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2008年12月に作成された記事

2008/12/29

2008・12・28 今年はやっぱりオバマだろうか篇

大学通りのイルミネーションKurisumasu  

 このところ、やっと関東の(バカッ晴れ)の天気が続いている。

バカッ晴れというのは上品な言い方ではないけれど、この毎日つづく青空はそう表現したくなる。

これを関西風に(アホ空)と言ったら、もっと上品でなくなるかもしれない。

ともかく、毎日、馬鹿のように晴ればかりで関東は住みやすい、という感謝のネーミングだととらえて戴きたい。

(関東のバカッ晴れ)

12月と1月は、東京では天気予報は気温の為だけにある。

 今年は(変化)の年になるだろうと予想していた。

アメリカでも日本でも選挙がある年だったし、北京オリンピックがある年だった。

中で、日本の選挙だけはどこかへ行っちゃった。

その代わりに、予想していなかった世界の金融危機とそれに伴う大不況が表面化してしまった。

 派遣切り、期間労働者切り。

何だか嫌な言葉が毎日のように報道される。

人間様を、派遣するとか、首を切るとか、まことに失礼な言い方ではないかと思う。

期間限定の労働?

やめて欲しいなあそういう言い方は。

 農業の世界では(農繁期)(農閑期)という言い方がある。

ふうてんは農家の出身なのでそのことを子供のころから体験してきた。

例えば田植えの季節。

一家だけでは人出が足りない。

そこで、知り合いやら親戚やら、村の人やらを呼んで、みんなで一斉に稲を植える。

よ~いしょッ、てな調子で、線を引く訳ではないけれど、並んで一株づつ稲を田んぼに植えつけていく。

一株植えつけて、一歩下がって、また次の一株を植える。

 ミカンの収穫期にも、またみんなにお願いして集まってもらう。

ミカンは手だけでもぎ取る訳にはいかなくて、ミカン・バサミみたいなもので、枝を切って収穫する。

バイトという言葉は当時なかったけれど、若い人たちを集めて一斉に収穫していた。

 こういう景気のよろしい風景・・・それは(農繁期)の話。

晩飯の時間になると、手伝ってくれたオジさんに、一杯の酒をふるまう。

その一杯を、実にうまそうに飲むオジさんがいた。

もう、どこのどなたさんだったのか・・・思い出せないけれど。

 ひるがえって、じゃあ農家の人たちは(農閑期)はどう過ごしているのだろう?

例えば、稲刈りが終わって、麦をまいて、冬が来る。

ふうてんが子供のころは伊予でもよく雪が降った。

ずっと我が家にいて手伝ってくれていた(男士さん?)は、縄を縒(よ)ったり、竹でカゴを作ったりしていた。

それをジッと見るのはまことに楽しいものだった。

 縄はイネで作るのだけれど、縒るためには柔らかくしないといけない。

そこで、稲をちょっと水に湿して、トントントンと木の小槌のようなもので叩く。

そうして手にツバをペッと吐いて、縒りはじめる。

竹籠は、まず竹を切りに近くの山へ行く。

ノコギリで適当な長さに切った竹を、鉈みたいな刃物で、コキンと割る。

竹はまことに素直な植物で、パコンとたやすく割れてくれる。

それを何度か繰り返して細い竹の棒にし、皮を剥く。

薄く削って、しなやかになるように手でしごいて、やがて工作にかかる。

 農繁期、農閑期で過ごし方はまったく変わる。

だから(派遣社員)とか(期間労働者)というのは、そういう生産のサイクルの中で、自分はどういう役割なのか考えないといけない。

それを雇う方もそのことをわきまえて、農繁期のときは一杯の酒を振る舞い、また来年来て手伝って下さいね、と言わねばならない。

切るとかどうだとかいう話ではないと思う。

 農業だけではなく、工場だって(農繁期)と(農閑期)があるのではないだろうか?

