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2006年10月に作成された記事

2006/10/29

2006.10.29 府中で文楽を見た篇

国立駅?Kunitachieki コンペの一案 

 すっかり寒くなった。

夏服と冬服しかないふうてんにとって、何を着ればいいのか悩ましい季節である。

昔は(合服 あいふく)などと春、秋には呼んでいたような気がする。

 先週、ラガーマンを誘って府中で文楽を見てきた。

これまで2度、国立劇場の住大夫には付き合ってもらった。

今回は住大夫ではないのだけれども、誘ったには理由があった。

演し物が(曽根崎心中)だったのである。

 やはり文楽は近松ものに限る、とよく言われる。

ラガーマンを文楽に誘って、まだ近松ものを聴いていなかった。

それが気掛かりだった。

そうしたら何と、国立からもほど近い府中で(曽根崎心中)をやるという。

これは行かずばなりますまい。

近松ものとは?

 住大夫さんに言わせると、近松は難しい、となる。

どうしてかな?と分からなかったのだけど、何度も文楽を見ているうちに少し分かってきた。

それは、場面展開が急である、ことではなかろうか。

 近松が得意なのは侍の(時代物)よりも町人の(世話物)である。

巷で生きる庶民が引き起こす人情沙汰。

男女の色恋沙汰に、お金がからむ。

(恋愛とは社会に対する反逆である)という小林秀雄の言葉通りのストーリー。

力のない若い二人が反逆して世間に勝てる・・・ことはない。

 そういう一つのドラマを近松は短い言葉で表現しているのですね。

近松の床本(ゆかほん 文楽の語りを書いたもの)を見ると、最初の数行で沢山のことが語られている。

例えば曽根崎心中の出だしはこうである。

(曽根崎心中 生玉社前の段)

 -立ち迷ふ-

 浮名をよそに洩さじと、包む心の内本町、焦がるゝ胸の平野屋に春を重ねし雛男・・・。

 最初の一行でドラマのエッセンスを示す。

住大夫さんが(難しい)というのも分かるじゃありませんか。

文楽では太夫が全てを表現しないといけない。

近松のシナリオは短いが故に、掛け詞(掛け言葉)の連続でもある。

この一行をどういう節回しで、どういうリズムで語ればよろしいのか・・・・。

府中の森芸術劇場ふるさとホール

 こういう長々しい名前のホールで公演は行われた。

国立と府中は隣接しているのだけれど、土地柄は全く違う。

 府中は何といっても歴史の古い町である。

平安時代くらいから大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)があった。

甲州街道の宿場町でもある。

 対して国立は80年の歴史しかない。

 会場へ向かうタクシーの中でラガーマンと、

(府中て、近いんやけどめったに来ませんなあ)

(僕は自転車に乗っていたころ、ちょくちょく通りましてね)

(何だか並木道が結構多いですねえ)

(やっぱ古い町、ということでしょう)

(そう言えば、国分寺なんてのも近くにありますなあ)

(あれは・・・平安時代より前と違いますかねえ)

・・・・

(それと比べると、国立ねえ・・・)

(国分寺と立川の間に駅を作ったから国立)

(こくりつなのかくにたちなのかわからへん)

(名前の由来は黙っておきましょうよ、誰にも言うたらあきまへん)

(そやねえ、せっかく堀辰雄の(風立ちぬ)をイメージして引っ越してきたんやからねえ)

序破急

 曽根崎心中が始まった。

三段ものである。

生玉社前の段(いくたましゃぜんのだん)

天満屋の段(てんまやのだん)

天神森の段(てんじんもりのだん)

 これが見事に(序破急)で出来ている。

序で背景と現状が呈示される。

破で二人の心中への意志確認が行われる。

急で、もう心中が実行される。

 帰りのタクシーの中で、

(序破急て、能でしたっけ)

(そうらしいですね)

(能では急いうても、チラッと半歩足を踏み出すだけやそうですよ)

(チラッと半歩ですか、それで急ねえ)

(世界の人には分からんやろねえ)

(文楽みたいな人形の使い方も世界にはありませんなあ)

