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2006年12月に作成された記事

2006/12/31

2006.12.31 音楽ビデオは増えるばかり篇

赤富士?Yu  

 若いころの年末の楽しみは映画を見に行くことだった。

大晦日の31日は避けて、たいていは30日だった。

見る映画は(喜劇)に決まっていた。

 チャールズ・チャップリン、バスター・キートン、ハロルド・ロイド。

この三人の映画が昔は年末に決まったように上映されていたものだった。

子供のいない若い夫婦。

これほど気楽な生活はない。

親たちを田舎に残し、都会に出てきて所帯を持ち、子供もいない。

二人だけで勝手気ままにやれるのである。

 Townsをやっていたころ(DINKS)という言葉が流行りかけたことがある。

Townsのデザインをやった男が教えてくれた。

(Double Income with No Kids.)

の略であるそうな。

しばらくの間女房も勤めに出ていてDINKSしていた。

我が家が一番豊かな時代だった。

 年の瀬に街へ出て、喜劇映画を見て、コーヒーを飲んで、本屋を冷やかす。

ついでにレコード屋さんに寄って新譜を買ったりする。

街の賑わいの中に身を置く。

あれはもう何十年前になるのだろう?

繁寿司は賑わっていた

 大晦日が日曜なのだけど、慌ただしいので30日土曜日に行った。

行くと山口夫人の姿は見えなかった。

(今日は来られないの?明日の日曜日?)

(いえ明日も来られないんです、正月ですから・・・)

(アッ、新年会の準備が・・?)

どうも今でも山口家では10人以上の新年会を続けているらしい。

(繁さんのお正月はいつも山口さんちということやねえ)

(そうなんですよ、僕が結婚する前からだから、え~ともう何年に・・・)

 やがて常連客が一組二組とはいってくる。

阪神ファンの夫婦がいる。

奈良から帰って来た夫婦がいる。

カメラマンのおっちゃんも来た。

 今年の忘年会の最後は繁寿司で、ということになった。

音楽ビデオは増えるばかり

 この日記で何度も書いているけど、音楽ビデオが増えるばかりである。

パソコンに取り入れて、十分の一くらいに圧縮して、いつでも見られるようにする。

ビデオ・ソースは殆どがテレビ放送をエア・チェクしたネタ。

中にはDVDで買ったものもある。

 こういうのをやっているとパソコンも便利なものだなあと思う。

レコード(CD)も映画(ビデオ)も、物としてバラバラにあるので扱いに苦労する。

あれどこやったかいなあ?と探すのが大変になる。

 ふうてんにとっての(音楽ビデオ)は音楽とは限らない。

映画の1シーンなんてのも多いし、文楽の、あるシーンなんてのもある。

要するに映像と音、の組み合わせのようであるらしい。

 音と映像には共通点がある。

それは時間と共に変化するということ。

文章とか写真には時間軸はない。

文章や写真はほうっておいても向こうから逃げることはない。

しかし音や映像は時と共に勝手にいなくなる。

 そういう、時と共にいなくなる存在を(はかないものだなあ)とふうてんは思う。

そこに魅力があるのでは、とも思う。

ある一瞬輝いて、やがてアッという間に姿を消す。

これって(桜の美学)なのかもしれんなあと、今書いているうちに気がついた。

(ふうてんアーカイブス)

2006 冬至のころ 富士山がよく見える

八王子からの朝の富士

Asa_1_1  

 

 

 

 

 

 Asa_2

 

 

 

 

 

 

 

立川からの夕暮の富士

刻々と様子が変わる

Yu_1  

 

 

 

 

 

  

Yu_2  

 

 

 

 

 

 

Yu_3

 

 

 

 

 

 

  

Yu_4

 

 

 

 

 

 

 

