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2008年6月に作成された記事

2008/06/30

2008・6・29 ヤクザはカバンを持たない?篇

家のアジサイAjisai  

 今年の梅雨は梅雨らしく降ってくれる。

この一週間、一献傾けるために出かける時、傘を持って、ということが続いた。

 ある店で(傘だけ持って、というのもスマートですね)と言われた。

そう言われて街を行く(責任ある社会人)を観察すると、ほとんどの人がカバンを持っている。

 ふうてんも若いころはカバンを持ち歩いていた。

一時はかなり大きなものを下げていたこともあった。

カバンは便利なもので何でもはいる。

従ってだんだんと重くなる。

あるとき、ハテ?今日本当に必要なものは?と気づいた。

以来、カバンを持つことをやめた。

 男の服装にはかなりの数のポケットがある。

平均的なズボン、ワイシャツ、上着でいうと何個あるだろう?

ズボンに4つ、ワイシャツに2つ、上着に5つほど。
(ふうてんは2つポケットのあるワイシャツしか着ない)

これに冬場などコートが加わり、さらに2つの大きなポケットが増える。

 4+2+5+(2)=11+(2)!!

 これだけポケットがあれば大抵のものははいってしまう。

会社生活で一番かさばるのは会議用のA4の書類の束だろうと思う。

そんなものは袋に入れて持てば良い。

・・・・

カバンを持たなくなってよく人に聴かれた。

(カバン忘れたのと違いますか?えっ?持たないんですか?)

(そう、ヤクザはカバンを持たないんです)

と、ヤクザな仕事しかしていなかったふうてんはいつも応えるのでありました。

 今回は梅雨の時期、折に触れ写したアジサイの模様を報告しておく。

変化の少ない写真なのでタイトルは(ご退屈さま)が適当かもしれない。

あしからず。

(ふうてんアーカイブス)

2008 5月~6月 隠宅のアジサイ

その111  

12  

 

 

 

 

 

 

 

その22  

 

 

 

 

 

 

 

 

その33  

 

 

 

 

 

 

 

 

その44  

42

 

 

 

 

 

 

 

その55  

52  

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2008/06/22

2008・6・22 本当の梅雨が始まった篇

大学の睡蓮Lotus  

 

 今日当たりからやっと本当の梅雨になった。

この数週間、晴れているのだか曇りなのか降っているのか、曖昧な天気が続いた。

曖昧な人間だと言われるふうてんなども嫌になって(ハッキリしろよ)と空を睨むことが多かった。

 先週末に散歩をしていると国立駅近くでバッタリとラガーマンに会った。

近くの中華の店でビールを飲むうち(今度の日曜日ラグビーを見に行きませんか?)と誘われた。

全日本とフィジーが国立競技場で試合をやるという。

国立(くにたち)駅で日曜日に待ち合わせて国立(こくりつ)競技場へ行くことを約束した。

 その日曜日の今朝、朝から空は厚い雲に覆われていた。

天気予報を見るとテレビでもインターネットでも、東京は今日の午後から大雨になります、梅雨前線が押しかけてきます、という。

 出かける用意をして、さて傘を持ってチャリで出ようとすると降り出した。

降るかどうか分からない間は出かけようと思っていた。

いざ降り出したとなると話は別である。

ラガーマンに電話をした。

(この雨はやみそうにないね、阪神の優勝決定戦が神宮球場であるのなら行くのだけど)とワビを入れた。

ラガーマンは予想通り(ボクは行きますよ)と言った。

 雨はやむことなく降り続いた。

ラグビーを見に行くのをやめてエビスの小瓶を飲み、女房の作ったオムライスを平らげてベッドにはいった。

レイモンド・チャンドラーの(The Long Goodbye)を読むうち眠くなって、久しぶりに平和な昼寝をすることができた。

漱石を読み終わって、このところこの本が(寝つけ薬)になってくれている。

 夕刻、雨の中チャリで繁寿司へ向かった。

山口夫人と岩橋女史がいつものように楽しそうに話をされていた。

壁に、瞳さんの絵が掛かっていた。

タヒチ近くの南の島に行った時の絵である。

(ちょっと傾いているよねえ)

(そう、ちょっと左にね)