(あれね、三人で一つの人形動かすんやからねえ)

(浄瑠璃でストーリー語って、リズムセクションは三味線の太棹)

(人形と語りと三味線の三位一体)

(みんな相手のこと知らんふりしてね、お互い全く見てないんやから)

ラガーマンはコテコテの大阪人

 以上の二人の会話は関が原以西の人間の、関東における会話と考えていただきたい。

ふうてんは四国愛媛の出身で、ラガーマンは大阪、道頓堀付近の出身である。

 近松ものを見たい、と彼が言っていたのにはそれなりの理由もあったという次第。

(天神の森)て、あんな森やったかなあ?とか(お初神社)てあったよ、とか言うてはりました。

 そんな関西から江戸に流れてきた二人が、たまたま20年ほど前に国立の繁寿司で出会ったのでありました。

天神の森の段

 今回の公演での、ふうてんの興味はラストシーンにあった。

曽根崎心中は何度か見たけど、ラストの三味線のサウンドが耳に残っていた。

太棹3丁が(ツン、ツン、ツン、ツン ツン、ツン、ツン、ツン)と高く低く単調なメロディを弾く。

メロディというよりも(音)である。

 もう太夫は何も語ることはない。

二人はこの世に未練を残しつつ、選んだ道をまっしぐらに行くばかり。

やがて(お初)が観客に背中を向ける。

向こうを向く。

(徳兵衛)が刀を抜く。

・・・・・

 府中から帰って、内子座でのこのラストシーンを、NHKが放映したビデオで見直す。

太棹のサウンドと、(お初)に向こうを向かせることで(殺し)を抽象化した演出に感心する。

NHKがこの番組を撮影したのは、内子座でふうてんが見ている時だった。

ハイビジョン・カメラが3台構えていた。

 いずれにせよ(曽根崎心中)を見てもらった事で、ラガーマンの近松ものを見たい、というリクエストに答える事ができた。

少しホッとした。

(ふうてんアーカイブス)

2006 秋 府中の森 曽根崎心中

待ち合わせ時間までにコーヒーを一杯

桜通りと大学通りの交差点Sakura_daigaku  

 

 

 

 

 

 

 

J’s Gardenの向かいは万豚記Chuka

 

 

 

 

 

 

 

待ち合わせの場所にハーレーが

オーナーが来て

桜通りへ消えて行った

一台のハーレーがHarley_1  

 

 

 

 

 

 

 

メカの塊Meka  

 

 

 

 

 

 

 

妙な影がKage_1  

 

 

 

 

 

 

 

あるようなKage_2  

 

 

 

 

 

 

 

オーナーが来てOrner  

 

 

 

 

 

 

 

桜通りへ消えて行ったSakuradori  

 

 

 

 

 

 

 

府中の森 文楽公演

府中の森芸術劇場ふるさとホールFuchu  

 

 

 

 

 

 

 

文楽公演Dashimono  

 

 

 

 

 

 

 

お初と徳兵衛Ohatsu_tokube

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2006/10/23

2006.10.22 裾野は紅葉前だった篇

枯れ葉Kareha_2  

 秋の一日、裾野の小川別邸へ出向いた。

いつものホンダ・レジェンドの人の都合で、御殿場線の裾野駅で拾ってもらった。

5、6年前に初めてこのワインの会に参加したとき、アナザー筒井に同じように迎えに来て貰ったのが裾野駅だった。

アナザー筒井はもういない。

 小田急線で町田から(特急あさぎり5号)に乗る。

松田の近くで、小田急線からJR御殿場線に乗り入れるらしい。

その当たりからもう高原で、列車は山間を走ることになる。

国立から裾野まで2時間ちょっとであった。

 裾野駅から小川別邸までは坂道をずんずん登ることになる。

レジェンド3.5リッターはエンジン音が静かで、急勾配を登っていると気づかせない。

東名高速を130キロで走っていても同様である。

ロシナンテで走るとどうなるか・・・??