Yu_5  

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2006/12/24

2006.12.24 ディープ・インパクトが圧勝したけれど篇

クリスマスも終わってChristmas_2  

 さっきテレビを見ていたら有馬記念でディープ・インパクトが圧勝した。

たまたま女房が夕飯の相談か何かで部屋へ来ていて、一緒にソニーのハイビジョン・テレビで中継を見た。

NHKはおそらく10台以上のカメラを配置しているに違いない。

最近はハイビジョン・カメラも軽くなったので手持ちのものも何台かありそうだ。

しかし、ふうてんはNHKの中継に不満を覚えた。

 ディープ・インパクトが中盤まで、後ろから3番目だったのはよく分かった。

そのとき、集団から10馬身くらい前を行っていた馬がいた。

その馬の行方が捉えられないまま最終コーナーになりディープ・インパクトが出てきた。

直線にはいってからのディープ・インパクトの強さはよく見せて貰ったのだけど、あの先行した馬がどこで集団に追いつかれたのだろう?という疑問が残った。

 ふうてんもビデオ・カメラを持ってウロウロすることがある。

ビデオ・カメラを使い始めたのはもう20年近く前だろうか。

勿論、家族を写す、初めての子供やら孫やらを写す、という目的ではなく、仕事上必要になって使い始めたのであった。

 何故仕事上必要になったのだろう?

ふうてんは、パソコンで(動画)を扱いたいと思っていた。

動画処理のいろんな問題を解決するには、動画のネタがないとどうしようもない。

家には山ほどビデオ録画した映画はある。

しかし(カサブランカ)の一シーンを使って、社内の人や社外の人に、どうです、パソコンでこんなことも出来るんですよ、とデモするわけにはいかない。

 ビデオ・ソースは著作権のないものにしなければいけなかった。

(一度、会社がスポンサーになっている番組のビデオを使おうとしたけどNOと言われたこともある)

そうなると自分で撮るよかないじゃありませんか。

それで(研究開発費)で当時の最新の、一番出来のいいビデオ・カメラを買って、(研究)の為のビデオ撮影を始めたのだった。

 ところで何を写すんやったかいなあ?

ま、そんなところからふうてんのビデオ・カメラ修行は始まったのであった。

NHKのカメラやら編集の諸君、まだ修行が足りませぬよ。

今日の有馬記念で、先行していた馬が捉えられたシーンが見えなかった。

いつどこで捉えられたか、そのときディープ・インパクトはどのへんでどうしていたのか?

それがエッセンスだったはずです。

最後のダントツで勝ったシーンなどはどうでも・・・と後からは言われますよ。

 でも動くものを捉えるというのが難しいことはよく分かる。

コチラの予定しない動きを捉える・・・。

ディープ・インパクトがどのように走るのか、他の馬がどう走るのか。

全く予想が着かないまま、レースは始まる。

パドックやら返し馬ではずっとディープ・インパクトをカメラは詳細に捉えていました。

けれど走り始めてからは・・・難しい。

 車のF-1中継なども同じような悩みがあって、走るものをどう伝えれば見る人に心地よく、不満なく伝わるのか?

まだ研究が足りませんなあ。

もう亡くなったけど、マルチ・カメラを多用したイギリスのデビッド・リーンや日本の黒澤明などの映画監督に一度(競馬中継)を撮ってもらいたかったですね。

 もし、このふうてんに(撮れ)と言われたら、ハイ分かりました、と、やりようはあると思いますがね。

 有馬記念も終わって、クリスマスが来て、もう今年も残り一週間となってしまった。

(ふうてんアーカイブス)

2006 冬至のころ 国立

ワンちゃんとまた会った

友だちになった

ワンちゃんが来てWan  

 

 

 

 

 

 

 

手をなめたWan_2_1  

 

 

 

 

 

  

大学通りも秋から冬へ

クリスマスとイチョウとモミジとChristmas 

 

 

 

 

 

 

尾長は本当に尾が長い

俊敏に動くこともある

尾長その1Onaga_1  

 

 

 

 

 

 

 

尾長その2Onaga_2  

 

 

 

 

 

 

 

尾長その3Onaga_3  

 

 

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2006/12/17

2006.12.17 今年最後の黒澤映画は(生きる)だった篇

クリスマスツリーIcho_1_1  

 土曜日にいつものように三鷹で黒澤映画を見てきた。

今回は(生きる)だった。

昭和27年(1962年)の映画だから、もう、え~と、44年くらい前の映画である。

少なくとも44歳以下のお方は見たこともない映画に違いない。

 今、日本では映画が静かなブームになっていると聴く。

洋画よりも邦画の売り上げが多くなった、とも聴く。

映画館の数も底を打って、少しずつ増えはじめているとも聴く。

各地に出来てきた(シネマ・コムプレックス)の御利益なのだろうか。

 国立からもほど近い立川に(シネマ・シティ)というコムプレックスが出来て10年以上になる。

女房などはちょくちょく行っているようである。

近くのご婦人方と誘い合って行っている風である。

どなたさんとどのような映画を見に行っているのか、当方は全く知らない。

ただ帰って来たのに気づくと、

(面白かった?)

と、聴くばかりである。

 不思議なもので、そう聴いたとき、(ウン・・・)という最初の一瞬の反応で面白かったかどうかは分かる。

1000円だか1800円だかの値打ちがあったかどうか・・・が分かる。

どうも見る映画の好みは全く違うのだけれども、女房も映画が好きであるらしい。

 今日は少し(映画関係)の話をしてみたい。

大明神が帰って来た

 鎌倉大明神の(またいらないモノ買っちゃったよ)は9月5日にアルハンブラ宮殿で姿を消したまま、行方が知れなかった。

買って帰ったと聴くアルカンヘルのフラメンコ・ギター、じゃなかったホセ・ラミレスのクラシック・ギターが気に入り、(真面目に音楽していて)ブロッグを書く暇がないのだろうか?

あるいは仕事で中国などへの出張が多くて時間がないのだろうか?

あるいは、ひょっとしたらゴルフに熱中していてアホらしいブロッグなぞに時間はさけないのだろうか?

 ふうてんさん、自分でやらなきゃダメよ、と2年前にブロッグに誘い込んだのは大明神だった。

その大明神が自身のブロッグを3か月も更新しなかった。

 そうしたら12月になって、何だか新しい記事が載っかっているようだった。

ゴルフの(グリップ)を自身に合ったものに変えるために苦闘してはったらしいのですね。

そこいらへんのいきさつを報告してくれました。

まことに面白い記事を抱えて大明神は帰って来てくれました。

061211 グリップの改造でblogどころではなく

を読んでふうてんはスッカリ安心したのでありました。

大明神はつきあい始めた頃から何しろ(方法論の権化)みたようなお方なのですね、ふうてんにとっては。

彼の(方法論)で何度も救われたことでした。

 2006・12・11以降、大明神の怒濤の攻撃が再開されたようで、嬉しい限りなのですね。

ワインの話、動植物の話、音楽の話・・・大明神節が帰って来ました。

帰って来てくれて良かったなあと安堵して、またウィスキーを一杯飲むのでした。

 大明神は映画の話をブロッグではしません。

しかし、10年くらい前まで、ふうてんは大明神との映画談義で終電車を逃したことが何度もありましたね。

大明神は小津安二郎ファン、ふうてんは黒澤明ファン。

議論は終わりがないのですね、これじゃあ。

小津と黒澤・・・まるで正反対のような作風だものねえ。

三鷹で(生きる)を見た

 三鷹駅からバスに乗り、4時過ぎに会場の(三鷹市芸術文化センター)に着いたとき、暮れなずむ中にポッと明かりのついた建物を見て、妙に懐かしいような感情に襲われた。

夕暮、暗い道を歩いていて、明かりのある家を見るときのあの感覚に近いものだった。

 はいって受け付けのカウンターで、予約した来月の(七人の侍)のチケットを買おうとしたら、名乗る前にカウンターのお姉さんが、

(アッ、ふうてんさんですね)

と声をかけてくる。

(顔覚えられてしまいましたか、悪いこと出来ませんねえ)

などと冗談を言いながら来月の(七人の侍)のチケットを受け取る。

 上映開始まで20分ほどあるのでハイネケン・ビールを買い、タバコのみ場へ向かう。

同好の士がタバコを吸っている。

(黒澤ファンですか)

(毎月なのだけど日を忘れることがあって見逃したこともあったなあ)

(僕もありましたねえ)

(七人の侍で仲代達也が出ているらしいのだけど、どこに出ているのか分からないんです)

(あれは浪人捜しのシーンの最初に出てくるんですよ、ビデオでよく見ているので分かります)

(そうですか、浪人捜しの最初ですか)

(サ~ッと何人かで通り過ぎるだけです、まあエキストラ的出演ですわ)

