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2006年9月に作成された記事

2006/09/25

2006.09.24 金木犀の匂うころ篇

秋の空?雲?Kumo_1  

 白にエサをやろうとしてドアを開けると金木犀が強く匂ってきた。

この匂いがしてくると毎年、ああもう秋だなあと思わせられる。

子供のころの記憶としてもあるし、学生時代の下宿にも植わっていた。

 金木犀の花の匂いはムッとくるような香りで、フッとかすかに匂う、という種類の匂いではないようだ。

女房などはこの匂いが大の苦手で、嗅いでいると頭が痛くなり気分が悪くなる、という。

そうではあるのだけれど、お隣さんの金木犀の匂いを防ぐ手だては今のところない。

いつもは少し開けている部屋の窓を締め切ると、ずいぶん楽だわと女房は言う。

 50を過ぎると坂道を転げ落ちるようだ、と池波正太郎がエッセイに書いていて、ふ~ん、そんなものかなあと思っていた。

50歳のときおふくろが死んで、大きな喪失感に襲われて一年ほどそれから回復出来なかったのだけど、そんなに坂道を転げ落ちるような気分ではなかった。

数年前からだろうか、一日がやけに短くなったような気がし始めた。

 それこそ、一週間がアッという間に過ぎる。

一年といったってアッという間に過ぎてしまう。

ああこれが池波正太郎が言っていた(坂道を転げ落ちる)というやつなのだなあと、やっと思い至った。

口の悪い友人たちに言わせると(何もしていないからさ)となる。

言われてみればその通りで、社会の中で責任ある仕事をしていれば、その仕事には時間の経過というものも感じられるだろうし、様々な人々との付き合いのなかでも時間の経過は刻みつけられるだろう。