いわずもがな、知らぬが仏、でありましょう。

小川別邸では紅葉が始まっていた

 標高900メートルの別邸に近づくに連れ、少しずつ紅葉していくようだった。

それでもまだ緑が多い。

(紅葉はまだのようですね)

(今からひと月で一斉に紅葉するのでしょうなあ)

 別邸に着くと、ベランダには枯れ葉が散らばっていた。

まわりのもみじはホンノリと紅葉し始めていた。

ホセ・ラミレスのギター

 別邸に着いて、荷物を車から運ぶ時、ギターが聴こえてきた。

(ああ大明神、ギターを持ってきてくれたんだなあ)

と楽しい気分になった。

鎌倉大明神に、スペインで買ったホセ・ラミレスを持って来るようにお願いしていたのである。

 柔らかくて、ふくよかな、いい音をしていた。

指使いの難しそうな曲にもチャレンジしているようだった。

往年の勘を取り戻そうとしている風にも見えた。

(ちゃんと音楽しなさいよ、と言われているようでね)

とか言いながら、クラッシックの曲を弾き続けていた。

 レジェンドの人が初めてギックリ腰になり痛そうにしていると、大明神は、じゃあまずシャンパンで乾杯しましょう、と言ってさっさとシャンパンの栓を抜いた。

それからワインと食事の時間が始まった。

 ひとしきりワインを飲み、小川当主の料理を御馳走になったあと、大明神は再びギターを手にした。

ポピュラー・メドレーみたいなCDが掛かると、それぞれの曲のメロディをなぞる。

学生時代からずっと弾いているだけあって、たいていの曲には合わせられるようだった。

(どうです?ホセ・ラミレスは?気に入ってます?)

(気に入ってますよ、小さい音でもちゃんと出てね、大きい音も勿論大丈夫だし、ダイナミック・レンジが大きいことがよく分かってね)

(は~、ダイナミック・レンジねえ)

・・・・

 それからギターの素材の話になり、大明神の持っているクラシック・ギターとふうてんの友人の持っている同じホセ・ラミレスでもフラメンコ・ギターの話をしようとするころには、もうワインやらカルバドス(リンゴ酒のシードルから作った蒸留酒)などの酔いが回ってきて、ややこしい話はおしまいとなった。

 結婚披露宴などの催し物でもそうだけれど、会場にギターの音色が流れると、何となく華やいだ、明るく楽しい雰囲気になる。

あれはいつも不思議で、他の楽器とは何かが違うような気がする。

お祭の時、飲めや歌えやで踊りだしたくなる時、ギターは欠かせないようだ。

 大明神どの。

ありがとさんでした、そしてご苦労さまでした。

AC Cobraに会った

 帰りはいつものようにレジェンドで送って貰った。

東名高速の御殿場から東京までがいかに下っているか、をいつも感じさせられる。

ほとんど音もなくスムーズに下るうちに、コブラのワイルドな姿が目にはいった。

 コブラというのはオープン・ツー・シーターの有名なスポーツ・カーである。

(AC Cobra)と言ってオリジナルはイギリスの会社がフォードのエンジンを使って作った車だとか。

 知る人ぞ知る、の類の車であって普段見かけることはない。

雑誌やテレビの特別番組や映画で辛うじて知り得たに過ぎない。

ふうてんにとってコブラは(乗ってみたい車ナンバー・ワン)の車なのである。

それの現物が走っているのだからたまらない。

(ひぇ~、コブラですよ)

とふうてんが叫んだものだから、レジェンドの人は近寄って見る機会を与えてくれた。

 レジェンドは追い越し車線を走っていたから、コブラをすぐに追い越した。

(じゃあ、ちょっと待ってみましょう)

と、車線を変え、ゆっくり走っていると右側をコブラが追い越していく。

追い越したあと、レジェンドと同じ車線に戻り、前を走った。

(もういいですね、追い越しますよ)

とまた追い越し車線に戻り、コブラを左側に見ながらレジェンドは進んだのだった。

 走っている(AC Cobra)に出会うことは・・・もう二度とあるまいと思う。

(ふうてんアーカイブス)

