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2008年7月に作成された記事

2008/07/27

2008・7・27 梅雨明けに王羲之を見た篇

王羲之・蘭亭序Ogishi

 この一週間はムシムシとした猛暑が続いた。

東京でも34度とか聴くし、地方によっては40度近いところもある。

人間の体温より気温の方が高い・・・そういう環境には慣れていないので実感が湧かない。

やはり日本も温暖化したことは間違いないようではある。

フト、去年生れて初めて(男の日傘)を差したことを思い出した。

 木曜日に恒例の山田塾で神楽坂へ出向いた。

早い目に家を出て両国の大江戸博物館の(北京故宮 書の名宝展)を見に行った。

勿論お目当ては王羲之の(蘭亭序)である。

 ふうてんは字が下手だと思っている。

年代的には(習字)を必須科目として習うような年代である。

しかしどういう訳か筆を持って漢字をちゃんと書く、というレッスンは殆ど記憶にない。

確かに墨もすった経験があるし、その匂いも覚えている。

朱色の墨で直された経験もある。

しかし、漢字の書き方の基本、というのが身についていない。

 そういう意味であまり書道とか書とかには馴染みがない方である。

書画骨董に興味がない方ではないけれど(書)というのは分からなかったし興味もなかった。

その(書)に興味を持ったのは10年ほど前にNHKが(故宮博物院の名宝たち)というような番組をハイビジョンでやったとき、王羲之の(快雪時晴帖)を見て、いいなあと思ったからだった。

 その番組を見た1~2年後にたまたま台湾の台北へ出張する機会があった。

仕事が終わった帰りに市内から空港までの途中(故宮博物院)へ寄った。

王羲之の(快雪時晴帖)と(北宋 汝窯 青磁無紋水仙盆)がお目当てだった。

残念ながら王羲之の書は北京の故宮博物院へ貸し出し中で見られなかった。

その代わりというか(北宋 汝窯 青磁無紋水仙盆)は見事なものだった。

青磁がこんなに素晴らしいものか、と驚いた。

この一品を見るためだけに台北の故宮博物院へ行っても値打ちはあると思った。

 そんなこともあって王羲之の書には興味を持ちつづけている。

大江戸博物館で今回展示された(蘭亭序)は彼の最高傑作と言われているらしい。

王羲之は西暦350年ころ活躍した人で(書聖)と呼ばれている。

ウィキペディアには、

(秦・漢代の字体などを研究し、それぞれの字体を行書、草書などと組み合わせ、奔放で力強く優雅な書体が特徴的である。書道の革命家と言われ、近代書道の体系を作り上げ、後世の書道家達に大きな影響を与えた。)

とある。

(奔放で力強く優雅)

もうこれ以上言う必要はない。

まさにその通りの字なのですね。

(書道の革命家と言われ)

つまりそれまで漢字を王羲之のように書いた人はいなかった。

1600年以上たった今では、ある意味(お手本的)な字に見える。

それも当然なのだなあ、と館内を巡りながら知らされた。

 今残っている書は全て王羲之の真筆ではないらしい。

今回の展示物も模写職人が模写した字だという。

真筆は王羲之の書を熱愛した唐の(太宗)が収拾した全てをお墓に一緒に埋めてもらったという。

ただ幸いなのは彼が模写職人たちを使って模写させたものが残っていて、それを以降の皇帝たち、特に清の乾隆帝などが大切にしたので今に伝えられている、というお話。

真筆は自分だけのものにしたい、しかし王羲之がいかに凄いかは後世の人に伝えないと申し訳ない、と考えた(太宗)という皇帝は一体アホだったのか偉かったのか子供だったのか・・・??

 会場の出口には勿論グッズ販売コーナーがあった。

(とんぼの本)に今回の(蘭亭序)の3種類の模写が並べて写真に納められていた。

そのうちの一つが今回の展示物という次第だけれど、その3種類の写真を見て、模写ではあるけれど、王羲之の字の特徴は大体表れているのではないかとホッとする思いだった。

 文は人なり、といわれる。

字は人なり、ともいわれる。

今まで坂本龍馬の字と漱石の字を見て(いい字を書くなあ、人柄が表れているなあ)という経験をしてきた。

その経験をもとに王羲之の字を見て大体人柄が想像できるような気がした。

 

 きっと魅力的な人物だったに違いない。

(ふうてんアーカイブス)

2008 7月 王羲之の蘭亭序 大江戸博物館 北京故宮書の名宝展

蘭亭序Ogishi_1  

Ogishi_12  

 

 

 

 

 

 

 

その2 

Ogishi_2

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2008/07/21

2008・7・20 やっと梅雨が明けたらしい篇

ブラック・ベリーBlack

 気象庁が昨日の午前中、関東地方の梅雨明けを宣言した。

そのセリフを聴いて少し考えさせられるものがあった。

一つは関東というのは(東海、北陸、東北)を意味するということだった。

一つは気象庁の発表は(~地方は梅雨明けしたとみられる)という宮内庁というか大本営というか、そういう上の方からの声のような表現をしているということだった。

 関東地方というと何となく静岡、神奈川、東京、千葉当たりの太平洋側というイメージがあった。

しかし言われてみると関が原よりも東、その全体を指して(関東)なのかもしれない。

関西の人はどういう意識なのだろうか?とも考えさせられた。

いずれにせよ、東京でも梅雨があけて湿っぽくはないけれど猛暑が始まった。

 数日前に、日本語の碩学、大野晋さんが亡くなったというニュースが流れた。

その日だったか、宵寝をして、夜になって暗い自室にはいるとフッといい香りがした。

聴けばローズ・マリーを摘んだのだという。

ローズ・マリーでサイモンとガーファンクルのスカボロフェアーを思い出した。

 今回は、大野晋さんのこととスカボロフェアーのことを書いてみたい。

大野晋さんの(日本語の起源)

 一昨年なくなった白川静さんは漢字のことを我々に教えてくれた。

これは日本語を(文字)という側面から深く追求する研究で、必然漢字の成り立ちの事に立ち入らざるを得ない。

日本語は漢字と仮名を使うのだけれども、その元は漢字である。

その漢字の形はそも何を意味するのか?を白川さんは追求したと思う。

 対して大野晋さんは日本語の(音)にこだわった人ではないかと思う。

記紀や万葉集に使われた(万葉仮名)といわれる日本語表記の漢字から当時の日本語の(音)には今とは違うニュアンスがあったことをいろんな形で探ろうとした。

それはひらがな表記の源氏物語でも、いかんなく発揮された。

 日本語の起源はモンゴル語だとか朝鮮語だとか中国語だとかアイヌ語だとか言われる。

そういう中で、言語学者として大野晋さんは、いやタミール(インド南部)から伝わってきた要素が一番強い、という学説をたてた。

タミールも日本も当時(文字)を持っていなかった。

だから共通性は(音)である。

 大野学説でふうてんなどがオヤッ?と思ったのは田んぼの畦(あぜ)の話だった。

水田では(アゼ)というのは水をためる為の土手で、まことに重要な存在である。

田という漢字の縦横の線はこの(アゼ)を表している。

また糸で布を織るときの機械(機織機)の肝心な中心の芯のような棒状の道具を(アゼ)という。

それらが日本語でも古代タミール語でも同じ(アゼ)と発音する言葉だという。

 日本語は明治維新のときと第二次大戦のあとと二度危機に襲われた。

明治維新のときは、鎖国していたのが開国してみると西洋列強が進んだ文明を持っていた。

何だかモヤモヤした日本語なんてやめて西洋の文字に揃えた方がいいのではないか、つまり表記法としてはアルファベットを使った方がいい、なんて話がまじめに論じられたらしい。

 それでヘボン式ローマ字というのも工夫されたのかもしれない。

第二次世界大戦(太平洋戦争)のあとはもっと極端で、日本語はやめて英語にしようよ、なんてことが、これもマジに議論されたという。

 明治維新のときも、戦争に負けたときも、俺たちは負けている、だから俺たちの言語もダメなんだ、いや言語がダメだから負けたんだ、などなど自分たちの日本語に関して、言語としてどうなのだろうか?とずんぶん悩んだらしい。

 大野晋さんは自著に書いている。

日本語が不十分な言葉だ、日本語ではちゃんと表現できない、なんて言われるけど、それは本当だろうか?

日本語は不十分な言語なのか?

もしそうだとしたら俺たち日本人は??

そんな思いで、日本語の研究、日本語の起源に踏み込んでいったようであった。

 ふうてんは大野晋さんの全業績を研究したわけではない。

ただ(日本語の起源-タミール語との関係)と(源氏物語について)の何冊か読んだだけである。

これらを読んで、日本語が決して不十分な言語ではない、ということを彼自身が証明して見せた、という感じがした。

日本語の起源論にしろ源氏物語論にしろ、極めてロジカル(論理的)でかつ微妙なニュアンスを表現している。

どの本だったか読んでいて背筋が寒くなった。

一文字一文字が立ってこちらに迫ってくるような文章だった。

 その大野晋さんの本の中でも特に、紫式部の人生と源氏物語に関しての本はふうてんにとっては忘れられない一冊になっている。

白川静さんは漢字で書かれた(万葉集)を究めようとした。

大野晋さんはひらがなで書かれた(源氏物語)を究めてくれた。

日本語の(文字)と(音)の巨星が二つ、この二年のうちに落ちた。

スカボロフェアー

 庭師が育てているハーブのうちにローズ・マリーというのがある。

去年だったかフトしたきっかけで近づいてみるといい香りがした。

(アレ、いいね)

