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2007年2月に作成された記事

2007/02/25

2007.2.25.たまに英語で読みたくなる篇

花かんざし カメラマン助手撮影

光と影とKage_3 Hikari  

 2月は逃げる、と言われる。

納期に迫られた仕事をやっていたころ、ええっ?もう2月も終わり?と何度も同僚と話し合ったことを覚えている。

毎月30日か31日まであって、それに合わせて工程を組んでいる。

28日でお終いです、となると2、3日足りない。

 メーカの仕事は(もの作り)だからもの(物)を作って、売ってナンボの商売である。

物を作るのには時間がかかる。

人間が頭で考えただけでは出来てくれない。

コピーをするわけにもいかない。

設計を変えて作り直すとなると、数日あるいは数か月かかる。

 そんなときに(今月は28日でお終い)というのが毎年の2月だった。

たまに(今年は29日までやってまっせ)と言われても、変えるなアホ、と怒りは増すばかり。

5~6月のボーナス商戦に向けて肝心な時期なのに2月は。

ま、2月という月のせいじゃございませんが。

今年の冬は確かに異常だった

 温暖化といわれる。

そのせいなのかエルニ~ニョのせいなのか今年の冬は確かに温かかった。

朝目覚めて、誰かエアコン入れて下の部屋をあっためてくれていないかなあ、などとフトンから起き出すのが億劫になる、ということが殆どなかった。

 スキー場の商売はあがったりだという。

冬に閉鎖するゴルフ場がもうかっているとも聴く。

鍋物用の、大根、白菜、葱などがメチャ安で売られている。

(そういえば今年は鍋って、やってないなあ)などと知人もいう。

 地球環境を心配する諸氏には申し訳ないのだけど、老人にとっては過ごし易い冬であったと正直に告白しておこう。

ヘミングウェイの(老人と海)

 たまに英語で小説を読みたくなる。

ふうてんなどが知っている英語の世界は微々たるものだと思う。

今のハリウッド映画なんぞ見ても殆どセリフが理解できず字幕頼りである。

 分かりにくいのだけど、映画のセリフや小説の文章で、日本語では味わえないものがあって、たまにそういうものに触れたくなる。

ヘミングウェイの短編集やグレアム・グリーンやレイモンド・チャンドラーとメニューは決まっている。

それ以外の英語の文学には素晴らしいものが沢山あるのだろうけれど、それらを敢えて探そうとは思わない。

要は作家であって言語の問題ではない、というのがコチラの言い訳である。

 今久しぶりに(The Old Man and the Sea)を読んでいる。

オールド・マンになったからだろうか、いちいち身に沁みるように伝わってくる。

確かに彼の文体は独特だし素晴らしいと思う。

 ヨレヨレになった老人が小さな帆掛け舟でマーリン(カジキ・マグロ)のデカイやつを狙って海に出る。

もう85日間も一匹も釣れない。

身寄りは一人もいなくて掘っ建て小屋のようなところでハダシで生活している。

友だちは子供のような10歳くらいのボーイ一人だけ。

 海に漕ぎだして、鳥や風や思い出などと会話しながら仕掛けにかかる。

あれこれ仕掛けた一本にやがていままで出会ったこともないような敵が食いつく。

その(Big Fish)との闘い。

一本の太い糸でつながった二人(老人と魚)が24時間以上お互いに譲らない。

(どうしてお前はジャンプしないでジッとしてんだ?)などと老人はつぶやく。

 ウィキペディアはこの小説でノーベル文学賞を貰ったと教えてくれる。

1954年、ヘミングウェイ54、5歳のときである。

それから5年後くらいに彼は猟銃を口にくわえて死んだ。

 開高健にヘミングウェイの文体の話を教えたもらった。

彼は若いころ自分の文体に三つの掟を作ったという。

Audible

Visible

Tangible

 この3つ目のタンジブルというのが分からなかった。

いろんな人に聴くと(触れるように)という意味だと分かった。

パソコンでAVを、と喚いていたふうてんにとっては晴天のへきれきだった。

そうなんだ、と開高先生の本を読んでヒザを叩いた。

当時ふうてんは3Dグラフィックスの本質が分からず悩んでいたのである。

 ヘミングウェイはたった26文字のアルファベットを使って、

聴こえるように

見えるように

触れるように

という世界を表現している。

 1900年代初頭に彼が登場したとき文学界の人は彼の、

(グッと目の前に毛むくじゃらのコブシを突き出された)