2006 秋 裾野 小川別邸

みんなの前で

大明神はホセ・ラミレスを弾いた

いい音してるなあMinna  

 

 

 

 

 

 

 

手の日焼けはゴルフかしらKama_1  

 

 

 

 

 

 

 

ややこしい指遣いKama_2  

 

 

 

 

 

 

 

爪や指先を気にしていたKama_4 

 

 

 

 

 

 

 

紅葉が始まっていた

 ベランダの枯れ葉Kareha_1  

 

 

 

 

 

 

モミジはこれからKoyo_1 

 

 

 

 

 

 

 

朝の見送り

レジェンドの人は腰が・・・Asa_1  

 

 

 

 

 

 

 

何色ものダリア 

Daria

 

 

 

 

 

 

コブラと会った

右側からきてCobra_1  

 

 

 

 

 

 

 

前を走りCobra_3  

 

 

 

 

 

 

 

左側からCobra_10  

 

 

 

 

 

 

 

気持ち良さそうにCobra_13 

 

 

 

 

 

 

 

消えて行ったCobra_14

 

 

 

 

 

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2006/10/15

2006.10.15 サントリー・リザーブがよくなった篇

もうススキが?Susuki_1  

 秋も深まってきた。

まだ紅葉には早いけれど長雨も終わり、空気が乾燥し、冷えてきた。

歩いていて真っ昼間でも建物の(影)が長くなってきたのに驚かされる。

太陽が南に傾いているんだなあと気づかされる。

国立は東西南北、格子状の道が多く(影)で季節や時間が感じられる。

 この間、今日も二日酔い気味で、と鎌倉大明神に言ったら、芸術の秋よりも、やはり酒の秋ですかね、と冷やかされた。

今日は(芸術)と(酒)の二題話をしてみたい。

今月の黒澤映画は(白痴)だった

 いつものように三鷹に出かけたのはいいのだけど、会場に到着する6時頃にはもう暗くなっていた。

(おかしいなあ、もっといつもは明るかったのに。秋はこんなにも急に日が沈む・・・)

(オッと、いけねえ。ひょっとして4時からだったっけ?)

と、江戸っ子のようなセリフが口から出た。

・・・・

 文楽がいつも6時からなので混乱していて、時間を間違えたのだった。

会場に着くと、1本目の(静かなる決闘)があと15分で終わりますと言われた。

ロビーの小さなモニター画面を見ながら(ハイネケン)を飲んで待つことにした。

 この日の本命は2本目の(白痴)だった。

ドストエフスキーの原作の舞台を北海道、札幌に移して映画化に挑戦した。

グーグルに聴くとウィキペディアの(黒澤明)は次のように教えてくれる。

1949年(39歳) 野良犬

1950年(40歳) 羅生門

1951年(41歳) 白痴

1952年(42歳) 生きる

1954年(44歳) 七人の侍

 この中で(白痴)だけは一般的には余り知られていないと思う。

いわゆる(文芸もの)の極致みたいな映画でハデなアクションもハラハラするドラマもない。

ひたすら人間心理の葛藤を描く。

愛と憎、善と悪、美と醜、生と死、虚栄と欺瞞、富と貧・・・。

黒澤監督は4~5時間の長尺ものに仕上げたかったらしい。

それでは興行上難しいので映画会社松竹は(切れ、切れ)と迫ったらしい。

怒った黒澤監督は(切るのなら、フィルムを縦に切れっ!!)とタンカを切ったとか。

それくらい情熱を注いで作った作品なのですね。

上映された作品は166分で、それでも長いのだけど、全く退屈しなかった。

 それにしても、39歳から44歳までの作品群には驚かされる。

1945年に世界大戦が終わって、数年の間にこれらを作った。

彼の人生にとっても、多くの日本人たちにとっても、それまで抑圧され蓄積されていたものが一気に爆発したような熱気を感じる。

スタッフたち役者たちも、やり甲斐を感じていたのだろうなあと伝わってくる。

 映画芸術とは40歳前後の、それまでに経験を積み、まだ若いエネルギーが煮えたぎっている監督に率いられたチームが、凄いのを作るものなのだろうか。

この5~6年ほどの間に作られた黒澤映画はその後、世界の映画人に影響を与え続けている。

サントリー・リザーブがリニューアルした

 数カ月前、いつもの酒屋さんから届けられたウィスキーのボトルが変だった。

何となくラベルが変わったような感じがした。

同じウィスキーなのに何かが違う。

ハテッ?

