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2007年12月に作成された記事

2007/12/30

2007・12・30 師走の東京風景篇

神楽坂のぺこちゃんFujiya_1  

 この一週間、腰の具合が悪くほとんど家を出なかった。

20年以上付き合ってきたギックリ腰だけれど、一週間以上も治まらない、ということは初めての体験である。

(歳のせいやねえ)という言葉に反論のしようがない。

 予定していた忘年会を失礼したりしていたのだけれど、木曜日に少し無理をして(神楽坂 山田塾)に出かけた。

一か月前、咳風邪で欠席したので今回も休むと何を云われるか分からない。

(日頃の不摂生のたまものよ)

(自堕落な生活してるからなあ)

などなど、酒の肴にされるに違いない。

 時間に余裕があったので、師走の東京を見てみたいと思った。

新宿、渋谷、どこにしようかと迷っているうちに、何となくお茶の水に降りていた。

明治大学のある坂道を下って、神田の神保町にたどりついた。

いつものように本を買い求める人たちで一杯だった。

三省堂の裏にある(タンゴ喫茶 ミロンガ)も健在だった。

この店は高校2年生のときに来た(東京で最初の喫茶店)なのである。

あれからもう45年くらいになるのだろうか。

 お茶の水から2つ目の飯田橋まで引っ返して山田塾へ向かった。

やっぱり無理をして出て良かったなあと思った。

久しぶりに12~3人の賑わいだった。

 今回は2007年最後でもあるので少し今年を振り返ったり、書き残したことを書いたりしてみたい。

与野党逆転と食品偽装と

 今年はふうてんにとってこの2つが大きかった。

民主政治というのは政権与党が10年くらいで交代する、というのが健全だとふうてんは思っている。

その為に選挙はあるのだと思っている。

 あるグループにやらせてみる。

ダメなら別のにやらせてみる。

それを選ぶのが選挙であって、それの主役は勿論国民である。

政治家や官僚は(公僕)であって、そういう仕事を国民に任されてやっているだけの立場だと思う。

 金儲けしたい、とか芸術の仕事をしたい、とか技術や医学や科学の仕事をしたい、とか他の普通の仕事でやりたいことがない人たちが政治家や官僚を目指す。

もともと自分でやりたいことがないのだから、権力を持って他人を支配する、という誘惑に一番弱いタイプの人々だと思う。

そういう人たちに長く同じ立場に留まらせては危なくってしようがない。

 日本では戦後60年以上ほぼ、今の自民党の独裁だった。

これは民主主義国家とはいえないと思う。

そういう日本で、今年の夏はじめて本格的な与野党逆転の選挙があった。

ふうてんはこれまで一度も与党に投票したことはない。

選挙の意味は与野党逆転にしかないと思って一票を投じてきた。

残念ながら権力を持つと必ず人は腐敗する、と思っているからである。

 参議院で与野党逆転してからの国会の有り様を見ると、やはり政権交代は必要だなあと改めて思わされる。

 日本はまだちゃんとした一人前の独立国にはなっていないような気がする。

年金問題は、福祉をどう考えるかという問題だと思う。

一人でちゃんと生活できなくなる老後をどうするか、という問題。

それに対してみんなでこういうシステムにしようよ、という合意ができていない。

 国防については、岩国や沖縄や厚木にあるアメリカ軍の基地。

アメリカ本土には戦闘機の発着する基地はない、という。

もし近くに住んでいる人がいればあんなものうるさくってしようがない。

多摩地区は厚木からも近いのでたまに戦闘機が飛ぶ。

千歳でも聴くけれど戦闘機の爆音はもの凄く、生活圏で出すべき音じゃあない。

アメリカ国民はそれをよく知っていて、アメリカの中では戦闘機は発着を許されない。

白川静さんが亡くなる前に新聞のインタビューに応えていた。

(外国の基地があり、それで守られている国、それは独立国といわず保護国というんです)

 そして食品偽装問題。

(赤福)はふうてんも関西帰りのおみやげにいつも買っていた。

(白い恋人)は札幌への出張のおりこれしかないと買っていた。

その二つとも怪しげなことをしていたという。

 やっぱり、残念ながら長く、清く正しく続けるのは難しいのだろうか。

(ふうてんアーカイブス)

2007 年の瀬 東京

神田神保町の古本屋Jimbocho_1  

Jimbocho_2  

 

