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2006年8月に作成された記事

2006/08/28

2006.08.27 秋風が吹いて虫が鳴き始めた篇

 今夜ロシナンテで繁寿司から帰るとき、女房が(虫の声が凄いわねえ)と言った。

言われて気づくと確かにうるさいくらいの虫の声だった。

道の片側が一橋大学のところで、虫たちはここを先途と大合唱しているのだった。

帰って自室でこれを書いていても回りからしきりに聴こえてくる。

 女房には(この間までは蝉だったのになあ)と答えた。

この頃の蝉は夜間照明のせいか夜でも鳴く。

(つくつくほーし)て本当にツクツクホ~シと鳴くのね、というのがこの頃の女房の口癖であって、別府の駅前旅館の産である彼女には鳥獣虫魚のことはまるで分からないらしい。

しかし今夜はその町っ子の女房に季節の変化を教えられたのだった。

 蒸し暑さを嘆くばかりの日記が続いた。

湿度は相変わらずだし、曇天ばかりなのだけど気温はさすがに下がってきた。

30℃以下の日がときどきあって、これはまことに有り難い。

お盆を過ぎて、盆踊りやら花火やらの夏祭も終わる。

夏の甲子園での高校野球の騒動も終わった。

 今年は西東京代表の早稲田実業が優勝してしまった。

5年ほど前に隣の国分寺市に引っ越してきたばかりの高校であって、地元の高校が優勝したという実感はまるでない。

しかし西にしろ東にしろ東京の高校であることは確かであって、野球だけ強い、という偏った高校でもないので安心して見ていられた。

最近の甲子園大会はともすればチェーン店のような高校が、出来る選手を全国から集めて優勝をかっさらうということが多い。

あれで(感動をありがとう)なんていう気持ちにはとうていなれなかった。

 夏のお祭騒ぎが終わってようやくシンミリとした秋がくる。

秋なんて大嫌い、それよか春とか、カッと太陽の射す夏がいい、とかうそぶいていたふうてんも、歳のせいか秋を待ちわびるようになってきたらしい。

清水有紀さんのバイオリン・コンサート

 いつものように鎌倉大明神に誘われて清水有紀さんのバイオリンを聴きにいった。

今回はサントリー・小ホールで行われた。

チェンバロとの二重奏で、ふうてんにとってはチェンバロを生で聴くのは初めての経験だった。

何しろチェンバロ=ハープシコードくらいの知識しかないのである。

 ビバルディとバッハのバイオリン協奏曲が2曲ずつだったけれど、ウンこれはビバルディかな、これはバッハかな程度のことしか分からない。

一番よかったのはアンコールで聴かせてくれた(グノーのアベ・マリア)だったというお粗末。

この曲なら知っている。

バッハの平均律集第一番をバックに、かぶさるようにアベ・マリアの旋律が流れる。

 チェンバロの音色もよかったし、有紀さんも少し大人っぽくなってキリッとした顔だちになり、演奏にも自信が出てきたのではないか、という印象だった。

サントリー・ホールのあるところ

 サントリー・ホールは地下鉄南北線、六本木一丁目駅のほど近くにある。

テレビ朝日の社屋も近くにあるような気がする。

駅から地上に出て、いつも思うのは空気が恐ろしく悪いことである。

これは田舎育ち、田舎在住のふうてんのような田舎者にはかなり絶え難いものがある。

 空気が悪い、というのは東京都心の宿命だと思う。

今どきモクモクと黒い煙をあげる工場というものは日本にはない。

モクモクと煙を上げて近隣に匂いをまき散らしているのは製紙工場くらいなものだと思う。

東京都心にそういう工場はない。

 しかし残念ながら車の洪水というのはやまない。

サントリー・ホールのあるところも、地上に片道3車線くらいの道路があり、その上に高速道路が重なるように走っている。

つまり片道6車線、合わせて12車線くらいな道路をひっきりなしに車がかなりのスピードで走っている。

