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2008年1月に作成された記事

2008/01/28

2008・1・27 子供が小さかった頃篇

繁寿しP1202870  

 東京では今週雪が降った。

2年ぶりの積雪だったという。

その雪も翌日には溶けてしまったけれど、今年になって東京は何しろ寒い。

 朝も昼も夕方もほとんど気温が5℃以下。

今日は天気も良かったので昼過ぎ、一週間に一度の運動にロシナンテを連れ出す。

一週間動かしていない車はオイルも冷えきっているに違いない。

バッテリーがあがらないようにロシナンテを目覚めさせるには工夫がいる。

それでも何とか目を覚まさせ、寒風の中、谷保天神まで行って噂に聴いていた(早咲きの紅梅)を取材してきた。

 このところ何故かフッと(子供が小さい頃は楽しかったなあ)と思うことがある。

2,3日前、女房にそのことを話した。

(クンちゃん連れて繁さんへ行っていたころが一番楽しかったのかなあ)

(それはみんなそうよ、自分たちだけの世界だもの)

(アッそうなんだ、二人で所帯持って、ちっこいのがいて)

(まだ親とか元気でいてくれるし、仕事も乗ってるころだし・・・)

(う~ん、考えてみると、野郎の40歳前後のころか・・・)

 国立へ引っ越して繁寿司へ通うようになってしばらくしてクンが生れた。

ロシナンテは座席が2つしかない。

赤ん坊のころは女房が抱いて乗っていた。

幼稚園に行くようになってからは、抱きにくくなり、座席の後にあるスペースにもぐり込むようになった。

 2座席の車に3人で乗ると(道路交通法)違反になるのだろうか?

オープンにしているときなど、繁寿司からの帰りに交番の前を通るのだけど、(クンちゃんお巡りさんがいるよ)と言うと、クンはサッと身を伏せて隠れるのであった。

 そんなことが夢のように思い出される。

去年の末、撮影を断られた繁さんの絵が今年になってもまだ掛けてあった。

繁さんには断られたけれど、おかみさんが、気を利かせてくれたらしい。

この前、カメラマン助手がたまたまカメラ持参だったので、繁さんには黙って写真に写させてもらった。

 この絵は国立在住の仏師(関頑亭さん)が描かれた昔のお店と若い頃の繁さんである。

頑亭さんは山口瞳さんの作品の中で(ドスト氏)としてよく登場する。

山口さんにとっては絵の師匠であり、どこかドストエフスキーを彷彿とさせるその骨相からそういう名前で呼んでいたのだろうか。

 この絵は、我々が一番楽しかった時代の証拠物件のような気もするのである。

だから、繁さんの目を盗んで、おかみさんの許可を得て写して、挙げ句にこの日記で紹介させてもらうことにした。

何しろ繁さんはこれまで一切の新聞・雑誌の取材を断ってきたお方なのである。

(ふうてんアーカイブス)

2008 大寒のころ 谷保天神

メジロは白い椿がお好きMejiro_1

 

 

 

 

 

 

 

 

Mejiro_2  

 

 

 

 

 

 

 

Mejiro_3  

 

 

 

 

 

 

チャボと早咲きの紅梅Ume_5_2 Ume_4_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

その2Ume_3 

 

 

 

 

 

 

 

 

家に帰ればシロとクロがNeko_1_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

Neko_2

 

 

 

 

Neko_3  

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2008/01/21

2008・1・20 小正月も明けて篇

谷保天神どんと焼きDontoyaki_1  

Dontoyaki_2Dontoyaki_3_2   

 

 

 

 

  

 元旦、七草がゆ、成人の日。

正月から一週間ごとにいろいろと続く。

1月15日を小正月ということを今年初めて意識した。

新年会、出初式、などなど今年も気分一新がんばろう、と行事がつづく。

1月14日には谷保天神のどんと焼きも近くの公園で行われた。

カメラマン助手がその様子を写してきた。

 一年のいろんな行事を考えるとき、やはり日本は旧暦なのですね。

正月の挨拶に(初春)なんて云われてもピンと来ない。

今の一月は冬至が過ぎたばかりの冬まっさかり一番寒い季節でおます。

旧暦に戻すと行事と季節感がピッタリくるだろうなあと思う。

 寒いときに、その寒さをうっちゃるために人はいろんな工夫をしてきた。

たとえば家の中で、こたつにはいってミカンを食べる、なんてのがある。

こたつであったまって、ノドが乾くからミカンの水気と甘味が何とも言えない。

ふうてんなども子供の頃はその通りに過ごしてきた。

 こたつというのはタタミの部屋だからこそ使える暖房具なのですね。

タタミの部屋が一つもない今の家ではそういう楽しみは求めようがない。

エアコンと称される電気を使った道具にピッとリモコンでスイッチを入れる。

片仮名ばかりの世界。

その非日本的な部屋でユカタとちゃんちゃんこを着て生活している一人の老人。

まことにチャンプルーな世界。

人様にお見せするわけにはいきませぬねえ。

 今回は正月明けをふうてん老人はどのようにしのいでいるか。

その一端を書いてみたい。

冬の楽しみ

 寒い季節にしか食べられないものがある。

一つは牡蛎、一つは芹、一つは蕗の薹。

これらは春、夏、秋には食べることができない。

 たとえばカキというのがある。

今年は夏があまりに暑かったせいか、大きなカキが多い。

近くのスーパーやデパ地下で(生食用)のカキが出回るようになったのは何年くらい前からだったろう。

残念ながら牡蠣殻(かきがら)まではついていない。

つまりむき身のカキではある。

しかし、酢ガキにしても結構おいしいのですね。

 酢ガキばかりでも飽きてくる。

カキフライにするのも手間がかかる。

何かいい手はないかしら?

 2~3年前、一つの方法を思いついた。

カキを水洗いし、ダイコンおろしで洗い、一個一個そのダイコンおろしを洗い流す・・・冬の水は冷たく指先がしびれてくる。

 

 フライパンを煙が出るまで熱しておく。

洗ったカキを小麦粉あるいは片栗粉でくるむ。

熱したフライパンにオリーブ・オイルをドボドボドボと注ぐ。

粉にくるまれたカキたちを放り込む。

油が飛び散らないようフタをする。

 

 20秒ほど待ってカキたちを裏返す。

10秒待って、できあがり。

フライパンの中身を皿に移す。

醤油を軽くまわしかける。

 11月から2月にかけて、一週間に一回か二回、これを繰り返す。

カキ独特の風味、あの独特の苦み。

今年は何故か(播磨灘産)のカキも出回っていた。

まるい形で味もいいのだけど(苦み)が足りない。

やはり三陸海岸、宮城県産のカキには及ばない。

北の冷たい海で育たないと、この(苦み)はできないのかもしれない。

播磨灘・・・瀬戸内海はカキにとってはやさし過ぎるような気がする。

国立技工さん、お久しぶり

 このところロシナンテは快調に走っている。

一週間に一回、半径2Kmほどのところしか走っていないのだけど、この寒い季節、ロシナンテには別の大きな役割がある。

野良のシロとクロが二人で抱き合うように眠るのである。

おかしなことに二つある席のうちの(運転席)の方で寝ている。

 先日、快調なロシナンテのエンジン・ルームの中から聴こえてくる音が少し大きくなったのに気づいた。

一種の(うなり音)で正常な音ではない。

ボンネットを開けて音を聴くと、ダイナモ(発電機)の当たりから聴こえてくる。

そういえば以前国立技工さんにウォーター・ポンプが少し唸っていますね、と云われたなあ、と思い出した。

ダイナモとウォーター・ポンプはベルトでつながっている。

 それで久しぶりに、半年以上ぶりに国立技工さんを訪ねた。

行ってみるとこの寒風の中、兄弟はいつものようにつなぎを着て仕事をしていた。

お兄さんは1950年製のベンツの下にもぐっていた。

隣に1967年製のジャガーもあった。

弟くん聴診器を持ち出してきた。

医者が心臓や肺の音を聴く(聴診器)である。

(う~ん、ダイナモかなあ、ウォーター・ポンプかなあ?)

どうもよく分からない。

お兄さんにも聴いてもらった。

結論は、

(ハッキリ分かるくらい悪くなるまで乗るしかないですね)

というものだった。

 酷なようだけど、ロシナンテに言いきかせて、一鞭くれて寒風の中家路を急いだ。

(ふうてんアーカイブス)

2008 小正月のころ 国立技工

ベンツとジャガーとBenz_1  

 

 

 

 

 

 

 

 Benz_2  

 

 

 

 

 

 

 

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国立技工さん兄弟Brothers_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

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1960年代の日本の車たちBluebird  

 

 

 

 

 

 

 

 

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2008/01/14

2008・1・13 写真や映像の値打ちとは?篇

富士見別荘よりFuji  

 

 正月が明けて、七草がすぎて、もう成人式だという。

昔は1月15日が成人の日と決まっていた。

祝祭日を特定の日にせず、土日にひっかけてコロコロ変える。

もうそろそろこの風習はよして元に戻していただきたいと思う。

3連休を作りたいのなら、堂々と(3連休の日)を年に3回ほど作ればよい。

誰が決めたのか知らないけれど、あまりにもやることがセコイ・・・。

 などと怒ったりしているのは腰の調子が戻ってきたからだろうか。

家にこもる日が多いのでテレビをよく見る、とは前回に書いた。

正月は(ローマ人の物語)を見たし、今週は(奇跡の映像 よみがえる100年前の世界)を見て、いろんなことを考えさせられた。

 そういえば、鎌倉大明神の(またいらないモノ買っちゃったよ)も戻ってきた。

去年の9月以降年末まで更新されていなかったので、もうやめちゃったのかなあ?と思っていた。

そうしたら今年の正月明けから堰を切ったように、怒濤の進撃である。

(お勧めサイト)からカンバンを降ろさなくてよかった。

この人のブロッグは頭の体操になるのでこの調子で続いてくれればいいなあと思う。

 今回は(よみがえる100年前の世界)というNHKのBS1で放映された番組のことを書いてみたい。

アルベール・カーン

 こういう名前のフランス人が100年ほど前に歴史に残る写真や映像を写していたということを初めて知った。

 NHKオンラインの能書きには以下のようにある。

20世紀初頭の世界を記録した貴重な映像がパリに残されている。銀行家で大富豪だったアルベール・カーンは、当時開発されたばかりの技術で各国の様子を世界で初めて、72000枚のカラー写真と、100時間に及ぶ記録フィルム(一部カラー)を残した。極めて貴重な映像資料をもとに20世紀初頭の世界を描く9回シリーズ。)

 その9回目、最終回を今夜見た。

1860年~1940年の80年の生涯。

1940年ナチス・ドイツがパリを占領した年に亡くなったという。

 大富豪になって、それが危うくなるまでの1914年~1927年の間、カメラマンや技術陣を擁して世界中で(写真と映像)を撮らせた。

平和主義者で、世界平和のためには異文化を知り合うことが大切だ、という信念があった。

言葉だけでは伝えきれないものを写真と映像で伝えようとした。

戦争と平和

 アルベール・カーンの残した記録はヨーロッパに留まらず世界、特に日本やヘトナムなどのアジアの国々にとっても貴重な記録となっている。

しかしやはり第一次世界大戦の凄まじさを物語る部分が圧倒的だった。

(西武戦線異常なし)の舞台となった西武戦線の塹壕での模様。

男たちを兵士としてかり出された後に残る女、子供、老人たち。

すさまじい砲撃による都市の破壊のありさま。

第一次世界大戦では800万人の兵士が死んだという。

 9回のシリーズを一週間で放映した。

それを見続けているうちに、(戦争と平和)という言葉を思い出していた。

トルストイは小説でそれを描こうとした。

カーンは写真と映像で(戦争と平和)を描いているなと思った。

それも全てドキュメンタリー、ノン・フィクションで。

 兵士たちの戦闘シーンよりも、戦闘以外の時の有り様が写されている。

元気な男たちが兵士にかり出されて働き手を失った農村の荒廃ぶりが写されている。

平和の側から戦争が写されている。

 我が家のカメラマン助手も番組の全て、9回を全部見たようだった。

一枚一枚のカラー写真の色合いが素晴らしくて何か刺激されるものがあるようだった。

(ふうてんアーカイブス)

2008 冬 多摩地区からの富士山

モノレールから

Monorail_1 Monorail_2  

 

 

 

 

 

 

 

駅のポスター

Eki_1 Eki_2

 

 

 

 

 

 

 

立川富士見別荘

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2008/01/06

2008・1・6 62歳にとって腹筋と背筋とは何か?篇

お節料理Sanshu  

 毎年寝正月なのだけれど今年ほど本当の寝正月は珍しい。

ほとんど(寝たきり老人)となって、寝室と自室を往復し、たまにビールとお茶を求めて一階へ降りた。

 自宅に籠もっているとあんまりやることもない。

自然、朝からビールを飲んでテレビを見たりインターネットを覗いたり、という次第で、テレビはずいぶん見たと思う。

コマーシャルにうずもれた民放はほとんど見なかった。

どうしてもNHKのドキュメンタリーものが中心になる。

 皇居に残る森というのは初めての映像で興味をひいた。

吹上御苑と呼ばれるところがこんな人知れない森林であったとは知らなかった。

皇居の西側の大半を占める部分で、昭和の初期までは9ホールのミニゴルフ場もあったらしい。

中国への介入が始まった頃、昭和天皇が(もうゴルフはやめた)と云われて、それまであった自然林に加えて武蔵野の代表的な木々を植え始めたという。

 最近、年に一回だか一般に公開されるらしい。

面白かったのは、手入れは丹念に行われているのだけれど、落ち葉や倒木は一切外へ持ち出さない、という鉄則を守っているという話だった。

だからいろんな植物や昆虫や鳥類にとっては東京では稀な天国となっている。

ひょっとしたらワシタカ類もいるのではなかろうかと思わされた。

 京都の御所のある御苑にも同じようなことが言えるようで、ただコチラは最近妙な迎賓館のようなものが出来て自然はかなり失われたと聴く。

ふうてんも数年前その工事現場を垣間見て、いや~な感じがした。

残念だなあ、俺たちは無力だなあ、と。

京都は天皇がいなくなって、守るのは大変だとも思った。

 あと一つ記憶に残る番組があった。

やはりNHK総合テレビの(イチロー)だった。

中で、私生活の一部も映されていた。

面白かったのは、朝昼兼用の食事が、結婚して7年間ずっと(カレー)だけ、という話だった。

ゆみこ夫人(この人は以前TBSの深夜番組で(教えてア・ゲ・ル!)という番組を持っていてふうてんはファンだった)の作るカレーを食べるのである。

そしてイチローくんが言うのですね。

(7年間昼飯はカレーだけというのは変ですかねえ。僕はシンプルなものが好きなんです。カレーにトンカツがはいっているなんてのは信じられない)

このセリフを聴いてふうてんはますますイチローが好きになった。

 正月の前後10日間ほどそういう具合に(寝たきり老人)を楽しんだ。

三が日が終わって4日にラガーマンと新年会をやるため外へ出た。

今日6日に繁寿司へ行った。

結局10日間で外へ出たのはこの2日だけだった。

 おかげで腰の痛みはやっとなくなった。

今日は夕刻繁寿司へ出向く前にロシナンテを引っ張り出した。

ロシナンテは嬉しそうに、快調に走ってくれた。

国立技工さんの口癖(どちらが先かなあ?)を思い出した。

ラガーマンとの新年会

 どちらも年末体調を悪くしていた。

どうしますかねえ?と電話して1月4日に新年会をと決めた。

 4日になって念の為チャリでいろんな店を確かめてみた。

やはり4日は無理だったようで、約束した(桜 さくら)も休んでいた。

他の店も休んでいるところが多かった。

チャリで流しながら、そうか俺はそんなことも知らなかったんだ、店で客を迎えるには材料の買い出し、下ごしらえ、いろいろ準備がいるよなあ。

休みは三が日で翌日からすぐに店が開いてもいいと思っていた。

けど考えてみれば市場だって三が日は休みのはず。

・・・・

 苦笑いしながら二人で(桜)の前で落ち合った。

幸い、開いている店もあり、国立駅の二階にある店へはいった。

考えてみると二人は同い年で一月生まれであった。

1946年の1月生まれ、つまり62歳の誕生日が近い。

席について、

(先生、2日生まれだったっけ?)

(いえ、3日ですよ)

(3日でしたか、2日よりめでたい感じですねえ)

などとエビスの樽生ビールを飲みながら話が始まった。

(62歳になりましたねえ)

(どう腰の具合は?)

(どうもいけません)

(腰を支えるのは腹筋と背筋らしいよ、なんかやってる?)

(な~んもやってません、腹筋と背筋いうの他の人にも云われました)

(クシャミやセキが続くと体のあちこち痛くなるのよね)

(ラグビーやアメフトで若い頃鍛えていてもそうですか~?)

・・・・

 1月の3日生まれと5日生まれが、4日に新年会をやったことになる。

大阪の御堂筋で生まれ、京都を経由して国立まで流れてきたラガーマン。

四国の伊予で生まれ、京都で途中下車して国立まで流れてきたふうてん。

20年ほど前、引き込まれるように繁寿司で出会った。

 この国立駅の店の魚は大半が気仙沼からのものだった。

だから4日に店をやれるのかもしれないなと思った。

築地市場とかではなく決まったルートで仕入れているに違いない。

中で(かきのてんぷら)というのが目についた。

フライではなくテンプラ?

カキに目のないふうてんは一も二もなくそれを注文した。

これは当たりだった。

おかわりまでしてしまった。

 再会を約して別れ、ふうてんは書簡集へ向かった。

(ふうてんアーカイブス)


2008 正月 国立

我が家のお節料理

自室の机でOsechi  

 

 

 

 

 

 

 

 

エビと

Ebi

 

 

 

 

 

 

 

 

数の子とKazunoko  

 

 

 

 

 

 

 

  

カマボコとKamaboko  

 

 

 

 

 

 

 

  

オアシスキーボードとOasys  

 

 

 

 

 

 

 

 

正月の大学通り

冬の国立は車が主役?Daigaku_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

あとは何も無いDaigaku_2_2

 

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