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2008年4月に作成された記事

2008/04/29

2008・4・27 裾野は今日も霧だった篇

裾野小川別邸Susono  

 先週は月曜日から週末の土日まで出かけることが多かった。

寄る年波に勝てず、日曜版のこの日記が月曜日、おそらく火曜日になってしまった。

読者であらせられる紳士淑女にお詫びを言わねばならない。

 

ルノアール展

 木曜日、神楽坂での山田塾へ出向いた。

時間があったので前から行ってみたいと思っていた渋谷のブンカムラでのルノワール展を冷やかした。

部屋へはいるとまず70歳ころの小さな自画像が目に入った。

小津安二郎がかぶっていたような白い帽子をかぶっている。

この絵の色合いで、ああこういう色を出せる画家は日本にはいないなあと思った。

 ジャン・ルノアールはじめ3人の男の子に恵まれたルノアールは大家族主義だったようで、家族たちとよくピクニックなどにも出向いたようだった。

そういうときの場面が(ぶらんこ)やダンスをするシーンの絵になっている。

かなり有名な傑作が何点も展示されていた。

 見ていて不思議だったのは遠くから見るとボンヤリしている。

大雑把に雰囲気だけで描かれている絵のように見える。

森の木漏れ日の中、ぶらんこに乗った女を男が口説いていて、小さな女の子がそれを見ている。

男も女も女の子も顔はボンヤリとしている、風に見える。

 ところが絵に近づいてよくよく見ると非常に細かく繊細に描かれているのですね。

男の髪や眉毛や衣服など、まことに詳細に、カチッと描かれている。

ルノアールが細密画のような細かい筆遣いもできることは知っていた。

以前銀座のブリヂストン美術館で少女の素晴らしい絵を見たことがある。

それは若描きのころだけの話だと思っていた。

ところがどっこい晩年に至るまで(絵の技術)は磨きつづけていたのですな。

 特に晩年に至るに連れ、光と影を意識したのではなかろうかと思った。

印象派は確かに(光)がテーマだったのかもしれない。

裾野は霧に包まれていた

 土曜日、久しぶりに裾野小川別邸でワインの会があった。

今回は新しく二人の元ニューヨーク駐在の同輩達が加わった。

ギターやらチェロやらトランペットやらの楽器に加えてKOI Tigerというオーディオ装置も持ち込まれたのでまことに賑やかな(鳴り物入り)の会となった。

 7人の会だったけれど、ふうてん以外はみんな元ニューヨーク駐在員たち。

外国に4年以上も生活した人ばかりである。

日本にへばりついてきたふうてんも何故か混ぜてもらっている。

新しく参加した二人はどうもふうてんが時々お邪魔していたころニューヨークにいたらしい。

 日本はやはり島国独特のものがある。

そういう島国で生まれ育った人間が外国体験すると何かが変わるような気がする。

いろんな人に会って、いろんなことを経験してきた人たちなので、ある意味、視野が広くなるのではないかと思う。

日本にへばりついてきたふうてんではあるけれど、書物や映画や音楽を通じて、世界に向かって開かれた小さな窓はあったのではなかろうかと思う。

中学・高校がスペインのドミニコ会が主催する学校だったのも影響しているようにも思う。

マルシャ~ノ神父とかキャプテン・ルイスとあだ名したルイス神父などはまさに(世界に開かれた小さな窓)だったように思う。

(キャプテン・ルイスの英語の授業には閉口した。ファーザーではなくファーデルだった。右頬に深い切り傷があったので12、3歳の悪童どもはキャプテン・ルイスとあだ名した)

 裾野小川別邸での元ニューヨーク駐在員たちとの会合に何の違和感もなく参加できるのは不思議なような気もするし、当たり前のような気もして、毎回楽しませてもらっている。

(ふうてんアーカイブス)

2008 4月 裾野小川別邸 霧とウグイスと鳴り物と

チェロ、ギター、トランペットSusono_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2  

Susono_2

 

 

 

 

 

 

 

 

その3Susono_3

 

 

 

 

 

 

 

トライ・トゥー・リメンバー 

September

 

 

 

 

 

 

 

 

スペインSpain

 

 

 

 

 

 

 

 

トランペットTrumpet

 

 

 

 

 

 

 

 

ウグイスUguisu_1  

 

 

 

 

 

 

 

その2Uguisu_2

 

 

 

 

 

 

 

 

裾野からの帰りKaeri_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2 

Kaeri_2

 

 

 

 

 

 

 

 

その3Kaeri_3

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2008/04/20

2008・4・20 漱石は名カメラマン?篇

コナラKonara_11  

 桜狂想曲が終わってこの一週間、新緑の競演となった。

雨の日が多いのも新芽にはふさわしい。

この季節、国立は特に美しい。

木々が新緑となり花々が咲き乱れる。


 何年か前のゴールデン・ウィークのときに繁寿司で山口夫人が、

(どっかへ出かける必要ないわよねえ、ここにいても十分きれいだもの)

と言われた。

近場の桜、近場の新緑を楽しめる幸せをかみしめている。

 夕刻、雨が上がって、ロンナンテで一回りする。
桜通りは新芽のトンネルだった。

毎年トンネルを走り抜けながら、これをこの日記で伝えられたらなあと思う。

今のところビデオ・カメラの撮影助手はいない。

仮にいたとしても雰囲気は伝えられないかもしれない。

第一、ビデオでは風は吹かないし・・・。

 このところ漱石を読んでいる。

読んでいて不思議な感覚におそわれてきた。

心理小説とか言われる漱石の小説が非常にビジュアルなものに見えてきたのである。

今回はそのことを書いてみたい。

漱石はカメラを使っている

 漱石が絵を好んだのは知っていた。

殆どの小説で(額縁にはいった絵)とか(画家の話)とかが出てくる。

漱石自身南画風の絵を描いていて、書ほどではないけれど中にはいい絵もある。

 そういうことは分かっていたけれど、実は漱石は、小説を(絵を描く)ように書いたのではないかと思い至った。

(三四郎)(それから)(門)(彼岸過ぎまで)(行人)と読み進んでオヤッ?と思った。

漱石先生カメラを使っているな。

 たとえば三四郎が熊本から東京に出てきてはじめて大学構内にはいる時のシーン。

遠くの方に木々が見え、池のようなものが見える。

ご婦人が二人、違う色の着物でいるのが三四郎の目にはいる。

ここまではカメラを退いて撮っている。

カメラがだんだん近寄っていく。

ご婦人の一人が団扇(うちわ)を持っている。

着物の色がどうだとか柄がどうだとかになる。

二人の話し声まで三四郎は聴いてしまう。

これはもうほとんどクローズ・アップ、接写に近い。

カメラを持たせたのは猫だけではなかった

 漱石は(名カメラマン)ではないかと思い至って、意識して(彼岸過ぎまで)(行人)を読んだ。

全てのシーンが主人公一人によってとらえられている。

猫にカメラを持たせるとどうしても限界がある。

そこで漱石先生、人間のカメラマンを主人公という形で登場させたのですね。

漱石のカメラワーク

 漱石の手法の最大の特徴は主人公がカメラを手放さないことである。

常に主人公がカメラを回して撮り続けている。

そのカメラを読者は自分で持っている、自分で撮っているように無意識のうちになっていく。
 自分でカメラを向けて撮っているから疲れない。
他人がカメラを振り回して撮った映像、根拠のないアングルで撮った映像を見るときほど疲れるものはない。
漱石のカメラワークには決してそういうことがない。

 作者である漱石が解説的な1カットを入れたりナレーションで説明したり、ということはない。
あくまでも主人公にカメラと録音機を使わせて映像と音を採らせている。
カメラが様々な人物の様相をとらえ、マイクが彼らの音声をとらえる。
従ってカメラを持つ主人公はなかなか自分は写らない。
だから大抵の主人公は(自分には判定しかねたので黙っていた)となる。

別のカメラで主人公を写す、ということはない。

 漱石の手法について以上のようなことを考えたことは今までなかった。

漱石がこういう手法を使ったにはよほどの理由があるに違いない。

漱石を読む楽しみが増えたような気がする。

(こころ)と(明暗)も読み直してみよう。

(ふうてんアーカイブス)

2008 4月 コナラとハナミズキ

雨のコナラAme

 

 

 

 

 

 

 

その2 

Ame_2

 

 

 

 

 

 

 

 

ハナミズキHana_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

コナラと光Hikari_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Hikari_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

コナラと空Sora  

 

 

 

 

 

 

 

 

ハナミズキとシロShiro_1  

Shiro_2  

 

 

 

 

 

 

 

コナラとハトHato  

 

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2008/04/13

2008・4・13 葉桜になって篇

コナラの新芽Konara  

 この一週間は雨がちだった。

春の嵐というのか天気予報を見るたびに低気圧やら高気圧やらがところを変えてめまぐるしく動いている。

天気予報士たちも大変だと思う。

 夕刻、ロシナンテと葉桜になった桜通りを一走りする。

ローとセカンドで4000回転くらい引っ張る。

以前国立技工さんに(もうちょっと乗って下さいよ、チョロッと走るだけだとエンジンにカーボンがたまってよくないんですよ)と言われたことが頭にこびりついている。

カーボンがたまるという意味も分からないのだけど、たまにはブン回せと言われたような気がしている。

セカンドで4000回転しても時速せいぜい60キロくらいである。

ロシナンテの回転計は8000以上だからフルに回せばセカンドで時速120キロという計算になる。

100キロくらいまでは何度か試みたことがある。

 繁寿司は山口夫人と我々だった。

(世相講談下巻)を戴く。

それをきっかけに、しばらく瞳さんや伊丹一三の話になった。

(世相講談でおかしくってお腹が痛くなっちゃうというの分かります)

(今日は眠いから電話が来たら寝てますと言ってくれというのよね)

(それいつごろです?)

(40歳ころかしら、直木賞もらったあとで、それで何とかさんから来たらどうする?と聴くと、今寝てますと言えというのよ)

(そして?)

(何とかさんから来たら?じゃあ何とさんは?)

・・・

(み~んな文春の人なのよね、そのなんとかさんは。その人たちに寝てますと言えというのよねえ)

(世相講談読んでテンポの速さに驚いたけど、そうですか、やっぱり瞳さんも若かった)

(講談の人がパパンパンパンと机叩くでしょう?)

(ああそれですね、そのテンポなんですよね世相講談は、会話にしてもやったとったが速い)

・・・・

 そういう話から始まっていつの間にか伊丹一三の話になった。

(ところで瞳さんと一三さんはどこで知り合ったんでしたっけ?)

(彼は字書きだったのよ)

(字書き?字を書く?)

(そう、あれなんていうの文字をデザインして書くこと)

(それは瞳さんが出版社に勤めていた時代ですよね)

(どっかで彼の文字を見て瞳さん気に入ったらしいのよね)

(ハァ~・・・そうでしたか)

・・・

 アレコレお話を伺っているうちに、伊丹一三が俳優としてどうだったか、という話にもなった。

(あれ何という映画だったっけピーター・オトゥールと競演したの、北京の55日?)

(いえそれは北京の55日じゃなくてロード・ジムですよ)

(そうだったわねえ、ピーター・オトゥールは大酒飲みで翌日のメークなんて大変だったらしいわよ)

女房が、

(奥さん、ピーター・オトゥールのファンなんですかあ?)

(そうなのよねえ)

・・・・

 夫人をお送りして、霧雨、小糠雨のなか(書簡集)へ向かった。

マスターが一人でいた。

(モカマタリ)と(ウィスキー)を注文する。

やがて一人の青年が姿を現した。

京都の福知山の出身だという。

ときどき(書簡集)で会う青年なのだけど、そうか、京都の福知山出身だったんだ。

なかなかの好青年で会話が楽しい。

 外へ出るとまだ小糠雨が降っていた。

(ふうてんアーカイブス)

2008 4月 国立の隠宅 コナラの新芽

コナラの新芽Konara_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Konara_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

Konara_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

その4Konara_4  

 

 

 

 

 

 

 

 

その5Konara_5  

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒヨドリTori_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Tori_2 

 

 

 

 

 

 

 

葉桜の桜通りSakura

 

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2008/04/07

2008・4・6 桜も散って篇

大学通りの桜Daigaku

 国立の(桜狂想曲)も終わった。

夕刻ロシナンテで(桜通り)を流す。

散った桜が舞い上がり、桜吹雪のようだった。

今年はじめてコートを着ずに走る。

 夕べ沖縄の友人に電話した。

沖縄の高校が春の甲子園で優勝したのでフッと一年前沖縄へ帰った彼を思い出した。

相変わらずの声だった。

相変わらずの過ごし方のようだった。

(良かったねえ、大変でしょう、そちらは)

(そうなんです、大騒ぎですよ)

(米兵事件とかで暗かったけど、若者たちに救われたねえ)

・・・・

 球春という言葉がある。

キャンプ、オープン戦で準備をしていた連中の本番が始まった。

今日は巨人に負けたけれど今年の阪神の出だしはかなりよろしい。

楽天もそこそこ頑張っている。

阪神とか野村監督とかが好きなのはやはり関西出身のせいだろうか。

どうも巨人というのは関東の代表選手みたいで昔から共感できない。

勝っても負けてもちっとも面白くない。

王長島を従えて川上さんがやった9連覇のころまでだった、巨人は。

江川の(空白の一日)当たりからおかしくなっちゃった。

 4月からNHKで(黒澤明没後10周年特集)が始まった。

昨日の(羅生門)を皮切りに12月までに全30作品をやるという。

勿論夕べそれを見た。

昭和25年、黒澤明42歳の時の作品。

冒険心、リリシズム、貪欲さにあふれている。

この映画がベネチア映画祭でグランプリを取った時、ストライキ事件続出で殆ど映画を撮れなかった黒澤明監督はやることがないので砧の撮影所からもほど近い多摩川で魚釣りをしていたと本人が書いている。

 今見直しても大した映画だと思う。

映画評論家の淀川長治さんは(私は黒澤映画では羅生門が一番好きです)と言っていた。

殆どが奈良の森での撮影。

一部京都の下鴨神社でも撮ったと聴いていたのでどのシーンが下鴨神社なのかジッと見たけど分からなかった。

 宮川一夫のカメラが素晴らしい。

森の中の光と影。

そこにうごめく男女の命のやり取り。

見はじめると目が放せなくなった。

 次回は4月19日の(用心棒)。

これもカメラは宮川一夫。

京都生まれのきゃしゃな体に宮川一夫は大いなる冒険心を抱えていた。

黒澤明と宮川一夫。

ええコンビでした。

(ふうてんアーカイブス)

2008 3月 国立の桜

大学通りDaigaku_1 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Daigaku_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

桜通り 

Sakura_1

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Sakura_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

ロイヤルホストRoyal  

 

 

 

 

 

 

 

  

近くの公園Koen_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Koen_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

花に嵐のたとえもあるさArashi

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