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2006/02/27

2006.02.26 チャンプルーな街、下北沢篇

春はもうすぐ?hiyodori  

 

 この2、3日は日本中が(静香の舞)に陶然となったようだった。

技術に支えられた強さと女性らしい優雅さを兼ね備え、滑らかな表現が出来る、という意味で、ふうてんはビールマン・スピンのスイスのビールマンに似ているなと思った。

Googleに聴くと彼女デニス・ビールマンは1962年生れというから44歳となる。

活躍していたのはもう20年以上も前になるのだろうか。

 いずれにせよ(静香の舞)は、

Asian Cool Beautyの魅力を世界に知らしめたようだった。

 この間、所用で下北沢へ行った。

春のような陽気に誘われて早い目に家を出た。

駅へ向かうとき、銀星タクシーの運転手さんとこんな会話になった。

(どうも雲行きが怪しいですねえ、降りますかねえ)

(天気予報では・・・ひょっとしたら雨かも、とか)

(傘持ってきた方がいいかなあ・・・ここは一つ芝居みたいに春雨じゃ、濡れていこうと言っておきますかねえ運転手さん)

(はあ、月形半平太でしたか)

(芝居の世界ではうまいこと言いますねえ)

・・・・・

(ところで芝居で思い出したけど文楽て見たことあります?)

(いいえ私は見たことないですが馴染みのお客さんで文楽の太夫だかなんかやっている人がいますよ)

(エッ?文楽の人が?国立に?)

(太夫だか三味線だかよく知りませんが、今日は公演で~へ行くとかおっしゃいますよ)

(名前分かります?)

(エ~ッと何とかさんという方で、~学園の近くにお住まいです)

(そうですか驚きましたねえ・・・)

 やはり人とは話してみるものである。

まさか国立の近場に文楽のお人がおられるとはち~とも知らなかった。

下北沢という街

 下北沢は小田急線と井の頭線が交差する町である。

小田急線で新宿から数分、井の頭線で渋谷から10分、吉祥寺から15分ほど。

若者が多い街から近いことと、もう一つ大きなのは町へ主要な道路が入り込んでいないことがある。

 電車の便はいいのだけど車の便は悪い。

そのことからオフィス街にもビジネス街にもならず住宅と小さな商店が集中する町になったような気がする。

 駅の南側にも北側にも細い道しかなく、ロータリーなんてのは勿論ない。

人は駅を降りてただ緩やかに歩いていくしかないのである。

細い道を歩いていくといろんな路地があり、曲がりくねっているので東西南北は全く分からなくなる。

 どの店も気楽な店ばかりで余りコチラの懐具合を気にしなくていい。

雑居ビルという風な威圧的な建物もあまりない。

せいぜい、2階、高くて3階くらいの建物ばかりで、町全体がゆるやかな起伏のある地形にあるので閉塞感がない。

昔この町にいとこが住んでいた

 今回早めに着いたので久しぶりに昔通ったいとこの下宿があった場所を訪ねてみた。

駅の南側の商店街をずっと下って行って駅から歩いて10分ほどの住宅地。

(確かあの交差点の先を左へ行って、小川の傍を歩いて南側に木々に囲まれた・・・)

と35年ぶりくらいにその地区へ足を踏みいれた。

 小川がない。

木々に包まれた屋敷も見当たらない。

う~ん困ったなあ、とその周辺をウロウロしてみた。

小川は暗渠になり屋敷は造成し直されて新しい住宅になっている風だった。

 35年か、と駅の方へ引っ返した。

このいとこはふうてんの4歳下で、コチラが5年も大学に行ったので、ふうてんが東京へ来たときにはもう大学にはいっていて下北沢に下宿していたのであった。

ジャズと本がともかく好きな男で、愛媛・北条の親元から仕送りが届くと、それを全部持って、古レコード屋、古本屋をへ巡り歩いていた。

全財産持ち歩くのは、いざという時に必要だから、と本人は言っていた。

 彼が買い集めた数千枚以上の(アナログ・レコード)は今どうなっているのだろうか。

チャンプルーな街

 駅へ向かいつつ左右の店の変遷ぶりを見た。

飲食店、衣料品店、雑貨店が主である。

いよいよ前にもまして(チャンプルー)になっている。

ゴチャマゼ、無国籍。

 このチャンプルーさを加速させたのは(本多劇場)という芝居小屋が出来てからだったとおもう。

1982年に開場したこの劇場が出来たことによって、いろんな演劇関係のピープルが出入りするようになった。

ちょうど日本はバブル景気の真っ盛りのころで、若い女性を中心に演劇ブームがこの頃より起こったような記憶がある。

 本多劇場が出来たあと、小さな芝居をやる場所が下北沢に沢山出来たような気配もある。

演劇というのは主催者側も見る側もいろんなピープルが参加するイベントである。

そういう沢山の人々の(様々なる要求)に街は答えねばならない。

そんなことから、衣料、食料はもとより道具屋とか飲み屋とかスタジオとかがおとなしい住宅街とは違う形でズラズラと並ぶことになった。

 今回昼間歩いてみて、あらためて、こりゃあチャンプルーやは、と驚いた。

ハーレー・ダビッドソン 3人組

 歩くうちドスドスドスというエンジンの音が聴こえてきた。

見るとハーレー・ダビッドソンのようなオートバイのところに革ジャンとジーンズのお兄さんが立っている。

うん?マフラーが一本のハーレー?そういうのもあるのかなあ。

と近づいて行った。

 紛れもないハーレーだった。

いい音なので(撮らせて貰っていいですか?)

とコートのポケットからソニーのデジタル・ビデオ・カメラを取り出した。

やがて一人ではないことが分かった。

 ちょうどこれから出かけようといういいタイミングだった。

3人はそれぞれにヘルメットを付け、手袋をし、エンジンを掛けて、出かけて行った。

若者という年齢ではなかったかもしれないけれど老人たちでもなかった。

アーカイブスに報告するけど3台の機種選択といい、3人の雰囲気といい、コチラへの対応といい、なかなか趣味のいい3人だった。

 再び会うことはないだろうけど、また会いたいなあと思わせられる連中だった。

連中の去っていく姿をカメラに納めて、用談の場所へ向かった。

(ふうてんアーカイブス)

2006 2月 下北沢 3台のハーレー・ダビッドソン

3台が準備をして

やがて出て行った

3人と3台33  

 

 

 

 

 

 

 

1台目1  

 

 

 

 

 

 

 

2台目2  

 

 

 

 

 

 

 

3台目3  

 

 

 

 

 

 

 

そろそろ行こかsoon  

 

 

 

 

 

 

 

バック・ギアがないback  

 

 

 

 

 

 

 

出発-準備完了start1  

 

 

 

 

 

 

 

出発-それじゃまたstart2  

 

 

 

 

 

 

 

出発-3人そろってstart3  

 

 

 

 

 

 

 

出発-信号待ちstart4  

 

 

 

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コメント

ほかもさんふたたび

 (それから)の去年の夏の(四国旅行)読み直しました。
やはりリキはいってましたね。
コメントの多さにも驚きました。

 四国の中でも瀬戸内側だったような印象があります。
太平洋側も廻るとなるとかなりの旅となるでしょうね。
八十八カ所巡り、となりますか。

 松山の大街道で宝くじ買ったら1万円??
大当たりじゃないですか。
やっぱ、四国、松山はいいところでしょう?

