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2009年1月に作成された記事

2009/01/26

2009・1・25 アディオス セニョ~ル ブッシュ篇

富士山の季節Mt_fuji

 今の季節は富士山がクッキリと見える日があり、多摩地区に住む幸せを感じる。

富士山は日本で一番高い山なので、当たり前だけど日本中から、原理的には見られる山だと思う。

奈良の法隆寺で昔JOさんと何とかという絵を見ていたら、富士山らしきものが描かれていて笑ったことがあった。

奈良時代、まだ空気がきれいな時代には、吉野の山からも富士山は見えたに違いない。

しかもその当時の人たちは、視力が2.0とかではなく4.0以上くらいはあったに違いない。

 今週は金曜日に昔からの友だちとワインガーデンで飲み、土曜日にラガーマンと(大相撲初場所篇)で飲んだ。

相変わらず飲んでばかりで、脳細胞方面はどうなっているのか、いささか心配になる。

昔、京都の友人Mu大兄に、ふうてんさん、ウィスキーを飲むのはよろしいですけど、一杯飲むたびに脳の細胞が1万個くらい死ぬること、ご存じでしょうね、と言われたことがある。

 以来、一杯のウィスキーを飲むたびに、また1万個失うんやなあ、と思う。

夕べ5杯飲んで、今朝3杯飲んだから、え~と、合わせて8万個くらいの脳細胞が・・・。

 ワインガーデンは珍しく(失礼)、満員だった。

13人の予約がダブルで来たというのである。

我々は、いつもの席ではなく、真ん中の、寄り合い所帯の席に案内された。

(すみませんねえ、いつもの席ご用意できなくて)

(いえ、いいじゃないですか、このご時世に、店が一杯で)

(ありがとうございます、途中で追加なんかがありましてね)

(よろしいねえ、この席だと勘定は半分でよろしいの?)

(いえ、店の真ん中ですので、いつもの倍いただきます)

・・・・・

 ワインガーデンに同席してもらったのは長野に住む友人である。

ふうてん老人日記にも昔書いたことがある。

2005年5月22日 ラウンド・アバウト・ミッドナイト篇

この記事のことを友人は覚えていたらしい。

写真もビデオもない記事だったのだけれど、その方が良かったと彼は言った。

ふうてんも、言われて、4年近く前の記事を読み直した。

 この友人は今でもパソコンのソフト、音楽ソフトを作り続けていて、12月、1月と忙しかったらしい。

20年以上前からのユーザーさんが、いまだに新しいバージョンを買ってくれて、アレコレ注文をつけてくるという。

 土曜日の(大相撲初場所篇)はいつものように谷保の(きょうや)でラガーマンと豊田先輩と三人だった。

(今場所は朝青龍場所になりましたねえ)

とふうてんは言った。

 今夜、繁寿司でテレビを見ていて、その通りになってしまった。

あの、モンゴルから来た、不躾な、下品なような荒武者を誰も止めることが出来ない。

明日から朝青龍は言いたい放題言うに違いない。

それを考えると・・・少し憂鬱になる。

 豊田先輩はこういうことも言った。

(相撲というのは格闘技ですから、勝たないと話になりません)

つまり品格とか、礼儀とかの前に、まず勝負があるとおっしゃる。

(豊田さん、今場所は初日のキセノサト戦で決まりましたねえ)

(ああ、きせのさと、力はあるけどねえ)

(やっぱ、野球も相撲も(頭)いるんとちゃいます?)

と聴いたら、豊田先輩、シルバーになった頭を指で差した。

野球で言うと、野村とか広岡とか、(頭を使えよ)という先人たちがいる。

大相撲で言うと、今はモンゴルから来た連中の方がよっぽど頭を使っているように見える。

 白鵬、朝青龍、安馬改め日馬冨士(はるまふじ)に共通していることがある。

それは(勝機)ということを日本人力士以上に意識しているということ。

三人は、体も違うし、生活スタイルも違う。

しかし(こうして、ああして、それからこうやって勝ってやろう)

という(勝つためのシナリオ)を自分で創っている。

だから彼らの相撲を見ているとスキがなく、流れがあるので面白い。

悪いけど、今の日本人の相撲取りにはそういうものを感じさせるのがいない。

今日は千秋楽だからして、昔の千秋楽優勝決定戦などをやっていた。

貴乃花と武蔵丸、曙戦を見せてくれた。

貴乃花、しっかりと(勝機へのシナリオ)を書いてはった。

立ち会い、相手とぶつかる、やったとったがある。

その間の手足や腰の使い方。

頭に支配されない肉体の動き。

貴乃花はやはり素晴らしい相撲取りだった。

 ところで(アディオス セニョ~ル ブッシュ)はどうなったのだろう。

ああ、アメリカのオバマ大統領の話だった。

オバマが大統領になって一週間、いろんな報道があった。

中で、ヘネズエラのチャベス大統領の一言が印象に残った。

(オバマ大統領になってアメリカは人を殺さないようになると期待します。アディオス セニョ~ル ブッシュ)