 

 

 

 

 

アルゼンチン・タンゴの店ミロンガMironga_1 

 

 

 

 

 

 

 

ミロンガ2Mironga_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

神楽坂山田塾

ぺこちゃんもお正月Fujiya_2  

 

 

 

 

 

 

 

山田御大と若いのOntaideshi  

 

 

 

 

 

 

 

 

山田御大とサンダース鬼軍曹

Ontaigunso

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2007/12/23

2007・12・23 年の瀬になってしまった篇

クリスマスPhoto  

 今年もあと1週間となった。

咳風邪で痛めた腰の具合がおもわしくない。

風邪をひいて咳をしてそのせいで腰が痛くなる。

まるで(風が吹けば桶屋がもうかる)ではないか。

あれも風だけれど・・・・。

 今年の特徴の一つはやはり気象異常だったと思う。

特に暑くて長い夏・・・8月、9月と全く頭が働かなかった。

今日も繁寿司へ出かける前に庭師と話すと、まだ夏の花が咲いているという。

霜も今年はまだ一度しか降りていない。

空気は結構冷たいのにねえ、なぞと話しながらチャリで繁寿司へ向かった。

 途中、ギャラリー(えそら)で開かれている絵ハガキ展を冷やかした。

嵐山光三郎とか滝田ゆうとか南伸坊とか山口夫人の名前も見える。

一点2万円から5万円くらいの値段表示がある。

(芸術はお金ではない)という考え方もある。

しかし、ふうてんは若い頃、故郷の茶人だったおじちゃんに聴いた説を信じている。

おじちゃんは骨董でなりわいを立てていた。

(骨董は、コレはナンボと金額で言わないといけない。それが公平な評価なんよ。)

と言っていた。

物の値打ちを金額で表すことは決して失礼なことではないと思う。

物、というのはもう変化しないのですね。

だから、これはナンボと値をつけてもいいし、それで売り買いしてもいい。

(人の心だってお金で買える)

と言った御仁がいる。

これはちょっと違うんじゃないかなあ、なんてこともついでに思い出した。

 繁寿司は山口夫人と我々の三人だった。

もう今年お会いできるのは今日で最後となりますね、なんて話になる。

築地は28日でセリが終わって、市場は30日までだとか。

正月明けは5日かららしい。

じゃあ来年6日の日にお会いしましょう、ということで夫人をお送りする。

 繁さんの店に、昔のお店と若い頃の繁さんを描いた小さないい絵が掛けてある。

昔のお店の写真も、お店シリーズということで今は掛かっているのだけれど、上手な人が描いた絵は写真よりも多くのことを語っているような気がする。

なかなかいい絵なので繁さんにカメラで写してブロッグに載っけていい?と聴くと、目でダメですと応えた。

(ふうてん老人日記=繁寿司日記と云われるんだけどなあ)

と負け惜しみを言って、寒風のなか女房とチャリで家路に向かった。

 今回もウェスト・サイド物語のことを書くことにならなかった。

作曲者のレナード・バーンスタインのことを思い出して少しクラッシックづいている様子は次回以降に報告することにしよう。

(ふうてんアーカイブス)

2007 年の瀬 富士山とクリスマスのイルミネーションと

富士山

やっぱりねえFuji_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

富士山いいねFuji_1  

 

 

 

 

 

 

 

 

確かにねFuji_2  

 

 

 

 

 

 

 

イルミネーション明るいのPhoto_2

 

 

 

 

 

 

 

 

イルミネーション暗いのHikari  

 

