« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

2008年8月に作成された記事

2008/08/31

2008・8・31 夏の終わりに橋本忍を見た篇

赤とんぼAkatombo  

 水辺でトンボが飛び、夜はムシが鳴くようになった。

今年の夏も終わった。

 毎年続くようになった異常気象。

今年の夏は(湿度)と(突発的な豪雨)と(カミナリ)が異常だった。

昔のような(夏の起承転結)は全くなくなってしまった。

 今年は(男の日傘)の代わりに(男の雨傘)を持ち歩くことが多い。

何しろ晴れていても、いつ降り出すか分からないのである。

先週の神楽坂、山田塾の日もそうだった。

出かける前まで晴れていた。

出ようかなと用意をしているとドシャブリとなった。

 結局雨がやむのを待てず、傘を差してチャリで駅へ向かった。

立川で中央特快に乗り換え、四谷で各停に乗り換える。

四谷で乗り換えるとき、物凄い雨が降ってきた。

空を見ると新宿方面にどす黒い雲が沸き上がっていて胸が悪くなるようだった。

視線を変えて北や東の空を見ると明るくて青い空に積乱雲(入道雲)が輝いている。

 夜の部(食事会)を失礼して早い目に山田塾を辞した。

飯田橋駅へ神楽坂を降りていくとき、明るくて夏の夕方独特の平和な雰囲気だった。

ああ、こういう夏の夕暮はいいなあと電車に乗り国立へ帰るうち日が沈み暗くなる。

最寄りの駅に着くと、またしてもドシャブリであった。

思わず、

(いい加減にしてよ)

というセリフが口をついて出た。

 早く帰ったおかげでNHKの(橋本忍 七人の侍の軌跡)を観ることが出来た。

BS2は衛星放送なので雨には弱い。

テレビをつけると案の定、画面はボロボロだった。

幸い、番組が始まる少し前に雨が小降りになってくれた。

 橋本忍さんは今年で90歳になる。

映画志願の若者を40人ほど集めてNHKの女アナウンサーがインタビューするという形だった。

どうなるのかなあ、こういう形で、と不安を持ちつつ見た。

 結論を言うと見て良かった。

橋本先生、話しっぱなしだった。

七人の侍のシナリオ制作のエピソードは今までいろんな形で伝えられているのでそんなに新鮮味はなかった。

しかし張本人の橋本忍が語ると自ずからまた別のニュアンスが出る。

 番組の最後に若い人がいろんな質問をして橋本忍が答えるという形になった。

これが面白かった。

一つはこんな質問だった。

(共同シナリオの場合、いろいろ意見がぶつかるでしょう?誰が決めるんですか?)

(そりゃあリーダーですよ、小国英雄の旦那がいいと言えばいい、違うといえば書き直し)

(そうなんですか)

(黒澤さんと僕が書いて小国の旦那が判断する、彼は一行も書いていません。いいとか違うとか言うだけです。こういう風に直せとかは言いません。黒澤さんも僕も小国の旦那の判断には絶対服従でした。特に生きると七人の侍は小国の旦那がリーダーだった、それでうまくいったのでしょうね)

一つはこんな質問だった。

(黒澤さんは努力目標を決めてそれを実現するため(悪魔のように細心に、天使のように大胆に)を貫かれたと今伺いましたが、橋本忍さんの努力目標を聴かせて下さい)

(それは下手に楽に書くことです)

(下手に楽にですかぁ?)

(今日はこれからシナリオを書きたいと思っている人もいるようだから言いますが、上手に書こう、最初から完璧なものを書こうと思っちゃいけません。自分は下手だと思って書くんです。大体、小学、中学、高校、大学と教育の場では批判精神は養われます。しかし創造することは何も教えてくれない。教育を受けると批判力はこんなに大きくなって創造力はこんなに小さいのです)

・・・

(だから自分の批判力を最初から使うととても書いちゃなんかいられない。批判力をゼロにして書くんです)

(書いてしまってから、初めて批判力を使って読んで、直すんです)

(そうすると少しだけ良くなる、創造力が大きくなる)