ような文体に驚いた、という。

その文体の典型がこの(老人と海)にあるとふうてんは思う。

(ふうてんアーカイブス)

2007 2月 一橋大学の梅

紅い梅

人には描けないAka_1_1  

 

 

 

 

 

 

 

花の絨毯Aka_2  

 

 

 

 

 

 

 

池をバックにAka_3  

 

 

 

 

 

 

 

咲いているAka_4  

 

 

 

 

 

 

 

白い梅

時計台のこちらにShiro_1_1  

 

 

 

 

 

 

 

白い梅がShiro_2_2  

 

 

 

 

 

 

 

咲いているShiro_3  

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2007/02/18

2007.2.18. 旧正月のころ篇

白と紅とShiro_aka_2  

 このところ雨が降るようになった。

関東のバカ天気(晴ればかり)のシーズンは終わったようだ。

今日は朝から雨が降って、一日家にこもってやろうとエビス・ビール小瓶を2、3本飲んだ。

サッポロビールがどうかなったら、このエビスの小瓶は飲めるのだろうか?

 昼寝をして嫁さんに(旦那さん、もうすぐ5時よ)と起こされた。

寝ぼけ眼でチャリで繁寿司へ向かう。

朝からの雨がやんでシットリとした空気になり気分は悪くない。

 店には誰もいなかった。

繁さんの車も見当たらなかった。

珍しく(配達)に出ているようだった。

いつものように、おかみさんがエビスの小瓶を持ってきてくれる。

山口さんちへ寿司を届けた繁さんが間もなく帰って来た。

 国立でも梅の季節になり、寒さもゆるみかけている。

帰りのチャリで空を見ると東京では珍しく星が沢山見える。

(旦那さん、あれがカシオペア座と違う?)

と女房が言った。

青春忘れもの

 この一週間、この本で時間をうっちゃることができた。

池波正太郎の自伝のようなエッセイである。

文庫本なのだけど、もうかなり古くなっていて、紙は茶色になっている。

いつ買った本なのだろう?と見ると昭和49年とある。

昭和43年に書かれたものがこの年文庫本になったようだ。

 昭和49年というと、ふうてんが東京へ流れて来て5年目になる。

ふ~ん、あの頃池波正太郎はこういうのを書いていたんだ。

昭和43年のころ、大正12年生まれの彼がこのエッセイを書いたのは45、6歳となる。

鬼平犯科帳はもう始まっていた。

 何度目かに読み直していろいろ考えさせられた。

江戸の文化の色濃く残った浅草で彼は生れた。

最晩年、フランスへ何度も行って、エッセイやら絵やらをものにした。

少年時代から死ぬるまでず~と、芝居やら映画やらを見続けた。

旨い食べ物、飲み物を追求し続けた。

 小学校を卒業してすぐに兜町の株屋へ丁稚奉公(?)した池波正太郎。

学校とか教育とかは何なのだろう?やはり難しいなあ、と考えさせられる。

昔の仕事仲間と飲んだ

 先週、かっての仕事仲間と2回飲む機会があった。

仕事がコンピュータだったのでどうしてもそういう話になる。

二人と話して改めてコンピュータの世界も様変わりしてきたなあと実感する。

 パソコンというものが出来て、一人でコンピュータを使えるようになって、喜んでいるうちに、それがネットでつながるようになった。

一人でやっているうちは(自己完結)という美しい世界(?)に埋没できた。

ネットで社会とつながっちゃうとそういう訳にはいかなくなる。

 ふうてんなども今、グーグルやらウィキペディアのお世話にならない日はない。

辞書、なんてものはこの10年ほど引いたことがない。

(分からぬときはグーグルに聴け)

となってしまっている。

 若い方の仕事仲間が、この頃グーグルのマップにウィキペディアの旗が立ってますよ、という。

グーグルで地図を見ていると、旗が立っていて、そこの説明がウィキペディアでくどくどと詳しく説明されている、というのである。

 その若いのとこんな話をした。

(どうお?今年の春商戦は?)