なんて話になった。

しばらく女房と、どうして人間は縦の線の傾きに敏感なのだろう?なんて話に耽った。

結論は、人間は地べたに住んでいる、2次元平面に住んでいる。

その人間にとって(縦の線)というのは次元が一つ加わることなのではなかろうか。

だから敏感になる。

海にすむお魚ちゃんたちや空を飛ぶ鳥ちゃんたちは3次元の世界に生きている。

彼らはおそらく(この絵傾いているよね)なんて言わないだろうなあ。

・・・・

 7時からバーレーン戦があるので、お二人をお送りせずに先に帰る失礼を許してもらった。

帰り際に黒澤映画の話になった。

(今度のNHKの黒澤特集は編年順じゃないからダメですねえ)で意見一致した。

岩橋女史に(橋本忍の(複眼の映像)て、いい本ですよ)とお勧めした。

女史は(橋本忍は取材したことがあるわよ、週刊誌の記者してたころ、ハンサムだったわよ彼、若いころは・・・)

と言った。

(そのとき、パチンコで貰ったんだ、なんてチョコレートくれたりしたわよ)

なんて話も女史はしてくれた。

(複眼の映像?そう、そんないい本なの、読んでみましょう)

(見つからなかったらお持ちしますよ)

 繁寿司を出て書簡集に寄り、モカ・マタリとウィスキーを飲んだ。

ライターを忘れていたのでマスターにマッチを出してもらった。

最近、ライターやマッチを店に置いていく人が減ったという。

(タバコが一箱1000円になったらどうします?)

とマスターが聴いた。

 外へ出ると雨は梅雨らしくシッカリと降り続いていた。

 

(ふうてんアーカイブス)

2008 梅雨のころ 大学の睡蓮

その1Lotus_11  

Lotus_12  

 

 

 

 

 

 

 

その2Lotos_21  

Lotus_22  

 

 

 

 

 

 

 

アメンボウLotus_31  

Lotus_32  

 

 

 

 

 

 

 

時計台Tokeidai  

 

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2008/06/15

2008・6・15 梅雨の晴れ間に篇

コナラに降る雨Ame  

 4月くらいから毎回(天気が悪い)と書いている。

桜が散って雨が多くなり、その間に新芽が吹き、新緑となった。

そうしてこの一か月ほどは百花繚乱、花の競演だった。

 東京ではこの数日梅雨の晴れ間のような日が続いている。

晴れるといっても天気は曼荼羅紋様のように変化する。

(まるでアジサイの花みたいな天気やねえ)

などと家人と話す。

 ときどきコメントをいただく(やっこちゃん)から橋本忍の本をいただいた。

(複眼の映像 -私と黒澤明)という本で、やっこちゃんもコメントされているように面白くて一気に読んでしまった。

 橋本忍という人の名前を知ったのは高校時代のころ朝日新聞に(悪の紋章)という写真小説が連載された時だった。

当時封切りされたばかりの黒澤監督の(天国と地獄)で鮮烈な映画デビューをした山崎努がこの新聞小説に(写真)で登場した。

普段新聞の連載小説を読む習慣のないふうてんは、天国と地獄の山崎努の写真が出ているのを見てオヤッ?何だろうこの小説は?と興味を持ったのだった。

 それから10年以上たって東京へ来てから銀座の並木座や池袋の名画座みたいなところで黒澤映画がリバイバル上映されているのを知り、何本か見るうちに黒澤映画の魅力にまいってしまった。