(そのうち楽に書いても創造力が大きくなった分、少しいいものが書ける)

・・・

 こう語って橋本忍は席を立って退場した。

この最後の話を40年前に聴きたかったなあとふうてんは思った。

(ふうてんアーカイブス)

2008 8月 国立 大学の森

夏の光も傾いてMori_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Mori_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

睡蓮はトンボの揺り篭Tombo_1  

Tombo_11  

 

 

 

 

 

 

 

その2Tombo_2  

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/08/25

2008・8・24 桂三枝を聴いた篇

近くで見たハーレーHd  

 この一週間、東京では涼しい日が続いた。

降りそうで降らない、暗くて湿度の高い日も多く、爽やかな涼しさではなかった。

昨日の土曜日、やっとカミナリが鳴り続け、雨が降り続けた。

 

 今日の日曜日も終日雨だった。

(カンカン照りの暑さも嫌だけどこう暗いのも嫌だね)

と女房に言うと、

(ダンナさん、この頃曇りや雨の日は気分が良くないらしいね)

と言われた。

(歳とるにつれてそうなってきた。ホレ、もっと光を、というやつよ)

 そんな雨模様の夕刻、繁寿司へ出向いた。

山口夫人はいつものお友だちと楽しそうに語らっていた。

このお二人の会話はいつも弾んでいて、入り込む余地がない。

川端康成とか伊丹一三とかいう名前が聴こえてくる。

親しく付き合った人たちとの昔話は聴いているコチラも楽しくなる。

お二人をお送りしたあと女房と立川の(アミューたちかわ)へ桂三枝を聴きに行った。

 (桂三枝 独演会)とあったけど、弟子が三人加わっていた。

前半は弟子が二人15分ずつで三枝が30分。

後半は弟子が一人20分、三枝が30分。

合わせて2時間近い公演だった。

 女房が何かの抽選で当たったチケットだった。

三枝の話芸にはテレビでいつも楽しませて貰っているので期待して行った。

その期待は裏切られなかった。

 寄席ではなくいわゆる(ホール落語)だった。

落語を聴くのは初めてだったので、どんなものだろうな?と落ち着かない気分ではいった。

しかし、さすが三枝、1000人以上の聴衆を笑いの渦に捲き込んでしまった。

言葉、身振り手振り、リズム、全く間断がない。

一人でやるボケと突っ込み。

笑いに追い込むテンポ、スピードはちょっと志ん生に似ている感じがした。

やすきよ漫才を一人でやっているような気もした。

 雨足が弱ったので女房と歩いて帰った。

(弟子たちとの大きな違いは何やろねえ?)

(間というか、あの感覚は努力して練習して身につくものじゃないと思った)

(そんな感じやなあ、やっぱり芸の道も厳しいもんやなあ)

・・・・

 今回のアーカイブスでは先日近くのコンビニで出会った愉快な(ハーレー・ダビッドソン乗り)との一瞬を報告しておく。

(ふうてんアーカイブス)

2008 夏 国立 ハーレー・ダビッドソン

静かになったハーレーHd_1

Hd_12   

  

  

   

   

 

 

 

跨がりますか?

どれどれHd_21_2   

 

  

 

  

 

  

 

 

いいなあハーレーはHd_22  

 

 

 

 

 

  

 

メカとヘビメタHd_31  

Hd_32  

 

 

 

 

 

 

 

トータルコーディネートHd_4

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/08/18

2008・8・17 お盆、五輪、終戦記念日、甲子園大会篇

夏バテShiro  

 この一週間はオリンピック、甲子園大会に加わってお盆、終戦記念と目まぐるしかった。

お盆、終戦記念日、甲子園大会は毎年のセットなのだけれど、そこへ北京オリンピックが紛れ込んだものだから話がややこしくなったのだろうか。

猛暑だからして外へ出るのは億劫でついテレビを見る。

 五輪、甲子園、お盆、終戦・・・頭がゴチャゴチャになった。

北京オリンピック

 開会式のチャン・イー・モーの演出には度肝を抜かれた。

巨人の足跡が鳥の巣の会場へ近づいていく花火のシーン。

これはヘリコプターからのカメラ・アングルだと思った。

当日、花火を点火しながら撮影したのだろうか?と思った。

リアルタイムにヘリコプターから中継しながら会場の映像とうまく切り換えてテレビで放映する。

ヘリコプターの音はかなり大きいはずである。

大雨が降ったらどうするのだろう?