(Vistaのお蔭で一月遅れて、夏商戦とつながっちゃいました)

(2月というと、開発という意味ではもう夏商戦向けになるかなあ)

(そうなんですよ、今は中国との付き合いが多いんですよね)

(あっちは今正月シーズンとちゃう?)

(それなんですよ、肝心のときに、切羽詰まっているのに、問い合わせても返事がないんですよ)

(今年の旧正月は2月17日・・・アレッ?今日とちゃう?)

(今日なんです、昨日電話したらみんな田舎に帰っていると・・・)

 JOさんのハノイ便りに報告されているように中国文化圏ではいまだに(旧暦)で回っていて、日本でもこのように無関係ではないらしい。

(ふうてんアーカイブス)

2007 2月 国立の梅 谷保天神

谷保天神から富士山が見える

梅林を俯瞰して見ると

梅にウグイス?いやメジロ?

確かにメジロだわ

白から紅へ

紅から白へ 

Michi_4_1  

 

 

 

 

 

 

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 Fukan_1  

 

 

 

 

 

 

  Mejiro_3 

 

 

 

 

 

 

 

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  Aka_1 

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2007/02/12

2007.2.11.ラガーマンと23歳の話をした篇

カメラマン助手のMacMac  

 先週、ブロッグ連歌師仲間のMu大兄がむき出しのハードディスクの記事を書かれていた。

なかなか面白く読ませて貰って、フト我が家とはずいぶん違うなあと女房やらガキやらの増設外付けファイルのことを思い出した。

我が家の住人たちはデザインにこだわりコンパクトさが優先するようだ。

女房はMac、ガキはWindowsで、いずれもノートパソコンである。

部屋を移動して使うこともあるので、むき出しのハードディスクでは具合が悪いのかもしれない。

 立春が過ぎて春の兆しが日々感じられるようになった。

建国記念日

 2月11日は建国記念日となっている。

日本では大昔、神武天皇が即位したこの日が1月1日だったらしい。

紀元前660年というから古い話ではある。

念の為、他の国の建国記念日的な記念の日をみると次のようだった。

アメリカ  7月3日 独立記念日   1776年イギリスから独立

ドイツ  10月3日 ドイツ統一の日 1990年東西ドイツの統一 

中国   10月1日 国慶節     1949年毛沢東の建国宣言

 こういう風に並べてみると、日本の統一はいかにも古い。

やはり辺境の島国は変わりようがなかったのだろうか。

現代の政治状況を見てもこの特徴は変わりようがないのではないかと改めて思う。

3回目の蕗の薹味噌

 先日朝のテレビを見ていたら、群馬県で(春のきざし)という新しい品種が作られたというニュースを報じていた。

ハウス栽培の蕗の薹で、それに(春のきざし)とネーミングする群馬県人に親しみを覚えた。

テレビはその蕗の薹の収穫風景を見せてくれる。

一株に20個~30個くらいついていて、一個づつ刃の付いた小さいカマのようなもので切り取る。

それを大きさを揃えたグループに分けて箱に入れ出荷する。

全部手作業でやるそのシーンを見て、あだやおろそかに食べちゃあいけないなと思わせられた。

 3度目の蕗の薹味噌はその群馬産の蕗の薹だった。

今回買ったパックには8個はいっていた。

4個はフンドーキン味噌だけ、4個はフンドーキンに八丁味噌を入れてみた。

八丁味噌は硬いので、一かけらを酒でといて入れてみた。

 結果、薄い色のフンドーキンだけのものと濃い色の八丁味噌入りの2種となった。

前者は蕗の薹が味を支配し、後者は八丁味噌が支配したがっていた。

アレコレ味噌を変えてみるのも面白いかもしれない。

ラガーマンと23歳の話をした

 久しぶりにラガーマンと国立駅で待ち合わせた。

年末の忘年会以来だから新年会ということになるのかもしれない。

ラガーマンは待ち合わせの時間ギリギリに登場した。

(いやあ、待ちましたあ?来る道で山口夫人に会いましてね)

(僕もたまたま通りかかると何度か会いますよ)

(それで急いで来たので汗かきました)

(ところでどこにします?)

