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2008年10月に作成された記事

2008/10/26

2008・10・26 やっぱりロータス・セブンはいいなあ篇

スーパー7Lotus  

 夕刻、5時前に繁さんに電話してチャリで出向く。

このところの行きの会話はいつも(暗くなったねえ)である。

春夏秋冬同じ5時に出向くのだけど、この二か月ほどの変化は急ではある。

日が短くなる、だんだん短くなることが秋から冬への気分に影響しているように思う。

女房とこんな会話にもなった。

(これで、寒くなってきたけれど、日が延びてきたなあ、なんてなったらどやろね?)

(ふ~ん、経験ないから・・・頭混乱するかもねえ)

 山口夫人と三人だった。

問わず語りにそれぞれのこの数十年の、或いは子供のころからのいろんな話になる。

昭和39年に山口夫妻は国立に引っ越してきたことも話に出る。

東京オリンピックの年で、ふうてんは大学一年生、新幹線が走った年でもあり、それに乗ってお上りさんしたモノクロの写真が一枚だけあることも思い出した。

 夫人がおっしゃるには傘寿(80歳)記念の同級会に60人集まったという。

(子供や孫のことを話す人が多いのだけど私は昔の思い出を話し合いたいのよねえ)

と夫人はおっしゃっていた。

小学校くらいのころのことや、戦災の話や、いろんな話がまことに鮮明な記憶として語られる。

東京という都会は、そういう記憶を持った人たちがそのまんま大人になって今でも東京に住んでいる。

そういう人たちが沢山いる。

我々、田舎から流れてきた衆生とはその点違うなあといつも思う。

流れ者は時を同じくした幼年期の仲間に会うことはできない。

(あそこのオバチャン怖かったよな)

という話を、同級生とすることができない。

(でも、田舎に帰って来ます、なんて聴くと羨ましかったわよ)

と夫人はおっしゃった。

それからしばらく愛媛とか松山とか伊予の話にもなった。

(高浜虚子が書いた本が最近出て、面白いのよ)

なんて教えてくれる。

(まだ学生服の漱石が子規の家を訪ねて来て、おとなしそうにお菓子食べていた、とかね)

(はあ~、じゃあ、松山赴任前の学生時代なんでしょうねえ)

・・・・

(漱石は松山のことを悪口しか書いていませんがねえ)

(でも子規と知り合ってずいぶん経験したのよねえ)

(松山で不思議なのは田舎だというコンプレックスはなかったことですねえ)

(伊丹さんも大江さんもねえ)

・・・・

 話は尽きないのだけどやがて銀星タクシーが来た。

外へ出て、繁さんの奥方と二人でお送りする。

(変わらぬことがめでたいことだ)と高橋義孝先生は言った。

変わらない時間は短い、だから大切にしたい、と夜道をチャリで家へ向かった。

 今回のふうてんアーカイブスでは最近見かけた(スーパー7)を紹介しておく。

この車も(変わらぬことがめでたいことだ)を今に伝える貴重な車種なのである。

ロシナンテ以外に乗ってみたい唯一の車種でもある。

イギリスの自動車メーカ(ロータス)の話はいつかしてみたい。

(ふうてんアーカイブス)

2008 10月 近くの駐車場で ロータス(ケイターハイム)スーパー7

 (オーナー曰く、埼玉と国立半々、雨が困ります)

 (プ~ンという断続的な音は近くにいた消防車の警告音)

 

その1Lotus_11  

Lotus_12  

 

 

 

 

 

 

 

その2Lotus_21 

Lotus_22  

  

 