(そうですか、仲代に言わせると、そのシーン何度も何度も撮り直しされたと言うんですがねえ)

(百姓が用心棒に侍をやとうために浪人を捜す、という場面展開の最初のシーンだから黒澤監督にはあるイメージがあって、それにピッタリくるまで粘ったのでしょうかねえ)

(彼はあらゆるシーンを絵コンテであらかじめイメージしているらしいからねえ)

などなど話すうちに、ブゥ~~~と上映開始のブザーが鳴った。

(生きる)は(七人の侍)と双璧をなす黒澤映画の傑作だと思う。

大昔、池袋の深夜映画で見て、今回フィルムで見るのは二度目だった。

何度もビデオでは見ているのだけれど、フィルムの質感はやはり違う。

昭和27年に封切りされたこの映画の、昭和27年の、時代の雰囲気がストレートに伝わってくる。

 映画づくりに情熱を傾けることが出来た時代に、スタッフたち俳優たちが全力を傾けて作った作品を堪能して、会場を出、師走のわりには温かい夜、三鷹から国立へ急いだ。

来年1月20日の(七人の侍)がこの上映会のハイライトだなあなどと思いつつ。

(ふうてんアーカイブス)

2006 国立 大学通りのイルミネーション

今年もまたクリスマスの季節になった

向こうもMuko  

 

 

 

 

 

 

 

コチラもKochira 

 

 

 

 

 

 

 

まだイチョウの葉がIcho_2_2  

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2006/12/11

2006.12.10 ゆく秋を惜しむ篇

カモと落ち葉Kamo_4

 12月にはいってボヤボヤしているともうすぐ大晦日だ、ということに気づかされる。

毎日のように出向いている桜通りや大学通りの桜はすっかり落葉し、イチョウだけがせめてもの、最後の抵抗を続けている。

それも大晦日当たりまでの話なのだろうか。

 山口瞳さんが、国立の11月から3月は地獄、4月から10月は天国、と書いていた。

もう12月だから、3月までは地獄の季節ということになる。

木々が葉を落とし、カラッ風が吹き、通りには骨だけ残った木々が寒そうに立っている。

山口瞳さんは、天国だけではなく地獄も味わったお方ではないだろうか。

(地獄の季節もいいんだよ)と聴こえてくるような気がする。

四季の会(四騎の会)秋冬篇をやった

 季節の移り目に集まろうよ、ということで始めたこの会の2回目を府中でやった。

前回は9月末ころだったのでまだ暑い感じだった。

今はコートが必要な寒さになっている。

季節の変化と共に、みんなの仕事にも変化があるに違いない、と府中へ急いだ。

 四騎(よんき)のメンバー構成は、

退役軍人一人

退役前軍人一人

もうちょっと戦争やる軍人一人

まだ戦いの真っ最中の軍人一人

である。

60歳から45歳。

 いつものように一軒目はJR南武線、府中本町駅からもほど近い居酒屋だった。

退役前軍人から12月8日はボーナス・フライデーですね、と脅された。

さぞ街は賑わうでしょうね、と言われて、そうだ予約しておかなくっちゃと電話した。

この四季の会の幹事役はふうてんが勤めていて、日にちの案内やら飲む場所の確保やらは幹事の責任なのである。

(4人、12月8日6時半頃、よろしい?)

(いいですよ、お待ちしています)

(一つだけリクエストが・・・例のクリーム・コロッケできます?)

(できますよ)

(取っておいてくれます?)

(一人一個づつ、ね)

