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2009年2月に作成された記事

2009/02/22

2009・2・22 季節が動き始めた篇

谷保天神Yabotenjin

 この一週間、まるで(温度試験)を受けているようだった。

快晴だと思えば次の日は雨。

気温が1日で10度以上も上がったり、下がったり。

ああ春なんだ、季節が変化しているんだ、と思う。

 この季節、それまで暗い中で縮こまっていた何かが動き出す。

太陽の光が日一日と明るくなる。

(梅一輪一輪ほどの暖かさ)と日本人は詠んだ。

(三寒四温)と中国と日本の人たちは表現した。

やっぱり日本はいいなあと思う。

春があって、夏があって、秋があって、冬がある。

 四季の変化が日本の最大の資源ではなかろうか、なんてことをよく友だちと話す。

広い平原もない山ばかりの国土。

80%が山間地だと聴く。

石油や天然ガスが出る訳でもない。

つまり食料もエネルギーもまことに貧しい国なのですね、日本は。

 そういう極東の小さな島国である日本が、長い間植民地化されもせず生き延びてきた。

それは四季のおかげではないかとふうてんは思う。

四季がある、ということはあらゆる動植物が生きられる(環境)がある、ということになる。

人間も生きものである以上、生き易い(環境)に恵まれるということは幸せなことではなかろうか。

 今、100年に一度の経済危機だ、とか叫んでいるのがいる。

100年に一度といえば分かり易いから言っているのだろうけど、冗談じゃないと思う。

60年ほど前に、丸裸になった日本ではないのかしら。

日本経済がやっと普通になったのは、まだほんの3、40年前ではなかったかしら?

それを(100年に一度の)と叫ぶ人たちの気持ちが分からない。

 経済の浮き沈みというのは常に取り沙汰され、現実そのことでコチラの食事の一品が増えたり減ったりもする。

そのことで一喜一憂するのが我々人間なのかもしれない。

しかし我々人間はもう少し長い時間軸でものごとを考えることも出来るのですね。

(日本はどうなるのか?)

とか、

(これからの日本のあるべき姿は?)

とか、アレコレ、本やらテレビやらで議論されている。

 脳天気なふうてんはあんまり悩んではいない。

日本は日本なのであって、大昔から海に囲まれた南北に長い(島国)なのである。

幸いなことにそういう環境に存在している。

そういう環境の中で我々なりの平和な社会を営んでいけばよろしいのではないか。

グローバル・スタンダード?知りません。

と言い切ればいいのではないか。

その代わり、鉄砲持って外国へ出向いて人を殺すことはいたしません、と。

ただ現金もいりますので、少しだけテレビやらカメラやら自動車やら買って下さい、ね。

 季節の移り目、2月から3月にかけて、毎年こんなことを考えさせられる。

四季の変化が人間にもたらすもの・・・それは自然に関する感覚を鋭くする、ということ。

つまり日本人は大昔から(考える)よりも(感じる)種族であった、ような。

(ふうてんアーカイブス)

2009 春の気配 谷保天神の梅とメジロたち

谷保天神の梅Ume_11 

Ume_12_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Ume_21  

Ume_22  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

梅に来たメジロたちMejiro_11  

Mejiro_12

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Mejiro_21  

Mejiro_22  

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2009/02/16

2009・2・15 春一番と文楽見物篇

太宰府から来た梅Kokuritsu_ume

 金曜日に春一番が吹いた。

雨が落ちてきそうな暗い日だったので、春一番という感じがしなかった。

昼間、外を歩いていると、バラバラバラと砂を巻き上げるような風が吹いて、思わず目をつむった。

 夜テレビでニュースを見て、あれが春一番だったのかと気づかされた。

南から吹く風で、従って気温が急に上がる。

この(急に気温が上がる)というのが、ふうてんには堪えるのである。

一日で10度も気温が上がるとそれだけでグッタリとなってしまう。

 翌土曜日はラガーマンと国立劇場での文楽二月公演に出向いた。

気温は20度を超え、快晴だった。

さすがにコートはよして、待ち合わせた京王線、分倍河原駅へ急いだ。

ラガーマンが引っ越して、JR国立駅では待ち合わせにくくなった。

これから二人で都内へ出る時はこのパターンになる。

 京王線で明大前まで行き、井野頭線(いのがしらせん)で渋谷、渋谷から半蔵門線で半蔵門。

多摩地区から皇居近くの国立劇場までたどり着くにはいろんな電車に乗る。

南武線、京王線、井野頭線、半蔵門線と乗り継いで(土曜日の昼間)の情景を観察するのも悪くはない。

井野頭線や渋谷は若い人たちで一杯だった。

 二時半から3時間ほどの公演だった。

近松門左衛門の(敵討襤褸錦)という侍の仇討ちの物語だった。

ふうてんが知っている限りでは(侍もの)には仇討ちが多い。

(町人もの)には心中が多いような気がする。

侍ものと町人もので語りも三味線もトーンが全く違う。

 初めての演し物だったのでストーリはよく分からなかった。

それでも竹本住大夫さんと野澤錦糸くんはやはり素晴らしかった。

都合4組ほどの謡いと三味線だったけれど、あまりにもレベルが違う。

三味線も錦糸くんは初めから終わりまで硬く、硬く、ピシッと決めていた。

住大夫さんの謡いも、他の謡いの人と同じ人物を演じるのだけれど全く違う。

(あれは何なんでしょうねえ、住大夫さんが謡うとドラマになります)

(一つの世界を作れているのでしょうなあ)

(三味線も野澤錦糸、やりますなあ)

(僕はどうも三味線はまだ分かっとりません)

・・・・。

 そんな話をしながら、半蔵門線で渋谷、井野頭線で明大前、京王線で府中まで舞い戻り、大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)近くの居酒屋で飲んだ。

二軒目もいつもの(四季の会)で行く店だった。

ラガーマンは(プリンシプルのない日本人)を書いた白州次郎の話をずっとしていた。

若年期にヨーロッパで過ごした人たちは、共通の眼で日本を見ているのかもしれない。

 土曜日と日曜日の(急な暖かさ)にやられて日記が一日遅れてしまった。

(ふうてんアーカイブス)

2009 初春 国立劇場の梅

国立劇場に太宰府天満宮から梅がKokuritsu  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

濃厚な香りNoko_aka

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白い梅もShiro  

 

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2009/02/09

2009・2・8 寒い時には映画がいい篇

浅間山の火山灰Asamayama

 昨日、今日と東京は快晴で風が強かった。

ふうてんの部屋からは東側の窓の遠くの方に高い木が見える。

その木の突端の梢が揺れているかどうかで風の強さを判断できる。

言ってみればその木はふうてんにとっての(風力計)となっている。

 今日は朝から夕刻までその(風力計)は北風が強いことを示していた。

こんな日に出かけたくはない。

日曜日だからして朝から堂々とビールを飲む。

昼寝をして、4時ころ目覚めてもまだ吹きまくっている。

しようがない、風にも負けずにロシナンテを動かして喝を入れる。

そして、繁さんに電話して、風にあおられながら女房とチャリで出向いた。

 山口夫人と我々の三人で会話は始まった。

風が強い日だったので、自然と、建物と雨風の話になったのだろうか。

夫人に、今の家に住んで何年になります?と聴いた。

(前の家を建てかえたのだから・・・昭和42年かしらねえ)

(そうすると、え~と・・・42年ですか)

(すごくモダンなセンスの建築家の設計なのよ)

(確かに、形も変わってますよね)

(真四角で、庇(ひさし)がないものだから雨が降ると、そのまんま窓に流れるのよね)

・・・

(だから雨にけぶる風景、なんて見ようと思っても見られないのよねえ)

(雨が降ったら窓なんて開けてられませんねえ)

(そうなのよ、モダンな設計士は、温度はエアコンで調整しますから、いうのよねえ)

・・・

 ここらへんまで話が進んで、ふうてんは女房の顔を見た。

我が(設計士)も(庇のない家)を設計したのである。

(設計士、家のデザイナーは見た目ちゅうのを気にしますよね)

(見た目も大切だけど、日本は雨が多いでしょう、やはり庇は必要よね、窓を開けて雨の風景を見る、というのも楽しいでしょう)

(僕も、我が家の設計士に、図面書く前に、谷崎潤一郎の(陰翳礼賛)読んでもらった方が良かった思っています)

・・・

 話しているうちに、次々と常連さんたちが登場して一杯になった。

夫人のタクシーが来たのでお送りして、我々もチャリで繁寿司を辞した。

書簡集へ寄って、コーヒーとウィスキーを注文する。

書簡集では珍しくビリー・ホリデイがかかっていた。

(マスター、夕べは七人の侍と肉体の悪魔で合計5時間半も映画見ましてね)

(僕は肉体の悪魔は見逃しました、目が覚めたら3時でして)

・・・

 しばらく映画談義になった。

マスターも若いころから映画が好きだったという。

ハシゴして1日に6本も見たことがあると聴いてふうてんも中学、高校の頃を思い出していた。

 七人の侍は編集がすごいとマスターはいう。

黒澤明の編集の技は世界の映画の歴史の中でも一番かもね、とふうてんは応じた。

七人の侍は黒澤明が42歳のときにクランクイン(撮影開始)したらしい。

やはりねえ、42歳のころねえ・・・。

と、二人して遠くを見るような気分になって話が続いた。

 書簡集を出て、チャリに乗ろうとすると、黄色いプジョーが止まっていた。

プジョーも日本の小型車のような形になったのだなあ、と運転席を見た。

女の人が携帯電話を見ている。

後の席に小さな女の子がいて目があった。

ニコッと笑う。

思わずコチラは手を上げてバイバイの仕種をした。

女の子もバイバイをした。

 黄色いプジョーを後にしてチャリで帰りながら、今週見た(ハリーとトント)を思い出していた。

数年ぶりに見たあの映画のラストシーン。

初老の(ハリー)が茶と白のキジネコの(トント)と子供たちを訪ねる映画。

長男、長女、次男に会いに行くのだけど、結局一人で生活することを決意し、やがてその(トント)も息を引き取る。

 ラストシーンはこうだった。

一人きりになったハリーが浜辺で日向ぼっこをしている。

となりに座ったオバチャンが、一緒に住めば部屋代が安くなるわよ、とか口説いている。

ハリーの目に、トントそっくりのネコちゃんが浜辺を歩くのが見える。

思わずハリーは追いかけていく。

勿論トントとは違うネコちゃんに(What’s your name?)なんて聴いている。

フト振り返ると小さな女の子が砂遊びしていて顛末を見ている。

ハリーが女の子の方を向くと、女の子が(アカンベー)をする。

ハリーは苦笑する。

カメラがズームアウトして浜辺全体を写す。

The End。

 今週はこの(ハリーとトント)、そして(七人の侍)(肉体の悪魔)を見た。

アメリカと日本とフランス。

どれも名画である。

それぞれのお国柄がシッカリと出ている名画たち。

 寒風吹きすさぶ冬場には映画も悪くない。

(ふうてんアーカイブス)

2009 節分の頃 東京にも浅間山の火山灰が

ロシナンテHai_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Hai_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その3Hai_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

草木にもHai_4  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Hai_5  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その3Hai_6   

 

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2009/02/01

2009・2・1 源氏物語、道半ば篇

冬のハナミズキPhoto

 もう2月になってしまった。

池波正太郎さんが(50を過ぎると坂道を転げ落ちるようだ)と書いていた。

ひぇ~っ?そうなの~?と50歳ころに思った。

この間紅白歌合戦があった、と思ったらもう2月になり、春の気配すらある。

確かに、坂道を、転げ落ちている、ような、気もする。

冬の三種の神器

 今の季節、カキは真っ盛りで、週に2、3度は試みる。

それに加えて、セリとフキノトウが出始めた。

牡蠣、芹、蕗の薹、がふうてんにとっての(冬の三種の神器)なのである。

カキフライとカキナベだけは女房にまかせるのだけれど、カキの他の食べ方だとか、セリだとかフキノトウだとかに家人たちは興味を持たない。

やむを得ず、というか、幸いにというか、勝手気ままに楽しんでいる。

 そう言えば、先週の(大相撲初場所篇)で飲んだラガーマンもカキ大好き人間なのだけど、スッキリとして若返っていたように感じたので聴くと、ノロ・ウィルスにやられましてねと言っていた。

殻つきのカキを買って、レモンで食べる、といういつものパターンだったのだけど、やられました、体力が弱っていたのでしょうね。

とのことで、3キロ痩せたせいか精悍さを取り戻したようで、悪くなかった。

ご本人の苦しみを知らずに、他人は勝手なことを思うものかもしれない。

源氏物語、道半ば

 源氏物語に取りかかった、ということを去年報告した。

今やっと3巻目の終わりに差し掛かっている。

早く(若菜)を読みたいので、このところ少しスピード・アップしている。

谷崎源氏全5巻の半ばまで来たので、少しは源氏物語についてしゃべっても許されるかもしれない。

 62歳になるまで(源氏物語を読み通そう)と思ったことはなかった。

いろいろ源氏物語の(解説)は嫌でも聴こえてきていたので、本体を読む気がしなくなっていたのかもしれない。

或いはあまりにも長い物語なので何となくとっつきにくかったのかもしれない。

還暦も過ぎてやっとこの難物に取り組んでみようかと思うようになった。

 副読本として手元にあるだけでも以下のようなのがある。

・大野晋      (源氏物語)