急に注文が増えて(今日中に1000台作って)と言われるときもある。

サッパリ注文が来なくて工場の人に(屋根にペンペン草が生えてますわ)と言われることもある。

ふうてんなどがやっていたパソコンというヤクザな商売ではそんなことの連続だった。

明日、何台売れるか?そんなこと分かりゃあしないじぁありませんか

消費者、いえユーザーさんは、何しろ気まぐれでいらっしゃるのだから。

 アメリカでオバマが大統領になった、というのは今年の最大のニュースだとふうてんは思う。

閣僚が発表されて22人のうち11人くらいがホワイトではない。

WASPという言葉が過去の物になったような印象がある。

ミセス・クリントンとかミスター某の、かっての敵も内閣に取り込んでいる。

 この男は(農繁期)だからといって急に人を集め、(農閑期)になってすぐにクビにする。

そういう単細胞的運営をしないのではなかろうか?

シロとかクロとかデジタルに決めつける人間ではないような気がする。

(みんなで一緒に、いい世界にしましょうよ)

それが彼のメッセージのように感じる。

 47歳。

ケネディの43歳ほど若くはないけれど。

日本にもそのうち明治維新の時のような20歳代、30歳代の若者が政治の世界で活躍する時代が来るのだろうか?

我々還暦世代は、日本がそうなるように支えるのが役割のような気がする。

若者たちが二大政党で交代を繰り返す。

そういう民主主義の国に日本がなったことを見届けてから・・・。

(ふうてんアーカイブス)

2008 冬至のころ 国立のイルミネーション

合わせて8本ほどのイルミネーション

発光ダイオード 白と青Illumi_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発光ダイオード オレンジIllumi_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電球その1Illumi_31  

Illumi_32  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電球その2Illumi_41  

Illumi_42  

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2008/12/21

2008・12・21 裾野は雪になった篇

裾野(すその)Susono_3 

 国立では今日が冬至だという。

4時過ぎにチャリで(はがきえ展)に向かう。

冬至のはずなのに妙にまだ明るい。

(嫁さん、この時間、もっと暗かったよなあ)

(ウン、この間まではもっと暗かった)

(冬至には日の入りはもう遅くなっているんちゃうかなあ)

(その分朝の日の出が遅くなってくる・・・)

そんな会話を交わしつつ(ギャラリー えそら)で(はがきえ展)を冷やかし、繁寿司へ向かった。

(はがきえ展)は山口瞳さんがお元気だったころから、この季節に催される(はがきえ)の展覧会である。

小さな(はがき大の絵)の中に、作者の夢の世界が展開される。

30人ほどの作者たちの絵を見て、人間というのは本当に一人一人違うのだなあと感嘆を禁じ得なかった。

 繁寿司では、いつもの客たちと繁さん夫婦の会話になる。

(ふうてんさんも絵を描いてみたら)

と言われる。

(絵は小学生時代まででしたねえ、金賞やらもらって、俺は天才かな、と)

と話し始めると、山口夫人が、

(私もそうだったのよ、戦災で全部焼けたけどいろいろ賞状もらってねえ)

(それが中学、高校へ行くにつれて、天才が普通になり、凡才になりまして)

(そうよ、その通り、私もそうだった)

何故か意見が完癖に一致したのであった。

 先週、裾野の小川別邸でワインの会があった。

12月の半ばにこの地でこの会を開くには勇気がいる。

標高900メートルの小川別邸ではこの季節、雪が降ったり、凍結したり。

それでも今年、やってみませんかと案内が来た。

 この季節とて、ゴルフはなしで、2時集合ということだった。

いつもより2時間早く、ホンダ・レジェンドの友人に(市が尾駅)で拾ってもらい、東名高速に乗る。

ふうてんやJOさんが会社に就職した1969年、この(市が尾駅)の近くに会社の寮があった。

いつもレジェンドで拾ってもらうたびに、約40年前の(新入社員)時代を思い出す。

駅のたたずまいも、まわりの風景も当時とはまるで変わってしまった。

 市が尾から裾野小川別邸までの行程はだいたい1時間半ほどである。

今回は、時間も早いので、どこか寄りませんかブラブラと、との友人の提案。

ふうてんは、じゃあ箱根にでも寄りますか、と答えた。

厚木で東名をおりて(厚木小田原道路)で箱根をめざす。

小田原の当たりではまだ紅葉がきれいだった。

ああ、東京よりはずいぶんあったかいんだなあと思う。

 ドライブインで一服している間に友人がカーナビを(仙石原)にセットする。

箱根から御殿場や裾野へ抜けるとなると途中(仙石原 せんごくばら)があったはず。

走り出すと、ピンク色の、目的地までの線が3本も出ている。

ハテ?妙な??