スペイン語なのかポルトガル語なのか知らないけれど、ハッキリと聴こえた。

(アディオス セニョ~ル ブッシュ)

オバマが大統領になって、アメリカや世界がどういう風に変化するか。

それを期待して見守りたい。

(ふうてんアーカイブス)

2009 冬の富士山 立川

冨士見別荘Fujimibeso  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甲州街道Koshukaido  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モノレール 1Monorail  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モノレール 2Monorail_2  

 

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2009/01/18

2009・1・18 東京慕情篇

都心の夜景Yakei  

 東京へ流れてきて40年目だと気づいた、と前回に書いた。

長渕剛が言うところの(花の都、東京)へ、ふうてんが初めて来たのは高校二年生の夏休みだった。

17歳のころだから・・・63-17=46年前になる。

 当時、兄貴と姉貴が東京にいた。

どうして四国の片田舎である伊予から二人が東京に出てきていたのだろう。

その二人を訪ねて、伊予からどのような交通機関で東京へ来たかは覚えていない。

覚えているのは最初に待ち合わせた場所での顛末である。

 17歳だったふうてんは言われた通り(渋谷駅)で待っていた。

当時から渋谷駅はまことに複雑な構造の駅だった。

(国鉄)やら(私鉄)やら(地下鉄)やらが網目のように東京では発達していて、渋谷にもそれらが交差していた。

教えられた、私鉄の何とか線と国鉄の何とか線の、両方のある(改札口)で待っていた。

いくら待っても姉貴は来なかった。

 一時間以上も待っただろうか。

(これで、迎えに来てくれなかったら、どうしたらいいのだろう?)

と不安になっていた時、やっと姉貴の顔が見えた。

(正ちゃん、何しとん?)

(待っとったんよ)

(練馬駅、いうたよねえ)

(練馬駅?渋谷駅ちゃうん?)

・・・・

エライことでした。

練馬駅のはずが渋谷駅で待っておったらしいのですな。

 それから46年、とアヤノコウジ・キミマロ風になります。

その時兄貴、姉貴に連れていって貰った場所が、その後東京へ流れてきてからも、ヒツコク、繰り返し、ふうてんの(精神性)に影響を与える事になったのですね。

 例えば兄貴には神保町の(ミロンガ)というタンゴ喫茶へ連れて行かれた。

(正ちゃん、コーヒーの飲み方は三つあるんよ)

(三つ?)

(まずはストレート、次にクリームをそ~ッと浮かぶように入れる。そして最後に砂糖を入れてスプーンでかき混ぜる。その三つとも味わうのよ。一杯のコーヒーで三つ楽しめるんよ)

(ふ~ん)

・・・・

神保町の(ミロンガ)は今もあって、たまに行くことがある。

 例えば姉貴には銀座のヤマハへ連れて行かれた。

当時姉貴は音楽学校へ通ってピアノをやっていたのだけど、ヤマハでエレクト~ンを弾いて聴かせてくれた。

ふうてんにとっては初めての(電子音)だったかもしれない。

 今でも神保町や銀座を訪ねると当時の(精神性)が舞い戻るような気がする。

その(精神性)の本質は何なのだろうか?

伊予の松山で夏目漱石の(坊ちゃん)と親しんだ。

東京から来た新米教師のストーリーだった。

通っていた学校には東京から来た、大学を出たばかりの先生もいた。

(坊ちゃん)に、東京とか、まだ見ぬ新しい世界とかを感じたのだろうか。

中学生のころには(新しい世界)だった東京へ来て、漱石という100年も前の人が生きて、生活をした場所を訪ね歩き、未だに新しさを感じる。

新しいような、懐かしいような感じがする。

 人間は(肉体)を持った動物の一種に過ぎない。

そして肉体と共に(精神)というものを持ち合わせているらしい。

この(精神)というやつが、どうも時空を超えてアレコレ考えさせる。

喧騒と汚濁の街、東京は、いまだに(時空を超える新しさ)をふうてんに感じさせるのだろうか。

 京都も面白いけれど、東京も捨てたものじゃない、と思う。

(ふうてんアーカイブス)

2009 七種粥も過ぎて 東京、御茶の水

御茶の水から南を見ると皇居の向こうに

国会議事堂Gijido  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京タワーTower  

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2009/01/12

2009・1・11 アポロ11号は1969年だった篇

谷保天神の梅林Bairin

 テレビを見ていたら、今から40年前の1969年にアメリカが初の月面上陸を果たしたという映像が流れてきた。

アポロ11号が打ち上げられて、月に到着して人間が一歩を刻むまでの映像。

ん?1969年?それから40年??