・・・。

 富士見通りの(葱屋)にした。

初めての店で、雰囲気は悪くなく、客の入りはよかった。

(やはり関東の店やねえ)

(関東は形からはいりますねえ)

(関西、特に大阪は実質本位やから、雰囲気だけではねえ)

などなどモゾモゾと初めての店の評定をしているうち何故か伊丹一三の話になった。

(伊丹一三は一度繁さんで会ったけど180センチもあってデカイ男でしたよ)

(180センチか・・・僕と一緒ですね)

(エッ?180センチあるの?そうは見えんなあ)

(そうですか、どうしてかなあ?)

(体のバランスがええんかなあ、顔の大きさとか腰の高さとか肩幅とか・・・)

(そういえば若いころパリで下宿していたとき、下宿のマダムに言われたなあ)

(ああ、若いころヨーロッパ行ってたんやね)

(そのおバアさんが、あなたの体は私が見た中で一番美しい、と言ったのよ)

(あなたの体が一番美しい、と・・・・??)

(別に裸になったわけじゃないですよ、見た感じですよ、見た感じ、服を着て)

と、ラガーマン少しうろたえつつ、念を押した。

(ところでヨーロッパ行ったのいくつのころでした?)

(23歳の9月に横浜港を出て、ロシアのシベリア鉄道経由でしたね)

(23歳?同い年やからその年僕は京都から東京へ流れてきた)

(お互い23歳でしたか、1月3日生まれと1月5日生まれ)

(お互い誕生日は祝って貰ったことないよねえ)

(正月と正月明けと)

(そういえばパリで誕生パーティがありましたねえ)

(アチラでは正月よりも誕生日優先ですか?)

(それがねえ、ちょっと困ったことになりましてね)

・・・。

(アチラではずんぶんモテたそうやないですか)

(そうなんですよ、あの頃はね、それで三人ぶつかっちゃったんです)

(三人?)

(ドイツの子とスイスの子とフランスの子です)

(連中が1月3日にパリの下宿に終結した?と?)

(そうなんです、いえ僕はみんなと誠実に付き合っていたんですよ)

(何が誠実なんですか?)

(いえ、みんな話していましたからね、友だちのことを)

(それで?)

(あなたの友だちのことは分かった、でも私にとってのあなたは私の問題だと)

(三人がぶつかると予測できなかったの?)

(ドイツやスイスは遠いからフランスだけだと・・・・)

(で、結局どうしたの?)

(女の子三人と、僕と、下宿のマダムとでパーティやりましたよ)

(バアさん何て言いました?)

(結婚するのは同じ国の人にしなさい、とね)

(ハァ~)

(アチラではイギリスとフランスだって何だって戦争の歴史があるでしょう?)

(つまり、いつ敵国になるか分からない、他の国は、と)

・・・。

 話はキリがないので書簡集へ席を移してウィスキーを何杯かとコーヒーを飲んでタクシーで帰った。

ドイツとスイスとフランスと、三人が来て、なるほどねえ。

(ふうてんアーカイブス)

2007 真冬 この季節の富士山は美しい

多摩川を渡って

富士山雲隠れ

メジロと富士山 

Denshafuji_1 

 

 

 

 

 

 

Kumogakure 

 

 

 

 

 

 

Mejiro_1 

 

 

 

 

 

 

Mejiro_2

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2007/02/05

2007.2.4.立春のころに2本の黒澤映画を見た篇

春、受験シーズン?P1020018  

 今年もまた春が来ようとしている。

節分、立春という春のキーワードが聴こえてくる。

今日も夕刻5時にチャリで嫁さんと繁寿司へ向かう。

この間まで真っ暗だったのに今はこの時間かなり明るくなった。

(明るくなったわねえ、まだ夕日の明るさが・・・)