黒澤映画関連の本や雑誌やテレビ番組も追っかけるようになった。

そういう中で(橋本忍)というシナリオ・ライターは重要な役割を果たしていたのだなあと知るようになった。

 そういう漠然とした断片的な(橋本忍)に対するイメージがこの本を読むことでやっとクッキリとした像を結んだ。

(羅生門)(生きる)(七人の侍)三部作の誕生までのストーリーはまことに興味深いものがある。

 彼のシナリオ作家としてのスタートは伊丹万作との出会いだった、というのにも驚いた。

黒澤明も(達磨寺のドイツ人)というシナリオを伊丹万作が激賞して(この人は将来日本映画を背負って立つ人になる)と言ったいう話は聴いていた。

この本でもそのことに触れていて、たった一本のシナリオで、まだ傑作映画を世に出してもいない新人をそこまで見通した伊丹万作には恐れ入ると橋本先生、舌を巻いている。

 この本を読んで一番感心したのは、シナリオとは映画の設計図だということだった。

設計図を書くには定規とコンパスが必要だと、これまた伊丹先生に聴いたという。

読んで終わるシナリオなら小説のように書いてもいい。

しかし映画を作るためのシナリオはそれではいけない。

一本の映画が完成するまでにどれだけのことが必要か。

総合芸術といわれるくらい、いろんな才能が集まって、沢山の人間が参加して作られる。

シナリオはそれの(設計図)だというのですね。

 伊丹万作はシナリオに大切なのは(テーマとストーリーと人物の彫りだ)と橋本忍に教えたという。

この3つの要素がどのようにして上の三部作(羅生門)(生きる)(七人の侍)で実現されていったか。

そのことがリアルに本人から語られている。 

 分野は全く違うけれど、ふうてんなども(設計図)が最も重要な仕事にたずさわっていた。

ある商品が構想され、会社で企画が通り、開発製造されてお店で売られユーザに渡っていく。

その一連のプロセスは映画もパソコンも同じだなあと改めて思った。

いい(設計図)がないと、いい(商品)は出来ようがない。

 映画に関する本はいろいろある。

しかし一番面白いのはやはり制作に直接かかわった人たちの本だと思う。

やっこちゃんにはいい本を教えていただいた。

(ふうてんアーカイブス)

2008 梅雨のころ 隠宅にて

アジサイAjisai  

 

 

 

 

 

 

 

 

ビワBiwa  

 

 

 

 

 

 

 

 

フジFuji_1  

Fuji_2  

 

 

 

 

 

 

 

コナラKonara_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Konara_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

ロシナンテRoshinante_1  

Roshinante_2  

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2008/06/08

2008・6・8 アジサイのころ、もうすぐ夏至篇

墨田の花火?Hanabi  

 国立でもツバメが飛ぶようになった。

家の近くに田んぼはないので最近めったに見かけない。

それでも5月半ばころだったか、時折サ~ッと飛びすぎるツバメを見て懐かしい思いがしていた。

昨日だか近くの道を歩いていると、一羽のツバメが通りを行ったり来たり繰り返していた。

 そう言えば国立駅のあの三角駅舎にもツバメの巣があったなあと思い出した。

何故かツバメは人の家の、それも眼に着くところに巣を作る。

チ~チ~、ピ~ピ~と子たちが大口を開けてエサをねだるシーンは日本人の大半がかっては日常的に自分の家でも見ていたものだった。

 スズメの巣というのはなかなか見かけない。

この違いはなんだったっけ?とグーグルに聴いて思い出した。

スズメは穀物を好むから米や麦が大好き。

ツバメは穀物を食べず空中の昆虫だけを食べる。

従って米や麦を作る日本人にとってスズメは(害鳥)ツバメは(益鳥)となる。

ヒエやアワの時代からそうだったに違いない。

 だから昔から日本ではツバメは人間を恐れないのですね。

人間のいるところは、むしろ天敵(カラスやヘビなど)がいないから子育てにも安心という次第。

昔の三角屋根の国立駅にはいくつものツバメの巣があり、駅員諸君フン避けの板を張ったり、子育てが終わったあとの巣を片付けたり奮闘していたものでありました。

 そういえば(ツバメの巣のスープ)なんてのもあったなあと余計なことまで想起した。

あれは種類が違うツバメくんだろうなあ。

日本のツバメ諸君は泥と枯れ草で巣を作っている。

スープにするわけにはまいりませぬ。

 そんな梅雨時の薄日の射す夕刻、繁ずしへチャリで出向いた。

岩橋女史と山口夫人がアレコレ話をしていた。

(カッコー・ワルツ)という言葉が聴こえてきた。

お二人とも夕べBS2でやった黒澤明監督の(酔どれ天使)をシッカリと御覧になっている。

チンピラ・ヤクザ役の三船敏郎が結核に冒されて絶望的な気持ちで街を歩く時、対照的な明るいこの曲が街頭のラウド・スピーカーから流れてくるのである。

しばらくこの映画ができた敗戦後間もないころの話題になった。

いい映画は見逃さない・・・何となく嬉しかった。

 7時すぎに店を出るとまだ明るかった。

(繁さんち出てこんなに明るいと一日を長く感じるから嬉しい)

と女房が云った。

(もうすぐ夏至やからなあ)

とふうてんは応えた。

(ふうてんアーカイブス)