 解説させて戴きますと、中央から離れているのがいいのでしょうね。
京都だろうと東京だろうと遠い世界です。
それでいて昔から遠国との交通の要所でもありました。
瀬戸内海は奈良、平安時代の(高速道路)だったはずです。
日本海や太平洋とは違って、荒波の立たない滑らかなアスファルトが敷きつめられた道路だったのです。

 松山は海に面していますし、さしずめ当時の(セイル・イン まっちゃま 温泉付き)だったのとちゃいますかねえ。
瀬戸内海の沿岸の人々のやさしさというのには特別のものがあります。
あれはやはり古来、そういう行き来する人々をもてなす事で自分たちも生きる事ができる、ということの名残なのでしょうか。
広島、岡山など対岸側のピープルを含めてそんな感じがします。

投稿: ふうてん | 2006/02/28 21:33

 トラックバック記事を読みながら、昨年の(坊ちゃんブランド松山)の旅を思い出しました。

 (万翠荘)
中に入ってみたかったです。おしゃれな洋館で、前まで車をつけたのですが、おなかがすいたので、翌日まわしにしたのが間違いでした。

 (坊ちゃんスタジアム)
高速から、市内に入る前に見えました。

 (坊ちゃん列車)
これは走っているのを見ただけですが、ずいぶんとお金がかかっているんですねえ。真夏だったので、冷房がきいていない客車に乗るのをためらったのですが、結構お客さんは乗ってられました。

 (川福のうどん)
「大名天ぷらうどん」を楽しみにしていったのですが、高松市内の川福には、そのメニューがありませんでした。読むからに美味しそうなので、今度?行くことがあったら、食べてみます(笑)。

 それと(大街道)で宝くじを買ったら、1万円当たりました。へへ。松山はいいところで~す♪

投稿: ほかも | 2006/02/28 14:50

ほかもさん

 ヒヨドリはハナミズキのあの真っ赤の固い実が好物ですね。
このところ周りに家がたて込んできてメジロや尾長がめったに訪ねてくれないので寂しくなりました。

 旦那さんのお父上がオートバイ関係のお仕事だと聴いて、以前鈴鹿サーキット訪問に触れられていたことの謎が解けました。
よほど興味がないとわざわざ行きませんからねえ、サーキットは。

 この男二人、女一人の3人組はドドドドと低いサウンドを響かせてゆるやかにツーリングを楽しむのでしょうね。
サーキットでのけたたましいサウンドとはまた別の趣です。
あれもこたえられませんが。

 それにしても息子の嫁はんに赤いヘルメットを贈る・・・。
ホンダのナナハンに乗って登場したら狂喜するのでしょうねえ。

投稿: ふうてん | 2006/02/27 14:54

JOさん

 下北沢の駅の近くの踏み切りでハーレーのいい音を聴いたの覚えています。
いつかこの日記にハーレー・ダビッドソンのこと書いたなあと辿ってみますと、2001年5月にオヤジの納骨で松山へ帰ったときの出来事でした。
5泊6日の旅だったので記事が長いですがトラックバックしてみました。

投稿: ふうてん | 2006/02/27 14:30

 (ヒヨドリ)
 ふうてんさんちのお庭にも、ヒヨちゃんがいるんですねぇ。ハナミズキの花芽なんかをついばまれんように、気~つけてくださいね。ウチとこは、一昨年、ロウバイのつぼみをみんなこのヒヨちゃんにやられました(涙)。

 (下北沢)
 『JoBlog』に、この下北沢へふうてんさんと飲みにいったとかなんとかという記事がありましたよね。演劇が盛んな若者の街という紹介でした。その記事には写真がなかったのですが、今回のビデオで街の雰囲気がよくつかめました。

 いいバイクっていうのは、音が静かなんですね。3人の中、お一人は女性ですかぁ?カッコイイなぁ~★
 主人の父が、Hondaのバイクの仕事をしていて、私が最初にもらったプレゼントが(バイクでも乗りぃやぁ~。)と、赤いヘルメットでした。怖がりの私は、バイクには乗れず、ヘルメットも押入にしまったままです。(猫に小判?)。
 その父の関係で、鈴鹿にオートバイのレースも見に行ったことがあります。その時も、いいエンジン音がしていたような気がします。

投稿: ほかも | 2006/02/27 12:54

下北沢とハーレー

以前にも、下北の踏み切りでハーレーをみかけましたね?ふうてんさんが、音で気がつかれたようでしたが。

この単車?は何故か、中年とかシルバーの親爺どもが乗ってるのが似合いますね?

ところで、静香選手の舞は気品があり、優雅で、舞が大きいので観ていて安らぎますね。

トリノが始まる数日前にNHKが静香さんの特集を組んだ番組が放映されましたが、その番組を観て、ひょっとすると?という期待と彼女に対する従来の印象は間違いだと思いました。

そして、感動のドラマはエキズイビションの舞で完結しましたね。

投稿: jo | 2006/02/27 12:15

Muさん

 機械音と排気音というところにバイクや車のマニアっぽい香りがしますね。
当方など、昔、カーグラフィック誌の二玄社が発売した(ソノグラフィック)とかいう30センチLP付きのシリーズでブガッティの機械音と排気音に狂喜したものです。
このシリーズは編集長小林彰太郎さん渾身の傑作でした。

 T.E.Lawrenceのオートバイのことは以下のサイトに詳しいです。
その中の(Lawrence who rides Brough Superior.)にはこのオートバイに乗っているロレンスの写真などいろいろあります。
http://www.broughsuperior.com/index.htm

 それにしてもバイクを車に乗り換えたとはいえ、Muさんまだイージーライダーの心が濃密に残っているというのは嬉しいですね。
当方もこの3人組のおっとりとしたしぐさ、やりとりに彼らの楽しい仲間関係、夢見る世界を感じました。
同じようなバイク好きなおっちゃんや、ということで撮影を快諾し、別れ際には会釈をして去っていきました。

 ビデオのデータ量!!
CPU、ファイル、伝送路が悲鳴を上げますね。
当方はノート・パソコン故、冷却用の(扇風機)は欠かせませぬ。
あの(それから)の鹿ちゃんのビデオがダウンロードに6分??
辛いですなあ木幡研も。

投稿: ふうてん | 2006/02/27 09:57

1.バイクにつきる
 いい機械音と排気音でした。
 HD社バイクの排気音は登録商標のようなものとか、ふうてんさんに聞いたのかな。世界中のマシンはあの音を真似ると権利侵害になるとか。

2.中年三人
 みていて、うらやましいですね。仲間が三人もいるなんて。HDバイクの現況を知らないのでなんとも言えませんが、白っぽいのが一番高価に見えました。ああいう画面を見ると、長生きしたいし、いつまでもそこそこの若さが欲しいと心から思いました。足腰萎えては、バイクを起こせもしない。
 ちなみに、Muは過去、30代のおりに一年間免許更新を忘れていて、結局その段階で普通車は取り直しましたが、バイクは永遠に去りました。いま、免許取りに行ってもパスする自信は、~、いや、鬼になって頑張れば半年くらいで再び、イージーライダー(笑)

3.TEロレンスが、イギリスで事故にあったバイクの銘柄は、どこのだったんでしょう。まさか、あれ、軍用バイクじゃなったろうに。

4.バックギアのあるバイクは、サイドカー仕様だけなんでしょうかな。

5.ファイル容量
 ふたつで150MBもありましてな、さすがに葛野の通信設備でも、数分かかりました。
 最近ドコモの携帯が、えっと、100MBPSなんか比較にならないほどの高速通信を開発したと聞きましたが、どうなんでしょう。

 MSV形式でも80MBもあるファイルだから、原形はGBなんでしょうな。
 動画は、せめてDVD並に見たいとなると、やはりドコモ携帯の戦略は妥当なんでしょうね。

6.そうそう、鹿のホルン、みました。あれはQuickTimeで、それぞれ2MB程度だったので、葛野では気楽にみられました。なかなか綺麗に写り音もよいもんですな。
 しかるに、これですら、木幡では混線していたのか、一本6分前後かかって、気が滅入りました。

投稿: mu | 2006/02/27 08:09

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