・大野晋 丸谷才一 (光る源氏の物語)
・新潮日本古典集成 (源氏物語)

・吉本隆明     (源氏物語論)

・文藝春秋編    (源氏物語の京都案内)

 これらの副読本がなかったら、おそらく(源氏物語)を読む気にもならなかっただろうし、読み続けることもできなかったような気がする。

中で一番確かそうな(先生)は、ふうてんにとっては大野晋である。

 上記(光る源氏の物語 中公文庫上下2巻)の下巻の始めに、こういう会話がある。

大野 (若菜)に至って作者はいよいよ腰を据えて小説的に物語を展開していく。話が本格的に大規模に展開するという印象をこの巻で誰でも受けると思います。今までの三十三帖に比べて、物語全体をどのように進展させるかについて、作者はかなり構想を練った上でこの話を始めている。(源氏物語)はここからいよいよ始まりですね。

丸谷 いままでは長い長い伏線という感じがします。

 ゲ~ッ、となりませんか?

源氏物語54帖のうちの33帖目ですよ、(若菜)の前の(藤裏葉)は。

桐壺から始まり、空蝉、夕顔、若紫、末摘花だ、花散里だと光源氏が浮名を流し、やがて(朧月夜)でつまずいて、自ら須磨へ明石へと流れていく。

それからカムバックして栄華をきわめ、家の東西南北に屋敷を構えてみんなを住まわせる。

愛でたし、愛でたし。

33帖までで、もう終わってもよろしいような・・・・

それが(長い、長い伏線)ですって?

源氏物語の構成

 どうやら谷崎源氏第3巻で、その(長い伏線)の終わりに差し掛かったようである。

大野晋に言わせると、源氏物語はa系、b系、c系、d系の4つのタイプの物語から構成される。

三十三帖まではa系とb系で構成されている。

これは光源氏の誕生から39歳までの(貴種流離譚であり致富譚)であって、a系は最初に書いた単純なハッピー・エンドのストーリで、それに藤原道長に言われて苦みのあるb系を書いて混ぜたに違いない。

大野晋に言わせるとa系はもてたばかりの話、b系はもてなかったばかりの話。

b系の冒頭が(帚木 はわきぎ)の(雨の夜の品定め)である。 

c系の三十四帖から四十一帖は、光源氏40歳から52歳までのストーリで、もてたとか、もてなかったとか言う単純な話ではなく、三角関係が主題となる。

d系の物語は光源氏が亡くなってからの物語。
光源氏の子供たちの時代で、薫、匂の宮、浮舟が登場し、一人の女の生きざまを紫式部が自身の生き方に重ねて語ることになる。

大野晋という日本語学者

 大野晋先生は、紫式部の生涯の進行状況と、このa系、b系、c系、d系の物語が時期的にピタリ一致する、と主張している。

だから紫式部日記と源氏物語を不可分なものと捉えて論を張っている。

大野晋という日本語学者は(日本語の起源はタミル語である)とか、このような源氏物語の解釈に大きな功績を残した人であるけれど、学会では孤立していたような気配もある。

漢字の白川静大兄は最後に文化勲章をもらったけど大野晋先輩は去年亡くなるまでお呼びがかからなかった。

どうして日本語研究のこの偉大な碩学に文化勲章を授与しなかったのか、ふうてんには分からない。

大野晋という人の書く日本語はまことに明晰で読んでいて気分が良くなる。

彼に言わせると紫式部の日本語がそうであるらしい。

こちらは谷崎訳の日本語で読んでいるので、そこのところは分からない。

家にも一人、薫の君が

 それにしても、うちの女房どのは源氏物語を読んだのだろうか。

今の一人息子が生れたとき、女房の一存で(薫 かおる)と名前をつけた。

聴けば、源氏物語からいただいたという。

ふうてんはこれまで(クンちゃん)としか呼んだことがない。

(薫)はd系の物語に登場する人物で、ウワサには聴いているけれど、さてどのように描かれていることやら・・・。

 今日は源氏物語の解説的な記事になってしまった。
源氏物語についての個人的な感想は(若菜)以降を読み進めてから書いてみたい。

(ふうてんアーカイブス)

2009 初春 雨の翌日の品定め

これはシロのだろうか1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやクロのだろうか2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はやりシロのだろうか3  

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