 (社会の中での責任ある仕事)をやっているうちは他力本願で世の中回っているような要素があり、自分で意識しなくてもアレがありコレがある。

ところがそういう立場から少しずつ離れてくると、他力本願ではすまなくなる。

他力本願ではなく自力本願で一日を過ごすことになる。

 一週間がアッという間にすぎ、一年がアッという間にすぎる。

こいつのスピードを少しでも抑える手はないだろうかと考えた挙げ句に、結局は一日一日が積み重なって一週間があり一年がある、ということに気づいた。

一日をどう過ごすかに全てがかかっている。

60歳を過ぎて、還暦を過ぎての(発見)であった。

 そんなことで、最近は出来るだけ外へ出るようにしている。

午前中にチャリで軽く流し、ロージナ茶房でコーヒーを飲み、本屋さんを冷やかす。

夕方には自分の足で家の近くを一回りする。

えっ?大したことないですね、と言われればそれまでの話。

他力本願ではなく自力本願で続けるというのはなかなか大変なのだよ、と言っておくことにしたい。

今月の黒澤映画は(天国と地獄)だった

 いつものように三鷹へ黒澤映画を見に行った。

今月は(醜聞 スキャンダル)と(天国と地獄)だった。

(醜聞)の方は1950年(昭和25年)公開の作品で、映画を作るのがやっとの当時の日本で黒澤明も模索中だったとしても不思議ではない。

48年の(酔どれ天使)49年の(野良犬)に続く作品だと考えると、なおさら彼も模索していたのだなあ、と考えさせられる。

いろいろ試みは盛り込まれているけれど、一つの作品としては全く面白くなかった。

(天国と地獄)は1963年(昭和38年)公開でふうてんは高校生のとき松山で封切りを見た。

この時、既に三船敏郎は中年になっていて、少し若い仲代達矢とデビューしたての山崎努がいい味を出している。

俳優たちよりもストーリよりもこの映画は何と言っても列車シーンである。

誘拐された子供を救うため、親(代理)や刑事たちが現金を持って(特急こだま)に乗り込む。

列車に犯人から電話がかかってきて、酒匂川のたもとで子供を見せるから現金を投げろ、と言う。

 この6分30秒ほどの列車のシーンが素晴らしい。

新幹線のなかった当時、小田原から熱海くらいまで(特急こだま)を借り切って撮影に望んだという。

撮影監督の中井朝一の述懐によると、本番は一回っきりだから、カメラを8台ほど持ち込んで、まるで戦場のような騒ぎでした、とか。

 今はやりのコンピュータ・グラフィックスでは絶対にこういう映像は出来ない。

リアル・タイムで本物の列車に乗って録った映像であり音であるからやはり結果は極めてリアルなのですね。

撮影プランを練って、撮影のプロたちが撮影し、編集のプロたる黒澤監督が編集している。

この6分30秒のシークエンスは映画史に残る、とふうてんは思う。

 フランシス・フォード・コッポラの(地獄の黙示録)のヘリコプターの襲撃シーンは明らかにこの列車シーンの影響を受けている。

ワーグナーのワルキューレの音楽とともに展開されるヘリコプターのシーンもふうてんは大好きなのである。

(天国と地獄)の列車シーンと(地獄の黙示録)のヘリコプターのシーンはデジタル化して圧縮してデスク・トップに登録している。

(ふうてんアーカイブス)

2006 国立 秋の風物詩

谷保天満宮 古式獅子舞

天満宮に奉納する獅子舞の練習

長老が出てきたHajimeyo  

 

 

 

 

 

 

 

獅子舞1Shishi  

 

 

 

 

 

 

 

地元の長老たちが笛を吹く

Fue  

 

 

 

 

 

 

 

獅子舞2Shishi_2

 

 

 

 

 

 

 

夜に、公園に、みんなが集まって

獅子舞3Shishi_3  

 

 

 

 

 

 

 

夜の練習Kakomarete  

 

 

 

 

 

 

金木犀

秋の空と金木犀

金木犀1Kimmoku_1  

 

 

 

 

 

 

 

金木犀2Kimmoku_2

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2006/09/18

2006.09.17 秋の長雨がもう始まった?篇

谷保天神はやはりカミナリさまSairei  

 

 毎週のように書くけど、本当に今年は東京では雨が多い。

今週も何日か雨に閉じ込められた。

しかも今年はカミナリが5月から9月までずっと鳴っている。

やはり気象異常は年々ひどくなるばかりのようだ。

 先週ひいた夏風邪は一旦急に良くなったものの、ドッコイしぶとく居残りを続けている。

風邪は万病のもと、などという古い諺を思い出す。

 天気がパッとせず、体調もパッとせず、さえない一週間だった。

ジョークというもの

 本田宗一郎さんの生誕100年とかで何冊か著作が復刻されている。

この日記でも本田宗一郎さんのことは何度も書いているけれど、以下の3冊が彼の著作三部作と言ってよいと思う。

 1961年(昭和36年) スピードに生きる  

 1963年(昭和38年) 俺の考え      

 1982年(昭和57年) 私の手が語る    

 一冊目は社内報に書いたものを中心にまとめられている。

二冊目は雑誌に連載したものらしい。

三冊目は社長を退任した後、落ち着いて人生を振り返っている。

 今週は二冊目の(俺の考え)を読んでいる。

経済誌の一つに連載したものらしく、会社活動に関するいろんな要素についての彼の考えを披瀝している。

連載のテーマが(放言暴言)だったそうで、いろんな話をズバリ本質に迫るという、いつもの彼のスタイルで書いている。

 中で(人づくりは「ジョーク」から)という章があり、これには考えさせられた。

ジョークがいかに大切か、いろんな話を引き合いに出して語るのである。

生誕100年を迎える大先輩が、ジョークが苦手だと言われる日本の風土の中で、戦中、戦後いかにジョークを大切にしてきたかを縷々語っている。

 鍛冶屋であったお父さんから、1尺の(ものさし)で片一方から5寸、もう一方から5寸のところがまん中だというのはウソだ、両方から4寸、4寸のところの残り2寸のところがまん中だ、と教えられたという。

5寸、5寸だと衝突してしまう。

そうなると話も出来ないし仲裁にもはいれない。

余裕がなくなる。

 本田宗一郎さんに言わせると(人間関係というのは平たくいえば、ほんとうのジョークをかわすことができる仲ということだ)となる。

ジョークというのはアイデアであって、いいつけていると慣れてくる、つまり訓練が必要である、ましてや上品な(?)ジョークというのは難しいものだ。

その為には小学校から大学までジョークを専門に教える先生がいてもいいと思っている、とエスカレートするところがいかにも彼らしい。

 本田オジさんにはいつもハッとさせられる。

親王誕生はイナバウワー?