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2008/10/19

2008・10・19 文庫本にも賞味期限あり?篇

ムラサキシキブMurasaki  

 読書の秋というわけではないけれど、ベッドにはいって楽しみな本がないのは寂しい。

本屋さんに行けば読みたい本が必ず見つかるというものでもない。

(ローマから日本が見える)や(漱石の書簡集や日記)を読んでしまって、さて困った。

 と言っても今に始まった話ではなくて、いつもの話でもある。

どうしても(仕掛人・藤枝梅安)当たりに手が伸びる。

繰り返し読む本はだいたい決まっていて、本棚にしろ、積み上げているのにしろ、出し易いところに位置している。

 山口夫人もよくおっしゃるのだけど、好きな本を開いて字面を追ううち睡魔に襲われて眠りに落ちる快感には格別のものがある。

睡魔の兆しがあって、来たな、と本を置き、老眼鏡を外し、頭を高くしていたマクラをどかしてスタンドのスイッチを切る。

1~2秒のうちに白川夜船。

言うことなし。

 もう数年前から講談社文庫の(仕掛人・藤枝梅安)は白い紙が茶色になってきて、文字が読みづらくなっている。

やはり紙でできた本には(賞味期限)というものがある。

特に文庫本は薄い紙を使っているせいか単行本よりは劣化が激しい。

ずいぶん前に新装版が出たのだけれど表紙のデザインが薄気味悪いので買うのを控えてきた。

しかしもう限界かもしれない。

 それで立川へ行って、(殺しの四人)と(梅安乱れ雲)を買った。

気味の悪い表紙は外して前の表紙と入れ換えればよい。

しかしフォントが大きくなっているようだったので本の厚さが変わって無理かなあ?

念の為古い本も持って本屋さんへいった。

(殺しの四人)で確かめると241ページが274ページになっている。

それだけフォントが大きくなっている。

やれ嬉しやと言いたいところなのだけど、一つだけ残念なのはページ数の関係で、文字の上下間隔が狭すぎて少し読みづらいことも分かった。

だけど真っ白の紙に真っ黒の大きな文字。

老眼で、間接照明でも十分に読める。

まずは我慢の範囲と一安心。

 池波正太郎さんとの付き合いも長くなったなあと思う。

ポイントだけを年表にしてみたくなった。

書いた、本になった、読んだ

池波正太郎

1923年生まれ

1960年(37歳) (錯乱)直木賞

1967年(44歳) (鬼平犯科帳)

1972年(49歳) (剣客商売)(仕掛人・藤枝梅安)

1974年(51歳) (真田太平記)

1990年没

講談社文庫(仕掛人・藤枝梅安)

1980年 第1

1987年 第18刷

2001年 新装版 第1刷

2007年 新装版 第18刷 

ふうてんが読んだ(仕掛人・藤枝梅安)

1987年 41歳

~それから何度か~

2008年 62歳 新装版

 23歳年上の池波さんは健在だったら今年85歳になる。

アバウトに言うと(同時代)を生きられたのだけれども、その23年の間に昭和の大戦争があった。

23歳の青年が焼け野が原となった東京に立ったとき何を思ったのだろう?

(ねえ、彦さん。私も、もう長いことはないような気がするよ)

と、いった。

(俺もさ、梅安さん)

(仕掛人で長生きをしたやつがいただろうかね?)

(先ず、いめえね)

(そうだろうな・・・・)

 このセリフを書くまでに26年掛かったことになる。

(ふうてんアーカイブス)

2008 秋 ホトトギス(不如帰)とムラサキシキブ(紫式部)

ホトトギスHototogisu_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Hototogisu_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

ムラサキシキブ(7月)Murasaki_011

Murasaki_012_3  

 

 

 

 

 

 

 

その2Murasaki_021  

Murasaki_022   

 

 

 

 

 

 

 

ムラサキシキブ(10月)Murasaki_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Murasaki_2  