映像や音をどう処理しているのだろう?

チャン・イー・モーが演出するとリアルなものも映画のようになっちゃうのかしら??

大した技術やなあ・・・。

 小さなかわいい女の子が出てきていい声で歌い始めた。

中国の女の子はよっぽど肝がすわっているようである。

あがりもせずに、音程を外すこともなく、実に見事に歌い上げている。

それにしても、あの会場で、小さなマイクで拾った彼女の声が何の雑音も混じらずにきれいに聴こえてくるなあ。

大した技術やなあ・・・。

 チャン・イー・モーはやっぱり大した魔術師だった。

(CGを使っていた)とか(吹き替えだった)とかの風評が流れた。

こちらの印象は見ているときに決まる。

魔術師のワザに、楽しく、はまってしまった。

お盆

 お盆の迎え火、送り火。

子供のころは家の柱だったか軒先だったかに下げた(灯籠)のようなものにローソクの火がついていたような記憶がある。

 18歳のときに家を出て流れ始めて以来、お盆を自分の家で過ごし(迎え火、送り火)で先祖のことを思う、という習慣は捨ててしまった。

送り火を最後に意識して見たのは学生時代の(大文字焼き)だったと思う。

下宿は大文字山の近くだったので、あとの五山の送り火を見るためにバスで見える場所に向かったような記憶がある。

 京都の町が闇に包まれ五山の送り火が周囲にチラチラと見える。

大した演出やなあ、これ考えた人はエライ、と痛く感心させられた。

 1日遅れになったけど、さっき京都新聞のホームページを見た。

やはり動画でシッカリと五山の送り火の模様を見せてくれる。

準備段階からレポートされていて、火をつける前に木を炙って松脂をしみ出させておいて、点火のときに火がつき易いようにする・・・云々。

終戦記念日

 8月15日。

20年ほど前、仕事でちょくちょくアメリカへ出張していた。

サンフランシスコだったか、ホテルで見るともなしにテレビを見ていた。

当時のアメリカのテレビ番組は全く面白くなかった。

ゲラゲラのお笑い番組かクイズ番組ばかりだったのでマジメに見る気はしなかった。

ところがその日に限って戦争もののドキュメンタリをやっている。

 第二次世界大戦の激戦の模様が白黒の映像で次々と流される。

おやっ?どうしたのだろう?今日は・・・8月15日、か・・・。

やっぱりアメリカでも終戦記念番組をやるということを知った。

こちらでは(戦勝記念日)、日本では(敗戦記念日)。

やたらと威勢がいいその番組を見ながら(むべなるかな)と複雑だった。

 3年前の終戦60周年のときはテレビで(あの時)とかいう、当時を偲ぶ著名人たちがいろいろ出てきて昨日のことのように戦時の思い出を語る番組があった。 

それが終わって、去年、今年と極端に終戦記念番組が減ったような気がする。

 一昨日だったかNHKでレイテ戦のことをやっていた。

この戦いのことは大岡昇平の(レイテ戦記)でしか知らなかった。

少年兵に近い若さだった大岡昇平がアメリカのやはり少年兵と対峙して、引き金を引けば殺せる状況で、引き金を引けなかった、というストーリが記憶に残っている。

 暗い話は嫌だなと思いながらこのNHKの番組を見た。

日本とアメリカの当時兵隊さんだった人たちの証言を中心とした番組だった。

みんな80歳前後のお年寄りである。

レイテ島の住民の人も出てくる。

当事者から語られるのは(戦争の虚しさ)だった。

 戦争放棄を標榜している憲法第九条を変える必要があるのだろうか?

ギリシャ時代、オリンピックの期間は戦争している国々も停戦したという。

 お盆の終戦記念日に北京ではオリンピックが行われている。

(ふうてんアーカイブス)

2008 8月 シロとロシナンテ

にゃろめ、夏バテなのだShiro_11

 

 

 

 

 

 

 

 

ン?起きろって?Shiro_22  

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは身だしなみShiro_33  

 

 

 

 

 

 

 

 

行くかShiro_44  

 

 

 

 

 

 

 

 

ウ~ンまだ眠いShiro_51  

Shiro_52  

 

 

 

 

 

 

 

寝直しShiro_61  

Shiro_62  

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/08/10

2008・8・10 真夏の夜の夢?篇

モルトフォンテーヌの思い出 1864Corot_mortefontaine00_2  

 こう暑いと昼間の出来事も夜の出来事も(夢)のようではある。

北京オリンピックとか夏の甲子園大会とかが行われている。

普段の生活と何の関係もないところでイベントが行われテレビで見ることができる。

まるで(真夏の夜の夢)みたいだなあと思う。

 柔道の(やわらちゃん)が金メダルをのがした。

女房が言った。

(彼女は谷くんという優しいダンナさんと出会って本当に幸せだと思う)

どうして?と、ふうてんは聴いた。

メダルの色は違ったけれど、僕には金色に輝いて見える

と谷くんが言った、それを聴いて涙が出てきたという。

確かにいいセリフだ、とコチラも涙腺がゆるんだ。

 土曜日にラガーマンとコロー展を見に行った。

国立から上野までは電車で小一時間かかるのだけど、二人で話しながら行くと時間を忘れる。

上野公園で、まずはビールとタバコで一服する。

そういう店が入り口にあるのはいい工夫だと思う。

(今日は何を見てやろうか?)

という意志確認をする時間が必要なのである。

 コロー展の中でも、森の大きな木、だけがふうてんの見たいものだった。

普通の田園風景とか、ご婦人方の絵とかは別にコローに頼る必要はない。

コローはあくまでも森であり木なのである。

そんな思いで上野の美術館にはいった。

 言葉でアレコレ説明する必要はなくて、グーグルのウィキペディアで紹介している(モルトフォンテーヌの思い出 1864にコローの全てが表れている。

 コロー展なのに何故かルノワールやらマチスやらシスレーやらの絵がチラホラと混じっていた。

中でルノアールの(手紙を持つ女)という作品にふうてんは眼を奪われた。

この絵だけはポケットの(老眼鏡)を取り出して詳細に見た。

ルノワールは(色)の画家だと思う。

この(色)だけは他の画家には出せなかった。

それの秘密を探ろうとジロジロと見た。

確かに(黒)は使っていない。

薄い青と白と肌色(ピンクがかった)と。

う~ん、いくら見ても真似はできそうにないなあ・・・。

 国立に舞い戻って(きょうや)という蕎麦屋さんで飲んだ。

いつもの(さくら)が工事中で再開は二年後なのでこの店にした。

(きょうや)て、どういう意味なの?とラガーマンが聴いた。

京という字が見えたけど京都に関係あるの?と、ふうてんが続けた。

(境目だったんですって)

と女給仕人(?)が応えた。

(境目 さかいめ?国境の境 キョウ?)

(そうなんです、脱サラして。)

・・・???

 しかしなんですなあ。

この話を聴いてラガーマンと二人、口あんぐりだった。

(きょうや)というと大抵は(京屋)を連想する。

はは~ん、京都で修行した料理人が・・・と思ってしまう。

やがて女給仕人のダンナさんが来たので、さらに確かめた。

(店のカンバンに京という字を使ってますよね?)

(いいえ、京という字は使ってません、ひらがなで(きょうや)です)

(・・・ということは僕たちは(きょう)を見て(京)と(かな漢字変換)してたということかしら?)

(ま、そういうことでしょうねえ、毒されてますねえ現代人は、パソコンに)

 何度目かの蕎麦屋さんなのだけど店の名前の由来を聴いたのは初めてだった。

味もいいし、店主夫婦の対応ぶりも愉快だし、(さくら)が再開するまではこの店にしようよ、大相撲のある月の例会を、とラガーマンと決めた。

 

 上野の森でコローを見て、国立に舞い戻ってパソコンに毒されていると教えられた。

真夏の夜の夢、という言葉を思い出すような一日だった。

(ふうてんアーカイブス)

2008 盛夏 上野の森 国立の森

上野のコロー展Corot_1  

Coro_2  

 

 

 

 

 

 

 

国立 大学通りDaigaku  

 

 

  

 

 

 

 

 

国立 真夏の空 

Sora12  

 

 

 

 

 

 

 

 

Sora22  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/08/04

2008・8・3 にゃろめ、これでいいのだ篇

菊千代とKikuchiyo  

 連日猛暑が続く。

土曜日に、日が陰るのを待って、5時過ぎにロシナンテに一鞭くれた。

真夏に屋根のない車で走るのも悪くはない。

走っている間は風があるのでよろしい。

問題は信号で止まったとき、なのですね。

 途中、タバコを買うためにいつもの自動販売機に寄った。

ちょっと一服と思ってポケットを探るとライターを忘れている。

う~ん、と5秒ほど考えてシガレット・ライターのことを思い出した。

シガレット・ライターという言葉を今の人は知らないかもしれない。

自動車の中にある電熱器(タバコに火をつけるための)なのである。

 つくかなあ、つかないかなあ、としばらく押しつづけた。

何度か試みるうちに、香ばしい匂いがして煙が出た。

40年前のシガレット・ライターでキャメル・フィルターに火がついた。

熱くなった電熱器にタバコを押しつけて火をつけるので独特の香りがする。

走りながら、

(40年前のがようついたなあ、ロシナンテ、お互いレトロになったなあ)

と妙な感慨に襲われた。

 赤塚不二夫さんがなくなったというニュースが流れた。

40年ほど前の(おそ松くん)は一大ブームとなった。

いろんなキャラクターといろんな言葉を連発してヒットを重ねた作家だった。

72歳だということは終戦のとき10歳の少年だったということになる。

 満州国の奉天(今の瀋陽)から帰国し、しばらくはお母さんの里の奈良の大和郡山で過ごし、お父さんが帰ってからは新潟で過ごしたらしい。

そして18歳のときに東京へ出て、手塚治虫たちの(トキワ荘)に住むことになる。

彼はテレビにも結構出ていたので、そういう当たりの話も本人からいろいろ聞くことが出来た。

奈良時代は本当のワンパク盛りで、畑のスイカを(いただく)のだけど、中身を食べてスイカの外側の皮はそのまんまの形で残し、お百姓さんを驚かせたものですよ、悪いことしちゃったなあ、などと話していた。

 ふうてんは彼の人柄が好きだった。

バカバカしいことばかりやってハチャメチャぶりで有名だったけれど本質はピュアな人だと思う。

タモリを福岡で(発見)して自宅に居候させていた。

タモリも大物だから連日友だちを家に呼んで酒盛りをしている。

たまに自宅に帰って着替えなんかするとき、赤塚の旦那、

(すみません、ちょっとお邪魔します)

と小さな声で居候のタモリに声を掛けていたらしい。

 もう闘病中だったと思うけど、テレビに出ていて、印象的なセリフを聴いた。

インタビュアーが(友情)かなんかについて話を持ち掛けた時、

(ちょっとでも見返りを求めるようなのは友情でも何でもないよ!)

と怒ったように応えていた。 

そういう美学の持ち主だった。

 2年前に青梅の手塚不二夫会館を訪ねた時のビデオや写真を再録しておく。

(ふうてんアーカイブス)

2008 8月 にゃろめ、これでいいのだと赤塚不二夫は去った

青梅の赤塚不二夫会館Kinenkan1  Kinenkan2

 

 

 

 

 

 

 

菊千代とそろってバンザイKikuchiyo_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

この笑顔の奥にEgao  

 

 

 

 

 

 

 

 

ツーショットTamori  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »