« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月に作成された記事

2007/06/26

2007・6・26 夏至も過ぎて篇

多摩川の支流秋川Akikawa_1  

(夏至も過ぎて)と書き始めた日曜日、途中まで書いて疲れてしまった。

週に一回の(ふうてん老人日記)も書くには気合がいる。

繁寿司から帰って書き始めたのだけど、クシャミが出たりして結局日曜日には書けず、昨日月曜日は臥せっていた。

 途中まで書いた日記は以下のようだった。

 今年は6月の22日が夏至だったという。

夏至?6月?梅雨のころに?

と、今さらながら不思議な感じがする。

 夏至って何だっけ?とグーグルに聴いた。

北回帰線とか南回帰線とかいう言葉が出てくる。

ヘンリー・ミラーにそういう小説があったなあ、というぐらいなことは思い出す。

しかしその言葉の意味を今回初めて知った。

 北回帰線と南回帰線を太陽は往復する、というのですね。

日本では春分と秋分のときに太陽が真東から登り真西に沈む、ということも初めて知った。

春分のとき以降、太陽は真東より北側から登る、とウィキペディアは教えてくれる。

・・・そうだったんだ、それで北側のふうてんの部屋にもこの頃朝の光と夕刻の光が煩わしいほどに差し込む理由が初めて分かった。

・・・。

 ここらへんで力尽きて日記の更新はできなかった。

今日火曜日になって少し元気が出たので少し書いてみたい。

瞳さんと

 繁寿司で山口夫人と最近出版された本の話題になった。

(瞳さんと 小学館)という本で、繁さんが先週わざわざ隠宅に届けてくれたのであった。

勿論山口夫人のサインがちゃんと書かれていた。

1/3ほど読んでいるのだけれど面白くて読み終わるのが勿体ない感じがしている。

 この本には東京に生まれ育って作家の女房になった一人の女の人の(歴史)が詰まっている。

(飛行機なんて椅子に座って空を飛ぶのでしょう?怖くて私にはできません)

とおっしゃる山口夫人の(瞳さんへの恋文)という趣の本に仕上がっている。

 ふうてんが繁寿司でご夫妻を見かけるようになったのは25年ほど前になる。

山口瞳さんが亡くなるまで、いつもお二人は一緒だった。

我々夫婦よりは20歳ほど年上のカップルである。

(こういう風に歳をとるのもいいなあ)

と思った。

 そういうご夫妻の姿がそうさせたのか分からないけれど、ふうてんは一度も一人で繁寿司で飲み食いしたことはない。

女房やらガキやらがいないと(繁寿司での風景)が完結しないのである。

多摩地区のご近所さん

 土曜日に福生(ふっさ)へ出向いた。

ふうてんがパソコン商売に足を踏み入れるきっかけとなった(Logo)というプログラミング言語を通じて知り合った旧友を訪ねたのである。

 昼の12時に福生駅で待ち合わせた。

旧友はルノーの小型車で登場した。

この間まではポルシェ356に乗っていたのだけど、6ボルトを12ボルトに変えるのが大変だと分かって乗りつづけるのを諦めたらしい。

 旧友は栗田さんといってジオデシックという会社を経営している。

趣味はスロー・フライという室内でのラジコン飛行機。

詳細は彼の主催しているブロッグに載っている。

 この友人はもとミュージシャンだった。

ギターが専門で、今でもギターを20本ほど持っているという。

鎌倉大明神もギタリストである。

トランペッターの友人でソフトハウスをやっている人もいる。

どうもコンピュータと音楽は関係があるように思えてならない。

(栗田さんはギターでメシを喰っていたんですか?)
(そうですよ、パソコンをやる前はね)

(アラン・ケイもプロだったそうですねえ、今は自宅でパイプ・オルガン弾いて楽しんでいるそうで)

(パイプ・オルガンは案外簡単に自分で作れるんですよ)

(ええっ?自分で作るんですかぁ?パイプ・オルガンを?)

 友人は初めて福生を訪ねたふうてんをいろんなところに連れて行ってくれた。

国立から西を殆ど知らなかったコチラは目からウロコの連続だった。

ほんの30分ほどのところに、これほど豊かな自然があったとは!!

(奥さんを是非連れてきて下さい)

(ロシナンテでも来られる距離ですね、天気のいい日に来てみます)

(ご近所付き合いでもあるし、何なら久しぶりに仕事でも一緒にやりますか)

(いいですねえ肩の力抜いた、好きなことでね)

 彼はちょっとポール・サイモンに似たような雰囲気がある。

一言でいうとそれは(知的な雰囲気のあるボーイ)となるだろうか。

(ふうてんアーカイブス)

2007 6月 多摩川支流秋川周辺

秋川には多摩川と違った趣があるAkikawa_2  

 

 

 

 

 

 

 

急な流れとAkikawa  

 

 

 

 

 

 

 

ゆったりした流れとAkikawa_3  

 

 

 

 

 

 

 

メダカもいたMedaka  

 

 

 

 

 

 

 

天才アラーキー?Araki_1  

 

 

 

 

 

 

 

ルノーの小型車Renault  

 

 

 

 

 

 

 

Araki4  

 

| | コメント (10) | トラックバック (1)

2007/06/17

2007・6・17 四季がなくなり三季となる?篇

朝もやの桜通りAsamoya  

 今年の梅雨はまことに不思議な始まり方をした。

週末から雨になりそのまま梅雨に突入と構えていた。

木曜日だかに確かに大雨が降り、気象庁は(関東地方でも梅雨入り)と宣言した。

 翌金曜日、うって変わってカラリと晴れた。

(もう梅雨の中休みのようですねえ)

(昨日梅雨入り宣言があったばかりでしょう?)

(明日あたり梅雨明け宣言が出たりして)

土曜日も日曜日も雨は降らなかった。

・・・・。

 梅雨入り宣言の前あたり結構暑い日がつづいた。

異常気象の話はもう止すとして、夏に向かっているなあという実感があった。

夏は子供のころから何となく(お祭騒ぎ)という印象がある。

長い夏休みがあるせいかもしれない。

 小学校から大学まで、6歳から22歳くらいまで(夏は休み)だった。

休みということはすなわち(遊ぶ日々)であった。

小学校の何年生だったか、夏休みの前の日、近くのため池の温かい水面の光を見ながら、ああこれから楽しい夏休みが始まるんだと、ムッとするような草いきれの中思ったことを覚えている。

 この歳になって、夏休みもないものだけど、この(夏はお祭り)という感覚は抜けない。

このところの異常気象で春や秋は明確な形をとらなくなっている。

しかし冬の暗さから夏の明るさに向かう(季節の動き)は歴然と残っている。

・・・・・

どうも一年を四季でとらえると嘆かわしいけれど、三季ととらえれば余り嘆かなくて済むのかもしれない。

名前はまだないけれど三季とは以下のようになる。

第一季 4月~7月  草木が芽吹き太陽が明るくなり夏に向かう

第二季 8月~11月 草木も太陽も盛りを過ぎやがて枯れ落ちる

第三季 12月~3月 ただこの季節が通り過ぎるのを耐えて待つ

 日本の歌人たちはこういう時代にあった(花鳥風月)やら(季語)やらを考案する必要があるのかもしれないなとつい余計なことを考えたりした。

ランちゃんの就職内定祝い

 ランちゃんの就職が内定したというので久しぶりにホストファミリーの食事会をした。

アリアさんもランちゃんも大学院の2年生で何かと忙しいらしい。

それで近くの桜通りの(ロイヤル・ホスト)でのランチ・パーティとあいなった。

 就職先はさる(宣伝・広告)の会社だという。

就職戦線は今年は(売り手市場)だったそうだけれども、それだけに企業は先へ先へと急いで採用を決めたがる。

本命の会社の採用決定時期が遅いと、それまで待ってくれない企業からは次々と断られることになる。

なかなかに辛いものがあったようで、10数社からは断られたという。

 中国から来て、やがて中国に帰るランちゃんが日本の大企業に就職する。

(5年か10年日本で仕事するのだったら大企業の方が面白いよ)