 ふうてんがコンピュータ・メーカに就職したのはまさにその年だった。

夏ごろだったか、実験室の方で声が聴こえるので行ってみた。

みんなでモノクロ(白黒)のテレビを見ながら歓声を上げている。

 付き合って、月面着陸の瞬間を見た。

(この小さな一歩が・・・)という月からの声が、着陸船から降りるパイロットの足の映像と共に聴こえてきた。

灰色の青春時代を京都で過ごして、東京へ流れてきたばかりの者にとって、明日への希望をかき立ててくれるシーンだった。

 月へ人を送り込む、というのが(アポロ計画)と呼ばれていたことを後で知った。

大統領になったばかりのケネディが1961年にぶち上げた計画だった。

それが、8年後、ケネディの死後5年後に実現した。

43歳のケネディが(月へ行こう)と言ったのだった。

 我々が実験室で見たテレビはモノクロ(白黒)だった。

しかし後年、その月面着陸に成功したいろんな映像を見るとすべてカラーだった。

USAという文字が白地に赤く彩られたロケットが地上を離れて、何段目かのロケットが切り離されて地球の方に落ちていく、そんなシーンがクリアーなカラー映像で記録され、いろんな形で放映された。

当時のアメリカの技術は世界の中でも断トツだった。

(お月さま)から(実況中継)したのである。

日本ではお月さまではウサギちゃんが餅をついていたのに・・・。

 それから40年、アメリカではオバマが大統領になる。

オバマはアポロ計画ではないけれど、別のアポロ計画を唱えて大統領になった。

それは(月)ではなく(地球)を見直そうよ、というアポロ計画だと思う。

アポロ計画の(アポロ)はギリシャ神話の(アポロン アポロ~ン)から来た名前だろうか。

この神は、ウィキペディアによると(あらゆる知的文化的活動の守護神)であるらしい。

確かに、オバマは(人類の叡智を総動員して、争いのない、平和な世界を作ろうよ)と訴えているように思う。

この40年でアメリカは技術でも断トツではなくなった。

オバマとしては(別のアポロ計画)を考えざるを得ない環境となっている。

 1969年から40年たって2009年になった。

この40年、世界ではいろんなことがあったし、ふうてんの個人的な世界でもいろんなことがあった。

23歳で東京に流れてきて、今は還暦も過ぎて、東京の西の果て、多摩地区の国立で、ロシナンテと共に生きている。

地元の人達からは、ひょっとしたら(国立の古老)と言われかねない年代になった。

 アポロ計画をぶち上げたケネディが大統領になったとき、ふうてんは15歳だった。

オバマが大統領になる今年、ふうてんは63歳になる。

ケネディもオバマも(アポロンの神)を崇拝する輩のようである。

及ばずながら、コチラもそのようなタイプのようなので、今年のアメリカの成り行きには非常に興味が湧く。

金融危機、大不況、そういう時こそ(アポロ~ン)の出番なのではないだろうか。

ふうてんは日本人故、日本での(アポロ計画)をお月さまでも見ながら考えていきたいと思う。

(月見)を一緒に楽しむ仲間たちと共に。

(ふうてんアーカイブス)

2009 大寒の頃 谷保天神の梅 

谷保天神からの富士山Fujisan  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白梅Shiro_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Shiro_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紅梅Aka_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Aka_2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ蕾Mada  

 

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2009/01/04

2009・1・4 恋はいつでも初舞台篇

正月三日の夕日Fuji_sunset  

 年末、年始、東京は(関東のバカっ晴れ)に恵まれた。

若いころは年の暮れ30日によく映画を見に出かけた。

チャップリン、ロイド、キートンの喜劇が当時は映画館で年末によく上映されていた。

年の瀬には、その年の嫌なことを笑い飛ばそう、ということだったのだろうか。

今の不景気な時代、そういうことをシネマ・コンプレックスさんにも考えていただきたいという気もする。

 年末、年始に欠かせないのは年越しソバとお節料理だろうか。

これは毎年のように同じパターンで展開される。

ただ、今年は(ソバ)に少し異変があった。

例年の牛肉の薄切りを入れたソバにバリエーションが加わった。

 一つは、ラガーマンと忘年会を谷保の(きょうや)でやったとき、最後にカキソバが出た。

カキを天麩羅みたいにした(つけソバ)だった。

つまり、いつものエビの代わりにカキを天麩羅にしたしろものだった。

エビの天麩羅よりは、ずいぶん(ころも)が薄いようだった。

これはかなりイケた。

 もう一つは、正月になって、お雑煮とソバを(かわりばんこ)くらいに食べるのだけど、今年は珍しく(ニシンソバ)になっていた。

(ニシンはどうしたの?)