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2007/12/16

2007・12・16 ウェスト・サイド物語を見た篇

どないもなりまへんPc162713  

 三鷹の映画上映会も一区切りついた。

10月は(荒野の七人)、11月は(大脱走)、そして12月は(ウェスト・サイド物語)だった。

主催者によるとしばらく、半年ほどはお休みにしますとのこと。

 黒澤映画全30本上映、ということで通った。

知らなかったのだけれど、その前には小津安次郎全作品上映会もやったという。

主催者の挨拶を聴くうち、ウェスト・サイド・ストーリーが始まった。

 今回は6時からの上映時間までちょっと余裕があったので、三鷹の隣の吉祥寺を冷やかしてみた。

国立のオーディオ・ユニオンがなくなって、吉祥寺にあるその店で、あるスピーカーの音が聴けるかもしれないという期待を持って。

 吉祥寺は数年ぶりだった。

冬のボーナスが出た最初の週末のせいだろうか。

街は人であふれていた。

オーディオ・ユニオン

 国立駅に以前はオーディオ・ユニオンとディスク・ユニオンがあった。

オーディオ・ユニオンは中古のオーディオ製品も扱っている。

リスニング・ルームもあり、冷やかしなのだけど、ずいぶんいい音を聴かせてもらったものだった。

 ビデオ機器なども扱っていて、ビデオ・テープ(Hi-8)はその店でずいぶん買った。

10年近く前にその店はなくなった。

残念だなあと思って調べると国立から電車で20分ほどの吉祥寺にある、ということを知り安心していた。

 今回初めてその店を確認に行ったわけである。

グレン・グールドのベートーベン

 店は一階がオーディオ・ユニオン、2階、3階がディスク・ユニオンだった。

入り口の看板に(Jazz&Classic,Audio)とある。

ジャズとクラッシックしか置いていないのか、と嬉しくなる。

上がってみると2階はジャズ、3階はクラッシックだった。

 3階で当てもなく見ていると、グレン・グールドは特別扱いされていて、小さなコーナーが作られていた。

ふ~ん、と思いつつ見ると、ベートーベンの曲のCDが目についた。

アパショナータ(熱情)があるではないか。

 実はふうてんが大学生の頃はじめてグールドを聴いたのは、ベートーベンの(熱情)だった。

そのピアノの独特な弾き方にまいってしまった。

グールドはバッハ弾きと言われているけれど、このベートーベンの(熱情)一曲だけでもグールドは語れるのではないか、と思った。

 自動車部の部誌に(漱石を猫一作で語れるようにグールドをこの一曲で語ってもいいと思う)なんてことを書いたのを覚えている。

何故そう言えるかというと音楽は時間の芸術であり、グールドは独特のタイムの感覚を持っているのですね。

だからどんな曲を弾いても一聴してグールドと分かる。

 このCDを買って、気分よく1階のオーディオ・ユニオンへ向かった。

タンノイの30Cm

 10年ほど前、よく通っていた国立駅前の(そば芳 そばよし)の主に、タンノイの30センチのスピーカの音を聴いてから死なないとダメですよ、と言われたことがずっと気になっている。

国立のオーディオ・ユニオンでは聴かせてもらえなかった。

それで吉祥寺店で、ひょっとして、と期待していたのであった。

 ありましたねえ、その30センチのが。

手持ちのCD聴かせて貰えます?と聴くと、そりゃそうですよ、いつも家で聴いているのを聴かないと比較できませんもの・・・。

そういやあ、さっきグールドのCDを買ったなあ。

コレ、かけて下さい。

 まだ(家で)聴いていないCDなので比較はできなかった。

しかしタンノイというのは想像通り自然な感じの音がした。

ボーズのような(作った音)の対極ではないのだろうか。

その自然な音を出す為には、大きな口径のスピーカと重々しいエンクロージャを必要とする。

ウン、このくらいなら6畳、いや8畳くらいの自室でも大丈夫かなと思った。

 唯一の問題は値段ではないか、という現実的な意見もある。

ウン、それは確かにその通り、今日は値段を確かめるだけにしよう。

ウン、タンノイで聴くグールドのベートーベンも悪くない。

と気分よくオーディオ・ユニオンを出たのであった。

 三鷹市芸術文化センターで見た(ウェスト・サイド物語)を書くはずだった。

その前の吉祥寺で足止めを喰ってしまった。

映画の話は来週にさせてもらおう。

(ふうてんアーカイブス)

2007 初冬の武蔵野

府中競馬場もクリスマスKeiba_1  Keiba_2

 

 

 

 

 

 

 

タンノイの30センチ(月光) 

 

Tannoy_2 Tannoy_1 

 

 

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2007/12/10

2007・12・9 寒風が吹きはじめた篇

コナラの落ち葉Kareha_1  

 