 飲んでみると、味も違うではないか。

それまでのより、まろやかで、喉越しもスムーズである。

スムーズだけど何だか物足りないようでもある。

それで初めて真面目にラベルを見てみた。

(12)という文字が目に飛び込んできた。

オヤッ?

サントリー・リザーブは10年ものだったはず。

 コチラに断りもなく勝手に変えるとはケシカラン、と一応怒ってはみた。

もう二度とサントリーなんて飲まないぞ、出入りの酒屋さんともオサラバだ。

2杯目を飲んで、ン?悪くないかも・・・・。

3杯目を飲んで、ウン、確かに悪くない、むしろ旨い・・・。

 それで勝負は決着したのだった。

数日後、出入りの酒屋の若旦那に会ったとき、アレ良くなったねえ、いいですよ、と言っておいた。

(この酒屋さんとは先代からのお付き合い)

 今日、若旦那が酒を届けてくれたとき女房に、最近リザーブが売り切れのときがあるんです、と、のたもうたという。

ウィスキーが落ち目だという今のご時世に、これはひょっとしてヒットかもしれない。

がんばれサントリー、と思わず心の中で叫んでいた。

 ちなみにスコッチ・ウィスキーの定番、ジョニー・ウォーカー黒ラベル、オールド・パー、日本のサントリー山崎などはいずれも(12年もの)である。

サントリー・リザーブは今までと同じような値段で10年から12年にジャンプした。

コストは知らないけれど、これはサントリーの英断であって、正しい英断だと思う。

サントリーのホームページを見ると初代リザーブは1969年に発売されたという。

酒屋さんに頼むとき、ウィスキーももう迷わなくていいようだ。

(ふうてんアーカイブス)

2006 国立 秋の嵐 

(動画のMPEG方式の圧縮では、もっとも苦手な種類の絵柄)

近くの公園で

ススキも

木洩れ日1Komore_1  

 

 

 

 

 

 

 

木洩れ日2Komore_2  

 

 

 

 

 

 

 

木洩れ日3Komore_3  

 

 

 

 

 

 

 

ススキらしいSusuki_2  

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2006/10/09

2006.10.08 ハーレー・ダビッドソンに乗った篇

モーター・サイクルHarley  

 土曜日、珍しく晴れた。

東京では今年は本当にカラリとした晴が少ない。

温暖化で35℃なんてのが普通になってきたのも嫌な予感がする。

ふうてんにとってはそれ以上にこの湿潤化、スッキリと晴れない、が不気味ではある。

 このスッキリしない原因は確かに水蒸気だけなのだろうか?

何か他の物質も混じっていやしないのだろうか。

お隣の中国では上海も北京も大変な空気汚染だと聴く。

北京では2年後のオリンピックに備えて公害対策に乗り出しているらしい。

それの一環として日本から派遣された調査班が調べたところでは、北京郊外で、東京の6倍の硫化物が大気から検出されたという。

 中国では今でも石炭がエネルギーのかなりな部分を占めているらしい。

オリンピック期間、北京近郊の工場の半分を休止させる予定、というニュースも聴く。

勿論、石炭をエネルギーに使っている工場である。

工場を一時休止させるのは公害対策とも思えないのだけど・・・。

黄砂、車の排気ガス、工場からの排気・・・。

北京は映像で見ても大変なことになっているようだ。

 その中国から偏西風に乗って雲が流れてくる様子を毎日の天気予報で見る。

雲だけじゃないよな、流れてくるのは・・・ふうてんはボヤクのである。

 ところで東京の珍しい(晴の日)の話だった。

土曜日に青空と秋の光に誘われて、外へ出た。

といっても土曜日恒例の(昼寝)の後だから3時は過ぎていた。

3時?もう夕方じゃないの・・・。

昭島のハーレー・ダビッドソンの店

 立川から青梅線に乗って近いところに昭島(あきしま)という地区がある。

昭島の少し先に福生(ふっさ)がある。

福生には広大な横田基地がある。

立川、昭島、福生あたりは戦争時代まで(立川基地)だった。

東京湾からも遠く、奥まった内陸部なので当然(戦闘機用の基地)だったと想像する。

 福生とか昭島とかには今でもその飛行機を作っていた(中島飛行機)とか(昭和飛行機)とかの建物が残っていたり、カンバン(?)が残っていたりする。

数日前、日本では最後の国産旅客機YS-11が引退したというニュースを聴いた。

戦争に負けると飛行機も作れなくなる、という厳然たる事実に背筋が寒くなった。

 秋晴れに誘われて昭島まで足を伸ばした。

昭島の駅前にハーレー・ダビッドソンの店がある、と聴いていたので初めて訪ねてみた。

それは駅の北口から歩いてすぐのところにあった。

行ってみて、いろいろ驚かされることになった。

えらく立派な店舗だった

 たいていオートバイ屋さんというのは道路沿いに手狭な店を構えている。

ましてやアメリカ産のニッチな市場向けのハーレー・ダビッドソンである。

店が見つかるかなあ、くらいの気分で駅を降りて捜し始めた。

 駅を降りて、まっすぐ北へ歩いた。

タバコに火をつけて、それを吸い終わらないうちにカンバンが目にはいってきた。

ん?えらい近いなあ、いきなり見つかっちゃったなあ。

もっと捜したかったのに、と文句も言えず近づいていった。

 大きな交差点の一角を占めていて、どこから入ったらいいのか分からないような店構えだった。

~カフェとかいって椅子を置いた広い喫茶コーナーが店の外にある。

これは本当にハーレー・ダビッドソンの店なのだろうか?

はいって行った先でハーレーが走っていた

 店舗の回りには何も遮るものがなかった。

いきなりドアを開けて店にはいる気にもなれず、回りの探索を始めた。

まずは外堀から、の精神である。

広い道路、というか広いスペースに囲まれていて、誘い込まれるようにそこをズンズン進んで行った。

 ガレージのようなものがあり、修理工場のような建物もある。

その先の向こうの方に何台かのオートバイが走っているのが見えた。

オヤッ?これは一体どういうことなのだろう?

歩いて近づいて行くにつれ不思議な感覚に襲われた。

コセコセとしたセチ辛い今の時代にこの空間の広がりは何なのだろう?

試乗出来るのだった

 近づいてみると何台ものオートバイがあり、何人もの試乗している人がい、何人もの係の人がいた。

4台くらいで連れだって走ったりしている。

ふうてんは思わずビデオ・カメラを取り出して写し始めた。

夕日の沈む方向へカメラを向けてオートバイを追っていたとき、係の人が近づいてきて、すみません、そちらの方は写さないで下さい、反対方向はいいんですがね、と言った。

夕日の方向には古い工場の建物が並んでいた。

そこは昭和飛行機の敷地なのだった。

後で分かったのだけど店そのものが敷地内にあるのだった。

 その広い敷地を利用してハーレー・ダビッドソンに試乗させてくれるという。

大型二輪の免許を持っていれば乗ることができるらしい。

ハーレー・ダビッドソンに乗った

(乗せてもらえるんですか?)

(エエ、いいですよ)

(何時くらいまでいいんです?)

(日が沈むくらいまではね)

(アッ、じゃあもうすぐ沈みますから今日は無理でしょうねえ)

(いえ、まだまだ大丈夫ですよ)

・・・・・。

言われて、ふうてんは迷っていた。

何十年ぶりにオートバイに乗るのだろうか?