 同じ車の洪水に見舞われてはいても、京都などとは訳が違って、物流のためのトラックも多いのである。

10トンも15トンもある大型のトラックたちが地響きをたてて走り回っている。

 その喧騒と汚濁のすぐそばで、一切の空気と騒音を遮断して、室内楽を聴くのである。

サントリー・ホールで音楽を楽しむためには、宇宙服を着て無重力状態の宇宙船で朝食をとるのに似た覚悟が必要なのである。

帰りはやはりワインガーデン

 そのサントリー・ホールから少し坂を上がって15分ほど歩いたところにワインガーデンはある。

サントリー・ホールが谷底だとすると、六本木ヒルズと言われるくらいここは丘の上であって、多少空気もマシになる。

メインの大通りから外れると、田舎者のふうてんでも呼吸が出来るようになる。

 トボトボ、ボヤボヤと坂を登ってワインガーデンにたどり着いた。

一人で9時頃にここを冷やかすことはめったにない。

電話するのもはばかられて、連絡もせず店にはいった。

 何組かの客がいて、マスターもタッキーこと義経くんも忙しそうだった。

いいですか?おやどうしたんです?

一人で行くときは真ん中の丸テーブルの一つの席に座る。

赤ワインとチーズに決まっている。

 今回は何故かマスターの子供の頃の話になった。

きっかけは、ふうてんがマスター、フランス料理も修行したのでしょう?と聴いたことだった。

(ええ若い頃やりましたよ、5~6年)

(フランスへも行ったんでしょう?)

(最後の頃にチラッとですがね)

(どうしてワインの店になっちゃったんです?)

(いろいろ料理を修行するうち、アレ、料理にもワイン使うでしょう?面白くなってね)

(でも5~6年もやればフランス料理のたいていのことは勉強したでしょう)

(今と違うのは肉料理でしょうねえ、何しろ牛でも皮剥いだのがそのまんま来るんですから)

(それで?)

(骨から肉を外しますよね、まず)

(ハァ~)

(内臓なんてのも全部処理するわけです)

(ハイ)

(そういえば子供の頃おもしろい話があったなあ)

(どうしたんです?)

(いえね、近くの青年団の悪いのと夜中に近くの養鶏場でトリを盗んで喰おうやとなってね)

・・・・。

(それで5~6羽取ってきて、それも音を立ててはいけないので、ちょっと目をふさいで両方の羽をとめるんですバタバタしないようにね)

(それで食べるんですかあ?)

(羽をむしって、あと残りの毛をちょっと火であぶって、ああその前に成仏してもらいますわね)

・・・・。

(ところがその5~6羽ぶんもの羽の始末を担当したやつがドジでしてね)

(どうしたんです?)

(川へ流しちゃったんですよ、川へ、そしたら見つかりますよね、近くの水車に引っ掛かったりしてね、当時まだ精米のための水車小屋があったんですよ)

(ちょっとだけの羽ならキツネにでもと思うでしょうが大量だとね)

(それで、こんなことをする奴はどういう連中だというのはすぐ分かりますよね田舎だから)

(マスター九州のどこでしたっけ?)

(熊本です。それでオヤジたちにもバレて、翌日オヤジが焼酎3本下げて謝りにいってくれました)

(焼酎3本?酒屋さんだったの?)

(そうなんです、当時の焼酎3本は値打ちもので、ニワトリ5~6羽なら安いもんだ、なんだったらもう一度やってもらいたい、と相手は喜びましてねえ)

 何の話か分からなくなってきた。

家が酒屋だったので小中学校のときからちょくちょく酒の味見(?)をしていたという。

熊本の、中心部からも離れた山深いところで育ったマスターが、どうしてワインを売りにしたフレンチ・レストランを六本木でやるようになったのか。

今回はその源の一端を聴いたところで時間がなくなったようだった。

(ふうてんアーカイブス)

2006 夏の終わりに 銀座 神楽坂

銀座四丁目 ニッサン・ギャラリーに往年のスカイラインが

服部時計店

三越と松阪屋 銀座の柳はどこへ?

プリンス・スカイラインSkyline  

 

 

 

 

 

 

 

服部時計店Tokei  

 

 

 

 

 

 

 

三越Takashimaya  

 

 

 

 

 

 

 

松阪屋 柳は?もみの木?クリスマス・ツリー?Matsuzakaya  

 

 

 

 

 

 

神楽坂 毘沙門天

愉快な仲間たち

ここは毘沙門天、帝釈天は寅さん?Bishamon  

 

 

 

 

 

 

 

愉快な仲間たちNakama

 

 

 

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2006/08/21

2006.08.20 ラガーマンとラグビーを見た篇

スクラムと観客とRugby  

 8月15日の終戦記念日。

お盆と重なって連休があり、各地では様々な行事が行われる。

 子供が学校へ行くようになったころからお盆休みも国立にへばりついて過ごすようになった。

8月になると戦争記念のテレビ番組が増える。

それも戦後60年も経つとさすがに随分(風化)のようなものが進んだなあと感じる。

特にリキのはいった番組は殆どなくなり、ワンパターンのお付き合い的な番組ばかりになった。

 それでもまだ戦中派の人たちが、65歳、70歳、75歳となって元気で活躍していて、NHKの(昭和20年 あの日)みたいな番組で当時の強烈な記憶を生き生きと話してくれる。

しかしそれも、5歳、10歳、15歳のころのことだから子供の記憶となってきた。

 今年のお盆休みは我が家では一種のハイテク週間の様相を呈した。

ハイテクというほどのことはなくてむしろローテクの悩みだったのかもしれない。

ともかくパソコン関係でビックカメラへ何度か足を運んだ。

この頃の連休中というのは休んでいる店も多いのだけどビックカメラはやけに賑わっていた。

 そんな中、終戦記念日の15日にラガーマンから電話があり、急だけど18日に東芝府中でラグビーの試合があるのだけど興味ありませんか?と言った。

ハイテク?ローテク?

 3つの問題が生じていた。

一つはふうてんのノートパソコンが温度のせいか(サーマル・シャットダウン)を起こし易くなった。

一つは女房のiBOOK(Mac)のハードディスクが満杯になって外付けを買い足す必要が生じた。

一つはこれまで会社で用が足りていたハードコピーを自宅でやる必要が生じた。

 温度の問題は、これはローテク?の問題だった。

冷却用の扇風機にずいぶんホコリがたまってきたなあと思っていた。

面倒くさいけど扇風機のカバーやプロペラ?を外し、風呂場でシャワーと石鹸で洗った。

何のことはない、これまでCPUやファイルを酷使するアプリだと10分でシャットダウンしていたのに、洗って風量が増すと、何時間でも平気になった。

こういう単純明快な問題解決ほどスッキリするものはない。

 Macの外付けハードディスクは少し複雑だった。

女房はデザインだけでiBOOKを選ぶようなユーザだから、外付けハードディスクだって安くて大容量であればいい、という基準では選ばない。

コンパクトでデザインも良い、というのが条件で、それだと機種が1機種しかない。

それが今の女房のiBOOKのOSのバージョン(OS9.1?)だと動かないことになっている。

 これはハードディスクにUSB2とFireWire(1394)の二つのインターフェイスがあり、OS9.1ではUSB2のサポートを保証していないことに原因があることが分かった。

FireWireで使えば何の問題もなく動いたのである。

 最後はプリンタの問題だった。

6年前に手に入れたエプソンのカラリオ(Calario)が新品のまま箱からも出さず、屋根裏部屋にあることは覚えていた。

動くかどうか分からないけどやってみるか、という気になった。

 まずはインターフェースである。

6年前のプリンタはセントロニクスの36ピンのでかいコネクタ。

パソコンはUSBの小さなコネクタ。

変換ケーブルが必要となり、ビックカメラで聴いても(動作保証はしていません)となる。

まあともかくやってみよう。

 繋ぐと、何となく動作はした。

しかし(黒)が印刷されない。

セットしたばかりのインクカートリッジを外し、触ってみると指が真っ黒になる。

インクのせいとも思えなかった。

ドライバだとか設定方法だとかを疑っていろいろやるのだけど、黒は頑固に出なかった。

 あれこれやって、いろんな現象を総合して考え、6年の経年変化で黒のインクの粘性が高まって動作に支障をきたしているのではないか、という結論に達した。

新しいインクカートリッジを買って試してみよう。

またビックカメラに足を運ぶことになった。

店員さんはカートリッジが無駄になるかも知れませんよ、と心配そうだった。

まあともかくやってみますよ。

 これは当たりだった。

黒が出るようになって、アレコレ設定で苦労して、やっと今は安定的に使えるようになった。

黒が出なかったせいで設定をいじり過ぎたようだった。

今のOS(XP)は割とよく出来ていて、デフォルトの設定で何もしなかった方が良かったのではないか、というのが書簡集マスターどのの見立てだった。

 退屈な話を長々と書いた。

やっている本人はやはり(習い性)というのか時間を忘れ、そんなに疲れることもなかった。

パソコンの本体と周辺機器。

それぞれが日進月歩で変化が激しい。

(ユーザのみなさん、すみませんねえ、ご苦労さまです)

アウトドアも悪くない

 ラガーマンと待ち合わせ、府中市営のバス(100円!)で東芝のグランドを目指した。

東芝府中は東芝のメインの拠点の一つで、昔は機関車も作っていたという話を国立の古老に聴いたような気がする。

 今は勿論、ウィンタースポーツのラグビーはシーズン・オフである。

それでも練習試合がプレマッチゲームと称されて東芝府中ラグビー場で行われた。

ラガーマンに言わせるとプロ野球におけるオープン戦ですよ、ということらしい。

組み合わせが東芝とサントリーというトップ・クラス同士だったので誘ってくれたようだった。

 グリーンのグランドを近くで見るのは初めてだった。

観客は殆ど立ち見で、ほんのわずか小さなスタンドがある。

学校のグランドの芝生版という風情だった。

スタンドは行ったときはすでに満杯だったけれど、よく見ると階段に座れそうだった。

そこに二人で陣取って観戦を始めた。

 薄暮ゲームというのか、6時から始まったゲームが進むにつれ、夕焼けとなり、やがて照明が灯され、当たりが暗くなり涼しい風が吹いてきた。

風に乗って土の香りが強く匂ってきた。

買っていったビールはすぐに無くなったようだった。

 ラグビーには全くの素人のふうてんも(清宮監督)のことは知っていた。

この間まで早稲田の監督をしていた彼が、今サントリーの監督をしていることを知った。

現物、失礼、ご本人を目の当たりにして、その存在感、魅力を確認出来たのは嬉しかった。

人間の魅力に勝るものはない。

 ラガーマンは試合中ずっと解説をしてくれた。

試合が終わって、歩いて20分ほどの国立のそば屋へ行き、あれこれ話をした。

アウトドアスポーツも、それの観戦も、悪くないなと思った。

(ふうてんアーカイブス)

2006 夏 国立府中 盆休みのころ

お盆になってやっと入道雲らしきものが

入道雲?Kumo

 

 

 

 

 

 

 

東芝府中ラグビー場に元ラガーマンが

このタワーはどこからでも見える、エレベータの試験設備?Toshiba  

 

 

 

 

 

 

 

元ラガーマンは帽子が好きHat  

 

 

 

 

 

 

 

優れたスポーツ選手は哲学者の風貌?オシム?

東芝の写真班?Osimu_1  

 

 

 

 

 

 

 

デカイ レンズOsimu_3  

 

 

 

 

 

 

 

二人揃ってOsimu_2  

 

 

 

 

 

 

 

トライ!!

遠くて見えなかったTry_1  

 

 

 

 

 

 

 

清宮監督の貫祿

ハーフタイムにKantoku  

 

 

 

 

  

 

 

姿を現したKantoku_3 

 

 

 

 

 

 

 

清宮監督のブロッグ

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2006/08/13

2006.08.13 ポルシェの加速は異次元だった篇

シルビアとフェアレディF_and_s  

 もうお盆のころとなった。

今年は梅雨が長引いたせいで、梅雨が明けるとすぐに空が高くなり、秋風めいたものが吹き始めた。

(ダンナさん、赤とんぼが)

という女房の声で外を見ると確かに一匹の赤とんぼがバラの葉にとまっている。

(光が部屋に差し込むようになったわねえ)

(そやなあ、考えてみたらもう夏至から2カ月近くたつもんなあ)

 久しぶりにロシナンテで繁寿司へ出向く。

5時を過ぎるとさすがに太陽はおだやかで空気は爽やかだった。

山口夫人と豊田さんがいた。

やがて馴染みの客が一人、二人と増えてにぎやかになった。

 夫人がついに(絵画集)の制作に着手したらしい。

これはうれしいニュースだった。

瞳さんは文章もいいし、書もいいし、絵も描ける人だった。

馴染みの一人が(来年は13回忌ですねえ)と言った。

8月末の暑い日の山口家での(お通夜)の情景がフッとよみがえった。

あれからもう12年もたつのだろうか。

 数日前、思いがけずポルシェに乗せて貰う機会があった。

それがあまりにも強烈な印象だったので今週は少し車の話をしたくなった。

ニッサン・ギャラリー

 7月の何週目かに新聞の記事で、ニッサンが古い車を展示すると出ていた。

写真入りで、我がロシナンテの若い頃のものも展示されることが分かった。

それで機会を見て、多摩の田舎から銀座界隈まで出向いた。

 ニッサンには銀座4丁目にニッサン・ギャラリーというのがあって、昔から時々スカイラインなどの新車が出たとき冷やかしたことがある。

それも大昔のことであって、スカイラインの新しいののエンジン・ルームを覗いて、キャブレターやらエアクリーナやらが見えないのでビックラこいたものだった。

何しろこちらは車については1968年で時間が止まっている。

いつも行くたびに驚きの連続なのであった。

 今回の展示はそこから少し海寄りのニッサン本社のギャラリーで行われていた。

なかなか平和で民主的な展示の仕方であった。

つまり、道路からガラスのドア一枚はいると、もうそこにシルビアとフェアレディが並んで展示されている。

誰でもはいれて入り口での手荷物検査も何もない。

 ダットサン・フェアレディ2000とニッサン・シルビアの2台が並んでいた。

1967年と1965年に製作された車たちである。

1960年代は日本の自動車の黄金時代だった。

敗戦から15年たってやっと世界に伍する車を作れるようになった。

性能であれデザインであれエンジニア達は夢をそのまま形にすることが出来た。

1970年代になると、安全規制、公害対策、省エネ対策の三重苦が始まり、作りたい車を作れなくなる。

 今回の展示はニッサンにおける(最後の華)の展示だった。

ポルシェはやはり異次元だった

 数日前、明け方眠れないまま、気分転換にチャリで近くを一回りしようと家を出た。

朝もやの中をしばらく走ると一台のポルシェが止まっているのが目にはいった。

後ろのエンジンルームを開けて何かをしているようだった。

 チャリをとめて近づいて行った。

この時間、どこかへ急ぐ人ではあるまいと声をかけた。

(これがポルシェのエンジンですか、案外にコンパクトですねえ)

(いろいろと手を入れてましてね、本来は道路など見えないのですが、道路が見えますよね)

(アッ、ほんと、これだとあなた雨の日は乗れませんなあ)

・・・・・。

 どうも類は友を呼ぶ、ということがある。

車好き同士は一言二言交わせば何がしか通じるものがある。

 アレコレ質問したりしているうちに、ちょっと乗っけてくれませんか、ああいいですよ、となった。

じゃあチャリを家に置いてきて下さい、待ってますから、ということで慌てて家に帰り、ロシナンテをたたき起こして引っ返した。

 それから2台揃って駐車場を探し、といっても近くのロイヤルホストまで行って駐車した。

(じゃあまずポルシェで一走りお願いします、せっかくだから大学通り当たりを・・・)

(ええ、その前にちょっと知っている道があるのでそちらへ行って、そのあと大学通りを・・・)

(知っている道?)

と意味がよく分からなかった。

 おそらくアルミだと思われるパイプで囲われたシートに乗るのがまず一苦労だった。

(これ体を支えるのに、どこをつかめばいいんですか?)

(どこでも適当に・・・ドアのところがいいでしょう)

見ると天井にもドアにもつかむところが沢山用意されている。

 やがて車は発進した。

偏平タイヤというのはタイヤ自体ではほとんどショックを吸収しない。

サスペンションだけでデコボコを和らげることになる。

走り出すと、道路の形のまま、ほとんどヨタヨタ状態で体が上下する。

道路にデコがあれば突き上がるしボコがあればボコンと沈む。

出足だって大したことはない。

う~ん、ポルシェてこの程度なのか、失望させるなよな・・・。

 とかくするうち(知っている道)へはいったようだった。

見通しが良くなった。

途端に、ドンッと来た。

血液を始め、体内のあらゆる液状のものがどっかへ吹っ飛ぶような感触だった。

走っている、というより飛んでいるという感じだった。

 数秒のそのスピードを経て、また車は何気なく普通の速度に戻り、対向車を交わし、カーブを曲がる。

一連のシークエンスがまことにスムーズに展開された。

(う~ん、できるな)

とふうてんはしばらく言葉を失った。

この見知らぬ人は2、3回それを繰り返してくれた。

 ロイヤルホストの駐車場へ戻り、次は礼儀上ロシナンテの番だった。

(ご覧のようなポンコツでしてね)

(いいですねえこういうのも)

(じゃあまあ恥ずかしながらそこらを一回り)

それで大学通りを一回りして、二人してロイヤルホストに落ち着いてしばらく話をした。

彼はコーヒーを飲み、ふうてんはキリンの生ビールを飲んだ。

興奮が覚めなかったのかビールを何杯もお代わりした。

聴けば近くに住んでいるという。

再会を約して、ポルシェは左に、ロシナンテは右に分かれたのだった。

(ふうてんアーカイブス)

2006 夏 ニッサン・ギャラリー

ニッサン・シルビアとダットサン・フェアレディ

二台並んでNidai  

 

 

 

 

 

 

 

シルビア能書きSilvia_1  

 

 

 

 

 

 

 

フェアレディ能書きFairlady_1  

 

 

 

 

 

 

 

シルビア エンブレムSilvia_4  

 

 

 

 

 

 

 

フェアレディ エンブレムFairlady_4  

 

 

 

 

 

 

 

シルビアは軽快でエレガントだった

前から見てもSilvia_5  

 

 

 

 

 

 

 

横から見てもSilvia_6  

 

 

 

 

 

 

 

内装も外面も両者は対照的だった

シルビアのコンソールSilvia_3  

 

 

 

 

 

 

 

シルビアのシフト・ノブSilvia_2  

 

 

 

 

 

 

 

フェアレディのコンソールFairlady_6 

 

 

 

 

 

 

フェアレディは名前の割りには

ワイルドな前顔Fairlady_2  

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとファットなボディFairlady_3  

 

 

 

 

 

 

 

じゃじゃ馬でスパルタンだった

まろやかなフォルムだけれどFairlady_5

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2006/08/07

2006.08.06 蝉が鳴いて、梅雨が明けた篇

月夜の盆踊りBon_5  

 気象庁が梅雨明け宣言をした翌日の夕刻、ふと気づくと蝉が鳴いていた。

今年初めてである。

 MuBlogの7月26日(そういえば)の記事のなかでもMuさんが蝉を聴いて少年時代を思い出されていた。

その記事へのJOさんのコメントで、蝉は30℃を超えると鳴くらしい、とあった。

梅雨があけて雨が降らなくなる。

30℃を超えてあったかくなる。

なるほど、はかない蝉の体には良さそうではある。

 今年のように長い梅雨はこれまでにあまり経験がなかった。

子供のころから一番苦手なのは5月で、気温が急に高くなると倦怠感に襲われて活動出来なくなる。

今年はそれに梅雨の湿度が重なった。

この日記にもしるした様に、ずっと曇天か雨で(乳色の景色)に包まれていた。

気温はそれほど高くなかったけれども、何しろ湿度の高さに参った。

(夏バテ)の前に(梅雨バテ)でぐったりとしていたのだった。

 その長い長い梅雨が明けた。

いつの間にか、湿度が低くなり、太陽の光が射し、セミが鳴き始めた。

汗だくになる真夏も悪くない。

退役軍人(?)の女房との会話

 退役してからの日々の過ごし方をチラチラと書いてきた。

この間、女房とこんな話になった。

テーマは(住環境)についてだった。

(会社を辞めて、家しか拠点がないという実感が出てきたよ)

(家庭の主婦はず~っとそうよ)

(あっ・・・)

(だからたまに爆発するのよ)

(うっ・・・)

(主婦業も大変なんだから)

(ん・・・)

 所帯を持って35年、ち~とも知らなかったなあ。

亭主は会社やらに出向いて、たまに出張やらでニューヨークであれ京都であれ行く所がある。

主婦というのは中々そうもいかない。

ハウスキーパーというぐらいで、サッカーでいうとゴールキーパーのようなもの。

キーバーがアチコチ出向いていたのでは試合にならない。

 炊事、洗濯、掃除の家事がある。

子育てがある。

親の面倒見がある。

わがままな亭主もいる。

相棒たる亭主はアッチへふらり、コッチへふらり。

 (あ、う、ん)と答えるともなく答えるしかないのであった。

 自分の家しか拠点がない、ということともう一つ感じるものがある。

それは家庭には目に見えない(空気)が流れているということである。

この空気が何かのきっかけで、流れが悪くなるとどうにもいけない。

 これまで散々夫婦げんかは繰り返してきた。

その都度、ロジックは間違ってないのだけどなあ、でもぶつかるとどうしてシンドイのだろう?

と訳がわからなかった。

還暦を過ぎて、定年退職をして、やっとそれは空気のせいなんだ、と気づいた。

対立はしてもいい、大喧嘩をやってもいい。

でも(空気)だけはないと生きていけない。

 これまでにも、家庭とは(静脈)である、と感じたことがある。

野郎は外で仕事をする、外でケンカする、外で飲んで騒ぐ。

そういうとき、ああこれは(動脈)なんだ、こういうことが出来るのは家庭という(静脈)があるお蔭だ、と。

 血液の循環ばかりでなく、息をするのにも(家庭)の役割があったらしい。

黒澤映画も本格的になってきた

 月に一度の三鷹での上映会に出向いた。

今回は(酔どれ天使)と(野良犬)だった。

この日が、ふうてんにとってはこの上映会のハイライトだと思っていた。

 期待は裏切られなかった。

酔どれ天使 昭和23年公開(1948年)

野良犬   昭和24年公開(1949年)

昭和21年生まれのふうてんが、四国の片田舎で戦後の混乱期やっとよちよち歩きを始めたころの作品である。

 そんな時代に東京方面では、満を持した黒澤監督がもうこんな映画史に残る作品を作っていたのですね。

 特に(酔どれ天使)は黒澤映画のスタートだと言われる。

黒澤映画らしさの殆ど全ての要素がはいっているという意味で、彼の(処女作)といってもいいような作品である。

三船敏郎が初めて登場する。

志村喬-三船敏郎のコンビが確立する。

早坂文雄の音楽、植草圭之助脚本によるリリシズム。

 驚いたのは挿入曲としてカサギ・シズコが歌う(ジャングル・ブギ)の作詞が黒澤明その人だったということ(作曲は服部良一)。

 8月6日は原爆記念日。

8月15日は敗戦記念日で、お盆も近い。

そんな季節にこれらの映画を上映した。

(ふうてんアーカイブス)

2006 夏 梅雨が明けて

季節外れのアジサイくん

咲き始め

咲き終わり

Tsubomi  

 

 

 

 

 

 

 

終わりOwari  

 

 

 

 

 

 

 

蕾 1Aji_2 

 

 

 

 

 

 

 

蕾 2Aji_1_1  

 

 

 

 

 

 

 

終わり 1Aji_3  

 

 

 

 

 

 

 

終わり 2Aji_4  

 

 

 

 

 

 

 

終わり 3Aji_5  

 

 

 

 

 

 

国立の盆踊り

近くの公園で

主役は子供たち 1Bon_2  

 

 

 

 

 

 

 

主役は子供たち 2Bon_3  

 

 

 

 

 

 

 

主役は子供たち 3Bon_6  

 

 

 

 

 

 

 

踊ろうか 1Bon_1  

 

 

 

 

 

 

 

踊ろうか 2Odori  

 

 

 

 

 

 

 

主役はちょうちん?Choochin  

 

 

 

  

 

 

黒澤映画上映会

三鷹星のホールへようこそ

小さなホール

ブザーが鳴って

チケットをどうぞIrasshai  

 

 

 

 

 

 

 

演目はEnmoku  

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ始まるMosugu

 

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