と聴くと料理人が、

(立川の高島屋に珍しく出ていた)

と応えた。

 そして勿論、大晦日は(薄切り牛肉ソバ)に決まっている。

これは牛肉の脂の具合で味が決まるのだけど、大学生のころおふくろの里で大晦日を過ごしたとき、おバアちゃんがこれを出してくれた。

それがあまりに美味しかったので、結婚してから料理人に再現してもらった。

どういう牛肉を買ってきて、どうすればこれが出来るか、ふうてんには分からない。

 天気は晴ればかりなのだけど、風もあるので、テレビは結構見た。

ドラマ、お笑い、歌、バラエティ(?)には見るべきものがないので、ニュースとドキュメンタリーばかり見ていた。

NHKでやった全盲の夫婦が二人のまだ小さい娘、その一人はやはり全盲、を育てている家族のドキュメンタリーは見ている間中、涙がとまらなかった。

人間が生きるとはどういうことかを深く考えさせてくれる番組だった。

 何気なく見はじめた元旦の(ニューイヤー駅伝)の中継も面白かった。

5区から見始めたのだけど、5区も6区も最後の7区もトップ3チームの競り合いになった。

5区で紙一重でトップになった富士通に対して、解説の瀬古くんが、トップでたすきを渡すとその思いが次のランナーに伝わりますよ、と言った。

6区でも7区でも3チームが同じようなバトルを繰り広げ、結局、どの区でも最後に富士通が1秒ほどの差をつけて優勝した。

15キロほど走って最後は1秒の差で勝負が決まる。

よほど肉体と精神を鍛えてきた選手たち、3チームとも見事だった。

 ふうてんはスポーツは全くダメなのだけど見るのは好きである。

年末、年始、去年の北京オリンピックなどスポーツの回想番組は多かった。

アスリートたちの肉体の動きは美しい。

ああ、人間の肉体も素晴らしいんだ、と感嘆して嬉しくなる。

 去年の秋ごろから小椋佳の(夢芝居)という歌が心に引っ掛かって、昔のビデオを取り出して小椋佳自身が歌っている(夢芝居)をデジタル化してパソコンのデスクトップに登録して日々聴いている。

シンガー・ソング・ライターの曲、その歌い方には独特のものがあると思う。

井上陽水の(心もよう)、五輪真弓の(恋人よ)、などなど。

谷村新司とか小椋佳とか中島みゆきとか。

(夢芝居)という曲には、舞台とか芝居とか、(人生は人に見られているんだよ、覚悟しなさいね)というメッセージが繰り返し出てくる。

例えば、この曲の次のようなセリフ。

(男と女あやつりつられ

 細い絆の糸引き引かれ

 稽古不足を幕は待たない

 恋はいつでも初舞台)

 そうやったんや、人生、とりわけ男と女の関係は(夢芝居)やったんや。

(夢)でも(芝居)やから(舞台)に乗せんならん。

(恋)ちゅうのんは稽古でけへん(できひん?)。

そやし、いつでも(初舞台)なんや。

ひょっとしたら(恋とは、見えない観客の前で演じる夢芝居かも)とも、ふうてんは思うのである。

 ふうてんは明日、1月5日に63歳になる。

もう(恋はいつでも初舞台)という歳ではない。

しかし、この頃、誕生日を迎えるたびに(初舞台)という言葉が浮かぶ。

定年退職したときにも(初舞台)だと思った。

明日は明日の新しい幕が開くのではないだろうか。

明日のことは幾つになってもまだ経験していない。

毎日、初舞台みたよなもの、ちゃうやろか。

(初舞台は恋だけとちゃうでぇ)

と、楽しみのようでもあり、

(稽古不足を幕は待たない)

と、な~んも、稽古してへんことに気づいてうろたえる。

 初舞台か・・・もう出たとこ勝負でいくしかあらへんなあ。

と、63歳になるふうてんは思うのである。

(ふうてんアーカイブス)

2009 元旦 谷保天神

夢芝居Yume  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富士山Fuji  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

初詣 谷保天神Yabo_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Tenjin  

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