相手はホンダのスーパー・カブじゃない、ハーレー・ダビッドソンである。

(そうですか、大型の免許があればいいんですか)

(ええ、いいんですよ)

もうやめる訳にいかなくなった。

オートバイの運転はどうするのだったかなあ?チャリとは違うし・・・。

 ヘルメットと手袋を渡され、一切の責任は当方にありますという誓約書にサインした。

それで恐る恐る一回り、二回りすることになった。

ハーレーは手強かった

 ふうてんの時代にはヘルメットなんてのはなかった。

初めてヘルメットを被った。

これを被ると音が聴こえにくくなり、やはりいいものではなかった。

手袋は軍手の手のひらに滑り止めの処置がなされているものだった。

(どれに乗ります?)

(違いがあるんですか?)

(大きいのと小ぶりなのと)

(じゃあ・・・初心者用のお願いします)

 オートバイに乗るときは両手両足をフルに使う。

何十年か振りなので操作法を聴く。

右足 後ブレーキ

左足 ギア・チェンジ

右手 前ブレーキとアクセル

左手 クラッチ

勿論ハンドルは左右の手で握る。

 セル・モータのスイッチを押してエンジンを掛ける。

ギアをローに入れて発進する。

 まあかなり手強いものでしたね。

馬力があるのでローからセカンドへシフトする時のスピード感とアクセルの感じが分からない。

クラッチのつながり方はかなりラフで、いきなりつながる。

ギア・ダウンするとき若いころはダブル・クラッチでスムーズに繋いでいたのだけど、そんなことを急には出来ない。

ハンドルも、かなりの特徴を持っている。

・・・・。

 それで一回りして、係の人が待っている地点に戻った。

まずは一安心と車を止め、チャリと同じように左足だけで車体を支えようとした瞬間、支えられなくなって、左に横倒しになってしまった。

アラ~ッ!!と、倒れながらオートバイから離れて、すってんころり、一回転した。

出来るだけハデに転んでやろうと思った。

 係の人が駆けつけた。

(オートバイ大丈夫かなあ)

(いえ大丈夫ですよ)

と彼は一人でオートバイを起こしてくれた。

(いや~あ、重たいですねえ、何キロあります?)

(280キロです)

(・・・?!)

やはりチャリとは違うようだった。

ハーレーは座席位置が低いから乗るときは楽そうに見えるのだけど、止まったとき支えるには両足でシッカリと支えないと倒れる、と後で教えられる。

 国立、立川、昭島、福生。

近場にもいろんなものがあるなあ、と思わせられた。

(ふうてんアーカイブス)

2006 秋 昭島 ハーレー・ダビッドソン

珍しく富士山がよく見えた

雪のない富士山Fuji_1  

 

 

 

 

 

 

 

秋の空 Fuji_2_1 

 

 

 

 

 

  

茅台酒を一杯Maotai  

 

 

 

  

ハーレーに試乗させてくれる

いろんな種類Renshu_1  

 

 

 

 

 

 

 

係の人が親切にアドバイスRenshu_2 

 

 

 

 

 

 

 

夕日に向かってRenshu_3 

 

 

 

 

 

 

H-D Showa-no-Mori

どこから見てもMori_1_1 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカンMori_2  

 

 

 

 

 

 

 

スタイルMori_3

 

 

 

 

 

 

 

店は交差点の一角にあった

屋上に珍しいディスプレイSoto_1  

 

 

 

 

 

 

 

レンガの壁Soto_2  

  

 

 

 

 

 

 

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2006/10/02

2006.10.1 還暦三人衆につき篇

1998 上賀茂神社Kamigamojinjya  

 今日は雨だった。

(こういう天気ですので)

(じゃあ自転車ですか、くれぐれもお気をつけて)

繁寿司のおかみさんに電話して、チャリで傘をさして出向いた。

 山口夫人の姿が見えなかった。

(いえ、文蔵さんの奥さんが亡くなられましてね)

と繁さんが言う。

まだ60代も半ばなのに・・・・。

(文蔵)の常連だったピープルはさぞガックリ来ているに違いない。

(居酒屋兆治)はこれからどうしていくのだろう?

