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2006/10/15

2006.10.15 サントリー・リザーブがよくなった篇

もうススキが?Susuki_1  

 秋も深まってきた。

まだ紅葉には早いけれど長雨も終わり、空気が乾燥し、冷えてきた。

歩いていて真っ昼間でも建物の(影)が長くなってきたのに驚かされる。

太陽が南に傾いているんだなあと気づかされる。

国立は東西南北、格子状の道が多く(影)で季節や時間が感じられる。

 この間、今日も二日酔い気味で、と鎌倉大明神に言ったら、芸術の秋よりも、やはり酒の秋ですかね、と冷やかされた。

今日は(芸術)と(酒)の二題話をしてみたい。

今月の黒澤映画は(白痴)だった

 いつものように三鷹に出かけたのはいいのだけど、会場に到着する6時頃にはもう暗くなっていた。

(おかしいなあ、もっといつもは明るかったのに。秋はこんなにも急に日が沈む・・・)

(オッと、いけねえ。ひょっとして4時からだったっけ?)

と、江戸っ子のようなセリフが口から出た。

・・・・

 文楽がいつも6時からなので混乱していて、時間を間違えたのだった。

会場に着くと、1本目の(静かなる決闘)があと15分で終わりますと言われた。

ロビーの小さなモニター画面を見ながら(ハイネケン)を飲んで待つことにした。

 この日の本命は2本目の(白痴)だった。

ドストエフスキーの原作の舞台を北海道、札幌に移して映画化に挑戦した。

グーグルに聴くとウィキペディアの(黒澤明)は次のように教えてくれる。

1949年(39歳) 野良犬

1950年(40歳) 羅生門

1951年(41歳) 白痴

1952年(42歳) 生きる

1954年(44歳) 七人の侍

 この中で(白痴)だけは一般的には余り知られていないと思う。

いわゆる(文芸もの)の極致みたいな映画でハデなアクションもハラハラするドラマもない。

ひたすら人間心理の葛藤を描く。

愛と憎、善と悪、美と醜、生と死、虚栄と欺瞞、富と貧・・・。

黒澤監督は4~5時間の長尺ものに仕上げたかったらしい。

それでは興行上難しいので映画会社松竹は(切れ、切れ)と迫ったらしい。

怒った黒澤監督は(切るのなら、フィルムを縦に切れっ!!)とタンカを切ったとか。

それくらい情熱を注いで作った作品なのですね。

上映された作品は166分で、それでも長いのだけど、全く退屈しなかった。

 それにしても、39歳から44歳までの作品群には驚かされる。

1945年に世界大戦が終わって、数年の間にこれらを作った。

彼の人生にとっても、多くの日本人たちにとっても、それまで抑圧され蓄積されていたものが一気に爆発したような熱気を感じる。

スタッフたち役者たちも、やり甲斐を感じていたのだろうなあと伝わってくる。

 映画芸術とは40歳前後の、それまでに経験を積み、まだ若いエネルギーが煮えたぎっている監督に率いられたチームが、凄いのを作るものなのだろうか。

この5~6年ほどの間に作られた黒澤映画はその後、世界の映画人に影響を与え続けている。

サントリー・リザーブがリニューアルした

 数カ月前、いつもの酒屋さんから届けられたウィスキーのボトルが変だった。

何となくラベルが変わったような感じがした。

同じウィスキーなのに何かが違う。

ハテッ?

 飲んでみると、味も違うではないか。

それまでのより、まろやかで、喉越しもスムーズである。

スムーズだけど何だか物足りないようでもある。

それで初めて真面目にラベルを見てみた。

(12)という文字が目に飛び込んできた。

オヤッ?