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2008/10/12

2008・10・12 モカ・マタリよ、お前もか篇

黄色い蝶々Cho  

 今週はまことにニュースの多い週だった。

一年の中でもこれほど波乱の多い週はあんまりない。

夕刻チャリで繁寿司へ向かうとき、長袖とカーデガンを着た。

10月も半ばとなれば夕刻5時にはもう日は暮れて暗くなってくる。

繁寿司では山口夫人とこれらのニュースが話題になった。

4人もノーベル賞をもらった。

株が大暴落した。

阪神が負けた。

ロス疑惑に決着がついた。

 何となくザワザワとした落ち着きのない状況の日本にとって、ノーベル賞の話題はちょっとだけ嬉しいニュースではあった。

ちょうど初めて湯川さんが受賞して日本人が勇気づけられた時代のように、今の日本はかなり疲れている。

そういう世情とは関係ないように研究に打ち込んでいる4人衆を見て考えさせられるものがあった。

 今日は少し時事的なことに触れてみたい。

ノーベル賞の二人組

 益川-小林の二人のコンビがふうてんには取り分け興味深い。

ボケとつっこみの二人のようなコンビである。

そしてその上にお師匠さんがいる、いわばトライアングル。

 益川、小林両氏のコンビはホンダの本田、藤沢を思い出させる。

本田宗一郎さんは夢、ビジョンを持った人だと思う。

藤沢武夫さんは冷静にそれを支えて、やはり自分の夢を実現した。

二人が揃わないと今のホンダはなかったと言われている。

 みなさん何らかの形で(戦争)を引きずっているピープルであるということに驚く。

戦後の何もない時代・・・夢でも思い描くよりなかったのだろうか?

 4人衆のみなさん、共通しているところがあると思う。

それは、ひたむきさとユーモア精神が同居している点である。

科学者にはそういう人が多いのだろうか?

 漱石の(道楽と職業)という講演のことも思い出していた。

科学、哲学と芸術は道楽だと漱石先生おっしゃる。

何故かというと自分一人のためだけにやっている、それは職業とは言えない。

職業とは人のためにやる仕事である。

人のためになる事をやるから報酬を得て職業として成り立つ。

道楽というのは自分の為だけにやるのであるからして報酬は期待出来ない。

国家とか篤志家とかがスポンサーになってくれないと餓死する覚悟がいる。

 そして漱石は言うのですね。

他人から言われたからやる、人の為だからやる、というのでは科学、哲学、芸術はやれない、と。

 今回の4人衆はみなさん本当の科学者のような感じが伝わってきましたね。

ひたむきで、どこかおかしくて、他の不純物がなくて。

モカ・マタリは何故はいらない?

 この間、コーヒー豆がなくなったので、また近くの店へ行った。

この店は以前豆腐屋さんがあったところで数年前コーヒー屋さんとなった。

そこでモカ・コーヒーを買い始めたいきさつは以前報告した。

 今回、物知りの若主人に念の為に聴いてみた。

(モカ・マタリはどうしてはいらなくなったの?不作?或いは戦乱?)

(聴くところによると残留農薬が見つかったらしいですよ)

(イエ~ッ?残留農薬?フ~ン?・・・そうなんですか、今はやりの農薬ですか)

・・・

 これにはガックリ来た。

(ということは、今まで農薬入りモカ・マタリを有り難くいただいていたのかしら?)

(いえ、輸入するときチェックしているはずですから、はいったものは大丈夫のはずです)

(エチオピアのモカははいっているのにねえ)

 何となく分かったような気分になってエチオピア産のモカを買って帰った。

昨日も今日も、ナショナル(松下電器)の全自動コーヒー・メーカーに、2杯のコーヒー豆を入れ、紙フィルターを入れ、ボルヴィックの水を入れてスイッチを押す。

ウィ~ンとモーターが唸り豆を砕く。

ボソボソッ、ボソボソッとお湯が湧き、やがてドリップされる音に変わる。

 飲んでみるとエチオピア産のモカは相変わらず旨い。

農薬がはいっているのか、はいっていないのか??

テレビを見ると、また中国経由の食材を使った食品からメタミドホスという農薬発見、なんてニュースが流れている。

 分からぬときはグーグルに聴け。

グーグルでサーチされるサイトは玉石混淆だからどれが正しいのか分からない。

しかし、おぼろげに分かったのは今年モカ(エチオピア産、イエメン産)から残留農薬が見つかり、輸入が差し止められたということはあったらしい。

(当店の扱うイエメン産のモカ・マタリは無農薬栽培の最高の品質です)

なんて宣伝しているサイトもある。

無農薬栽培?ということは普通は農薬を使っている??