 暑い、寒いの(二季)の寒い季節が始まった。

このごろの挨拶は(寒いですねえ)になってきた。

この間までは(暑いですねえ)で大汗をかいていた。

会う人ごとに、今年は秋が短いですねえという話になる。

繁寿司へチャリで向かうとき、電話したら、風が冷たいですから、と繁さんの女房どのに言われた。

 ボヤボヤしているうちにもう今年も残り少なくなった。

金曜日に(四騎の会 秋冬篇)を府中でやった。

ふうてんより5歳下の後輩の新しい会社での仕事が話題になった。

9月に今までの会社から移って3か月。

東南アジアから来た若い人たち16、7人を束ねて携帯電話の開発を手伝っているらしい。

 この後輩は、ふうてんたちがパソコンで大騒ぎしていたときはアメリカへよく行って貰った。

当時はやはりアメリカ抜きには仕事が進まなかった。

ある日、事務所で机の上に足を投げ出して、コロラド州デンバーにある会社の社長さんと英語で電話をしていた。

アメリカ映画によく出てくるあのスタイルで。

 そういう時代に鍛えられた(英語でのコミュニケーション能力)が今度の仕事でも活きていることになる。

中国の人や東南アジアの人などアジア人どうしで付き合うときの共通語は英語である。

アジア人どうしだと英語は共通語で(お互いに下手だよね)という暗黙の了解がありブロークンでも平気なのですね。

 それにしても、と時代の移り変わりを考えさせられた。

携帯電話。

アジア人とのつきあい。

パソコン、欧米人との付き合い、の時代は昔の話になりつつあるなあ、と。

 四騎の会、年に4回ほどそれぞれの近況を報告しつつ杯を傾ける。

今のところみんな結構変化があるのでなかなか面白い。

これをやることにして良かったなあと思った。

(ふうてんアーカイブス)

2007初冬 国立 落ち葉

カメラマン助手の初冬

秋最後の輝き3woods_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

シロとクロ3woodsshiro  

 

 

 

 

 

 

 

 

冬の光Pc022664  

 

 

 

 

 

 

 

コナラは茶色となった

落ち葉Kareha_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒヨドリ 

Hiyo_1

Hiyo_2  

 

 

 

 

 

 

 

メジロMejiro

 

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2007/12/02

2007・12・2 ゆく秋を惜しむ篇

今朝のコナラAki  

 風邪がはやっている。

一週間前の日曜の夜に風邪が発症し、月、火と臥せっていた。

29日の木曜日は神楽坂の山田塾があったのだけれど、巷の夜風に耐えられそうもなく、久しぶりに休ませてもらった。

 12月というのは国立では(地獄)の始まりである。

国立を愛した山口瞳さんは、国立のことを、4月から10月は天国、11月から3月は地獄、という風に書かれていた。

 11月から3月は地獄、というのはオーバーにしても、確かに12月から2月くらいまでの国立は、緑もなく、花もなく、冷たくて、ただ空っ風が吹き抜けるだけの町になる。

 これが日本海側の町だと、しんしんと雪が降る、というような風情になるのだろうか。

太平洋側の、日本列島の山脈の東側、は雪が降らない。

雪を落として乾燥した西風、北風が強く吹くばかりなのである。

 そういう関東の地、東京の多摩地区での冬の楽しみはただ一つ。

富士山である。

関東のバカッ晴れと名付けたように、これからしばらくは天気予報を見る必要がない。

毎日晴れに決まっている。

ただ雨や雪はまず降らないのだけれど、曇ることはままある。

晴れても、風がないと空気が淀んでいたりして、富士山がクッキリと見える日はそんなに多くはない。

珍しく雨が降った翌日、それも風がヒュンヒュン鳴っている日の朝。

そういうときの富士山は真っ白の素晴らしい姿を見せてくれる。

 やはりまだ頭が風邪に侵されているようだ。

フワフワとして何を書いているのか分からなくなった。

あとは(ふうてんアーカイブス)に任せることにする。

隠宅の方丈の庭での(ゆく秋を惜しむ)風情を御覧ください。

(ふうてんアーカイブス)

2007 晩秋 国立 方丈の庭

ドングリが落ちきった

庭師はタイミングを見計らっていたDonguri_1_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

シロもShirodonguri  

 

 

 

 

 

 

 

 

クロもKurodonguri_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

庭師と一緒にドングリを片付けた

Donguri_last

 

 

 

 

 

 

  

コナラも紅葉するKonara_3  

 

 

 

 

 

 

 

   

もう一つKonara_2_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

メジロ、声はすれど姿は見えず

Mejiro_2  

 

 

 

 

 

 

 

シロの食事を2階から

Shiro  

 

 

 

 

 

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