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2007年9月に作成された記事

2007/09/24

2007・9・23 暑さ寒さも彼岸まで篇

谷保天の秋祭りMatsuri 

 暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものだと思う。

9月になっても30度以上の猛暑が続いていたのに、秋分の日を境にピタッと涼しくなった。

 今週は一ついいことがあった。

いつも浮かんでくる一つのメロディがあるのだけど、その曲名が分からないまま、この数年が過ぎた。

その曲名が思わぬところで分かったのである。

 金曜日、近くの集会所のようなところに提灯が掲げられ、笛や太鼓の音楽が流れていた。

秋祭りが始まったなと、詰め所に近寄って聞いた。

(谷保天神で何か催しをやるんですか?)

(我々の、各町内のみこしは、ぜ~んぶ谷保天へ集まるんですよ)

(そうなんですか・・・・)

国立へ引っ越して30年近く、毎年秋には祭のみこしが出るのに、知らなかった。

よそ者、流れ者意識で生活し続けてきたのだろうか。

 今週はそんなことについて書いてみたい。

花咲く旅路

 新しく開発したパソコンの(商品説明会)で全国行脚していたころ、JRの新幹線の駅で、ゆったりとしたいい曲が流れていた。

勝つか負けるかの(戦争)のようなビジネスの渦に捲き込まれていたふうてんに、その曲の柔らかな優しいメロディがしみこんできた。

 確かサザンオールスターの原由子が歌っていたのではなかったかしら、という印象はあった。

去年あたりから、この曲のメロディが浮かぶたびに、グーグルに聴いていた。

しかし、原由子といっても実に多くの歌を歌っている。

どの曲なのかサッパリ分からない。

 それでも諦めずに探っているとYouTubeHanasakutabijiというのが紹介されていた。

へえ~?と思って、クリックした。

そうしたら何と、懐かしいメロディが聴こえてきたのだった。

作詞作曲は桑田佳祐なのだけど、歌詞の一部を引用させてもらおう。

鈴なりの花を摘み
吹く風に夏を知る
おだやかに
ああ おだやかに
 ぼんやり遠くをながめてる 

はるかなる空の果て 
想い出が駆けめぐる 
なだらかな この なだらかな 
名前さえしらない 坂だけど 

咲く紫は 旅路を彩どる

 YouTubeの映像はいつまで見られるか分からないけれど、さっそく(お気に入り)に登録し、ときどき聴きなおしている。

この曲は1991年にリリースされたのだけど、

1978年 いい日旅立ち

1983年 戦場のメリークリスマス

と曲想が似ているように思えてならない。

谷保天満宮例大祭

 みこしが集結する、と聴いて土曜日に谷保天神へ出向いた。

涼しくなった5時過ぎ、境内はまだ静かだった。

夜店が参道に並び、いつもの縁日のような風景だった。

 帰ろうとして谷保駅の方へ向かう通りへ出た。

向こうの方から数台の(みこし)がやってくるのが見えた。

みこしと共に、3台の大きな太鼓を乗せた車もひかれてきた。

いずれも谷保天神に奉納するために集結したようだった。

 太鼓は子供たちに牽かれていた。

ドンドンドン、ドンドンドンという平坦なリズム。

ドン、ドドン、ドン、ドドンという変調が加わる。

黒澤明の(七人の侍)のタイトル・バックの音楽そのものではないか!!

それを子供たちが、何気なく、無意識に奏でている・・・。

 鎮守の森とピーヒャララの笛、太鼓。

谷保村にはまだそれが残っている、と思った。

(ふうてんアーカイブス)

2007 秋 谷保天満宮例大祭

谷保天満宮Yaho_1  

 

 

 

 

 

 

 

境内の坂道Yaho_2  

Yaho_22  

 

 

 

 

 

 

出番を待つみこしYaho_3  

 

 

 

 

 

 

 

獅子Shishi_2  

 

 

  

 

 

 

太鼓 1Taiko_1  

 

 

 

 

  

太鼓 2Taiko_2  

 

 

 

 

 



太鼓 3Taiko_3  

 

 

 

 

 

 

みこしMikoshi_1  

Mikoshi_2  

 

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2007/09/16

2007・9・16 チャップリン自伝のこと篇

我が家の無声映画(猫の生活)Neko 

 

 今日は晴れたのだけど妙に蒸し暑く、外へ出る気がしなかった。

夕刻、日が傾いてからロシナンテで出かけてみた。

空気は涼しくて、西日がチラチラとする桜通りはなかなか良かった。

 繁寿司には山口夫人の姿が見えなかった。

いつもの席に豊田さんがいた。

(何なんでしょうねえ、このところの政局は?)