サントリー・リザーブは10年ものだったはず。

 コチラに断りもなく勝手に変えるとはケシカラン、と一応怒ってはみた。

もう二度とサントリーなんて飲まないぞ、出入りの酒屋さんともオサラバだ。

2杯目を飲んで、ン?悪くないかも・・・・。

3杯目を飲んで、ウン、確かに悪くない、むしろ旨い・・・。

 それで勝負は決着したのだった。

数日後、出入りの酒屋の若旦那に会ったとき、アレ良くなったねえ、いいですよ、と言っておいた。

(この酒屋さんとは先代からのお付き合い)

 今日、若旦那が酒を届けてくれたとき女房に、最近リザーブが売り切れのときがあるんです、と、のたもうたという。

ウィスキーが落ち目だという今のご時世に、これはひょっとしてヒットかもしれない。

がんばれサントリー、と思わず心の中で叫んでいた。

 ちなみにスコッチ・ウィスキーの定番、ジョニー・ウォーカー黒ラベル、オールド・パー、日本のサントリー山崎などはいずれも(12年もの)である。

サントリー・リザーブは今までと同じような値段で10年から12年にジャンプした。

コストは知らないけれど、これはサントリーの英断であって、正しい英断だと思う。

サントリーのホームページを見ると初代リザーブは1969年に発売されたという。

酒屋さんに頼むとき、ウィスキーももう迷わなくていいようだ。

(ふうてんアーカイブス)

2006 国立 秋の嵐 

(動画のMPEG方式の圧縮では、もっとも苦手な種類の絵柄)

近くの公園で

ススキも

木洩れ日1Komore_1  

 

 

 

 

 

 

 

木洩れ日2Komore_2  

 

 

 

 

 

 

 

木洩れ日3Komore_3  

 

 

 

 

 

 

 

ススキらしいSusuki_2  

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コメント

サマー・シーさん、102歳!!すごいですね

 二度の大戦を経た老婦人がリモコンで小津映画を見る。
なかなかカッコいいですね。
グラタンやスパゲッティ・・・まさにモガモボの世界じゃないですか。

 やはり日本映画はどうしても黒澤明、小津安二郎ということになるでしょうね。
その質も量も、群を抜いています。
リアルタイムに見たのが(影武者)だったのは御愁傷様と言っておきましょう。
黒澤映画は(七人の侍)まで、という人と(椿三十郎)までという人に分かれます。
1954年 七人の侍
1961年 用心棒
1962年 椿三十郎
1980年 影武者
なのですね。

 当方は小津安二郎のファンでもありまして、NHKのおかげで、殆どのビデオがあります。
時々(東京物語)を見直します。
中年のサラリーマンたちが飲み屋で何ということのない話に時間を忘れる、というシーンがまことに多いのですね、小津映画は。
これを当方は(小津安二郎する)と称して、よく(小津安二郎して)いたのでした。

(私にお酒の話をさせたら長いので)とありますね。
黒澤監督も小津監督も大酒飲みだったらしいですよ。
いつかそのうち(小津安二郎)してみたいものですね。

投稿: ふうてん | 2006/10/19 23:59

今晩は。ふうてんさん。
今回のテーマは『黒澤映画」に『お酒』ですね?(私にお酒の話をさせたら長いので又次回にお話したいな~)

残念ながら私は黒澤映画は「影武者」あたりからしかリアルな記憶がありません。後の植付けた記憶として「七人の侍」がある程度。
昭和初期の名映画監督・・・・代表はやはり壮大で荒々しい黒澤さんなのでしょうね。

我が家には現在102歳になる大姑がおります。今は寝たきりとなってしまいましたが、つい最近までは、楽しみと言えば小津安二郎の作品を観ることでした。
なかなか格好良いもんですよ。若き日、着物姿で髪は島田に結い、銀座でガス塔の明かりに感動し、二度の世界大戦を潜り抜けた女性が、グラタンやスパゲッティを好んで食べながら、ビデオのリモコンを簡単に操作する姿は!!!

今は急に体力を失くし、心配なこの頃。出来る時には、お手てを繋いで一緒に寝ています。(笑)
とても細く、そしてとても温かいその手は、私に前向きに生き抜く力を伝えてくれます。「生きる」ということを、映画より学べるかな?