と言ったら、何本か摘んで花瓶に入れて部屋へ持ってきた。

 やさしいと言うよりも何だか元気のよい匂いのような気がする。

香ばしいというのか、人をなだめるよりもかき立てるようなところがある。

ローズ・マリー。

バラのようなマリー・・・。

で、ハーブのことは何も知らないふうてんはローズ・マリーと聴くとすぐに歌を思い出す。

 学生時代に流行った映画で(卒業)というのがあった。

音楽はサイモンとガーファンクルだった。

サウンド・オブ・サイレンス、ミセス・ロビンソン・・・・。

なかでもスカボロフェアーという曲が圧巻だった。

(アーユー ゴーイング トゥ スカボロフェアー パースリ セイジ ローズマリ アンド タイム)

君はスカボロフェアーへ行くの?

までは分かるのだけど、その後が分からない。

パセリがどうしたんだセイジがなんだローズマリが・・・どうもハーブらしいけど。

 今回、新しく摘んで活けてくれたローズマリーの香りを嗅いで、知りたくなった。

あの曲では(スカボロフェアーへ行くの?)と聴いていた。

(卒業)で西海岸の大学へ行くシーンだった。

主役のダスティン・ホフマンが真っ赤のアルファロメオのオープン・カーでゴールデンゲートを渡る。

ハテ?スカボロフェアーていう街、西海岸にあったかなあ?

聴いたことないなあ。

パスリー、セイジというけど、パスリてパセリのことかしら?

 それでグーグルに聴いた。

この曲はイギリスの曲なのですね。

ポール・サイモンの作詞作曲だと思っていたのが大間違い。

イギリスの北部にあるスカボローというのは昔イギリスの中心的な交易の町だったとか。

そこで8月ころ2か月くらい市が立つのですね。

それが(スカボロ・フェアー)。

市だからして旅芸人やら手品師やら集まってくる。

道中ご無事で、じゃないけど体に良さそうなハーブの名前を呪文のように唱える。

パスリ、セイジ、ローズマリ、タイム・・・

この曲は4番くらいあるけど、毎回このセリフが繰り返される。

つまり呪文なのですね。

 目の前にローズマリーがあって香りが匂ってくる。

呪文にあやかりたいと思いつつ・・・。

(ふうてんアーカイブス)

2008 6月、7月 家の草木たち

ブラック・ベリーの若い時Black_1  

Black_2  

 

 

 

 

 

 

 

ブラック・ベリーのブラックの時Black_11  Black_12 

 

 

 

 

 

 

 

ローズ・マリーとクレマチスRose_1  

Rose_2_3  

 

 

 

 

 

ヤマアラシじゃないヤマホロシYama  

 

 

 

 

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2008/07/13

2008・7・13 延びた梅雨明け篇

青梅の渓谷Ome  

 梅雨が明けそうで明けない。

この2週間ほど毎日のように(晴れ、曇り、雨)が繰り返されているような気がする。

 今日なども夕刻、涼しくなってからロシナンテを引っ張りだそうと思っていた。

朝から太陽の光が差し、昼を過ぎても明るかった。

気温は30度を超えている。

うん、やはり夏は4時を過ぎて太陽が傾いてからだなと思っていたら、ゴロゴロゴロとカミナリの音がしてきやがる。

 庭に出ていた庭師に聴く。

(どうかしらね、雨は?)

(空は明るいけどカミナリ鳴ったわねえ,でも車だとすぐ帰れるし)

この一言でユカタから洋服に着替えてロシナンテを起こした。

 桜通り、大学通りを流して家へ向かうとポツッポツッと来た。

それでも庭師の一言で迷わずエンジンをかけたおかげでロンナンテの週一の(運動)はめでたく終了した。

一週間に一度はホコリを払い、ネコちゃんの足跡をぬぐい、エンジンをかけ、駆動・制動・操舵の各機能の動作確認をする。

もう40歳になるロシナンテは長寿の方かもしれない。

お互い(いろいろあったなあ)という思いは同じだと思う。

 ちょっと梅雨が長引いたので多少気分が(くさくさする)という状態になった。

夏になったら行ってみようと思っていた青梅(おうめ)に土曜日にでかけた。

 隠宅から青梅までは立川経由で50分ほどである。

多摩川も青梅当たりからやっと渓流らしくなり、両側に山が迫ってくる。

青梅駅を下りて多摩川の方へ下りていくと、ほどなく渓流の音が聴こえてくる。

う~ん、これが青梅だ、とうれしくなる。

 青梅で有名な梅林も吉川英治記念館も行ったことがない。

しかし、ふうてんにとっては駅から下りて行ったところの多摩川の流れだけでも十分なのである。

これだけの流れの川があるところには、きっと、なおアレがありコレがあるということは容易に想像できるのである。

 今回はその青梅の(水と遊ぶ子たち)をアーカイブスで報告しておく。

(ふうてんアーカイブス)