(角福戦争の再現ですなあ)

(角福戦争?)

(だって小澤一郎は角さんの一の子分でしょう?)

(そうでしたねえ、確かに)

・・・・

 今年の夏はともかく蒸し暑かった。

その日を過ごすのがやっとで、映画も音楽も本も殆ど用がなかった。

秋風が吹き、ちょっとだけ風が涼しくなったとき、懐かしい本に出会った。

今日はそのことを書いてみたい。

チャップリン自伝

 先週、国立の増田書店を冷やかしていると(チャップリン自伝 新潮文庫)が平積みされているのが目についた。

オヤッ?と思って手にとると、(-若き日々)という副タイトルが付いている。

そうだよなあ、あの分厚い単行本が一冊の文庫本になるはずないよなあ、と、あとがきを読んだ。

訳者の(中野好夫)がそのいきさつを解説していた。

 (・・・以上は1966年秋に刊行された(チャップリン自伝)につけたあとがきである。今度~社から最初の1/3にあたる部分が(My Early Years)のタイトルで出版された。これを機会に新潮文庫でもチャップリンの(若き日々)を出版したいというので・・・。)

(1981年3月 文庫本あとがき)

 1966年といえばふうてん20歳のときである。

確かにそのころ夏休みにこの本を買って読んだのを覚えている。

やけに分厚い本だったのでかなり高価だったのではないかと思う。

その本の一部が1981年に新潮文庫になり、ふうてんが今回買った本は、今年の3月発行、39刷とある。

39刷?

かなりのロングセラーなのだろうか。

見解の相違

 チャップリン自伝を買って、夏休みに伊予の家で読んでいた。

オヤジさんがそれを見て、何を読んでんだ?みたいな会話になった。

(チャップリン自伝)というタイトルと共に、分厚い本であることをオヤジさんは知ったようだった。

(下らん本を読んでいるなあ)と唾棄するようにオヤジさんは言った。

 学生は勉学すべし、という固定観念にとらわれていたオヤジさんにしてみれば、喜劇王チャップリンの自伝、それも高価な本をスネかじりの身の息子が夏休みにノホホンと嬉しそうに読んでいるのが我慢できなかったに違いない。

 明治生まれで、20年前まではアメリカと戦争していたオヤジさんにしてみれば、ハリウッドの(喜劇王)チャップリン?

とんでもない、となる。

 しかし、ふうてんにも納得できないものがあった。

そもそも(映画)には子供のころバスに乗って何度も松山まで見に連れて行かれたのではなかったろうか?

ディズニー映画とかゲイリー・クーパーとかイングリッド・バーグマンとかデボラ・カーとかは小学生時代にオヤジさんに連れて行かれて覚えたのではなかったかしら?

 マジメな映画は良くて、喜劇はよくないのだろうか?

う~ん、これは(見解の相違)というやつやなあ。

 ま、6年前国立の自宅であの世へ行くまで、オヤジさんにはチャップリンの魅力、チャップリン映画の凄さは分からなかったと思う。

お坊ちゃん育ちで、酒もたばこも一切やらなかったオヤジさんに、浮浪児姿で道端のシケモク拾って喜んでいる(チャーリー)は理解不可能だったのかもしれない。

中野好夫という人

 文庫本のカバーを見て驚いた。

訳者 中野好夫(1903-1985)

愛媛県松山市生まれ。

とある。

 ええ~っ、彼は松山出身だった?と本当に驚いた。

念の為グーグルに聴くと、ウィキペディアが、3歳まで松山にいて、その後徳島、京都、東京へ行ったと教えてくれる。

 中野好夫はふうてんにとっては(アラビアのロレンス)という本で印象に刻まれている。

この本も大学生のころ読んだのではなかったろうか。

勿論、映画の(アラビアのロレンス)を見て、ロレンスのことを知りたくなり、あれこれ探しているうちに岩波新書の(アラビアのロレンス)を見つけ、さらにロレンスに対する興味を掻き立てられたのだった。