黒澤映画に小津映画、是非じっくりと鑑賞したい気持ちになりました。


投稿: summer sea | 2006/10/19 19:11

ほかもさん

 今回の記事は黒澤映画とウィスキーだったので女人からコメントを戴くとは思っていませんでした。
もっとも、黒澤映画全作品上映会では半分くらいは女性です。
今回も隣が妙齢のご婦人で、黒澤ファンですか?黒澤作品は女性にはあまり人気が・・・と話しかけて会場を見渡すと、シッカリと半分は女性でした。

 ウィスキーはストレートに限ります。
氷も水も入れません。
ウィスキーとは別に氷水(チェイサーというんですか)をもらいます。
ストレートをダブルで、それとホット・コーヒーを、という組み合わせは、我らが(四季の会)の面々も味をしめたらしく、4人で飲むと(同じものを4人分)となります。
自宅でウィスキーを飲む時はチェイサーは日本茶になります。

 2年前のグレアム・グリーン篇を読み直しました。
たった2年前なのに若げなことを書いていたのだなあと自分でも驚きます。
今度は彼の(第三の男)を翻訳されていない文章で読んでみようと思いました。
いいことを思い出させてくれました。

投稿: ふうてん | 2006/10/17 20:54

(ウィスキーは、ロックで?それとも水割りで?)

 秋の夜長に、ウィスキーを傾けながら、(グレアム・グリーン)を原書で読む・・・なんて言うのが、私のふうてんさんに対するイメージですね(笑)。

 2004年の『グレアム・グリーン篇』の記事は、私の好きな記事の一つです。

(芸術の秋)(読書の秋)ですかぁ・・。
私も(食欲の秋)を返上して、谷崎をスロー・リーディングしてみようかしら(爆)。

投稿: ほかも | 2006/10/17 12:09

JOさん

 ホンダはベトナムで100万台作ったんですか。
驚きますねえ。
四輪車も!!

 ホー・チ・ミンのディエンビエンフーの闘いね。
亡くなった後だったけどサイゴンでアメリカまでやっつけちゃった。
裸足の兵士たちがゲリラ戦でねえ。
まったくベトナム民族恐るべし、ですね。

 当方はニューヨークで(アー・ユー・フロム・ヴィエトナム?)と聴かれて以来、先祖はきっとベトナムからのボート・ピープルで瀬戸内海に流れ着いたのだろうと信じています。
本当に、鏡を見てもそんな気がするのですね。

 年内にはハノイ(河内)に赴任ですか。
少し寂しくなりますね。

投稿: ふうてん | 2006/10/16 23:00

ハノイだす

 今日はホンダさんの工場を訪問しました。二輪車は100万台を越えたそうです。四輪の工場も有りましたよ。凄いの一言でしょうかね。

ホーチミンさんの廟も訪問しました。本当に偉大な人のようでした。こちらでは、誰でもが尊敬されているんではないでしょうか。フランスの女性記者さんとのロマンスの話を現地で聞きました。

ほたら

投稿: jo | 2006/10/16 20:34

JOさん

 驚きましたあ。
ハノイからですか。
はじめて(ふうてん老人日記)に海外からコメントもらいました。

 バイクの洪水ですか。
ホンダですか?スズキですか?ヤマハですか?
えっ?中国製?

 昨日もビデオで(映像の世紀 第6集 独立の旗の下で)を見直していました。
ホー・チミンのゲリラ戦の様子も映像で残っています。
フンドシ一丁で太極拳やるシーンもあります。
流暢なフランス語で、パリで演説するシーンもあります。
彼はフランスや中国で30年も地下に潜っていたのですね。
当方がもっとも尊敬するアジアの指導者です。

 では無事の帰国を祈っております。

投稿: ふうてん | 2006/10/16 20:25

 お元気ですか? ハノイからです

 ハノイは毎日暑いです。食べ物は美味しいですし、人々は優しい人々です。

ただ、道路を渡ることは出来ません、信号が無いのと、凄まじいバイクの洪水で目が回ります。

ともかく仕事も順調ですし、問題はありません。木曜日の深夜の便で帰国予定です。日本は金曜日の早朝に着きます。

投稿: jo | 2006/10/16 17:39

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