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2006年3月に作成された記事

2006/03/27

2006.03.26 桜咲く ラスト・チャイニーズ・レッスン篇

3月26日 一部咲き?ichibu  

 春はあわただしい季節だと思う。

啓蟄という言葉に表されているように生き物が蠢き始める。

桜の季節は(旅立ち)の季節でもあると誰かが言っていた。

 今年3月でふうてんのチャイニーズ・レッスンも一区切りつく。

老師(ランちゃん)が大学を卒業するのである。

国立から東京都内の方に引っ越して今までとは別の学校の修士課程へ進む。

教師がいなくなるとレッスンも終わる。

 この数年のチャイニーズ・レッスンを振り返ってみたくなった。

リュウコウさんのレッスン

 10年くらい前、ふうてん50歳のころ急に中国に関する興味が深くなった。

1995年ころNHKがやたらとアジアをテーマとした番組を流していたからかも知れない。

特に土曜日だったか、オユンナという女歌手の歌をテーマ・ソングとした番組(アジア発見)が強烈な印象をふうてんに与えた。

 そのテーマ・ソング(共に生きて)というのも忘れられない一曲となった。

 そんなころ(カフェ・ダンラ・シャンブレット)でいつものように繁寿司の帰りにマスターと話していると、中国からの留学生が沢山一橋大学にはいますよ、と言った。

ふ~んそうなの、と国立に住んでいて少しも地元のことを知らないことを思い知らされた。

 一橋大学の構内に(国際交流会館)というのがある。

留学生たちの為の宿舎とちょっとしたホールのある建物である。

ある日フラフラとそこへ紛れ込んだ。

ロビーのようなところでタバコを吸っている時に通りかかったのがリュウコウさんだった。

 北京から来たリュウコウさんに一年ほど中国語を習うことになった。

リュウコウさんとの付き合いについては何度かこの(日記)にも書いている。

このマイ・ファースト・チャイニーズ・レッスンは(中国語とは、そも、どういう言語であるのか?)に終始した。

文法がどう、発音がどう、という段階ではなかったように思う。

 北京から来たリュウコウさんのレッスンで中国語の輪郭のようなものは分かったような気がした。

文法も発音も何も身につかないうちにリュウコウさんは帰国した。

 ここいらへんの事情については以下の記事で触れている。

2000.11.25 小さな留学生篇

2000.12.07 日本語の起源篇

2001.02.18 リュウコウさんに会った篇

2001.11.26 りゅうこうさん再来日篇

ホストファミリー

 それから数年たって、留学生のホストファミリーやってくれませんか?という問いがあった。

引受手が決まっていない、タイ、ベトナム、中国の三人のうち誰かを引き受けて戴きたい、という問いであった。

 ホストファミリーというシステムを理解していなかったし、誰かを選ぶというのは失礼だと思ったので、三人まとめて面倒見ましょうよ、と答えた。

そうしたらベトナムからのボーイは引受手が現れたのでタイ、中国の二人をお願いしますという返事が来た。

 それで我が家に登場したのがタイのアリアさんと中国のランちゃんだったという次第。

2002.07.07 ホスト・ファミリィ篇

ランちゃんのレッスン

 ホストファミリーとして付き合うようになって2年目くらいに、中国語をもう一度学んでみようかなという気になった。

それから今までの3年間くらい彼女のレッスンを受けたことになる。

週に一回だからアバウトに言うと3×50=150回くらいのレッスンとなる。

 レッスンは近くの喫茶店を転々とした。

桜通りの(ロイヤルホスト)

大学通りの(ひょうたん島)

大学通りの(ロイヤルホスト)

そして最後は国立駅前の(ロージナ茶房)

 老人が孫のような娘と毎週来るのですぐに店の人に覚えられる。

中国語の先生でして、と紹介するとみんな愛想よく対応してくれる。

テキストを見ながらのレッスンなので必ず隣同士に座る。

二人用の小さなテーブルだと具合が悪い。

(ロージナ茶房)ではいつも店の人がテーブルを二つくっつけてくれるのだった。

 3年間に使ったテキストは6~8冊くらいだったろうか。

ピンイン(アルファベットで表記した発音記号)の幼稚園児用の教科書から始まり、あとはNHKテレビの中国語講座で知った(相原茂)先生の書いたテキストを使った。

文法あり発音あり会話ありである。

 いつか北京郊外の侘しいような茶店で現地の老人と話してみたい、というのが中国語を学ぶ動機であった。

何年もやって未だに一言もしゃべれない。

しかしランちゃんのレッスンのおかげで、彼女の言う、中国語の骨格(文法)、肉(発音)、そして皮膚(文章や会話)の一端を学ぶことは出来た。

 これからの自習、独学に関しては、日本に住む以上、骨の部分、即ち文法を中心に勉強したらよろしい、発音、会話は現地に行かねば無理です、私も日本語に関してそういう道を歩みました、というのが最後のランちゃん(ラン老師)のご託宣であった。

その通りにしようと思う。

 ランちゃんのレッスンについてはこの日記に以下のような記事がある。

2003.06.23 チャイニーズ・レッスン篇

2003.09.14 チャイニーズ・レッスン再開篇

2004.02.01 2004年のチャイニーズ・レッスン篇

2005.08.21 留学生たちの夏休み篇

2005.10.16 ランちゃんのお母さんが来た篇

(ふうてんアーカイブス)

2006.03.26 国立の桜

近くの公園で

桜いろいろその1sakura_1  

 

 

 

 

 

 

 

その2sakura_2  

 

 

 

 

 

 

 

その3sakura_3  

 

 

 

 

 

 

大学通りの歩道で

歩道gaito_1  

 

 

 

 

 

 

 

街灯はパリがモデルだとかgaito_2  

 

 

 

 

 

 

 

桜は国立の市章?(本当は梅だそうで) 

gaito_3

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2006/03/20

2006.03.19 早春の裾野篇

国立の桜 準備万端not_yet  

 まだ新緑には遠く、桜も咲いていない時期ではあるけれど、去年2月に急逝したアナザー筒井のお墓参りにいつもの面々が裾野小川別邸に集まった。

 春の嵐が関東にも押し寄せていて天候は目まぐるしく変わる。

ポカポカ陽気の中自宅を出発し、いつものように友人にホンダ・レジェンドで拾ってもらい、富士山の裾野にある富士霊園に着く頃には空は怪しくなっていた。

 鎌倉大明神の発案でお墓参りはシャンパンで乾杯ということになった。

55歳で亡くなった友人、BYOW(Bring Your Own Wine)のメンバーだった彼の一周忌の集まりには相応しいと思った。

 去年の葬儀の模様はこの老人日記でも触れている

春の嵐

 この1週間ほど関東では風が強い。

北海道当たりに強い低気圧が居座り、この低気圧と南や北の高気圧に日本列島が挟まれたような気圧配置になり、南からとか北からとか猛烈な風が吹く。

今日など東京で風速30メートル以上の突風が吹き、武蔵野線は全線電車が止まった。

 御殿場や裾野でも嵐模様だった。

御殿場インターにほど近い富士霊園でのお墓参りが終わる頃ポツポツと降り始めた。

裾野小川別邸へ向かうとき大雨になった。

標高900メートルの別邸に着く頃には濃霧となって視界は50メートルも無くなった。

霧は降るように流れていた。

お墓参り・・・シャンパンで乾杯

 アナザー筒井の眠る富士霊園の中にはいるのは初めてだった。

墓地に着くと鎌倉大明神が車からゴソゴソと荷物を持ち出したようだった。

(ちょっと寒くなってきたから一本でよかったかなあ)

という声も聴こえてくる。

 シャンパンを2本とシャンパン・グラスを人数分持ってきていたのには恐れ入った。

(これはブルゴ~ニュ産なのでシャンパンとは言えないのだけど作り方はシャンパンと同じなんですよ)

(シャンパンは紙コップで飲むものじゃあありません、いえ捨ててもいいくらい安いグラスですから)

(これ、~円で買えるシャンパンなんです、悪くないでしょう?)

 墓参者とアナザー筒井のグラスにブルゴ~ニュ産の(シャンパン)を注いで乾杯した。

帰り際、小川別邸当主が墓石にそのアナザー筒井のグラスの酒を注いだ。

早春の裾野

 御殿場から裾野小川別邸へ行く途中(御殿場高原ビール)の製造元へ寄ってビールを調達した。

なかなかの規模で10周年記念のイベントも行われているようだった。

ちょうど札幌の(サッポロ・ビール・ファクトリー)のような感じで、中に大きなビア・ホールまであって驚いた。

 大雨になり、登るに連れて霧が濃くなり、到着する頃には視界がほとんどゼロになった。

(雨の中のドライブもいいですねえ)

と友人は言った。

霧で覆われた夢幻のような世界はふうてんの好むところである。

(運転している人はご苦労さまだけど、いいですねえ)

とふうてんは応じた。

 夜中ずっと雨が降って、翌朝にはやんだ。

早朝、小川別邸のベランダに出て小鳥たちの声を聴いた。

ウグイスが鳴く練習をしていた。

 ゴルフ組と別れてレジェンドに乗っかって帰路についた。

帰りに富士を見ると雨で洗われた空気の向こうにクリアな積雪が見えた。

山頂は分厚い雲に覆われて、よくあるように恥ずかしげに姿を見せなかった。

(あんないい奴はいなかったなあ)

(やっぱり寂しいよね)

などなど話しながら我々は裾野小川別邸から下界へと戻って行った。

(ふうてんアーカイブス)

2006 早春 アナザー筒井のお墓参り

シャンパンで乾杯

元ニューヨーク駐在員たちchampan  

 

 

 

 

 

 

裾野小川別邸 ウグイスの声も

雨上がりの林trees1  

 

 

 

 

 

 

 

木々は心を癒してくれるtrees2  

 

 

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2006/03/13

2006.03.12 春のチャンプルーな一日篇

ホンダですよhonda  

 今日は今年初めてコートを脱いで繁寿司へ向かった。

三寒四温の暖かい日に当たる陽気だった。

この一週間は三日間15℃以下で四日間15℃以上だった。

 近くのスタンドでガソリンを入れる。

昔から知り合いのお兄さんが(最近来られませんねえ)と言う。

以前はしょっちゅうバッテリーが上がって充電しに通っていたのだった。

(この車僕が免許取った頃はもう製造中止になっていて欲しかったのだけど高くて買えなかったんですよ)

(もう20年くらい前の話だよね)

(僕は今年45歳なので、もうちょっと前でしたかねえ)

 ガソリンは予想通り値上がりしていて20リットルで2500円くらいだった。

以前はリットル100円以下の事もあったように覚えている。

何しろ2Km四方を一週間に一回くらいしか走らないロシナンテにとってはガソリンの価格というのは上がろうと下がろうとあまり関係ない。

勘定係の女房が(コーヒー一杯分上がったのね)と言う。

 繁寿司に山口夫人はいず豊田さんが一人で飲んでいた。

しばらく今年の巨人はどうだろうかという話をして彼は帰って行った。

 昨日の土曜日は思いがけずややこしい一日になった。

朝刊のテレビ欄で午後(文楽)3時間半、夜(風と共に去りぬ)4時間近くの放映があると教えられた。

ビデオテープを買いに行かねばならない。

竹本住大夫再び

 テレビ欄の(文楽)はBS2で山川静夫の担当の伝統芸能番組の一つだった。

今年の二月の国立劇場での公演、それも竹本住大夫出演とある。

 山川静夫が住大夫師匠にインタビューするシーンがあり、この間見た天の網島のシーンが再現された。

こたえられない番組だった。

 劇場で聴いたよりも彼の語りが明瞭に、迫力のあるものとして迫ってきた。

インタビューの中で山川静夫が、後に継ぐ人をどう育てます?と聴いた時、住大夫師匠の顔が少し曇ったようにふうてんには見えた。

 確かに、この3時間半の中に出てきた他の太夫と住大夫との差があり過ぎる。

(伝統芸能というのは基本ちゅうものがおますさかい、それはちゃ~んとやってもらわなあきまへん)

と師匠は語っていた。

他の太夫さんたち、もうちょっときばってや。

Hi-8テープが無くなる??

 ふうてんのテレビ放送のデジタル録画はHi-8である。

DVD録画も出来なくはないのだけどブルーレイになるまでは容量が足りない。

お皿を替えて何枚にもとれば可能なのだろうけど、それも面倒臭い。

今のところHi-8のテープを使った録画がクォリティと手間において妥当だと思っている。

 しかし今どきHi-8のビデオテープなんてのはマイナーに決まっている。

この10年でだんだんと売る店が少なくなり、売っている店でも売り場が小さくなった。

土曜日、不安を感じながら立川のビックカメラへ行くと、案の定いつもの10個幾らの商品が見当たらない。

店員に聴くと、ハイあまり売れないので入荷が限られていまして、いえ製造中止じゃないんです、と答える。

それで割高の3個幾ら、とかを買って帰った。

 ビックカメラがダメならヤマダ電機もあるさ、と次に府中のヤマダ電機に初めて行ってみた。

ここでも同様だった。

(Hi-8はそのうち無くなるんだ)

と覚悟せざるを得なかった

 やはり(形あるものは滅びる)のだろうか?

偶然の出会いに乾杯!!

 ヤマダ電機で3個入りパックを3個買ってチャリで書簡集へ向かった。

モカ・マタリを頼んでいたので取りにいかねばならない。

信号待ちをしていると、やはり信号待ちしている一人の男と目が合った。

う~ん?とクローズアップしていくと何と3年ぶりくらいの友人ではないか。

 大阪の御堂筋出身、京都方面の大学経由で国立まで流れてきた男である。

繁寿司の常連だったので知り合った。

今は繁寿司へは来なくなって、2~3年前にコチラから電話して彼の家を訪ね近場で飲んだのが最後だった。

 彼はいつもの散歩の途中だという。

ちょくちょく行く近くのラーメン屋で一杯やろうという。

否やはない。

 それで2時間ほど久しぶりに楽しい会話となった。

 どうも昨日の土曜日は朝刊でテレビ欄を見たおかげで、まことにチャンプルーな一日となった。

立川→国立→府中などなど多摩地区をうろついていろんなもの、いろんな人にであうことになった。

最後は勿論(書簡集)でモカ・マタリの豆を手にした。

ビールと日本酒とウィスキーとコーヒーをずいぶん飲んだ。

(ふうてんアーカイブス)

2006 春 立川→国立→府中

ハーレーとホンダ?

バイク二人組tworide  

 

 

 

 

 

 

 

赤いホンダredhonda  

 

 

 

 

 

 

一橋大学の白い梅

梅?ume  

 

 

 

 

 

 

 

一本の梅もいいwhite  

 

 

 

 

 

 

 

 

一橋大学の紅い梅

梅?いつ両目が?red  

 

 

 

 

 

 

 

学生さんstudentsたち  

 

 

 

 

 

 

 

お月さまがmoon  

 

 

 

 

 

 

ラガーマン

誕生日はふうてんと同年同月2日後だというfriend  

 

 

 

 

 

 

 

偶然の出会いに乾杯kanpai  

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2006/03/06

2006.03.05 東風吹かば篇

谷保天神の梅yahoume  

 いつものように夕刻5時に家を出てロシナンテで繁寿司へ向かう。

桜通り・・・冬枯れのままだけど随分明るくなった。

日がのびたのである。

週一の繁寿司通いは定点観測、定時観測なので四季の移り変わりを実感する。

 繁寿司に山口夫人の姿が見えなかった。

(正ちゃんと二人で風邪なんですって、さっきちらしを届けました)

と繁さんがいう。

(風邪で寝ているときにちらし寿司届けて貰ったら嬉しいだろうなあ)

 しばらく繁さん夫婦と昔話に耽った。

繁さんのハーレー・ダビッドソン

 若い頃ハーレーに乗っていたというのは聴いていた。

この間下北沢で見たので今日はちょっと繁さんのハーレー体験を改めて聴きたくなった。

(繁さんがハーレー乗ってたのはいつごろでしたっけ?)

(え~っと、ずいぶん若い頃ですよ、当時は遊んでいましたねえ)

(どうしてハーレーを買うことになったの?)

(あの頃のオート何とかいう雑誌に載ってたんですよ、手放したいという人がいましてね)

(は~っ、つまり中古だったのね)

(けど結構高かったですよ、当時~円でしたから今でいうと幾らくらいかなあ)

・・・・・

(繁さん、どうしてそのオートバイ好きになったんですか?)

と女房が聴いた。

(当時築地に乗ってきている人がいましてね、音が気に入ったんでしょうね、音が)

(やっぱりね、ハーレーは音が全てよね)

(雑誌で売りに出ているの見たとき陸王だと思ったんです)

(陸王?ああ当時日本でハーレー・ダビッドソンをノック・ダウン生産していた)

(そうなんですよ、写真では区別がつかないんですよ、形は一緒ですからね)

(それで?)

(大森のその店へ行ってみたらハーレーなんですねこれが、それに乗って帰りましたがね)

・・・・・

 昭和32年ころの話だという。

今からほぼ50年前の話であって、そんなころに彼はハーレーに乗っていた。

ふうてんは当時小学校の5~6年生だったはず。

オヤジの同僚でバイクやクルマの好きな御仁がいて家へ(陸王)に乗ってよく来ていた。

陸王=ハーレーだから、ふうてんのバヤイ、あの音が好きなのは殆ど(幼児体験)が根にあるのかもしれないなと思った。

谷保天満宮

 この間久しぶりに晴れたのでビデオ・カメラをポケットに入れて谷保天神の梅を見に行った。

谷保天神、谷保天満宮の梅林は地元では知られた名所なのである。

チャリで行ったのだけれど、この季節、家々にも道々にも花はないのですね。

(さざんか)が少しあるくらい。

そんな時に咲く花として古来(梅の花)は珍重されたのだろうなあと思った。

 梅林のほぼ中央に(山口瞳先生文学碑)がある。

じっくりと見るのは今回が初めてだった。

桜と違って梅は(香り)がフッと匂う。

 この谷保天神のことを繁寿司でも思い出した。

(繁さんたちの結婚式は谷保天神だったよね)

(いえ僕たちは違いますよ、伊丹さんはそうでしたけど)

(伊丹一三さん?)

(そうですよ宮本信子さんと)

・・・・・・

(あの文学碑に穴が空いてたでしょう?)

(えっ?穴?・・・そう言えば・・・四角い穴?)

(あそこから富士山が見えるんですよ、瞳さんが好きだったから、見えるようにって)

・・・・・・

 ふうてんは言葉を失った。

東風吹かば

 谷保天満宮はその名の通り菅原道真ゆかりのお宮さんである。

三男の道武という人が武蔵の国に流され、その人が縁起なのですね。

当時の政敵を葬るやり方はかなり過酷だったと思う。

道真の四人の子供は全員流されたそうですからね。

 Googleに聴くと道真は901年に博多へ流され903年に亡くなっている。

よほどのことが無ければ壮年の男が2年間で急に死ぬるはずはない。

柿本人麻呂もそうだったけど、流されるということは実質的には(死刑)だったのではあるまいかと思いたくなります。

 その道真が流される前に詠んだのが例の歌でした。

梅を詠んだ歌として紀貫之のも思い出してしまった。

東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ(春を忘るな)

人はいさ心もしらずふるさとは花ぞむかしの香ににほひける

 いずれも梅の花(おそらく紅梅)を歌って、人(おそらく女人)の心、時の移り変わり、自身の青春期とその後の変転のさま、を見事に表現しておりますねえ。

(ふうてんアーカイブス)

2006 桃の節句 谷保天満宮

谷保天満宮の分かり易い解説

山口瞳文学碑hitomikinen  

 

 

 

 

 

 

 

梅林の中umebayashi  

 

 

 

 

 

 

 

富士山見の穴fujiminoana  

 

 

 

 

 

 

 

白とwhite 

 

 

 

 

 

 

 

紅とred  

 

 

 

 

 

 

 

谷保天神shrine  

 

 

 

 

 

 

 

チャボchabo  

 

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