2008 7月 水遊びする子たち 青梅、多摩川

泳ぐ子たちIwa_1  

Iwa_2

 

 

 

 

 

 

 

ガケの子たちGake_2  

Gake_1  

 

 

 

 

 

 

 

ボート遊びBoat_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Boat_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

飛び込む子たちJump_1_2  

Jump_2_2Jump_3_4Jump_4_3  

 

 

 

 

 

 

考える人Tsuri_2  

Still0023_2Tsuri_1_2

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2008/07/06

2008・7・6 梅雨明け近し篇

大学の森Mori_00

 東京ではもうすぐ梅雨が明けそうな気配がする。

相変わらずスッキリとしない天気が続く中、この数日は気温が30度を越えた。

四国と九州の一部ではすでに梅雨が明けたと聴く。

 

今週東京で梅雨が明けるとすると、例年より10日以上早い。

 去年の夏の暑さをフッと思い出した。

生れて初めて(男の日傘)というのを使ってこの日記の記事とした。

今年の夏はどうなるのだろうか。

 夕刻、チャリで繁寿司へ向かう。

風が出てきた様なので、念の為(雨傘)を持って出向いた。

帰りにはポツポツ来たので無駄ではなかったようだった。

雨が降る前には大抵、風が吹く。

60年以上も生きているとそういうことは分かってくる。

 繁さん夫婦と山口夫人はいつものように元気そうだった。

夫人が江戸の下町生まれというのは聴いていたのだけど、少し確かめたいことがあった。

(おくさんは隅田川の向こう側でしたっけ?)

(そうよ、川向こう)

(そこは千葉へ行くJR線の海寄りでしたかねえ?)

そんなことから隅田川のこちらとあちらの話になった。

 東京に住んでいない人には(川向こう)とか(川こちら)とか言っても何のことだか・・・。

簡単に言うと江戸という町は大きな川が流れ込んでいて、北側は大川(隅田川)、南側は多摩川である。

その大きな川をはさんで、住んでいる人々はお互い(川向こう)(川こちら)と呼ぶことで自分達の居場所を確認し合っている。

(向こう)も(こちら)も相対的なものであって、どちら側にいて言うかで逆の場所を指す。

(この間ボクのブロッグにコメントを書いてくれる人とやりとりしていて墨田の花火というアジサイの話題になりましてね)

(ああ、あのアジサイ?知ってるわよ)

(花火は隅田川ですよね、墨田川とは書きませんよね)

(そう言えば・・・隅田と墨田ねえ・・・)

(その人が(墨東)なんていうんです)

(ああ墨東奇譚ねえ)

(墨東というのは隅田川の東、つまり川向こうですよね)

(そういえば墨堤(ぼくてい)と呼んでいたわよ、堤防というか土手というか堤のことを)

・・・

(ところで夫人は本所の近くで生れたのでしたっけ?)

(近くというより本所の中よ)

(向島(むこうじま)てどこにあるんです?)

(本所区の向島三丁目で生れたのよ)

(えっ?本所区?)

(今は墨田区というのかしら)

・・・

 東京に来て40年近く。

浅草も隅田川(大川)も本所も向島もほとんど知らない。

池波正太郎や永井荷風の書いた小説に出てくる(地名)という認識しかない。

本所というのは鬼平犯科帳の中でしか知らなかった。

(ところで墨東奇譚の玉の井、というのはどこへんなんです?)

(あそこは少し北ですよ、子供の頃あっちへ行っちゃあいけないよ、なんてね)

(いえ、コチラが玉井ですので玉の井という名前に親しみをおぼえましてねえ)

(そうだったの、いつも玉井さんで、玉の井との関係は考えもしなかった、隅田川(大川)の江戸寄りに日本土手というのがあって、吉原があったのよ)

(えっ?吉原ってあの当たりですか?川こちらに吉原、川向こうに玉の井)

・・・

 東京、江戸というのはまだまだち~とも知らないなあ、と改めて思った。

西友へ買い物に行くという女房と別れて書簡集へ寄った。

モタマタリとウィスキー。

帰るころは少し大粒の雨になったようだった。

(ふうてんアーカイブス)

2008 梅雨明け近く 大学の森

池のカモKamo_22  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Kamo_21  

 

 

 

 

 

 

 

Mori_01

 

 

 

 

 

 

 

その2Mori_21  

 

 

 

 

 

 

 

 

その3  

Mori_31

 

 

 

 

 

 

 

ナラとカエデ?Kaede  

 

 

 

 

 

 

 

 

マラソン人Run  

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