普通、目的地までの線は一本でいいのに・・・。

 箱根新道にはいってからセットしたのが、まずかったようだった。

本来の1号線に戻り、箱根湯本、宮の下などの急な、曲がりくねった道を登る。

(これですよねえ箱根は)

(そうですねえ、そこかしこに懐かしい風景が見えますなあ)

(今回あらためて箱根は大した山だったと気づかされます)

(箱根の山は天下の嶮、とね)

山々は二重三重に折り重なっている。

標高がだんだん高くなり紅葉が徐々に枯れていく。

 途中の仙石原で枯れ切ったススキの平原を見学し、御殿場へおりて裾野へ向かった。

若いころ、若い者どうしで車5、6台でつるんで箱根路を芦ノ湖から乙女峠を越えて御殿場へ抜ける時、この仙石原のススキが印象的だった。

そのススキが冬になると枯れ切って静かにたたずんでいた。

(これ、そのままで春になると新芽がでて青々となるのかなあ?)

(それにしてはゴツイですよ、この枯れススキは、春までに消えてなくなるかしら)

(仙石原の野焼きというのは聴かないし)

不思議な気持ちのまま、裾野の小川別邸へ急いだ。

 別邸に着くと、台所に臨時シェフが立って何か作っている。

我らが鎌倉大明神が包丁を振るっているのであった。

(珍しいですね、何か作ってるんですか)

(アンチョビがあったのでアボガドと合うかなと思いましてね)

(このニンジンの葉っぱみたいな緑のは?)

(これがディルですよ)

(えっ、これがディルですか、名前は聴いていたけど・・・いい香ですねえ)

・・・・

 やがて全員集合となり、御殿場高原ビールの栓を抜き、シャンパン、白ワイン、赤ワイン、日本酒のどこかの地酒、マッカラン12年のウィスキーとなる。

小川別邸当主の料理と鎌倉臨時シェフの料理が途切れることなく出てくる。

そして(裾野カルテット)と(オジン合唱団)の競演。

裾野の夜はしずかに、騒がしく更けていった。

 翌朝目覚めると、一番恐れていた雪だった。

雪が降り積もらぬ間に、道路が凍りつかない間に。

小川シェフの用意してくれた朝食を腹に納めて、それぞれの車は坂を下ったのであった。

(ふうてんアーカイブス)

2008 12月 裾野小川別邸

箱根から裾野へ

 

箱根の仙石原のススキSusuki_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富士山Fuji_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裾野のススキSusono_2_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裾野カルテット 

 

今回は(音合わせ)のみ。カルテットの(四重奏)は次回以降のお楽しみ。 

 

音合わせOtoawase_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(メンバー紹介)

 

チェロCello  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギターGuitar  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トランペットTrumpet  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウクレレUkulele  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(演奏)

 

ブルーハワイDanro_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オルフェの歌(別れのサンバじゃないよ)Orfeu  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギターソロ 

その2 

 

帰りは雪になったYuki_1  

Yuki_2

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2008/12/15

2008・12・14 紅葉も終わって篇

ネコたちと落ち葉Neko_kareha

 今年もあと半月ほどになった。

毎年恒例となった(今年の一文字)は(変)だという。

確かに今年の始め、アメリカでも日本でも選挙があるだろうし、北京オリンピックもあるので(変化)の年だろうとは思っていた。

 しかしその変化は予想を超える大きなもので、また予想とは違う様相を呈している。

日本人が4人もノーベル賞を受けるというのも異例だった。

アメリカのサブプライム・ローン問題に端を発した世界的な金融危機。

それにつづく世界的な大不況。

日本の企業も大量の人員削減、派遣切り、内定取り消しを発表した。

ガソリンなんか1リットル200円まで高くなって今は100円だという。

円高、株安も止まりそうにない。

日本の総選挙はどうなっちゃったのだろう?

 一文字で表せというなら(変)よりも(狂)の方がふさわしいのではなかろうか?

何もかも狂ってきたなあ、と思わされるニュースの方が多い年だった。

(どうも人間、進歩してないようだねえ)

と女房とよく話す。

戦争や人殺しは続いているし、貧富の差も縮まらない。

所詮、人間も他の動物と同じで、ただ生きているだけなのだろうか?

 野良だけど、一宿一飯の義理でつながりのあるネコたちを見る。

毎朝、食事に来る小鳥たちを見る。

日の当たる方に延びようとする植物たちを見る。

ああ、人間も彼らの仲間の一つに過ぎないのだ、と思う。

それでいいのかもしれない。

人間だけが違う、と思い上がらない方がいいのかもしれない。

 しかし彼らと人間は同じに見られないところがある。

人間は(道具)を使うことを覚えた。

(道具)を使って(食料)を得、(動力)を得た。

それを文明と言うなら、その文明をいい方向に使っているのだろうか?

吉本隆明に言わせると(人間の真善美に関する進化はギリシャ時代に終わっている)ということになる。

 真善美か。

そういう言葉があったなあ、と遠くを見つめるような気分になる。

真善美の追求、ということをこの頃人類は忘れたのかしら?

忘れた挙げ句に、日本をどうしよう?とか格差をどうしよう?とか親殺し子殺しは何故多発するのか?とか悩んでいる。

真善美というのはシンプルでまことに普遍的な概念ではなかろうか?

 あんまりややこしいことを考えるより、今ふたたび、今の文明のもとでの人間生活のありようを(真善美)という視点から考え直して議論してもいいのになあ、とふうてんは思う。

一番身近な(衣食住)について(真善美)の視点から考え直すと、どういうことになるだろう?

 ギリシャ時代からはずいぶん時間がたっているので、その間に大きく変化した世界の(経済)のことを同時に議論する必要があるかもしれない。

(道具)を使うことで人間は他の動物とは違う(豊かさ)を獲得してきた。

狩猟採集とは違う生活様式をとることができるようになった。

同時に、その(道具)の使い方の違いが、同じ人間同士に(格差)を生むことにもなった。

(経済)の問題は(道具)の問題だと思う。

(リバレッジ てこ)と呼ばれる(マネーの道具)を使うことはやはり間違っている。

 道具が発達して我々の生活はずいぶん(便利)になったと思う。

しかしこの頃強く思うのは(便利)にはなったけれど、ちっとも(豊か)にはなっていない、ということである。

豊かさを実感するにはやはり(真善美)という根拠、規範を必要とするのではなかろうか?

 そんなことを強く感じさせられる一年だったように思う。

(ふうてんアーカイブス)

2008 初冬 コナラ、ネコ、メジロ

コナラの紅葉と落ち葉Konara  

Kareha_7  

 

 

 

 

 

 

 

その2Kareha_11  

Kareha_12  

 

 

 

 

 

 

 

メジロMejiro  

 

 

 

 

 

 

 

 

クロが来たKuro_11  

Kuro_12  

 

 

 

 

 

 

 

その2Kuro_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

シロとクロShirokuro_1  

Shirokuro_2  

 

 

 

 

 

 

 

コナラの最後の輝きKareha_21 

Kareha_22  

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2008/12/08

2008・12・7 ホンダがF1から撤退した篇

窓のコナラMado

 このところ寒い日が続く。

今日など、繁寿司へ出向くころには10℃以下だったのではなかろうか。

10℃以下というのは、東京では冬の温度である。

ビールなどは、冷やすためなのか暖めるためなのか(冷蔵庫)に入れるときに、分からなくなることがある。

 繁寿司の帰り際に、繁さんが(早く引退していて良かったですね、このお客さんなんかリストラ寸前で大変なのですよ)と言った。

見ればまだ若そうな男である。

(あなたねえ、景気の好不調なんて、気にしちゃダメよ。若い、ていうのが最大の財産なのだから。景気なんて一時のものよ)

と、その若そうな男の人に言った。

伝わったのかどうか分からないけれど、考えてみると(リストラ)される年齢ではないことを知らされ、嬉しいような、寂しいような気分になった。

 このところアメリカのサブ・プライム問題に端を発した金融危機、経済の大不況のニュースで毎日が過ぎていく。

こちらの知らないところでバブルになり大不況になる。

ええ加減にしてよ、と言いたくもなる。

バブル期といわれる日本の1980年代にこちらは何かいい目に会っただろうか?

接待費、タクシー券というのはあったかもしれない。

しかし、そんなものは仕事の延長の話だった。

我が家の家計にはあまり関係のない話だった。

 株というものは買ったことがない。

馬券は、一日だけ、山口瞳さんに府中競馬場に連れて行ってもらった日、第1レースから最終レースまで買ってみた。

12000円の投資で9000円のバックがあった。

山口さんが、初心者が楽しめるように勧めてくれた買い方をしたからだった。

小なりといえど、当たり券を換金する気分は悪くなかった。

結構楽しめたのだった。

 ふうてんには(株)というのは(馬券)と同じようなものに思える。

どちらも一種のバクチなのではなかろうか?

(年金)とか(健康保険)とか、こちらが若いころからず~っと給料から天引きされてきたお金が、まさか(株)とか(馬券)とかにバケているのではあるまいな、と心配になる。

どちらもバクチなのだから、楽しむためにやるのはよろしい。

けれども、決して儲けるためにやるものじゃあない、と思う。

 世界の金融危機・・・早い話、バクチで儲けようとした結果が出た、だけの話。

(バクチはやっぱ儲かりまへんなあ)と頭を冷やすいい機会になればいいと思う。

 そんな経済不況の嵐の中、ホンダがF1撤退を発表した。

2000年に3度目の参戦をし、9年間で1勝しかしていない。

遅すぎる(撤退発表)だったような気もする。

勝つことのないレース活動に毎年500億円もの予算を使ってきたと聴く。

本田宗一郎さんが生きていたらどう言われただろう?

(やめろ)ではなく(勝て)であったはず、だと愚察するけれど・・・。

 ホンダは1964年にF1に参戦した。

翌年の1965年に大学1年生になったふうてんは(自動車部)にはいった。

自動車雑誌でホンダのF1カーの写真を見た。

白に日の丸の赤がボディカラーとして印象的だった。

1965年には東京オリンピックがあり、ふうてんは出来たばかりの新幹線に乗って(お上りさん)をして東京まで出かけて10月10日に開会式の競技場の(外)をうろついて、自衛隊の戦闘機が五輪のマークを空に描くのをカメラで写したりしていた。

 それから40年(アヤノコウジ・キミマロさん、借ります)

時代は変わりましたなあ。

その第一回目のF1参戦でホンダは(ここにホンダがいるぞ)というアピールだけして退場した。

当時、ホンダはまだ空冷エンジンにこだわっていた時代だった。

初代F1監督の中村良夫さんに言わせると、もう空冷エンジンの時代は終わっていた。

それでも空冷にこだわるオヤジさんとのバトルが続いていた。

中村良夫さんはコンパクトな水冷エンジンのF1マシンも用意しつつあった。

イギリスでそれを用意していた。

そんなとき、日本から巨大な(空冷エンジン)のニューマシンが送られてきて、これで戦えと言われた。

結局、その年、観客を捲き込む大事故を起こし、ホンダはF1から撤退した。

 ホンダが空冷エンジンを諦め、水冷エンジンを研究し、世界初の(排気ガス対策クリア)のCVCCエンジンを開発できたには、こういう歴史もあったのである。

そのCVCCエンジンの開発にたずさわった桜井さんという人が第二回目のホンダF1参戦時の監督になる。

エンジンの提供という形で参戦した。

 そうして1980年代、ホンダ・エンジンは連戦連勝した。

ネルソン・ピケ、アイルトン・セナ、ナイジェル・マンセルなどのF1ドライバーの名前が日本の若者たちに日々、友だちの名前を語るように語られていた時代だった。

一番のアイドルだったアイルトン・セナは本田宗一郎さんの崇拝者だったと聴く。

国は違い、年齢は違っても通じるものがあったのだと思う。

 2000年の第三回目の参戦のとき、もう本田宗一郎さんはいなかった。

やはりホンダは勝てなかった。

レースに勝つには理論を超えたものが必要なのだろうか。

今回のF1撤退のニュースを聴いて、もういいんじゃない、とふうてんは思う。

本田宗一郎さんはよく言っていた。

(大きいものが勝ち続けると誰が言えます?祇園精舎の鐘の音、ですよ)

その精神で浜松の町工場からのし上がった。

宗一郎さんがいないホンダにF1レースは似合わない。

(ふうてんアーカイブス)

2008 晩秋 コナラ 家の窓から

作業部屋の窓 

Mado_1_3

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Mado_3_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

その3Mado_5  

 

 

 

 

 

 

 

 

その4Mado_6  

 

 

 

 

 

 

 

 

昼寝の窓Hirune  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2

Hirune_2  

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