 今日の話題はどうしても寿命とかの話が中心になった。

居酒屋兆治ということから山口瞳さんの話にもなる。

問わず語りに繁さんが瞳さんとの付き合いのことを話し始めた。

(僕はずいぶん瞳さんに誘われたのだけど全部断っちゃってね)

(競馬にも、一度も?)

(後楽園球場の巨人戦も、断っちゃったなあ、プラチナ・チケットが手に入ったと誘ってくれたのにねえ、当時は本当にチケットが手にはいらなかったんですよ。)

(でも、それでよかったのと違いますか?)

(いえねえ、もうちょっと素直だった方がよかったかなあと今は思うんですよ、でももう瞳さんは亡くなってるしねえ、今素直になってももう遅いですよねえ)

・・・・。

(絵もね、一枚も持ってないんですよ)

(どうして?)

(瞳さんにも言われたんですよ、タカちゃんは僕の絵を買ってくれないんだね、と)

(どう答えたんです?)

(先生が目の前にいるんだもの、先生の絵を買う必要はありません、って)

(それって、カッコいい)

とふうてんの女房が言ったようだった。

 夏風邪をひいてボヤボヤ、ゴホゴホしているうちに夏から秋になってしまった。

四季の会(夏秋版)を先週府中でやった。

四騎の会でもあって、四人が揃った。

連中は現役だけれど、コチラは退役して、第一回目の(四季の会)だった。

 3カ月に一度くらい会うのはやはりいいなあと思う。

みんな日々新なりというやつで、いろんな変化があって心地よい刺激を受ける。

対して当方は十年一日の如し、というやつで、申し訳ないなあとも思う。

それでもコチラも退役したとか、一人になるとねえ、とか連中から見れば、未経験の話をしているのかも知れない、とも思う。

これは年上の特権ではなかろうか。

 その四季の会のメンバーの一人の誕生日が9月30日なのである。

9月3日の愉快な仲間でも紹介した宗像くんその人でJOさんと同じ誕生日。

当然(ああ、もうJOさんも還暦ですか)なんて話になった。

宗像くんは56歳、まあ還暦一歩手前といったところである。

今はモバイルフォンといって携帯電話の部門で活躍している。

その彼が、営業部長していて、ふうてんが持っている携帯電話の新しい機種を売り込んできたものである。

抵抗の余地なく買わされてしまった。

 四季の会の2、3日後にJOさん還暦祝いのブロッグを見た。

(それから)と(JoBlog)

それらを見ていて、ああそういえば、ふうてん、Muさん、JOさんは同い年だったのだなあとあらためて気づかされた。

例えば、今日は気温30℃ですと天気予報で言われる。

しかし、風とか湿度とか体調とかで体感温度はずいぶん違う。

そんなことを(年齢)にも感じる。

同い年といったって、老けた奴もいるし、若々しいのもいる。

それでも温度計が30℃です、と示すように、60歳ですという(年齢)からは逃れられないようではある、三人とも。

 それで8年ほど前、京都で三人で遊んだ時のビデオを思い出した。

それをアーカイブスに載っけておくことにする。

当時Muさんはまだ彦さんだった。

(彦さん、梅安さんと呼び合っていた)

JOさんはず~っとJOさんだった。

(ふうてんアーカイブス)

1998 正月明け 京都 (青春の残照篇)

上賀茂神社

1月9日 人は少なかっToriiた 

 

 

 

 

 

 

 

能書きを読む彦さんJOさんFutari  

 

 

 

 

 

 

 

マジメに参拝する二人 Sampai

 

 

 

 

 

 

 

御神籤をひいた

JOさんは凶で彦さんは大吉だったKyo  

 

 

 

 

 

 

 

沢山の御神籤が木にOmikuji

 

 

 

 

 

 

 

巫女さんがいた

お兄さんと二人Kyodai  

 

 

 

 

 

 

 

ビデオならではのショットMikosan  

 

 

 

 

 

 

 

鳥せい

伏見の蔵元?Fushimi  

 

 

 

 

 

 

 

お上りさん二人が記念撮影Shashin  

 

 

 

 

 

 

 

二人は先にTorisei

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