 秋篠宮家の男子誕生で(皇室典範改定議論)は新しい局面を迎えている。

ふうてんが思い出すのは荒川静が冬のオリンピックでイナバウワーをやってのけて観客を魅了したとき、解説者が(空気をしなやかにしましたねえ)と言ったことである。

男子誕生は天皇継承問題の、閉塞感に満ちた空気を(しなやか)なものにした。

 ふうてんは天皇制に強い賛成もしないけれど反対もしない。

賛成か反対か、という問題ではないという風にとらえている。

天皇家という家族が存在する、という事実以上に想像がふくらまない。

 男系、女系という。

我々一般の家庭、家族ではどうなのだろうね?なんて話を時々女房とする。

男の子が生れると(跡継ぎができた)なんていう言い方をすることが、この間まではあった。

跡継ぎというのはおそらく(家の跡継ぎ)という意味で、家名(姓)が変わらない子供ができたからそう言っていたのだと思う。

女の子は結婚すると一般的には結婚相手の姓に変わる。

つまり家名が継続されない。

 女房は(天皇家は一般の家のモデルなのじゃないかしら)という。

だから皇室典範が改定されて積極的に女系を認めるようになったら、一般の家族に与える影響は大きい、今の家族が持っている暗黙の了解というのは壊れざるを得ないのではないかしらという。

 それともう一つ、この議論は家庭における男と女の関係、役割分担についても物議をかもすことになるような気がする。

男女同権とか男女平等とか言われて久しい。

同じである、ととらえて、無理に平均化して平和にやる方法もある。

違うものだ、ととらえて、得手不得手を尊重して平和にやる方法もある。

果たして天皇という役割は男に向いているのか女に向いているのか。

 議論はつきないでしょうなあ。

(ふうてんアーカイブス)

2006 国立 谷保天神の秋祭り近し

大学通り

ちょうちんがぶら下がっていた

街灯とちょうちんGosairei_2  

 

 

 

 

 

 

 

御祭礼Gosairei 

 

 

 

 

 

 

 

スポンサードShotenkai  

 

 

 

 

 

 

 

富士見通り 

書簡集の前は通行禁止

書簡集Shokanshu  

 

 

 

 

 

 

 

車輛全面通行禁止Keep_out  

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2006/09/11

2006.09.10 夏風邪を引いてしまった篇

秋の光?Aki  

 今夜は繁寿司に山口夫人の姿が見えなかった。

夫人の姿が見えないと繁寿司での風景が完結しないような気がする。

 夕刻チャリで出向いた。

久しぶりの晴だった。

晴なのにロシナンテではなくチャリにしたのには理由があった。

夏風邪を引いて2、3日臥せっていたのだった。

 車を運転する、運転して気分が良い、というのには条件があって、コチラの体調とか気分とかが今一つのときは、今日はやめておこうという気になる。

ロシナンテに一鞭くれるには気合がいるようである。

ホコリを払って、バッテリー・コードをつなぎ、エンジンをかけて・・・無事走り出したとして、走り終わるまでは一瞬たりとも気を抜けない。

ブレーキは確実に効くだろうか、横から飛び出してくる奴はいないだろうか・・・。

 車を運転するということは、そういう一種の労苦を伴う。

それでも一週間に一回くらいは走りたくなる。

ブルルルンとエンジンがかかると、おうロシナンテも生きているなと安心する。

ギアをバックに入れて車庫から出る。

ローとセカンドで桜通りに出る。

桜通りに出てから、チャンスがあればサードに入れることもある。

(ロシナンテは5速まであるのだけど4速、5速はこのところトント使ったことがない)