(以前問題になったブラジル産のコーヒー豆では・・・)

なんて記事も出てくる。

今読んでいる(ローマから日本が見える)を思い出した。

(モカ・マタリよ、お前もか)

そういう思いに襲われた。

 コーヒーというのは太陽がギラギラ照りつける南の土地で育った豆が、焙煎されて、100℃に近い熱湯でいれられてコチラの口にはいる。

二度も三度も(熱消毒)されるのだから特別な農薬を使わなくても虫や菌に侵されることはないと勝手にイメージしていた。

コーヒー豆が育つまでの(植物)(生きもの)という概念はコーヒーには無関係なものだった。

しかし考えて見ればコーヒーの木を育てて実をならせ、収穫するまでには様々な(虫)やら(菌)やらと闘わねばならない。

米も麦も野菜もそうであるように(無農薬栽培)というのは容易ではないのかもしれない。

(モカ・マリタよ、お前もか)

そう呟きながら、エチオピア産モカを一口、サントリー・リザーブを一口、すする。

キャメルをふかしながら、

(トルコ産とアメリカ産のブレンドらしいけど・・・煙やから・・・でも??)

(ふうてんアーカイブス)

2008 10月 家に来た蝶々たち

薄い黄色いのCho_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Cho_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

斑点模様のCho_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Cho_4  

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2008/10/05

2008・10・5 日産名車コレクションにつき篇

ダットサン・フェアレディPa053563_1

 すっかり涼しくなって、下手をするとエアコンで暖を取りたいときがある。

春と逆で(釣瓶落とし)のように急速に日が短くなっていく。

 今週はすでにJoBlogでレポートされているように昔の仲間と会った。

たまたま、その前にやはりパソコン開発の(戦友)と話す機会もあった。

企業勤めした人、あるいはどういう形であれ、仕事で喜怒哀楽を共にした(戦友)たちと会うのは特別の感慨に襲われるものではないだろうか。

本当に戦場で闘った人たちの思いのほんの一端を共有出来るような気がする。

我々戦争のない時代に生きた人間は、たまたま殺し合いという戦争の体験はないけれど、ビジネスの世界で(やるかやられるか)という修羅場の経験を殆どの人が味わっているのではなかろうか。

 昨日はラガーマンと(大相撲秋場所篇)の一週間遅れの会合をそば屋でやった。

そば屋の女将に(大相撲の千秋楽前の日)と聴いていたので先週お待ちしておりましたのに、と言われた。

年に何回も行かない客なのにそこまで覚えられていたことに驚き、

(やっぱり客商売ってのは凄いですなあ)

とラガーマンと感嘆し合った。

このそば屋さんは(きょうや)といって(さくら)が改修期間中ラガーマンとの会合に使うことになった店である。

(きょうや)は(京屋)ですか?と聴いたら(境や)、(ターニングポイントや)と思って開店したんです、とこだわりのご亭主に聴いたのは前にも話したような気がする。

どういう辛い思いをして(境)を乗り越えたかったのか、についてはまだ聴いていない。

 そば屋さんにしても寿司屋さんにしても、やはり(日々戦っている)のだと思う。

飲食店のバトルもなかなか厳しくて、国立へ移って30年ほどの間にどれだけの店がなくなっていったことだろう。

喫茶店、中華料理屋、洋食屋、カレー屋、なおアレがありコレがある。

 そういえば最近(金融業)方面で巨大なところがパタバタと潰れていると聴く。

長く続けるというのは難しいものだなあとため息が出てくる。

今読んでいる(ローマから日本が見える)という塩野七生さんの本でも精読してケンケン服用させてもらわねばならない、かも。

 10月になって(日産名車コレクション)という雑誌が発刊された。

第1号が(ダットサン・フェレディ2000)なので本屋に走った。

フェアレディという車種は最近の(Z)まで命を長らえている。

詳しくは知らないけれど初代からいうと半世紀以上は続いているのではないだろうか。

 こんな本が出たよ、と早速ロシナンテに報告した。

(ふうてんアーカイブス)

2008 10月 日産名車コレクション

赤、白、シルバーの3色だったFairlady_11  

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Z 2008年Fairlady_21  

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ロシナンテ入院31  

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ニッサン・ギャラリーFairlady_41  

 

 

 

Fairlady_42  

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