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2007年1月に作成された記事

2007/01/29

2007.1.28. 核家族が核分裂?篇

谷保天神の紅梅白梅Ume_0  

 さすがに大寒を過ぎると寒くなった。

家ではエアコンを(暖房)にして朝から晩まで(地球温暖化)に協力している。

このところ昼間外に出ることが多く、夕刻家に帰ると体が冷えきっているので、帰るとまず自室のエアコンを入れ、風呂を沸かそうとすると台所の女房が、部屋へ持っていこうか?という。

 やがて少し温まった自室でビールを飲んでいるとお盆にのせた晩飯を持った女房がコンコンッとドアをノックして、はいってくる。

 とうとう我が家ではご主人様までが自室で、一人で、(上げ膳据え膳)で晩飯を喰うようになったのか・・・。

国立に来てもらったオヤジが元気だったころはコチラの都合でそうして貰っていた。

数年前から、うちのガキもそうなっている。

今回は所帯主がそういうことになった。

ついでに女房は(私もそうしちゃおう~っと)と言って自分の分を寝室へ持って行って、韓流ドラマかなんか見ながら食べ始める、という始末。

 今日は少しそういう我が家の有りようと世相について話してみたい。

個食の時代

 個食ということがこの数年言われるようになった。

バブルの時代(外食産業)が大はやりした。

バブルがはじけて(内食)がはやり(デパ地下)の食料品売り場で(そうざい)が種類も味も豊富に売られるようになった。

外よりも内で食べるようになった。

バブルがはじけ、不景気が続くうちに女房殿たちも外で働くようになった。

晩飯の時間にお母さんが家にいない家庭も増えてきた。

そうなると、お父さん、お母さん、子供たち、食事の時間はバラバラになる。

 個食の時代になったようだ。

文明は家族を分裂させる?

 こういう我が家での有り様と、最近の種々の(親殺し、子殺し、兄弟殺し、夫婦殺し)のニュースの数々。

ふ~む、とふうてんは考え込んでしまう。

これは(核家族)どころではなく(核分裂家族)ではなかろうか、と。

 文明の発達はこの(個化)を否応なく加速させる。

昔、飲み水は井戸だった。

井戸で水を汲む女房どのたちが(井戸端会議)をやっていた。

やがて水道というものが出来て、家で水が出るようになった。

(井戸端会議)はなくなった。

 同じように、昔は家に囲炉裏(いろり)とか竈(かまど)とかがあって、そこでしか火を燃やすことはなかった。

電気やガスのせいで、家の中の囲炉裏とか竈とかの意味合いが変わってしまった。

電気やガスを引いておけば、個室でもやれるじゃないの、となった。

 ラジオやテレビも昔は一家に一台持てるかどうか、だった。

今は、一人に一台以上になってしまった。

家族みんなでNHKの(大河ドラマ)や(紅白歌合戦)を見る、という風景は消滅した。

車も、田舎の方に行くと、一家に一台ではない。

一家に数台という時代になった。

でもやっぱり人間は動物の一種に過ぎない

 文明は昔から(個化)を促進する役割を果たしてきたと思う。

人間は他の動物と違って道具(文明)を持ってしまった。

それを使うという面では他の動物と違う道を歩んできた。

しかし人間はあくまでも動物の一種であるということから逃れられない。

生れて、食べて、生きて、死んでいく。

他の動物と全く同じ生き物である。

 道具を使えるからといって、他の動物とは異質な存在であると勘違いしてはいけないと思う。

自分一人で何でもやれる、と文明の進化は人を錯覚させる。

ガスをひねれば温かいお湯が出てくる、そのガスはどこで作られているのだろう?

スーパーへ行けばあらゆる食材がある、その食材はどこでどなたさんが作っているのだろう?

その先にはきっと同じ人間がいて、一日中、その為に働いているに違いない。

 人間が種を植えて育てるから、あらゆる食材はできるのである。

(文明)のおかげて魔法のように無から有が生じるわけではない。

というようなことを若い人、生れたときから文明に囲まれて育った人たちにどのように伝えればいいのだろうか?

 ジョン・フォードの名作(駅馬車)のラスト・シーンでジョン・ウェインを送りながら(これで連中、文明に毒されずにすむ)と牧場へ向かう馬車の二人に酔どれの医者が言うシーンがあった。

 文明は人間という動物を毒しているのだろうか?

(ふうてんアーカイブス)

2007 初春 国立でも梅が咲き始めた

静に咲き始めて

早く咲くのもあって

四十がらやらチャボやらも鳴いて

谷保天神も悪くない

Ume_1

 

 

 

 

 

 

Ume_2  

 

 

 

 

 

 

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2007/01/22

2007.1.21.大寒に二つの時代劇を見た篇

国立のどんと焼きDont_1 

 この季節、外へ出ても余りいいことはない。

並木通りも枯れ木通りのようになって、小鳥たちの居場所もない。

空気も冷たくて、太陽も遠くて、コートを着て、手袋をして、寒いなあと思いながら嫌々外へ出る。

 四国の片田舎から流れて、京都方面で途中下車して、関東までたどり着いた。

東京に住み始めたころ不思議だったのは冬になると晴ればかりということだった。

四国でも京都でも冬はドンヨリとした曇天の日が続く。

東京へ来てみると、確かに寒くて風は強いのだけど、毎日天気がよろしいのですね。

 2、3年住むうち、12月と1月は天気予報を見る必要がなくなった。

ふうてんはこれを、関東のバカッ晴れ、と名付けた。

40年近く住んできて、バカッ晴れは全く、悪くない。

バカでもなんでも、寒い季節に太陽が照ってくれるのは有り難い。

 暖冬と言われる今年、このところ気温が低い日が続く。

昨日はみぞれやら雪やらがチラついた。

寒いですねえと背を丸めていると、今日は大寒ですと教えられた。

 こういう時期はあったかいところで映画でも見るに限る。

蝉しぐれ

 真冬に(蝉しぐれ)というのも妙な話ではある。

NHKのBS2でこのテレビ・ドラマの再放送が始まった。

どうして真冬に?これが?再放送?

おそらく主演が(風林火山)に出ている役者(内野聖陽)だからだろうと思う。

 見直して、やはりよく出来ていると思った。

タイトル・バックの小室等の音楽がまずコチラを引き込んでしまう。

そして草笛光子のナレーション。

この二つがこのドラマ、文四郎とふくの淡い恋物語の雰囲気をかもし出す。

 (蝉しぐれ)の原作を読んだには理由があった。

エイプリル・フ~ルというとぼけた名前のショット・バーで飲んでいたとき、時代小説の話になって、池波正太郎のことなど話していたら、一人の若い客が、

(池波正太郎なんて大したことない、何と言っても藤沢周平ですよ)

と言った。

(そうですか、僕はまだ彼の小説読んだことないのだけど、お勧めは?)

(そりゃあ蝉しぐれですよ)

それで本屋に走って読んでみた。

最初から最後まで田舎出の少年のリリシズムみたいなものに貫かれていて、読後に爽やかな印象が残った。

 それからしばらくしてNHKの金曜時代劇でドラマ化されたのを見た。

う~ん、これは原作とええ勝負やなあと感心した。

良くできたテレビ・ドラマは原作もシナリオも役者も音楽も語りも、結局全部よろしいのですね。

不払い運動盛んなNHKだけど、出来るスタッフがいることを確認できて、スポンサーであるコチラとしては胸をなで下ろすのですね。

制作、監督(演出)に出来る人がまだまだいる、と。

 週一回の再放送なのであと何度か見ることが出来、楽しみが続く。

七人の侍

 土曜日に三鷹の芸術文化センターで(七人の侍)を見た。

この上映会でも一つのハイライトだ、と、出かける電車から始まり、上映中、見たあと家にたどり着くまで(七人の侍)で時間を過ごした。

 期待は裏切られなかった。

映画館でも何度か見、ビデオでは繰り返し見ている。

しかしフィルムで見直すのはもう20年ぶりくらいになるだろうか。

やはり映画はビデオではなくフィルムで見るに限る。

質感が全く違う。

 三鷹駅からバスで上映会場の芸術文化センターへ向かうとき、ある外国の青年の姿が見えた。

彼はこの上映会でちょくちょく見かける人物の一人なのである。

会場に着いて、ハイネケンの瓶ビールを飲み、席に座っていたら、隣の席にこの青年が座った。

(いつも来ているようですね、黒澤映画のファンなのですね)

と話しかけた。

(ハイ、僕は黒澤先生の映画が大好きなんです)

と達者な日本語で答えた。

(どこから来ました?)

(オーストラリアです)

余りに上手な日本語なので、

(日本へ来てどのくらい?)

(約1年です)

(えぇッ?1年前?じゃあずっと黒澤映画と一緒だったのねこの上映会で、You are lucky.)

と言ったら、一緒に来ていた友人たちが、

(Yes,you are lucky.)

と同調した。

(何をしに日本へ?)

(アニメーションです)

(なるほど、黒澤映画、勉強になるよねえ)

(ハイ、スターウォーズなんかもずいぶん黒澤先生から学んでいます)

(ところで1年で何でそんなに日本語上手になったの?)

(オーストラリアで子供のころから日本語習っていました)

(どうして?)

(興味があったから)

(・・・・・)

念の為に、ビールのあと、ニッカ・ウィスキーのポケット瓶を持っていたふうてんは聴いた。

(あなたアルコールの匂いは大丈夫ですか?)

(ハイ、大丈夫です)

 やがてブ~~~と上映開始のブザーが鳴った。

この映画の出だしをふうてんは食い入るように見つめた。

東宝というロゴマーク、七人の侍のタイトル。

早坂文雄の音楽をバックにスタッフ、キャストが黒地に白の筆書きの漢字で表される。

(七人の侍)と(監督 黒澤明)以外の文字は全て傾いている。

バックに早坂文雄のティンパニーを多用した低い(野武士のテーマ)が流れ続ける。

途中からリズムが変わり、というかドラムか太鼓かの楽器が、それまでのリズムと違うリズム、メロディーで参加する。

傾いた文字、不規則なリズム・・・不安感を盛り上げ、否応なく百姓と野武士との戦いを予感させる。

やがてスタッフ、キャストの紹介が終わりファースト・シーンが始まる。

山際の向こうから雲のように湧いて出た、馬に乗った野盗達が全速力で駆け抜ける。

それをカメラが殆どシルエットのような形で捉える。

・・・・

 5分の休憩を入れて約3時間半。

ふうてんはニッカのポケット瓶を飲み干して、オーストラリアから来た青年と再会を約して帰路についた。

(ふうてんアーカイブス)

2007 小正月のころ 国立

どんと焼き まるで竹槍

大人よりも子供が ダンゴを焼く

みんなで竹槍を持つDont_2 

 

 

 

 

 

 

 

竹槍の先に白いものがDont_3  

 

 

 

 

 

 

 

まだ火は燃えているよDont_4  

 

 

 

 

 

 

 

大分火は納まってきたDont_5  

 

 

 

 

 

 

 

いろんな少年団も来たDont_6_1  

 

  

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2007/01/14

2007.1.14.ふきのとう味噌を作った篇

近くの公園で出初式を見たDe_6  

 正月も明けてボヤボヤしているうちに、もう1月の半ばとなった。

今年は暖冬だそうで、確かに霜やら雪やらは少ないようだ。

霜柱で庭の土がモコモコ盛り上がっているのも見ないし、雪などはもう感触を忘れてしまっている。

 1月5日に61歳になった身としては、自分のことだけ考えると暖冬はありがたい。

若いころは冬の寒さはそんなに苦痛ではなかった。

何となく心身ともに引き締まるような爽快感すらあった。

しかし、歳をとるとどうもいけない。

 朝、目覚めて空気が冷たいと起き出すのが億劫になる。

誰か一階のダイニング兼リビングの部屋に暖房を入れている殊勝なやつはいないかなあと期待する。

ユカタ一枚で寝ているので、フトンから抜け出して起きると、ユカタの下にシャツ(肌着)を着て、靴下らしきものをはいて、ユカタの上にチャンチャンコみたよなものを羽織って、それで家の中を動くことになる。

 12月20日ころに冬至となって太陽が一番弱くなる。

それから3週間ほどたって、夕日の沈む時間はずいぶん遅くなった。

繁寿司へ出向く夕刻5時ころでも、最近は暗くなくなってきた。

定点観測をしていると四季の移り変わりがまことによく分かる。

 去年から、定点観測の一つに(蕗の薹味噌)が加わった。

去年初めて作って、それが何月ころだったのかはもう忘れている。

蕗の薹は雪に覆われた大地で春を待っていた蕗が、用意していた新芽を雪解けのころに出す、という風に考えて、春の兆しを味わう、という意味もこめて、自分で包丁を使ってミジン切りにし、味噌とこね合わせたのだった。

 先日、多摩地区のあるJRの駅で、山形物産展みたいなものをやっていて、何と、蕗の薹が売られていた。

(ええっ?蕗の薹?正月明けに?)

と思いつつ、騙された積りで1パック500円を買って帰った。

実は去年の暮れ近く、女房がコチラの好きなのを知っていて、

(旦那さん、蕗の薹があったよ)

と言って近くのスーパーから買ってきたのを見せた。

さっそく(蕗の薹味噌)を作ってみたのだけど、香りもなくとても食べられるものではなかった、ということがあった。

 結論から言うと、今回はかなりいけた。

第一、年末の時は、ミジン切りにしたとき香りが漂わなかった。

指にもいい匂いが残らなかった。

今回は、刻むといい香りがした。

指にもそれが残った。

ただし、部屋中香りが漂って、はいってきた人が、ああ蕗の薹の匂い、というまでには至らなかった。

 山形県産という能書きであった。

山形県では雪がたっぷり降って、もうそれが溶け始めたのだろうか?

NHKの天気予報は毎日何回も見ているのだけれど、そういう気配はない。

してみればこの、多摩地区のJRの駅の(山形県物産展)で買った2007年版(蕗の薹)は、やはり養殖、じゃなかった、畑で作られた、ひょっとしたらビニールで覆われた畑で生産されたものなのだろうか?

人知れぬ山間で、雪の溶けるころに顔を出したお方ではないに違いない。

 味噌とこね回した後、それを食べながらビールを飲んだ。

エグイような苦いような蕗の薹の味と、味噌の塩辛さが舌に来た。

やはりシーズンじゃないんだ、と疑った。

3日後、同じようにビールを飲みながら食べてみた。

蕗の薹のエグさは消え、味噌のしょっぱさも消え、なんとなくシットリとした、いい香りの、適度な苦みの、(蕗の薹味噌)に変身していた。

ほぼ同じ量の蕗の薹と味噌をこね回してこれを作った。

(ええ勝負しとるんや)と思った。

 今が1月だから5月くらいまで、今年は何回これを作ることになるのだろうか?

料理を作って人様に振る舞うほど料理をやろうとは思わないふうてんにとって、この(蕗の薹味噌)は季節を味わう為の(定番)となったようだ。

こんなものは女房などに期待してはいけない。

(ふうてんアーカイブス)

2007 国立 正月明け

国立の大学通りは正月明けもイルミネーションが

正月明けでもTree_1  

 

 

 

 

 

 

 

イルミネーションはTree_2  

 

 

 

 

 

 

 

悪くないTree_3  

 

 

 

 

 

 

 

国立の消防団の出初式

一種の軍隊なのだろうか

一斉放水のあとしぶきが飛んで来た 

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2007/01/08

2007.1.7. 正月も終わって篇

カメラマン助手撮影Photo_2

 今日は朝から強い風が吹いた。

昨日は一日雨が降り、今日は朝から晴天だった。

おかげで珍しく東京の空も青かった。

 夕刻、まだ明るいうちにロシナンテのホコリを払った。

雨の日の翌日は、ネコちゃんたちの足跡だらけになる。

冬場はやはり寒くて、黒の親と白の子が二人仲良くロシナンテの運転席で眠るのである。

連中、足を拭くということを知らない。

だからロシナンテの前のボンネットやら後のロッカー(?)やらの上は点々と足跡が付く。

写真に撮っておきたいくらい綺麗な足跡である。

 ロシナンテのエンジンをブン回して、近くを一回りする。

一週間に一回くらいは運動をさせないと、老齢の彼(彼女?)は動けなくなるかもしれない。

同時に、一週間に一回くらい運転しないとコチラの運転感覚も鈍ってしまう。

2週間ぶりに運転したりすると、どこかシックリこないものがある。

 気温10℃以下くらいのときのオープンカーでのドライブも悪くない。

空気が冷たくておいしい飲み物のように感じられる。

勿論そのときコチラの体はある程度温まっていないといけない。

例えばさっきまでフトンにはいっていて、体はホカホカに温まっている、というような時。

寒空でブルブル震えていた、なんて後にオープンカーになど乗るものじゃあない。

 ロシナンテをネコちゃんたちに譲って、チャリで繁寿司へ出向いた。

強風が続いていて、突風が吹くとチャリごと倒されそうになる。

それでも繁寿司までは近いものなので、どうということもなくたどり着いた。

山口夫人と豊田さんがいた。

年賀の挨拶を交わし、正月の終わりらしい気分になることができた。

 去年の末の一週間は忘年会のようなものが続いた。

忘年会というよりも、たまたま親しい友人と飲む機会がその週に集中しただけなのだけど。

今年2月に沖縄へ帰ります、なんて友人もいる。

50も過ぎていまだに定職を見出せない友人もいる。

同い年で哲学者みたいな元ラガーマンもいる。

 それで大晦日頃には酒漬けのようになって、正月休みはその疲れを取る為の(何もしない休日)となったようだった。

何もしないのが休日である、と思っているふうてんにとっては、いい正月だったと言うしかない。

 年末、昔読んだ本で、何度か読み返した本をまた読んだ。

井伏鱒二の(珍品堂主人)と池波正太郎の(原っぱ)の2冊である。

この2冊について少し話してみたい。

珍品堂主人

 井伏鱒二という作家の作品は多い。

そのうちふうてんが読んだのはほんのわずかに過ぎない。

釣りに関するエッセイなどは大好きで何度も読み返している。

荻窪風土記もその中の一冊である。

どれもふうてんが好きなのは、事実に基づいているらしいのだけど、どこかトボけている、ことなのかも知れない。

 (珍品堂主人)もそのトボけた味わいが得難いのである。

骨董好きの、中年も過ぎた男が繰り広げる骨董と日本料理屋をめぐる一代記。

骨董の話が出る。

日本料理屋の経営の話が出る。

そこを行き来するキツネやタヌキの人物が描かれる。

真っ当なのは一人もいない。

 今日の繁寿司で山口夫人にこの(珍品堂主人)の話をした。

驚いたことに、珍品堂にはモデルがいる、とおっしゃる。

そのモデルはある骨董屋で、その人の知り合いのある女性が山口夫人もご存じの方だとおっしゃる。

京都方面で骨董屋をやっていた関係のお方であるという。

 これにはふうてんも驚いた。

やはり無から有は生じないのだと思った。

トボけたような(珍品堂主人)なのだけど、骨董に関しては妙にリアリティのあるディーテイルが描かれているので、ふうてんは不思議に思っていた。

井伏鱒二のエッセイで骨董に触れることは殆どない。

 話を聴いていた豊田さんが、

(井伏さんはちゃんと取材して書く人なんですよ)

と言った。

山口夫人は、

(私は山椒魚も珍品堂主人も読んでないんですよ、今度珍品堂主人を読まなくっちゃ)

とおっしゃった。

やがてタクシーが来て、夫人と豊田さんをお見送りしたのだった。

原っぱ

 この現代小説は池波正太郎の最晩年の作品だと思う。

鬼平犯科帳、剣客商売、仕掛人・藤枝梅安などの時代ものを書いた彼の数少ない現代小説。

それを読み直してふうてんは改めて驚いた。

これは池波正太郎の(自画像)であり彼の(ドラマツルギー)そのものではないかと思った。

 東京には昔(原っぱ)があった。

原っぱの木材置き場は正太郎少年の大切な遊び場だった。

その(原っぱ)が今はなくなるばかりである。

という場面設定がまず、なされる。

 少年は学校へ行き、社会に出、結婚をし、さまざまな人間と付き合うことになる。

小学校の先生がいる、仕事で付き合った役者がいる、ケンカしながら付き合ってきた我が娘がいる、地上げ屋に負けて、もう東京には住めないよと言って引っ越していく幼馴染みがいる。

 ふうてんが読み直して驚いたのはそのドラマ展開だった。

淀みがない。

スッ、スッ、スッとコチラを納得させた上でどんどん場面展開していく。

読んだ後、そのそれぞれの場面の深み、重さを感じさせられる。

う~ん、まいったなあ。

新国劇の最盛期に座付き作者として戯曲を書き、舞台演出をやり、その後作家に転じて鬼平、梅安などのヒット作を連発した作家がたどり着いた最後のドラマの形がここにある。

 還暦を過ぎてこの小説を読み返して、いくつかの場面で目頭が熱くなったことを正直に告白しておく。

ラストシーンもまことに良い。

池波正太郎がこれを書いたのは・・・還暦をはるかに過ぎてからだったと思う。

(ふうてんアーカイブス)

2007 正月 谷保天神

参拝の人で一杯Yabo_1  

 

 

 

 

 

 

 

神主さん?巫女さん?  

Yabo_3

 

 

 

 

 

 

カモと恋? 

 

Kamo_3 

 

 

 

 

 

 

Koi_1 

 

 

 

 

 

 

Koi_3 

 

 

 

 

 

 

カメさんも 

Kame_1 

 

 

 

 

  

 

Kame_3 

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