 1トン近くの車体をエンジンの力を借りて動かす。

エンジンのサウンドがある。

クラッチを踏んでギアを切り換え、アクセルとブレーキで速度をコントロールする。

人間には(制御する欲望がある)と誰かが言っていた。

ハンドルを右へ切れば右へ行く。

なるほど車は(コチラの制御のままに)動いてくれる。

 自分の脚で歩く、徒歩というのもいい。

車輪を二つ使ったチャリもいい。

エンジンの力を使った車で流すのも捨て難い。

同じ半径2Km以内の自宅周辺をこの3種の方法でウロウロして今のところ飽きる気配はない。

 やはり(夏風邪)のせいか筆が進まない。

先週末に国立劇場で文楽9月公演があり、またラガーマンを誘って住大夫の仮名手本忠臣蔵を聴いてきた。

その前日に風邪が発症したので行けるかどうかヒヤヒヤした。

帰りにラガーマンが(近松物を聴きたいですね)と言った。

(やはり近松物、曽根崎心中とかじゃないとね、そういう時はまた誘うよ)

と別れたのだった。

ふうてんにとってはこの夜の竹本住大夫も聴き応えがあり、三味線の野澤錦糸も冴えていた。

(ふうてんアーカイブス)

2006 9月 東京タワー やはり乳色だった

エレベータで上がって

エッフェル塔?Ele  

 

 

 

 

 

 

 

めまい・・・足がすくんだMemai  

 

 

 

 

 

 

東を見ても

汐留跡地に出来た屏風Shiodome  

 

 

 

 

 

 

北を見ても

日比谷公園も皇居もビルの中Bill

 

 

 

 

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2006/09/04

2006.09.03 愉快な仲間篇

六本木ワインガーデンWine   

 9月になって涼しい日が続く。

少し涼しくなっても今年はともかく湿度が高い。

去年当たりまではどんなに暑くても裸でポロシャツを着ることはなかった。

木綿のシャツは汗を吸い取ってくれると思って必ず着ていた。

しかし、今年からは、裸でポロシャツを着るようになった。

出来ることならポロシャツも着ず(裸)で出かけたいくらいになった。

 文明人のふりをするのも辛いことではある。

 8月の終わりに(Towns卒業記念・ソフトウェア版)を六本木でやった。

5月にはハードウェア・ピープルに集まってもらったのだけど今回はソフトウェア・ピープルに集まってもらったのだった。

 ワインガーデンに集まり、二次会を六本木交差点にあるカラオケの店でやって別れた。

ハードウェアの連中とは多摩川近くの田舎でやるのが似合っていた。

ソフトウェアの連中とは無国籍の、六本木がふさわしいと思った。

 今夜は少しTownsのソフトウェア・ピープルのことを話してみたい。

一体ソフトウェアとは何者なのだろう

 パソコンは(ソフトがなければただの箱)と言われる。

同じ機械でも車や冷蔵庫や洗濯機などではそう言われることはない。

 けれどもガソリンが無ければ車はただの箱だし、氷や電気がなければ冷蔵庫もただの箱とも言える。

してみるとハードとは入れ物、器であり、ソフトとはその機械を機能させる何者かなのだろうか。

 そのような気もする。

ガソリンであり電気なのだろうと思う。

しかし違いもあって、車は走ればよろしい、冷蔵庫は冷やせばよろしいでお役御免となる。

しかしてパソコンは何をすれば(おうよしよし)と頭をなでて貰えるのだろう。

これが難しい。

どうも物を運んだり、物を冷やしたりすればいいものではないようである。

 言うまでもなくパソコンは物を扱うのではなく情報という目に見えないものを扱う。

(コンピュータは第二の言葉である)という人がいる。

(コンピュータはファンタジー増幅器である)という人がいる。

 という風にコンピュータの一形態であるパソコンもなかなかにやっかいな使命を帯びている。

(第二の言葉)(ファンタジー増幅器)と言われると、そこで働くソフトウェアもガソリンでしょう、電気でしょう、と言うだけではすまないようだ。

ソフトウェアにもいろんなレア(層)がある

 ソフトウェアと一言で言ってもいろんな役割がある。

それを業界用語ではレア(階層、層)という。

ハードウェアに一番密着したところが最下層で、人間の想像する世界のようなところが最上層となる。

 今回集まって貰った5人のソフトウェア・ピープルの専門は以下のようであった。

ドライバー(ファーム・ウェア)

 宗像くん(彼は5歳年下なので未だにくんづけで呼ばせて貰っている)。

ハード部隊に身を置いていて、主にCD-ROMの制御のところをやって貰った。

パソコンでCD-ROMを標準実装することは、それまで行われていなかった。

標準実装されていなかったということはマイクロソフトのサポートも十分でない、ということを意味する。

 ある日、実験室で裸のCD-ROMドライブがヒョロヒョロと回っているのを見た。

CDオーディオと同じドライブなのだけど、記録の仕方がスパイラル(渦巻き)なので、外周へ行くほど回転速度が遅くなるのである。

 こんなものがコンピュータのファイル装置として使えるのかなあ?と二人して不安になったのを覚えている。

 CD-ROMの制御のためのLSI(IC)はヤマハ製だった。

どうしても分からないことがあり、夜の8時ころ、ヤマハの担当課長さんを自宅まで追っかけて電話したことがあった。

奥さんが出てきて(すみません、主人は今お風呂にはいっていますので、後ほど電話します)と返事されて恐縮したものだった。

 宗像くんはファーム・ウェア(ハードを制御するソフト)のことが分かるのでCDに限らず、表示やら通信やらあらゆるハードの、ソフトとのインターフェースを担当して貰った。

ふうてんとは正反対のマジメな男で、歌がうまく、空手部にいたという。

従って、彼とは一度もケンカはしなかった。

OS(オペレイティング・システム)

 浦野さん(大仏さんと呼ぶ人も多い)。

OSというのはその名の通りソフトウェアの基本となる部分である。

コンピュータの動きの一切を管理する部分とも言える。

従って、レア(層)で言うと、ちょうど真ん中に位置する。

下のことも上のことも知らないといけない。

 そういう肝心要のところを大仏さんと言われるお方にやって貰ったのはラッキーだった。

長野の善光寺の近くで生まれ育ったらしい。

大仏さんだから天と地と、両方に神経が行き渡っている、に違いない。

 ふうてんも仕事のときは短気でケンカっぱやかった。

それに輪をかけて大仏さんも短気であった。

彼が空手部にいたという話は聴かなかった。

毎日毎晩、大ゲンカが繰り返されたのだった。

 何故彼が(大仏さん)と呼ばれたのだろう?

善光寺生まれだからでもなく、人格円満というわけでもなく、単に骨相が似ているから、という説もあるらしい。

アプリケーション フロム アメリカ

 JOさん(名前の城二がジョージと読めるので駐在時代そう呼ばれるようになったらしい)。

実験室にこもっていたある日、見覚えのある仁が見慣れぬハーフを連れて現われた。

それがJOさんとトム・ランドルフだった。

JOさんは入社当時、寮が一緒で顔は覚えていた。

トムはアメリカで知り合ったハワイ生まれのハーフだという。

新しいマシンを開発していると聴いて、アプリケーションを手伝ってやろうかと思って来た、という。

 これは渡りに船だった。

全く予想もしていなかった。

それからドップリと二人をTownsに捲き込むことになった。

 聴けばJOさんはアメリカ駐在員を終わったばかりで、駐在最後のころ、これからはパソコンだなと感じてあらゆるソフトハウスさんを経巡ったという。

そんな中で知り合い、案内役でもあったのがトム・ランドルフだった。

トムは当時、日本のパソコン誌のためにいろんな記事を寄稿していた。

 JOさんとトムの登場で、我々のマシンはひょっとして世界で通用するかもしれないという新しい希望が生まれ、世界への小さな窓が開かれたように感じた。

アプリケーション オン ネットワーク

 福田選手(何故選手と呼ばれるのか分からない、マジメな人柄から来ているようにも思う)。 

この仁も入社当時JOさんとも一緒だった寮にいた。

知り合ったのはギターを通じてだった。

今でもツメの手入れをし、ギターを弾いているらしい。

 教育現場である、学校へのパソコンの導入の仕事をしていた。

教育現場に必要な様々なアプリケーションの開発をやっていた。

そんな中で(ハビタット)という不思議な通信型のアプリケーションの開発責任者として白羽の矢がたった。

これもアメリカ発のアプリで開発の最盛期にはサンフランシスコだったかロスアンゼルスだったかに行きっぱなしになり、もう帰って来ないのではないかというウワサもたっていた。

 もの作りに向いている仁でふうてんとはウマがあった。

もの作りに向いている男にはどこかアーシーな匂いがある。

土の匂いがするのである。

アプリケーション イン ミュージック

 江守さん(トランペッター、ソフトハウスの経営者)。

この仁と知り合ったのはもう24年くらい前になる。

当時彼はリットー・ミュージックという出版社にいて、コンピュータ・ミュージック関連の仕事もしていた。

最初はMIDIインターフェースというコンピュータ用の音楽に関するインターフェースを教えて貰い、それを使ったアプリケーションの仕事をお願いしたのだった。

 パソコンの仕事というのは仕事なのか趣味なのか分からないところがある。

仕事であり趣味であり、趣味であり仕事である、ということになってしまう。

この江守さんとのつきあいはそれの典型的なものであったような気がする。

何しろコチラも音楽が好きな方である。

MIDIインターフェースという仕事の話をしているうちにやがて音楽の話になり、そのうち仕事とは直接関係のない好きな音楽の話になったりする。

 付き合っているうちに彼が国立のふうてんの隠宅に近いところに昔住んでいたことも分かった。

音楽大学に通っていたらしい。

(どうしてトランペットのプロにならなかったんです?)

なんて意地悪な質問をする。

(ヤダナ~、才能に見切りをつけたに決まってるじゃありませんか)

などと、そう嫌そうでもない風に答える。

トランペットで、ましてやクラッシックでプロで喰って行けるなぞという夢のような話は今は確かに夢に違いない。

 江守さんには音楽ソフトだけではなくいろんなデモ・プロや商品発表会などのイベントでのプログラムでずいぶんお世話になった。

この仁も福田選手と同様のアーシーな匂いがあり、ギターとトランペットの違いはあるけれども、いまだにペットを手放さず、マイルスの(ラウンド・アバウト・ミッドナイト)を吹いてくれたりする。

そのことは以前この日記でも報告した。

懲りない面々、オーシャンと11人の仲間?

 退役軍人たちがひょんなことから集まり、それぞれの専門技術を活かしてアッと驚くようなことをやってのける、というのは映画でよくあるパターンかもしれない。

特に第二次世界大戦後の15年ほどの間に数々の名作が作られた。

・オーシャンと11人の仲間

(1960年 フランク・シナトラ ラスベガスでクラブの稼ぎをゴッソリと)

・紳士同盟

(1960年 ジャック・ホーキンス ロンドンで銀行からガス・マスクつけて)

・ナバロンの要塞

(1961年 グレゴリー・ペック 難攻不落のドイツの要塞を爆破して一泡吹かせる)

・七人の侍

(1954年 志村喬 野盗から村を守る)

 いずれも正規軍ではない退役軍人たち数人の戦い(?)であった。

これらの映画は大好きなものであって、今でも時々ビデオで見直している。

 この記事を書いていてフッとこれらの映画を思い出した。

定年退職となった今、もはや正規軍としての戦いは残っていない。

でも世の東西を問わず、軍人たちは戦い終わっても、なんぞ戦いの場を求めているのだろうか。

金の為なのか、生きがいの為なのか、暇つぶしの為なのか。

 六本木の(Towns卒業記念)が終わって、みんな卒業証書を貰っているはずなのに、何故かまだもの足りなさそうな顔をしている、ような気配もある。

 ふ~ん、ここは一つ・・・あれは映画の中の話だけど・・・。

何だか楽しくなってきた。

(ふうてんアーカイブス)

2006 夏 六本木 Towns卒業記念 ソフトウェア版

ワインガーデン

外から

内から

マスターMaster  

 

 

 

 

 

 

  

愉快なソフトウェア・ピープル 

宗像くんMunakata   

 

 

 

 

 

 

浦野(大仏)さんUrano

 

 

 

 

 

 

福田選手

Fukuda

 

 

 

 

 

JOさん

Jo

 

 

 

 

 

 

江守さん 

Photo_3  

 

 

 

(番外篇 何故かモノクロ あの世?この世?20年後?)

乾杯

懲りない面々 1Kampai_1  

 

 

 

懲りない面々 2Kampai_2

 

 

 

懲りない面々 3Kampai_3

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