何しろこの店のクリーム・コロッケは旨いのである。

昼間のランチタイムに売り切れることが多いらしい。

駅で待ち合わせ、店へ行って、生ビールとクリーム・コロッケで(四季の会)を始めたのだった。

 二軒目は大國魂神社のケヤキ並木そばにあるカウンター・バーと決まっている。

ウィスキーのストレートとホット・コーヒーを4人に、と頼む。

店の方針ではボトル・キープは3か月ですという。

ウン、それなら大丈夫だ、何しろ四季に一回は来るのだから。

行ってみるとまだ封を切っていないボトルが出てきた。

前回最後に注文だけして飲まないで帰ったらしい。

酒に弱くはない4人がボトル一本空けるのは・・・そんなに難しい問題ではないらしい。

 この店で、この数年我々に付き合ってくれたおねえさんが、今年で辞めますという。

新宿へ行ってみようと思います、という。

ふ~ん、新宿ですか。

悪くないじゃないの、府中の田舎より、でも歌舞伎町は怖いよねえ。

おねえさんは口をモグモグしていた。

この人は我々と気が合って楽しかった。

お別れですねえ、ということでみんなで乾杯し、握手をした。

 季節はめぐる。

人の生活もめぐっていく。

春夏秋冬、季節の移り目に会って、酒を飲んで、来し方行く末を語り合う。

次は3月やなあ、とそれぞれの帰路に着いた。

(ふうてんアーカイブス)

2006 晩秋 国立のカモたち

大学の池にカモが

Kamo_1  

 

 

 

 

 

落ち葉とカモたち

Kamo_2  

 

 

 

 

 

 

カモの鳴き声

Kamo_5  

 

 

 

 

 

 

毛づくろいもしなくっちゃ 

Kamo_6_1  

 

 

 

もうクリスマス?

Chrismas  

 

 

 

 

 

 

イチョウとサクラ

Icho_2

 

 

 

 

 

 

 

黄金の絨毯

Icho_3  

 

 

 

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2006/12/04

2006.12.3 枯れ葉が落ち葉になった篇

シロとコナラの落ち葉Ochiba  

 寒くなった。

暑いといっては嘆き、寒くなったといっては嘆く。

これは歳のせいだろうか。

 会社生活をしていたころは季節の変化はあまり意識しなかった。

朝ボンヤリとした頭で通勤電車で会社へ行く。

駅までの道で、ちょっと寒いな、くらいである。

帰る時はもう日は沈んでいて街灯の光では木々の葉の色は分からない。

一日の大半を過ごす事務所はエアコンで年中同じような温度、湿度に保たれている。

 会社へ行かなくなって、季節の変化を痛切に感じるようになった。

自宅に年中いると嫌でも季節の変化を感じるようになる。

季節は空気の温度と光の具合で感じるのだろうか。

二階建て(?)の家に住んでいると、その光やら気温に対応する作業がいろいろ必要になってくる。

 ふうてんが住んでいる家は小さい家なのだけれど、一階から三階まで合わせると30くらい窓がある。

これらの窓が光と空気の出入り口となる。

光に対してはカーテンやらシャッターやらで量を調整する。

空気は窓の開け閉めで調整する。

春夏秋冬、朝昼晩、まことに小まめにその作業が必要となる。

 台風が来るゾ~ッとなると全ての窓を締め切る。

ヒュンヒュンと風がうなり、物凄い雨が叩きつける。

台風一過、締め切っていた窓を開けて、外の空気を入れる。

この頃の家は作りがシッカリしていて、窓でも(すきま風)なんてのは、はいらない。

窓を少しは開けておかないと完全な密閉状態になり、窒息しかねない。

 春夏秋冬、朝昼晩、まあ言ってみれば、年中(窓番)をやっているようなものである。

コチラが会社生活をしていたころも、女房は一日家にいた訳だから、そういう苦労をしていたのだろうか。

まあ、ご苦労さんでしたね、というしかない。

 老年になって一戸建ての家からマンションに移る夫婦は多い。

それも分からないではない。

一戸建てで、庭に木やら草花やら植えていたら、メンテナンスで一日は終わる。

それがよろしいのか、よろしくないのか。

 ふ~む、とふうてんはウィスキーをもう一杯注ぐ。

(ふうてんアーカイブス)

2006 晩秋 国立

シロとコナラの落ち葉

朝食ですかShiro_1  

 

 

 

 

 

 

 

まだ顔を洗ってないようでShiro_2  

 

 

 

 

 

 

 

大学通りの紅葉

ワンちゃんとご婦人Wan_1  

 

 

 

 

 

 

 

ワンちゃんは大学通りファンWan_2  

 

 

 

 

 

 

 

ロージナ茶房

鏡のRojina_1  

 

 

 

 

 

 

 

向こうからRojina_2  

 

 

 

 

 

 

 

馴染みの・・・Rojina_3

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