というのがふうてんの唯一の助言だった。

理由は簡単で、大企業には沢山の人々がいるからである。

若い時代には何も分かっていやしないのだからいろんな人と出会った方がいい、というだけのこと。

 女房がお祝いに(コサージュ)を持っていった。

20~30個持っていったものだから(好きなのを2個づつ選んで)と言われた二人のコサージュ選びはいつ終わるともなくつづいた。

 しばらく会わない間にアリアさんは真っ黒の髪を伸ばしエスニックな感じになっていた。

ランちゃんは就職が決まって落ち着いたのか髪を切って柔和な子供のような表情に戻っていた。

ちなみにアリアさんは来年卒業したらタイに戻って公務員になることが決まっている。

公費留学の約束だそうで、留学期間の倍の期間公務員として勤めることを義務づけられている。

アリアさんは来年都合7年半になるそうで15年間は公務員をやらねばならない。

(ランちゃんは高給取り、アリアさんは安サラリーマンになるんやねえ来年は)

ということで再会を約して二人を女房と見送った。

四季(四騎)の会 春夏篇

 3月の冬春篇からもう3か月もたった。

この頃は4人がある時間に駅の改札口で待ち合わせる、ということがなかなか難しい。

この日もバラバラに現地集合(府中のある居酒屋)ということになった。

最後の一人は二次会の店に駆けつけてくれた。

 この四騎の会は何度も書くけれど、ふうてん以下5歳づつ違う人たちである。

去年、会を始めたとき(60-55-50-45)歳だった。

毎年、当たり前だけど1つづつシフトする。

今回は団塊の世代大量退職のあおりを喰った二番目の男の(再就職)が話題になった。

 もし再就職が決まればまた新しい話が聴ける。

20年も30年もコンピュータ・エンジニアリングという仕事でやってきた仲間と今でも会えて、それぞれに新しいことにチャレンジしたり悩んだりしたりしていることを話し合うのはまことに楽しい。

狭い世界の仲間同士だけれど、

(本田宗一郎さんは人間一つのことしか仕事にできない)

と言っていたよなあ、なんて話題にもなった。

(ふうてんアーカイブス)

2007 6月 国立点描

クロの目Kuro 

 

 

 

 

 

 

 

信川円の前にポルシェが
Porche_s2 

 

 

 

 

 

 

朝もやの桜通りSakura_14  

 

 

 

 

 

 

 

書簡集Shokanshu_1  

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2007/06/10

2007・6・10 アメリカ文化センターのこと篇

裾野小川別邸Susono  

 先週末、裾野の小川別邸でワインの会があった。

ワインの会の参加メンバーはその土曜日ゴルフをやる。

ふうてんはゴルフをやらないので夜のワインの会にだけ参加すればよい。

問題は裾野小川別邸までどうたどり着くか、である。

(屋根のないロシナンテはこういうとき頼りにならない)

 今回は電車で御殿場まで行き、小川別邸当主に車で迎えに来てもらった。

他の地方の人には分からないだろうけど、東京周辺に住んでいると裾野とか御殿場とかいうのは富士山の麓(ふもと)の地区だなという感覚がある。

 金曜日に小川別邸に行き、翌土曜日はみんなゴルフなのでふうてんは別邸に籠もった。

朝、ゴルフに行く小川当主を見送って、ビールを片手にベランダに出た。

ウグイスたちの大合唱が終日つづいた。

 この小川別邸は標高900メートルだという。

地べたを這いずり回って生活している我々衆生にとって少し天空に近い場所である。

こういうところで汚れていない空気を吸い、小鳥たちの声を聴き、出来れば地元のビールでも飲んで一日過ごすのは、人生の句読点として申し分がない。

今回は金曜日に行って日曜日に帰るという2泊3日の小旅行(?)になった。

YouTubeのこと 

 

 地上に舞い戻ると若い人たちが(YouTube)が面白いとか言っている。

インターネットの無料動画サービスの代表格の一つだという。

既にグーグルが(ガメった)のではないか?という噂もある。

 ふうてんは(YouTube)のトップ100とかのビデオを見てつまらないなと思った。

それで見ることをやめていた。

しかし若い人たちが(YouTube)でニュースを見たりビートルズを聴いたりしている。

そう言えばブロッグ仲間のJOさんがテレサテンの(恋人たちの神話)を紹介していた。

 念の為、JoBlogで(テレサ・テン 恋人たちの神話)をクリックしてみた。

(別れの予感)はないかなと探すとすぐに見つかった。

テレサ・テンの三木たかしの代表曲は網羅されていた。

ふ~ん、これはいいなあと思った。

 昔レコードを買って聴いていた曲のことを知りたくなった。

ジョーン・バエズなんてあるだろうか?

すぐに何曲か出てくる。

じゃあビリー・ホリデイはどうだ?

いやはやサッチモ(ルイ・アームストロング)とのコンビのも出てくる。

パコ・デ・ルシアは?

サイモンとガーファンクルズは?

どうせなら五輪真弓は?

何でも出てくる。

・・・・。

 やがてジャズに関するものをたどるうち、何だか大昔の感覚が蘇ってきた。

昔、若いころにこういう映像を見たなあ、という感覚である。

それがいつどこで見たものなのか、分からなかった。 

アメリカ文化センターのこと

 

 一晩過ぎて、あれは確か(アメリカ大使館)にからんでいたと思い出した。

若年期、大学にはいったころの記憶ではないか?と思い出した。

え~と、あれはアメリカ・・・何とか・・・何とか・・・??

やがて突然(アメリカ文化センター)という言葉が浮かんだ。

 すぐにグーグルに聴いた。

今は呼び方(名前)は変わったけれど昔(アメリカ文化センター)なるものが日本の各地にあった。

四国の松山にもそれはあった。

大学一年の夏休み伊予に帰省して松山の(アメリカ文化センター)でジャズメンたちのフィルムを見たのだった。

サッチモ(ルイ・アームストロング)やらデューク・エリントンやらカウント・ヘイシーやらの映像があったに違いない。

それらの映像は18歳の田舎者にとってはショックだった。

レコードで音は聴いていた連中の演奏する姿が見えたのである。

ジャズのことを(ポピュラー・ミュージック)とアメリカでは分類しているのがおかしかった。

 アメリカのジャズ・ジャイアンツたちの演奏姿が日本の四国の片田舎松山で見られる不思議さ。

当時はビデオがなかったからフィルムだったと思う。

それを(アメリカ文化センター)内の図書館のようなところで映写して見せてくれたのである。

戦争後20年足らず、アメリカはそういうことを日本の田舎町でやっていた。

日本がアメリカに戦争をしかけたのはやはり無謀だったと思った。

 YouTubeは考えてみれば(アメリカ文化センター)と同じような役割を果たしているのではないだろうか?

どんな田舎にいても(世界)のことを知ることが出来る。

YouTubeとは直訳すれば(君 管(くだ))となる。

意訳すると、君は一本の管となって君の世界を世の中に伝えてくれたまえ、同じように君はこの管を通じて世界のいろんなことを知ることができるよ、となるだろうか。

音楽のことをたどるうちにマリリン・モンローとかマーロン・ブランドとか映画の方によれて、カサブランカとかの代表的なシーンがそのまんま見られるのにはビックラこいた。

 グーグル、ウィキペディア、ユー・チューブなど全てアメリカ産である。

これらは(アメリカ文化センター)のような広報活動でもあるのではないだろうか。

勿論広報活動と商業活動は一体のものであるだろう。

それはそれでいいじゃないか、とも思う。

 松山の(アメリカ文化センター)が今どうなっているのか知りたくてグーグルに聴いた。

出てきて印象的だったのは次のサイトだった。

 松山のそれはもうなくなっているらしい。松山城の(堀之内)という一角にいろんな施設があった。

回顧 主として1960年代の 伊予鉄道・松山市内線

 当時、高校生だった大江健三郎も通ったという。

松山東高時代、大江健三郎氏の下宿の本棚

 最近は名前を変え、地区を絞ってリニューアルされているらしい。

アメリカ文化センター図書館

(ふうてんアーカイブス) 

2007 6月 裾野小川別邸 ウグイス ウグイス ウグイス

ベランダでSusono_1  

 

 

 

 

 

 

 

一杯飲んでSusono_2  

 

 

 

 

 

 

 

二杯飲んでSusono_3  

 

 

 

 

 

 

 

はて何杯目やら

Susono_5  

 

 

 

 

 

 

| | コメント (7) | トラックバック (3)

