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2005年12月に作成された記事

2005/12/25

12月25日 音楽って結局(歌)なのだろうか?篇

大学通りのイルミネーションirumineshon  

 ブロッグ版の(ふうてん老人日記)も今年最後になってしまった。

4月ころから始めて、お勧めサイトで紹介している諸氏にはずいぶん助けてもらった。 

 

 サイト主催者の、ほかも女史、鎌倉大明神、Muさん、JOさんに感謝したい。

  ブロッグをやってみて、文字表現や写真やビデオのことを改めて考えさせられた。

それぞれに他にはない必然性がある。

 それと人間の多様さである。

同じブロッグなのだけど、上記先輩諸氏のと当方のとは全く違う。

違うところが面白い。

多様である、というところに生き物の値打ちはあるのではないか。

そんなことを考えさせられた半年でもあった。

 ところで・・・・。

この間(宝塚歌劇)のことに触れた。

(愛、それは・・・)

の歌は素晴らしい、と女房にいうと、

(メモリ~・・・はキャッツだったっけ)

という。

 考えてみれば、ふうてんなどが好きな音楽はすべて(歌)のような気がする。

ジャズだってフラメンコだってバッハだって、曲に(歌)が流れているのである。

これはどういうことなのだろう?

少し(歌)というものを考えてみたくなった。

パソコンのデスクトップは歌ばかり

 デスクトップには毎日のように使うソフトが登録されている。

どうしてもニフティとかワードとかは消すわけに行かない。

しかしデスクトップに10個も20個もアイコンを貼りつけているのは美しくない。

 ところがこのところ20個ばかりアイコンが並ぶことになった。

どうもそれは(歌)のアイコンが増えた為であるらしい。

(青春時代 森田公一)

(一夏の経験 山口百恵)

(旅の宿 吉田拓郎)

(恋人よ 五輪真弓)

(心もよう 井上陽水)

 などなど。

 これらはいずれも(音楽ビデオ)である。

10年くらい掛けてビデオ録画した好きな(歌)たちのようだ。

それをデジタル化して圧縮してアイコンに登録している。

 歌の中には(映画音楽)もある。

(七人の侍)のタイトル・バックも登録されている。

このタイトル・バックの早坂文雄のティンパニーを使った(野武士のテーマ)は何度聴いても素晴らしい。

黒沢明の映像美とともに素晴らしい音楽が聴こえてくる。

 酒を飲んでテレビにもハソコンにも飽きた時、これらのアイコンをクリックして気分に合った曲を聴き、映像を見る。

これはパソコンならではの(技)だと思う。

音楽ビデオというシロモノ

 何年か前から(音楽ビデオ)というのがいいなと思うようになった。

切っ掛けはパコ・デ・ルシアのバルセロナ万国博覧会のコンサートがテレビで放映された時だったのかも知れない。

もう10年以上前のことだったと思う。

 パコはそれまで何度もコンサートで見ていたから驚かなかった。

しかし(禁じられた遊び)のナルシソ・イエペソが姿を現して素晴らしい演奏をしたのを見てビックラこいた。

 その後パコが来日したとき、コンサート会場で彼のビデオが売られていた。

スペインで作られたビデオだけど、これがまた良いのですね。

さんざんレコードで聴いていたパコなのだけどビデオで演奏をする姿を見ながら聴くとまた別の世界になる。

オヤッ?音楽なのに演奏者の姿、指遣いが見られると印象がまた違うなあ、と感心した。

 そんな時、どこかで鎌倉大明神と飲んだ。

ふうてんがそんなことを話すと、彼もレナード・バーンシュタインのウェスト・サイド・ストーリの録音風景をビデオで見てビックラこいたと言うのである。

映像はモノクロでボケボケなのだけどバーンシュタインの指揮をする姿を見て感動したと言った。

 その大明神の話を聴いて、音楽ビデオというのはいいものだと確信した。

その時の二人の会話は記憶がおぼろだけれど、音楽は演奏するのが人間だから、その姿を目にしながら聴くのは悪くないはずだ、なんて話がでたのは覚えている。

結局(歌)って何なんだろう?