などと女房が言っているとき、前の方に消防車が止まっているのが見えた。

近づくと、赤いランプが点滅し、道路が濡れている。

近くで火事があったことが分かった。

いつもの道が塞がれているので、別の道へそれて繁寿司へ向かった。

 繁寿司は賑わっていた。

文春のTさん、居酒屋兆治(いざかやちょうじ)、山口夫人もいた。

電話をしておいたのですぐにいつもの肴(魚)が出てきた。

気分がよかったせいか、つい清酒(白雪)のお燗を5本ほど女房と飲んだ。

 土曜日に三鷹で黒澤映画を見た。

1月が(七人の侍)で2週間後の今回は(生きものの記録)と(悪い奴ほどよく眠る)の二本立てだった。

夕刻4時半から9時すぎまで、黒澤映画をスクリーンで見たことになる。

いろんなことを考えさせられた。

2回目の蕗の薹味噌

 どっかのデパ地下の野菜売り場でまた蕗の薹を買って帰った。

こぶりの蕗の薹が12個はいっていたようだった。

まず初日、4個を切り刻んで味噌とこね合わせてドンブリ鉢で冷蔵庫に入れた。

2日後くらいに残りの8個を同じように処理(?)した。

 今回分かったのは3日ほど寝かすといいということだった。

ビールでひとつまみの(蕗の薹味噌)をやる。

悪くない。

ビールが終わって、瑞泉(ずいせん)の焼酎に切り換えたとき、オヤッ?と思った。

沖縄の泡盛、首里城のある地区で作られる(瑞泉 43度)を割らずに一口飲む。

香りが立ってくるように思った。

 ワインの好きな人が、ワインは食べ物とのコンビネーションですよ、なんていう。

ふうてんはそういうことが全く分からない方である。

しかし今回、初めて、う~ん、そういうこともありそうだなあ、と分かったような気がした。

(七人の侍)後の黒澤映画

 1本目の(生きものの記録)で驚いたのは音楽が早坂文雄だったことだった。

ふうてんは(七人の侍)が彼の遺作だと思っていた。

タイトルに(音楽 早坂文雄(遺作))と出てきた。

封切り前に早坂文雄は亡くなったのだと分かった。

 最後の作品でもう彼の力は残っていなかったのだろうか。

際立ったメロディーは一曲も聴こえて来なかった。

あの(七人の侍)のテーマ曲を作った彼なのに。

 早坂文雄が亡くなって、黒澤映画は次のフェーズにはいったと思う。

三船敏郎、志村喬も変わる。

(生きものの記録)と(悪い奴ほどよく眠る)の2本はその変化の時期の作品だと思った。

三船敏郎が主役になってくる。

志村喬は脇に回るようになる。

もうあとは三船敏郎主演の(用心棒)(椿三十郎)という豪傑物語になるよりない。

音楽は佐藤勝。

低音を効かせた歯切れのいいリズム感あふれるあのサウンド。

同時に黒澤監督は天皇と言われるようになった。

昭和20年代の(七人の侍)までのリリシズムは姿を消すことになる。

 この2本はそういう転換期の黒澤映画を味わうことが出来た。

これまでいろんな黒澤映画を見て、いろんな本を読んで、いろんなビデオを見てきた。

それで(黒澤映画)に関する自分のイメージが出来ていた。

この三鷹での(全30作品上映会)は、そういうこれまでのイメージを覆すものがある。

コチラの忖度とは関係なく、ほぼ編年で黒澤作品を見せてくれる。

始めはどうだった、途中はどうだった、それからどうした、ということを事実として分からせてくれる。

驚くほど(黒澤監督)も悩んでいたのだなあ、ということがよく分かる。

どの作品も、彼の悩んだ挙げ句の結晶なのではないかと思う。

ハッキリ言うと観客として見ると凡作もあるし傑作もあるし、その落差は大きい。

 傑作が出来るには沢山の凡作(というのは失礼だけど)が必要なのかもしれない。

一つだけ作品を作って、それが世の中で激賞される、なんてことはないのだよ。

そんなことを教えてくれる。

 三鷹のこの上映会は今年の9月まで続く。

今回の主催者の挨拶で、こんなことを聴いた。

(え~っ、みなさまのリクエストで(荒野の七人)を見たい、というのが多いのです。七人の侍をリメークしたあの作品です。まだ決定ではないのですが、9月以降にこの(荒野の七人)を上映出来るよう映画会社と交渉していまして、ほぼ・・・・)

 楽しみが増えたなあ、とニッカのポケット瓶(余市)を干して帰途についた。

(ふうてんアーカイブス)

2007 国立 谷保天神の亀

カモとカメ

カメが飛び込んで

コイと一緒に泳いでいる

Kame_11  

 

 

 

 

 

 

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Kame_13  

 

 

 

 

 

 

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Kame_31  

 

 

 

 

 

 

Kame_32

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