この本は名著だと今でも思う。

 アラビアのロレンスことT.E.ロレンスには自身の著作(智恵の七つの柱)というのがある。

中野好夫もそれを完訳したい、という希望を持っていたとも聴く。

しかし彼は訳するよりも(評伝)のような形で自分のロレンス像を一冊の本にまとめた。

 ふうてんはその当時(智恵の七つの柱)を原書で買っている。

それをいつかは初めから終わりまで読み通してやろうと、ベッドのそばに置いている。

もうページは茶色になって老眼には読み取りにくくなっている。

分かりにくい英語で書かれているのだけれど、まだ読み通すことを諦めてはいない。

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2007/09/10

2007・9・9 台風一過篇

落ちたドングリDonguri_4 

 台風が来て、去って行った。

この数年、この10年くらい、妙に(東京直撃)の台風が来る。

九州、四国が(台風銀座?)であることに変わりはないけれど、このところ迷走台風が多く、日本列島を縦走したり東京を直撃したりする。

 台風一過のあと、また暑さが戻ってきた。

土曜日には竹本住大夫の(夏祭浪花鑑 なつまつりなにはかがみ)を聴きに、ラガーマンを誘って国立劇場へ行ってきた。

 初めての演目というのは様子が分からず中々没入できない。

今回は住大夫さんが登場して10分か15分くらいで睡魔に襲われた。

目覚めるともう住大夫さんは終わっていて、次の演者が謡っていた。

ストーリがサッパリ分からないまま終わりを迎え、あとでラガーマンからいろいろ筋の解説を受ける始末。

 夏バテのせいなのか酔いのせいなのか、今回は80歳を過ぎた住大夫さんに申し訳ないことをしてしまった。

(おこるでホンマに、何しにきたんや)

と、しわがれた住大夫さんの声が聴こえてきそうだった。

 四谷から中央線で国立にたどり着き、まだ営業の始まっていない(桜)に入れてもらった。

話すうちにラガーマンが、

(ところでアナログとデジタルは何が違うの?)

というややこしい質問をするので、またぞろ夏バテがぶり返し、ビールやら日本酒やら焼酎やらを飲んだのだけど、どういう話になったのかは定かでない。

(ふうてんアーカイブス)

2007 9月 台風一過

多摩川の増水Tamagawa_1   

 

 

 

 

 

 

フジが実をつけコナラはドングリをDonguri_2 

Donguri_1 

 

 

 

 

 

 

台風が去ったあとの庭Donguri_3   

 

 

 

 

 

 

 

国立劇場小劇場Bunraku_1 

Bunraku_2 

 

 

 

 

 

  

台風一過の青空Bunraku_3 

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2007/09/02

2007・9・2 男にとって日傘とは何か?篇

カルガモの湖?Kamo  

 今年の8月は毎回(暑い、暑い、熱い)とばかりこの日記に書きつけた。

8月1日の梅雨明けからの暑さはまことに異常だった。

東京でもこの一カ月間で35度以上の日が18日くらいあったと聴く。

 昔エリザベス・テーラーの主演した(熱いトタン屋根のネコ)という映画があった。

今年の夏はこの映画の題名を思い出させる。

ネコちゃんは素足だから熱しきった金属のトタン屋根を歩くとさぞ熱いだろうと、この題名は、いてもたってもおられない状況を伝えている。

英語の原題は(Cat On a Hot Tin Roof)であるとグーグルは教えてくれる。

Tin(ブリキ)というのが効いていて、アッチッチチと足がモゾモゾしそうな題名。

 この暑い夏に、生れて初めての体験をした。

出先で、昼食の時間、近くの食堂まで歩く時のことだった。

体温に近い温度の中、アスファルトの照り返しに加えて太陽の直射熱。

12時過ぎとて、太陽の光は真上からサンサンと降り注ぐ。

(待てよ、男が日傘を差したら笑われるのだろうか?)

・・・・。

 驚きましたねえ。

大きな雨傘(70Cm)を堂々と差して歩いてみたのである。

雨が降っていない時に傘を差すのは初体験。

それが実に効果的なので驚いた。

 日除けの帽子をかぶるくらいなら、傘を差す方がよほどマシだと思った。

大きな傘を差せば、全身が陰に覆われる。

(移動する日陰)という次第。

女性にとっての日傘は(肌を太陽から守るため)かもしれない。

しかし野郎どもにとっての日傘とは(命を守るためのもの)だと思った。

 後でグーグルに(男の日傘)と聴くと15000件くらい出てきた。

10年くらい前から、はやり始めたらしい。

結構な値段(1万円以上)のオシャレなデザインのものもある。

需要と供給の経済原則がここでも適用されているようである。

 温暖化から身を守るためのグッズの一つ。

それが(男の日傘)であることを今年知らされた。

外回りの仕事の諸氏には是非お勧めしたい一品である。

恥ずかしい、男が日傘なんて、と言っているバヤイじゃございません。

 いやなに、透明のビニール傘ではない500円の大きな傘であればよろしい。

(ふうてんアーカイブス)

2007 夏 レンタル・サーバ不調の梅雨時、大学の池

カモが向こうから来て

Kamo_1  

 

 

 

 

 

 

 

二人で踊ってKamo_2  

 

 

 

 

 

 

 

去っていった

Kamo_3

 

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