 人の気持ち、思いなのだろうか。

端的に、短く、心地よく表現されているのが(歌)のような気がする。

人間はもともと文字を持っていなかった。

思いを伝える手段として、歌しかなかったのではなかろうか・・・・。

 西洋で今のような(楽譜)という、音楽における表記法が発明された。

それはそんなに昔のことではない、と思われる。

ルネッサンス以降ではないかしら。

 楽譜というものは目で見る記号なのですね。

音を楽器や声を使って表す時、音の高さとか長さとかが楽譜にあると何人もの人が同じように演奏出来る。

言わば音楽における(言葉)であるし、言葉のなかでも文字表現だった。

文字表現を持つことで、多くの人間が理解し合えたように楽譜を持つことで西洋人も東洋人も同じ音楽を奏でられるようになった。

 しかし、もともと(音楽)は耳で聴くものなのですね。

文字は関係ない。

言葉ではあるけれども、オーラルであってリテラルではないのですね。

楽譜に書かれた通り音を操る世界・・・それはリテラルだと思う。

文字で表現された世界。

 音楽というのは(楽譜)を越えたところに本質があるようにも思われる。

心なのか思いなのか。

昔の人は文字を持たなかったので、その思いを声で表現するしかなかった。

声で表現する時、高く低く、強く弱く、声の可能性をあらゆる限り使ったに違いない。

 それが今に至るまで(歌)に引き継がれているのではあるまいか。

(音楽)の中でも(歌)は個性表現なのだと思う。

共通性というのが魅力ではなくて個別性が魅力の世界なのですな。

 音楽ビデオは古いの新しいの随分あるのでパソコンの画面がアイコンだらけになったらみっともないな、なんて心配をしはじめている。

フォルダーでまとめちゃえば一個で済むには済むのだけど・・・・。

(ふうてんアーカイブス)

2005クリスマス 国立

昼間はこんな感じyugata  

 

 

 

 

 

 

 

最近はトナカイも登場したtonakai  

 

 

 

 

 

 

 

特徴はお星さまhoshi  

 

 

 

 

 

 

 

国立駅もライト・アップeki  

 

 

 

 

 

 

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2005/12/18

12月18日 ロシナンテあわや御用?篇

コナラの落ち葉kareha  

 今年は国立もやけに寒い。

寒いのだけどたまにはロシナンテに一鞭くれないとなまってしまう。

東京の冬のいいのは、天気予報を見なくても済むことだと思う。

何しろ毎日晴ばかりなのである。

ふうてんはこれを(関東のバカッ晴れ)と呼んでいる

寒くても屋根のない車にとって(晴れ)はありがたい。

 ロシナンテを引っ張り出して久しぶりに国立技工さんを冷やかした。

前から気になっていたスカイライン2000GT-Rに乗ってみたい、という気持ちもあった。

行ってみるとその車が出し入れしやすい場所にあった。

GT-Rの乗り心地については以下に記すけれど問題はそれ以外にあった。

 GT-Rで一回りして、じゃあまた来ます、サヨウナラと言おうとしたら、技工さんが、

(アレッ?)

と、すっとんきょうな声を出した。

(ロシナンテ、10月で車検切れてますよ・・・)

フロント・ガラスに(10)という大きな文字で書かれたラベルを張っている。

今は既に12月なので2カ月ほど(車検)なしで走っていたことになる。

(エエッ?そうなの?ち~とも知らんかった、今日何気なく来てみてよかった)

 まあノンキな話ではあります。

いろんな車が入院している

 修理屋さんだからいろんな車があっても驚くわけにはいかない。

今回修理の真っ最中だった2台の対比は面白かった。

左側にイタリアの500CCくらいの1960年代の車。

右側に1990年代の6000CCくらいのベンツ。

 イタリアのちっこいのは日本のスバル360の見本だった車だろうと思われる。

そんな軽自動車みたいなのに300万円もかけて修理を頼む人がいるという。

確かに今の車にはない(カワユイ)感じを持っている。

 隣のベンツも気になった。

図体の割りにはエンジンが大きい。

(これは・・・V6ですか?)

(そうですよ、6000CCくらいまではね)

(それ以上だと?)

(V8になりますね)

(昔フェラーリの12気筒エンジンて有名でしたよね)

(ええアレは初めは水平対抗エンジンだったんです)

(水平対抗?V型じゃないの?)