2008 6月 国立のアジサイ

 

隠宅のアジサイ

その1Uchi_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Uchi_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

ご近所のアジサイ
 

墨田の花火1Hanabi_1  

Hanab_12  

 

 

 

 

 

 

 

その2Hanabi_2

 

 

 

 

 

 

 

 

その3Hanabi_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

赤紫Aka_1  

Aka_2 Aka_3

 

 

 

 

 

 

 

 

Ao_11  

Ao_12  

 

 

 

 

 

 

 

その2Ao_21

Ao_22  

 

 

 

 

 

 

 

Shiro  

 

 

 

 

 

 

 

 

団体でDantai  

 

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2008/06/01

2008・6・1 漱石は最後にマルチ・カメラを使った篇

谷保天神の梅Yaho_ume  

 やはり東京ではもう梅雨にはいったようである。

このところ毎回天気が良くない話ばかり書いている。

それも道理で気象庁によると東京では5月は毎週土曜日が雨だったらしい。

今年の4月5月の降雨量は例年の梅雨時期に降る雨量を超えているともいう。

 そんな雨模様の中、たまたま朝晴れた日があったので谷保天神の梅を見に行った。

緑に包まれた梅林の道には青い梅が点々と落ちていた。

そういえば梅雨は(梅に雨)と書くのだなあと妙なことに感心した。

 ふうてんアーカイブスでその梅を紹介し、この2か月ほど楽しんできた漱石のカメラワークの旅の終わりとして(明暗)のことを書いてみたい。

明暗のカメラワーク

 主人公の男に持たせた1台のカメラで全てのシーンを撮ってきた漱石の小説世界に、最後の(明暗)でもう1台のカメラが持ち込まれた。

漱石はその2台目のカメラを慎重に用意した。

2台目は主人公(津田)の女房(お延 おのぶ)に持たせた。

女性カメラマンの登場である。

 女性カメラマン(お延)は次のようなシーンでカメラを回し始める。

(手術後の夫を、やっと安静状態に寝かせておいて、自分一人下へ降りた時、お延はもう約束の時間を大分後らせていた。彼女は自分の行先を車夫に教えるために、ただ一口劇場の名を云ったなり、すぐ車に乗った。)

・・・・

(車は茶屋の前で留まった。挨拶をする下女に(岡本)とこたえたお延の頭には、提灯(ちょうちん)だの暖簾(のれん)だの、紅白の造り花などがちらちらした。彼女は車を降りる時一度に眼に入ったこれ等の色と形の影を、まだ片付ける暇もないうちに、すぐ廊下伝いに案内されて、それよりも何層倍か錯綜した、又何層倍か濃厚な模様を、縦横に繰り広げている、海のような場内へ、ひょっこり顔を出した・・・・

そうしてこの雰囲気の片隅に身を置いた自分は、眼の前に動く生きた大きな模様の一部分となって、挙止動作共悉くこれからその中に織り込まれて行くのだという自覚が、緊張した彼女の胸にはっきり浮かんだ。)

 カメラを持たせた人に考えさせる、という手法は変わっていない。

女のカメラマンは女の目でものを見、女の心で感じ、女の頭で考える。

 漱石は最初猫にカメラを持たせた。

猫の主人たる漱石自身はじめ登場するあらゆる人間を揶揄した。

次に、これから世に出ようとする一人の男にカメラを持たせた。

その男たちは(高等遊民)と言われ、一歩社会から退いたところに位置していて、まだ本格的な仕事にかかわっていないだけに、自分と社会、自分と家族、自分と女性との関係をあれこれ考える余裕があった。

そのカメラマンを通じていろんなドラマを語った。

 猫も(我が輩は)というくらいだから男だったに違いない。

ずっと男のカメラマンを使ってきて、漱石先生、これは少し片手落ちかもしれないと思ったのだろうか。

(今まではあまり自分の意志を持たない男をカメラマンとして重用してきた。

しかし世の中には女の人もいる。一つここは強い意志を持った女にもう一台のカメラを持たせてみようか。意志薄弱な男ばかりに写させるのではなく強烈な意志を持った女にも撮らせることでドラマは活性化するかもしれない。)

 そう漱石先生が考えたかどうか。

読者としての勝手な想像だけれど(明暗)には明らかにそういう漱石の意図が感じられる。

そして見事に漱石の意図したとおりドラマは活性化され、読者はそれまでの他人事のような風景ではなく、ドラマの真っ只中に引きずり込まれるのである。

 ところで、カメラが2台となると、当然その二人のカメラマンが出会うシーンもあるに違いない。

二人は夫婦だからして普段でも会っているのだけれど、問題はカメラを持った二人が会うとどうなるかというお話。

そのとき漱石先生はその場面をどのように処理なさるのか?

それがこの(明暗)の最大の興味になるはずである。

 これに関しても漱石は実に周到に、慎重にシナリオを用意した。

男と女、二人のカメラマン。

彼らは結婚して一年もたたない、いわゆる新婚さんである。

みんなに祝福されて結婚した仲のよい夫婦、のはずである。

しかし二人の間にはまだ本当の夫婦としての信頼関係は確立していない。

意思疎通が十分には行われていない。

経済的なこと、親戚付き合い、親子の関係、兄弟との関係、などなどで相手に不信を持つこともままある。

 冒頭の(観劇)のとき仲人の吉川夫人の云った一言がお延の心にひっかかる。

亭主である津田が入院しているのを知っているはずの津田の友人小林が留守宅を訪ねてお延に云った一言がお延の心にひっかかる。

二人の一言は、津田には女房たる自分以外に思いを寄せている一人の女の存在があることを示唆しているのではないか、という意味で共通している。
女カメラマン、心穏やかではなくなってくる。

 2台のカメラの激突は、津田の妹(お秀)が病院へ見舞いに来て、兄妹でケンカごしの会話になっているとき、お延が訪ねてくるという形で始まる。

(彼女はその森とした玄関の沓脱の上に、行儀よく揃えられたただ一足の女下駄を認めた。値段から云っても看護婦などの穿きそうもない新しいその下駄が突然彼女の心を躍らせた。下駄は正しく若い婦人のものであった。小林から受けた疑念で胸が一杯になっていた彼女は、しばらくそれから眼をはなすことが出来なかった。彼女は猛烈にそれを見た。)

・・・・
 

 病院の2階への階段を上がろうとしたお延の耳に兄妹のいさかいのような会話が聴こえてくる。

(お嫂さん)という言葉がお秀の口から何度も発せられている。

お延は自分のことで二人がケンカしていることを知る。

最後に(兄さんは嫂さんより外にもまだ大事にしている人がいるんだ)というお延が一番恐れ、一番聴きたかったお秀のセリフが伝わってくる。

 行くかどうか迷ったお延は刹那に決断して静かに病室の襖を開ける。

(二人は果たしてぴたりと黙った。しかし暴風雨がこれから荒れようとしている途中で、急にその進行を止められた時の沈黙は、決して平和の象徴(シンボル)ではなかった。不自然に抑えつけられた無言の瞬間には寧ろ物凄い或物が潜んでいた。

 二人の位置関係から云って、最初にお延をみたものは津田であった。

その刹那に彼は二つのものをお延に握られた。一つは彼の不安であった。一つは彼の安堵であった。困ったという心持と、助かったという心持が、包み蔵す余裕のないうちに、一度に彼の顔に出た。そうしてそれが突然入ってきたお延の予期とぴたりと一致した。彼女はこの時夫の面上に現われた表情の一部から、或物を疑っても差支ないという証左を、永く心の中に掴んだ。)

 そうして津田、妹のお秀、嫂であるお延の三人のバトルが始まる。

このやりとりはハラハラドキドキ、明暗の、そして漱石の小説のハイライトだと思う。

二人のカメラマンの間に(お秀)という妹を登場させたのが漱石先生のワザなのですね。

子供が二人いて、普段我慢を重ねて生活しているお秀から見ると、兄夫婦が本当は経済的にも苦しいし、夫婦の間で風波があるはずなのに、表面上いかにもノンキに仲良さそうに優雅そうにノホホンとしているのが腹に据えかねている。

それをこのシークェンスで爆発させるのですね。

 漱石を(カメラワーク)という視点でたどる旅は終わった。

寂しい思いと同時にやはり漱石は名カメラマンだったという確信は深まった。

(ふうてんアーカイブス)

2008 5月 谷保天神の梅

その1Yaho_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Yaho_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

その3Yaho_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

その4Yaho_4  

 

 

 

 

 

 

 

 

その5Yaho_5  

 

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