2007/06/04

2007・6・3 志ん生と住大夫のこと篇

住大夫の素浄瑠璃Bunraku  

 このところ気温や湿度がめまぐるしく変化する。

汗ばむような日のうちにも冷ヤッとするようなことがあって油断できない。

以前京都の友人Muさんが(イギリス紳士の話題は天気のことが多いそうや、政治や宗教は避けるそうやで)という話をしていたことを思い出す。

 この歳になると、ふうてんなども(イギリス紳士風)になったのだろうか。

(暑くなってきましたねえ)

(今日は蒸しますなあ、もう梅雨はすぐそこですかねえ)

そんな会話が多くなった。

 チビチビと読み進めた(志ん生の噺)全5巻を読み終わった。

竹本住大夫の(素浄瑠璃)を聴いた。

江戸弁と浪花弁(?)の大御所たち。

今回はそこいらを少し報告しておこう。

志ん生の噺(はなし)

 ちくま文庫の全5巻は以下である。

志ん生の滑稽ばなし

志ん生の艶ばなし

志ん生の人情ばなし

志ん生の長屋ばなし

志ん生の廓ばなし

 滑稽、艶、人情、長屋、廓。

江戸落語に欠かせないテーマの全領域をカバーしている観がある。

最後の(廓ばなし)の裏表紙には語りの一部が紹介されている。

「惚れて通えば千里も一里、広い田ンボもひとまたぎ・・・なんてのは学校じゃアあんまり教(おせ)エないですな」

 このシリーズは志ん生のラジオ放送を録音したテープをベースに小島貞二という人が文章に換えたもので、(~ィ)とか(~ォ)とか(~ァ)とかのカタカナ小文字を駆使して志ん生の(語り口)を(文字)ではなく(音)として感じられるように工夫されている。

 最後の巻(廓ばなし)に編者小島貞二の苦労話が語られている。

もう高座に登ることもなくなった志ん生最晩年のときだったけど、非常に協力的だったという。

全部で82席ある噺のうち2つは小島編者一人の前で志ん生が語ったという。

全部の噺を本人が確認した(自選集)でもある、それがこのシリーズの値打ちですと小島さんは書いている。

 まあ本屋で見かけたら一冊でもお読みになることをお勧めする。

全5冊よまずにおられなくなることを保証申し上げる。

住大夫の素浄瑠璃

 雨模様の夕刻JR中央線で四谷まで出向いた。

紀尾井小ホールで竹本住大夫の(素浄瑠璃)を聴いた。

野澤錦糸の三味線とのデュエット、人形なしである。

これを(素浄瑠璃)ということを初めて知った。

 いつもは誘うラガーマンを今回は敢えて誘わなかった。

誘えば断りにくいだろうし、人形に一番興味を持っている風な彼を誘うと悪いと思った。

行ってみてやはり誘わなくて良かったと思った。

 1時間と15分くらい通しで語った。

住大夫-錦糸ファンにとってはこたえられない時間が過ぎていった。

紀尾井(きおい)小ホールはまことに小さなホールで(定員250名)とあった。

マイクなしで声は十分に通っていた。

 一休みのあと住大夫-山川静夫の対談が30分ほどあった。

これもなかなか聴き応えがあった。

中で住大夫が何度も(音 おん)ということを言った。

これが文楽の太夫の語りの本質なのだろうと思う。

(書いてあることは誰がしゃべっても同じ、その書いてない間が大事なんです)

なんてことも聴こえてきた。

(間)とはリズムなのではなかろうかとふうてんは思う。

 語りは書かれた(床本 ゆかほん)を基に演じられる。

その発声に上下があり強弱がありリズムがあって(音 おと)として聴く方に伝わる。

それが生き生きと伝わるようになったとき(音 おん)になるのではないだろうか。

 偶然の一致で同時期に(江戸の志ん生)と(大阪の住大夫)を(聴いた)。

悪くない一週間だった。

(ふうてんアーカイブス)

2007 5月 紀尾井小ホール 住大夫の素浄瑠璃

紀尾井小ホールKioihall  

 

 

 

 

 

 

 

雨に霞んで新宿の都庁が見えたShinjuku  

 

 

 

 

 

 

 

隠宅のクレマチス1P5282154  

 

 

 

 

 

 

 

その影1P5202094  

 

 

 

 

 

 

 

隠宅のクレマチス2P5282158  

 

 

 

 

 

 

 

その影2P5202096  

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »