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2006年5月に作成された記事

2006/05/28

2006.05.28 文楽にラガーマンを誘った篇

 文楽5月公演に初めて友人を誘った。

これまではマイナーな文楽に人を誘う気はしなかった。

映画や音楽のコンサートと違って、文楽に人を誘うのには勇気がいる。

 きっかけは3月頃にこの友人と何年ぶりかで道で出会ったことだった。

この元ラガーマンとの偶然の出会いのいきさつはこの日記でも書いた。

その出会いがあったあと、5月の文楽公演に竹本住大夫さんが出るようなら、誘ってみようと思っていた。

 初めて文楽へ行く人には多少の解説も必要だろうと、事前に一度国立駅近くで飲んだ。

公演当日は、江戸城のお掘り端まで出向いて、そのまま電車で帰るのも勿体ないので、当然、帰りに六本木のワインガーデンに寄った。

 今回はそんな話を報告しておきたい。

繁寿司コネクション

 地元での知り合いとなると限られる。

繁寿司に通っているうちに何人かの人と話すようになった。

このラガーマンも親しくなった数少ないうちの一人である。

 繁寿司が何年か前、お店の作りが変わって以来ふっつりと来なくなった。

前の店ではときどき現われていて、京都で学生時代を過ごしたことや阪神タイガースのファンであることなどから、いつも話がはずんだ。

 地元で、同世代で、話が合う人となると、我々流れ者にとってはなかなかに難しい。

この友人も大阪で生れ、京都で学生時代を過ごし、フランスやらのヨーロッパを経めぐったあと、東京まで流れてきたのだった。

 寿司屋さんというのは、当たり前だけど、いろんな面々が出入りするので面白いのですね。

予習を兼ねて

 この友人と、文楽を見に行く数日前に駅前で会った。

あらかじめ手に入れていたチケットを渡し、当日の行き方、帰り方を相談する為だった。

 近くの公民館で催し物があるから、とチャリで出かけるのとはやはり違う。

急に、文楽行ってみませんかと誘ったのである。

国立から国立劇場まではやはり1時間くらいはかかる。

文楽の公演はだいたい4時間くらいはあるので、演目がどうで、どれを見て、どれを見ずに帰るとか、してその終わる時間は?とかなかなかにやっかいなのである。

 それでチケットと竹本住大夫さんの本を2冊抱えて、駅前の(さくら)という居酒屋で会った。

一応その日の段取りを決めたあと、いろんな話になった。

5時半に会って別れたのが9時半、4時間がアッという間に過ぎた。

国立劇場小劇場

 この小劇場へ行くのは今回で3回目となる。

地下鉄でたどりつくと出口次第ではエライ目に会うことが分かっていたので、今回は四谷からタクシーで行ってみた。

 驚きましたね。

駅から大きな道をストレートにちょっと走るともうそこは皇居のお掘り端。

これが内堀通りといって、そこを右折するとすぐに国立劇場が見えてくる。

時間的にも四谷から地下鉄に乗り換えて、ああだこうだやるより、半分の時間で行けてしまう。

 しばらく待つうちラガーマンも登場して、おとなしく席についた。

演目は義経千本桜だった。

住大夫さんは(すしやの段)の前半を語った。

見終わって、ふうてんは友人の反応が少し心配だった。

どうでした?と聴く前に彼が、いやあ素晴らしい!と言った。

 太夫がどう三味線がどう、というのは分からない。

劇場や舞台の作りには不満もある。

しかし文楽というものの芸の細かさに感心した。

三人で人形を使って、いろんな所作をする、その所作の意味がよく伝わってくる。

これはやはり日本の伝統芸能ならではのものですねえ、とヨーロッパを若い頃経巡り歩いた男は言った。

 5月文楽公演については以下に詳しい。

国立劇場小劇場 5月文楽公演

ワインガーデン

 義経千本桜を最後まで見て、ワインガーデンへ向かった。

タクシーの中で、義経と吉野はどういう関係でしたかねえ、とか、ウン、人形使う人の表情が・・・とか、住大夫とか野澤錦糸とかの話は出て来ない。

それは出て来ないのだけれど、かなり文楽が気に入ってくれたようであった。

 ワインガーデンに着くと、もう防衛庁あとの巨大ビル群は殆ど建ったようだった。

去年NHKの大河ドラマ(義経)で主役を演じた若い役者に似ているボーイに聴くと、来年始めから開業する、あとは内装の工事だけでしょう、という。

 ホリエモンのいる六本木ヒルズより高い、というのだから恐れ入る。

そのビル群と道を一つ隔てて我らがワインガーデンはちょこんと二階家を構えている。

 カリフォ~ニャとブルゴ~ニュの赤を飲んだ。

カベルネ・ソービニオンとピノ・ノワール。

最も平凡な選択で鎌倉大明神にはいつも笑われる。

それでもこの日の2本は、一本は極めて野性的、一本は極めて滑らか。

組み合わせとして悪くなかった。

 肉にしますか魚にしますか?

ラガーマンは小羊にした。

ふうてんはスズキにした。

 この元ラガーマンは独特の人生哲学を持っている。

業界誌に医事評論の記事を書くことで生計をたてている。

フランスのソルボンヌ大学へ留学していた頃が一番輝いていた時代なのかもしれない、という。

貧乏学生故、皿洗いのバイトでしのぎ、随分人種差別のようなものも受けたらしい。

北欧から来ていた若いのがいて、同じ白人なのにやっぱり人種差別されていると嘆くのを聴き、なるほどそんなものかと安心したともいう。

 立身出世とか金儲けとかには心が向かわず、何故か我が儘に、したいことしかしない、という方針で人生に向かうことになった。

ヨーロッパでも日本でも何故かもてたので、女の人に喰わせて貰っていた時代もあった、自分で仕事せにゃあと気づいたのは30歳も過ぎてましたよ、ともいう。

 どうして書くことを仕事にしたの?

と聴いた。

フランスにいたとき、日本語に飢えた、と彼はいった。

言葉というもの、日本語というものを考えるようになった、と。

 ・・・・・。

 やがて夜も更けて、義経に似たボーイにタクシーを呼んでもらって帰った。

ワインガーデンはフレンチのお店だから、またこのラガーマンと来ることになるだろうなと思った。

(ふうてんアーカイブス)

 以前のっけたものを再録しておこう。

1994 シャンブレット

悪ガキがはいってきてカメラを奪った

12年前のラガーマンRagarman  

 

 

 

 

 

 

 

2006 偶然の再会

散歩の途中偶然出会った

髪には・・・Friend  

 

 

 

 

 

 

  

偶然に乾杯!!Kanpai  

 

 

 

 

 

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2006/05/22

2006.05.21 やっと第四楽章が始まった篇

Townsはこんな形だったPhoto_1  

 先週二つ、記念の会があった。

一つは(Towns卒業記念パーティ)、一つは(40年ぶりの同窓会)だった。

どちらも懐かしい面々が集まって、まことに愉快な時間を過ごすことが出来た。

 今日、ふっと気づいた。

そろそろ本格的にふうてんの第四楽章が始まったんだな、ということである。

親に守られ、学校に守られ、会社に守られてやってきた。

いつか、それらに頼らずに一人でやってみたいと思っていた。

それが俺の第四楽章だろうな、と。

 これは大袈裟に書くことでもなくて誰しもがたどる道程なのかもしれない。

第四楽章の主調音はまだ聴こえて来ない。

遠くから聴こえてくるようでもある。

近づいてきて、フッと消えたりもする。

 先週は定年退職後の(第四楽章)のことを考えさせられることになった。

Towns卒業記念パーティ

 定年退職が近づいてきたころ、そろそろなんぞやりまひょか、と後輩が何度も言ってくれた。

定年退職の歓送会というものほど憂鬱な会はない。

ケジメとしてそういうのはあった方がいいというのは分かっている。

しかし感傷的な人間には耐え難いセレモニーであるようにも思えて断ってきた。

 先週予告した岡田誠三の(定年後)という本には、出だしで彼が大阪朝日新聞を定年退職する日のシーンが出てくる。

当時(昭和43年ころ)の朝日新聞では(定年葬)と呼んでいたという。

つまり、定年とは(社会的な死)であるという意味であるらしい。

社会的に死んだ人間が、生前葬をやってもらって、それからどう生きればいいのよ、というのが、この(定年後)という作品のモチーフとなっている。

 ふうてんは生前葬はあまり好みでないので避けて通ってきた。

しかし、いよいよとなって、待てよ、と考えた。

考えてみれば会社生活で一番ピークのときに一緒に仕事をやった連中は、みなさん似たような世代ではないか。

早かれ遅かれ、みんな(定年葬)を迎える。

なら一人だけじゃなしに、みんなでそれをやりゃあいいじゃないの。

それなら、一つの区切りとしてのセレモニーをこなせるかも知れない。

 そこで当方にとっては会社生活のハイライトだったTownsというマシンを開発した面々に集まってもらった。

開発の為に半年ほど籠もった(登戸)という多摩川沿いの事務所、にほど近いイタリアンでその会を開いた。

 パソコンというのは小なりといえどコンピュータのフル・システムなのですね。

コンピュータにまつわるあらゆる要素がある。

今回集まってもらったのはハードに関するピープルだけだったけど、ハードだけでも、やはり10人くらいは専門家が集まらないと仕事にならないのですね。

デザインの専門家。

CPUの専門家。

ファイルの専門家。

オーディオの専門家。

グラフィックスの専門家。

経理部門やら工務・購買部門やら営業部門やらの面々を味方にする専門家。

などなど。

 イタリアンのお店の2階に10人の為の長いテーブルが用意されていた。

宴が進むにつれ、アレがあったコレがあったと話が弾んだ。

やがて夜も更け、そろそろお開き、という頃、その長いテーブルがダビンチの(最後の晩餐)のテーブルのように見えてきた。

目の前に座っている先輩の姿がイエス・キリストのように見えてきた。

(あの絵のユダの位置は、確か・・・やっぱり君が座っているところ・・・)

と誰かが誰かに言った。

 やっぱり、みんなと一緒の(生前葬)はやってみて良かった。

集まってもらったのは現在45歳から65歳くらいのピープル。

当時、25歳から45歳くらいの面々。

こういう人たちと一緒に仕事をして、なにがしかの爪痕を残すことが出来た。

この卒業記念で、それに句読点を打つことができたような気がする。

 句読点を打たないと、次の文章が書けない。

40年ぶりの同窓会

 その生前葬の翌日だったか、旧い友だちから電話があった。

島根方面に移って長い別の友人が東京に来るから出て来ないかという。

それで有楽町まで出向いて三人で会った。

 三人は中学、高校を松山で一緒に過ごした。

一組は京都で大学も一緒だった。

一組は同じ会社に就職した。

三人の関係でいうと、40年ぶり、30年ぶり、20年ぶりとなった。

 世間は狭いようで広い。

同郷で、中学、高校、さらには大学まで一緒にいても社会に出て、住むところも別々となると、なかなか会うことが出来ない。

同じ会社にいても、その旧友、コチラが探しだせなくて四苦八苦したという。

 それで有楽町のチャイニーズの店で会談が始まった。

よく言われるけど、子供のころからの友だちの印象は姿形で遠くから見てもすぐ分かるのですね。

島根から来た友人は当時スーパーなスポーツマンだった。

この日、遠くから彼の歩く姿が見えた。

歩幅の広い歩き方で、ちょっとアラン・ドロンの真似をしたような歩き方は大学時代までのままだった。

あの歩き方は、当方などのような胴長短足の男には真似ができない。

あくまでも足の比率が大きくないとアラン・ドロンの真似はできない。

 このアラン・ドロンのハイ・ジャンプにふうてんは12、3歳のころ見いられたのだった。

背面飛びなんてのはない時代で、ベリー・ロールだったか、ベリー(お腹)をロールさせて、うつむき加減にバーを超える飛び方だった。

この男とはその後、京都で、二階に二部屋しかないお家に下宿して、その二部屋を占拠することになる。

大学の野球部の主戦投手もやっていたから西京極球場へ応援にも行った。

 この同窓会は、たまたま、ふうてんが句読点を打った直後に実現した。

偶然なのか必然なのか、卒業記念の直後に入学前の級友たちと会った。

タイムマシーンに乗って40年ほど行き来した気分になった。

(ふうてんアーカイブス)

2006 春 桜祭りの会場にSLがいた

近くの桜祭り会場に一台のSLがいた

C572とあるSl_01 

 

 

 

 

 

 

  

このオジさん一人で作ったらしいSl_02  

 

 

 

 

 

 

 

ではみんなで一周

得意そうな子もいるSl_11 

 

 

 

 

 

 

 

不安そうな子もいるSl_12  

 

 

 

 

 

 

 

もう一周

踏み切り?Sl_21  

 

 

 

 

 

 

 

オジさんは忙しいSl_22  

 

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2006/05/14

2006.05.14 連休明けは文芸週間となった篇

コナラの花?Konara_6  

 5月も半ばとなって、桜花はとっくに終わっているし、コナラの新芽も今は逞しい深緑色(ふかみどりいろ)の葉になってしまった。

もう春の狂想曲は聴こえて来ない。

 梅雨の前触れなのだろうか、曇や雨の日が多くなった。

ロシナンテのいたるところにネコたちが足跡をつける季節でもある。

今日もチャリで繁寿司へ出向いた。

 山口夫人は鎌倉アカデミアの60周年記念ということで姿が見えなかった。

ふうてんが生れた1946年に創られたこの学園に山口瞳さんも夫人も通っていたらしい。

お二人の出会いの場所なのである。

戦争で焼け野が原になった東京から離れた鎌倉にこの学園が創られたということだけでも、しみじみとした感慨に襲われる。

 5月の連休明けのこの一週間は、何故か古い本を読み、古い映画をみることになった。

夏目漱石の(それから)

 連歌師仲間の(ほかも女史)のブロッグ(それから)へ迷い込んで以来、この小説のことが気になっていた。

漱石の全集は本棚にあるのだけれど、どれを読んでどれを読んでいないのか定かでない。

 虞美人草とか三四郎とかそれからは読んでいなかったと思う。

それで読んでみた。

ついでに吉本隆明の(漱石のおおきな旅)というロンドン留学に触れた本も読んだ。

 今の歳になって読むと、(それから)あたりから最後の(明暗)までは一直線だったことが良く分かるような気がする。

何が一直線だったかと言うと、この頃から漱石は自分の文学の形をハッキリと見定めたのではないか、ということである。

 金銭的な悩みと三角関係の悩みがテーマとなっている。

この二つの悩みは、明治時代の日本の悩みそのものだった、というと言い過ぎだろうか。

(それから)の主人公(代助)はお金という現実に支配されるのが怖くて親の臑かじりを30歳ころまでやっている。

それで(高等遊民)であるとウソぶきつつ、内心では安閑とはしていられない。

結婚をすすめられて何度見合いをしても、必ず断るに決まっている。

好きな人がいて、その人は人妻で、しかも親友の妻である。

 金銭的にも、人間関係でも、どん詰まりの行き場のないところに主人公は追い込まれる。

もともと何も持たない人間ならばそんなに悩むことはないはずである。

歴史があったり自尊心があったりするが故に、それを上回る存在が現われたとき、人は悩むものなのである。

漢学を深く学び、東洋、日本の芸術に親しみや誇りを持っていた漱石がイギリス留学を命じられた。

漱石は英語の先生だったのですね。

クイーンズ・イングリッシュを喋る連中の真っ只中に放り込まれた。

東と西と自分の三角関係。

 確かにドラマツルギーの、暗くて、劇的な背景はございますね。

黒沢明の(姿三四郎)

 この5月から三鷹市で黒沢明の全30作を上映するという。

それを新聞の広告で知ってインターネットに聴くと、言うことのない企画だった。

さっそく第一回目からチケット予約をし、三鷹の主催現場まで足を運んだ。

 今年から2年間、毎月一回土曜日に上映する。

これなら無理なく通うことが出来る。

三鷹市は国立から電車で15分、その主催現場は駅から徒歩10分。

 昨日の土曜日、その第一回目、姿三四郎を見た。

漱石の(三四郎)ではなくコチラは(姿三四郎)である。

1943年公開、黒沢明33歳のときの監督第一作目である。

 上演会場の(星のホール)は300人か400人の小さな小屋だった。

会場が暗くなり、スクリーンに雨降りの映像が写し出される。

ちょうど30センチLPのレコード針を落とした時のようなシャリシャリ、ジャリジャリというノイズが聴こえてくる。

フィルムのスプロケットもくたびれているから、映像は上下にフラフラする。

そんな中で(姿三四郎)が始まった。

 1時間20分ほどの映像なのだけど、一瞬たりとも飽きることはなかった。

前から3列目の左端に近い席だったので、仰ぎ見るようにして、歪んだ画面を見た。

これが(映画館)なのですね。

全員見たいような位置で見られるものではない。

スクリーンは個人のものではない、というノリですわね、劇場というのは。

家庭で、自室で、ビデオで、一人だけで見る(映画)とは決定的にちがいます。

 最近の流行りとて全館禁煙だった。

休憩時間(続姿三四郎までの)にハイネケンのビールを片手にタバコ飲み場(早い話、会場の外)で一服していると同好の士がうまそうにタバコを吸っている。

(いやあ良かったですねえ)

(黒沢明のその後の作品の原型がいろいろ出てましたねえ)

(ああ、風とか雲とか光とかの扱いでしょう)

(ところで、あなたはどちらから?)

(足立区なんですよ)

(近くはないですねえ)

(今日は葛飾の仕事からの帰りでしてね)

・・・・

(三鷹というのはいつも中央線で通り過ぎるばかりで田舎だと思っていました)

(いやあホント、コッチの方が都会ですよ、東京の下町はチットも変わりません)

(ああ、昔の良さを残しているんですね)

(良さといいますか、何といいますか)

 そんな会話をその仁と交わして、二人とも(続姿三四郎)を見に席へ戻った。

この2作は1943年と1945年の公開だった。

いずれも戦争末期の作品である。

画面に出てくる役者たちの衣服、住む家のたたずまい、どれもこれも物資不足を如実に物語っている。

哀れ、を超えて悲惨と言いたくなるほどのものだった。

この映画の5年くらい前の1939年にアメリカのハリウッドは(風と共に去りぬ)を作っている。

アチラは本格のフルカラーでコチラはヨレヨレのモノクロである。

 そうやろなあ、黒沢明さん悔しかったやろなあ。

同じ映画人として・・・その悔しさをバネに頑張らはったんやなあ。

 何だか5月連休明けは明治とか昭和とかの先人たちの足跡をたどることになってしまった。

あと、岡田誠三さんの(定年後)も読み始めたのだけど、それは次週にしよう。

(ふうてんアーカイブス)

2006 5月 フジの花

ブンブンいうとるで

クマンバチとちゃう?

白いフジも悪くないFuji  

 

 

 

 

 

 

 

飛んでいる羽は写らないTobu  

 

 

 

 

 

 

 

えらいデカイなあDekai  

 

 

 

 

 

 

 

やっぱクマンバチやKumabachi_1  

 

 

 

 

 

 

2006 5月 黒沢明全30作上映会

チラシChirashi_2  

 

 

 

 

 

 

 

七人の侍もSamurai  

 

 

 

 

 

 

 

三鷹市でねMitaka  

 

 

 

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2006/05/07

2006.05.07 5月連休も終わって篇

大学通りの緑も深まったDaigaku_2  

 今年も連休は国立に籠もって過ごした。

ある晴れた日、電車に乗って立川まで出向いた。

気分次第では青梅まで足を伸ばして多摩川の渓流の緑を見てもいいなと思った。

休日だとみんな家で休んでいて電車や街は静かだろうといつも想像する。

 南武線に乗ると満員ではないか。

立川の駅に降りると人の波ではないか。

青梅まで足を伸ばして多摩川の渓流までたどり着いても人で一杯に違いない。

そうだったんだ、連休に動いちゃいけないんだ、どこも人で満杯になるんだ、とまた当たり前のことに気づかされた。

 両親が田舎で健在だったころ。

子供がまだ小学校に上がる前で学校を気にしなくて良かった頃。

会社の仕事が忙しくてなかなか休みがとれなかった頃。

そういう時代は一週間ほどの連休は貴重だった。

飛行機に乗って遠くまで出かけてみようかという気になった。

 いつのころからか義理を果たす為以外では連休には動かなくなった。

5月の連休、盆と正月の休み、いつも以上に国立の半径2Km以内で過ごすようになった。

幸いこの2Km以内に大抵のものは揃っている。

寿司屋、蕎麦屋、鰻屋、中華料理屋などの食べ物屋さん。

コーヒーやらウィスキーの飲める喫茶店とか飲み屋さん。

かなり大きな本屋さんも2軒ある。

 家では馴染みの酒類と書物、音楽、映画が揃っている。

どうにも無理をして出かける理由が見つからない。

 そんなことで今年も国立の隠宅に籠もって過ごした。

季節のものとしては何といっても新緑であり、それにも恵まれているのが有り難い。

新緑の魅力もこの頃までで、あとは緑が深まるばかり、殆どがただの凡庸な(緑)になってしまう。

(ふうてんアーカイブス)

2006 国立 5月連休のころ

原種に近い一重のバラが咲いた

あかいバラAkaibara_2_1  

 

 

 

 

 

 

 

何故か一輪だけAkaibara_1_1  

 

 

 

 

 

 

 

バラの傍にクレマチスがKuremachisu_1  

 

 

 

 

 

 

一橋大学のツツジ

不思議な透明感Tsutsuji_1  

 

 

 

 

 

 

一橋大学の森

武蔵野の面影?Mori_1  

 

 

 

 

 

 

 

森の小道Komichi_1

 

 

 

 

 

 

ヒヨドリ二題 その一

シルエットHiyo_1_1 

 

 

 

 

 

 

 

羽ばたくシルエットHiyo_3_1

 

 

 

 

 

 

 

ヒヨドリ二題 その二

新緑の逆光の中でHiyo_2_1

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2006/05/01

2006.04.30 往く春を惜しむ篇

春の光り 白と黒Shiro_kuro_2

 4月も終わった。

桜もとっくに散って、新芽のはかなさも終わり、新緑の季節になった。

花々は咲き乱れ、緑は深まるばかりである。

これから真夏にかけ、自然は一直線の単調増加のモードにはいる。

 春というのは変化の時のみを指すような気がする。

それは一瞬で終わる時間なのかも知れない。

桜花・・・やはり春の象徴なのだろうか。

 今日、繁寿司に山口夫人の姿は見えなかった。

ラスト・ワルツと銘打った瞳さんの最後の絵の展覧会が開かれていたのだ。

最後の、ということで胸の詰まる思いがする。

国立へ来てから25年ほど、どれほど山口瞳さんの絵で楽しませてもらったろう。

絵心、そういうものがあったと思う。

 彼の絵はほとんど静物画か風景画だった。

肖像画とかの人物を描くことは殆どなかった。

ただ自画像というのはいくつかあって、その代表的な一枚はポスターが書簡集に張られている。

画家としての、対象の特徴をとらまえる技の素晴らしさは、本人を知っているコチラにはその一枚を見てよく分かる。

 山口瞳さんは書も素晴らしかった。

文章を書く、絵を描く、書を書く、彼にとってこの3つはどういう営為だったのだろう。

絵は現場でしか描かなかったと聴いている。

写真をとって自宅に帰ってから絵を仕上げる、ということは殆どなかった。

その話を夫人に聴いたような気もする。

男らしい人だったと思う。

 ラスト・ワルツ、最後の展覧会はあと1週間ほどあるので晴れた日にロシナンテで出向こうと思っている。

夫人と、胸の詰まるような話になるのかもしれない。

しかしやっぱり見届けたいと思う。

今まで、瞳さんが亡くなってからも、毎年のように国立の小さな画廊で展覧会が開かれてきた。

その個展で、夫人は惜しげもなく全ての絵を売ってきた。

好きな人に持って貰っていた方がいい、という。

 往く春を惜しむ。

ちょうど季節はピッタリなのかもしれない。

蕗の薹味噌、その後

 一昨日で結局7回も作ってしまった。

いくらワン・パターン人間とは分かっていてもこの回数には驚く。

一週間に一回としてほぼ2カ月近く作り続けたことになる。

 近くのスーパー2つ、食料品店1つの計3店なのだけど蕗の薹一つの売り方を見ても3つの店の特徴がよく分かったのは一つの副産物だった。

一番最後まで置いていたのはスーパーではなく安売りが売りの食料品店だった。

これはふうてんにとってまことに意外な現象だった。

 もうないだろうな、と思いつつ、念の為その店を冷やかすと、まだ売っている。

スーパーでは次なる商品に替わっているのに、である。

それで1パックではなく2パック買い占めたりすることになる。

まいったのは前回行ってみると、まだ沢山置いてあるではないか。

これが本当の最後だろう、と思って3パックも買ってしまった。

持て余して、味噌うどんに入れてみるとこれがまたホンワカとした香りが漂ってよろしいのですね。

 3、4回目当たりから作り方にもだんだん慣れてきた。

水洗いの仕方、水切りの仕方、刻み方、味噌とのコネ具合。

やはりホームページに出ていたように水洗いはした方がよいらしい。

何度目かに生きた虫がポロリと出てきたこともあった。

 味噌と和えてしまうと香りはそんなには立たない。

むしろ噛みしめる味の中に香りが感じられるようになる。

香りが立つのは何といっても刻む時である。

4つに縦割りしてあとミジンに細かく刻む。

作業が終わって(蕗の薹味噌)を冷蔵庫に入れて、ふうてん老人日記を書いていてもタバコを吸う時、指に強い香りが残っている。

 もうないと思うけど、いつなくなるのか、もう一度見届けにその食料品店に行ってみようと思う。

(七人の侍)と(仕掛人・藤枝梅安)

 近ごろ大きなニュースがないせいかテレビが面白くない。

小泉劇場もホリエモンも静香の舞も終わってしまった。

しようがないのでコレクションを活用することを思い出した。

 実はこのところ本やビデオやレコードやCDを読んだり見たり聴いたりする時間が減ってきて、何の為のコレクションかと忸怩たる思いにさいなまれていた。

何の為に時間と金とエネルギーを使って集めてきたのだろう、と。

(七人の侍)を見た。

最初から最後まで、4時間近くアッという間に終わってしまった。

(仕掛人・藤枝梅安)の(殺しの四人)を読んだ。

これも池波正太郎の技にはまってアッという間に一冊終わった。

 両方とももう何度となく見たり、読んだりしている。

それなのにどうして飽きないのだろう。

(殺しの四人)の中にふうてんの一番好きな次のやりとりがあることにも気づいた。

 女中が去ってから、梅安は鰹の刺身を口へ入れ、あぶらの浮いたふとい鼻を小指でなでつつ、

(ねえ、彦さん。私も、もう長いことはないような気がするよ)

と、いった。

(おれもさ、梅安さん)

(仕掛人で長生きをしたやつがいただろうかね?)

(先ず、いめえね)

(そうだろうな・・・・・・)

 この数行の中に、漢字とひらがなの使い分け、句読点の打ち方、私、おれの使い分け、などなど、池波正太郎の文章修行と工夫がまざまざと現われていて、いつも暗記して再現してみようとするのだけどうまくいった試しがない。

たった数行でも真似ることが難しい。

真似るどころかそのまんまオーム返しにすることすらできない。

 やはりワン・アンド・オンリーの魅力なのだろうか。

(ふうてんアーカイブス)

2006春 春雷

一分に2回のペースだった

茂ったコナラにKonara  

 

 

 

 

 

 

雨が降ったAme_2 

 

 

 

 

 

 

 

ハナミズキ コナラ 猫たち

ハナミズキHanamizuki_1  

 

 

 

 

 

 

 

白と黒Shiro_kuro_3 

 

 

 

 

 

 

  

ハナミズキとロシナンテ

ハナミズキHana_2  

 

 

 

 

 

 

ロシナンテRoshinante_1_1 

 

 

 

 

 

 

 

もう一枚  Roshinante_2_1 

 

 

 

 

 

 

 

白と黒

アッチャ向いたりAcchi_1 

 

 

 

 

 

  

 

コッチャ向いたりKocchi_1

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