摘花だ、花散里だと光源氏が浮名を流し、やがて(朧月夜)でつまずいて、自ら須磨へ明石へと流れていく。
それからカムバックして栄華をきわめ、家の東西南北に屋敷を構えてみんなを住まわせる。
愛でたし、愛でたし。
33帖までで、もう終わってもよろしいような・・・・
それが(長い、長い伏線)ですって?
源氏物語の構成
どうやら谷崎源氏第3巻で、その(長い伏線)の終わりに差し掛かったようである。
大野晋に言わせると、源氏物語はa系、b系、c系、d系の4つのタイプの物語から構成される。
三十三帖まではa系とb系で構成されている。
これは光源氏の誕生から39歳までの(貴種流離譚であり致富譚)であって、a系は最初に書いた単純なハッピー・エンドのストーリで、それに藤原道長に言われて苦みのあるb系を書いて混ぜたに違いない。
大野晋に言わせるとa系はもてたばかりの話、b系はもてなかったばかりの話。
b系の冒頭が(帚木 はわきぎ)の(雨の夜の品定め)である。
c系の三十四帖から四十一帖は、光源氏40歳から52歳までのストーリで、もてたとか、もてなかったとか言う単純な話ではなく、三角関係が主題となる。
d系の物語は光源氏が亡くなってからの物語。
光源氏の子供たちの時代で、薫、匂の宮、浮舟が登場し、一人の女の生きざまを紫式部が自身の生き方に重ねて語ることになる。
大野晋という日本語学者
大野晋先生は、紫式部の生涯の進行状況と、このa系、b系、c系、d系の物語が時期的にピタリ一致する、と主張している。
だから紫式部日記と源氏物語を不可分なものと捉えて論を張っている。
大野晋という日本語学者は(日本語の起源はタミル語である)とか、このような源氏物語の解釈に大きな功績を残した人であるけれど、学会では孤立していたような気配もある。
漢字の白川静大兄は最後に文化勲章をもらったけど大野晋先輩は去年亡くなるまでお呼びがかからなかった。
どうして日本語研究のこの偉大な碩学に文化勲章を授与しなかったのか、ふうてんには分からない。
大野晋という人の書く日本語はまことに明晰で読んでいて気分が良くなる。
彼に言わせると紫式部の日本語がそうであるらしい。
こちらは谷崎訳の日本語で読んでいるので、そこのところは分からない。
家にも一人、薫の君が
それにしても、うちの女房どのは源氏物語を読んだのだろうか。
今の一人息子が生れたとき、女房の一存で(薫 かおる)と名前をつけた。
聴けば、源氏物語からいただいたという。
ふうてんはこれまで(クンちゃん)としか呼んだことがない。
(薫)はd系の物語に登場する人物で、ウワサには聴いているけれど、さてどのように描かれていることやら・・・。
今日は源氏物語の解説的な記事になってしまった。
源氏物語についての個人的な感想は(若菜)以降を読み進めてから書いてみたい。
(ふうてんアーカイブス)
2009 初春 雨の翌日の品定め
これはシロのだろうか
いやクロのだろうか
はやりシロのだろうか
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