(水平対抗の方が重心を低く出来るでしょう?)

 ・・・・・・・。

 国立技工のお兄さんに車の話を聴くとすぐに答えが返ってくる。

初代箱型スカイライン2000GT-R

 乗っていいですか?と聴くと、ハイッどうぞとのお答え。

幻の名車に乗って事故でも起こしたらエライ面目無いと思いつつ、恐る恐るエンジンをかける。

アクセルを踏み込んで発進する。

何だか初めての車に乗ったような気がしない。

 ギアは前進5速とバックでロシナンテと同じシフト・パターン。

アクセルを踏み込んでみてもビックリするような加速感はない。

(オヤッ?どうしたのだろう)

と思いつつ、技工さんの回りの道を少し走ってみた。

(何だか僕の車に似てますねえ、全く違和感がなかった)

(その通りなんです、同じニッサンですしね)

(だって凄いパワーだと聴いていたけどなあ)

(同じ2000CCでしょう?4気筒と6気筒の違いはありますがね)

(ああそうなんだ、同じ2000CCなんだ)

(ロシナンテくんの最高速度の方が速かったんですよ)

(当時日本車では一番速かったのよね時速205Km。今は80Kmマックスだけど)

 何ごとも確かめてみないといけませぬねえ。

どちらが長持ちするか?

 車検は1日で取れた。

車を取りに来る時も、車検を取って届けに来てくれる時も2台で来ることになる。

取りに来たときは弟さんと二人で来た。

届けてくれた時は(多摩の古田)くんと来た。

スワローズの古田そっくりの若者である。

 ビデオでロシナンテの動く姿を写したくて技工さんに一回りして貰った。

普段ロシナンテを運転するのはふうてん一人なので自分では写すことが出来ない。

それで写させて貰って帰る間際に、女房が技工さんに余計なことを聴いた。

(この車あと何年くらい乗れます?)

(車はいつまでも直せ・・・)

と言いかけて技工さんコチラを見てニヤッと笑った。

お答えを聴くまでもなくふうてんが答えた。

(ドチラが先かという問題なのよ)

・・・・・・・・

 女房にも聴こえたようだった。

今日繁寿司へ寒風をついて向かいながら女房が言った。

(長持ちしたわよねえこの車。どちらが先に、なんて言ってもより真実に近づいてきたという実感のある年代に・・・)

 真実、ときたので返す言葉がなかった。

何だか寒風の温度がより冷えてきたような気もした。

 スカイライン2000GT-R

 ダットサン・フェアレディ2000

 いずれ劣らぬ古老ぞろいではある。

(ふうてんアーカイブス)

2005国立 師走

ちょっと一回りhitomawari  

 

 

 

 

 

 

 

国立技工兄ani  

 

 

 

 

 

 

 

多摩の古田furuta  

 

 

 

 

 

 

 

一回り終わりowari  

 

 

 

 

 

 

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2005/12/11

12月11日 宝塚歌劇見たことありますか?篇

初冬の西日hikari  

 この間プロジェクトXで(ベルサイユのばら)をやっていた。

宝塚歌劇というのは余り興味がないのだけど、このベルばらの(愛、それは・・・)の歌は大好きで、今までNHKがいろんな形で取り上げるたびにビデオ録画したりして、追っかけてきた。

 女優として興味を持ったのは涼風真世くらいだしドラマとして興味を持ったわけでもなく、ただただこの一曲の歌に魅力を感じているだけなのである。

この間のプロジェクトXをどうして見たかについてはまた別の理由があった。

 最初の演出を長谷川一夫がやったのですね。

それを1970年代にNHKテレビがリポートしたことがあって、それに登場した長谷川一夫に参ってしまった。

(この長谷川一夫という役者を使ってギャング映画を作ってみたいなあ)

と切に願った。

 ちょうどマーロン・ブランドのゴッドファーザーが一世を風靡していた頃だった。

長谷川一夫なら彼に十分対抗出来る、なんて思った。

 その当時の映像で長谷川一夫が登場するのではないか・・・それでプロジェクトXを見たという次第。

 少しふうてんと宝塚歌劇との関わりを話してみたい。

阪急宝塚線

 阪急電車に宝塚線というのがある。

京都にいた頃、叔母夫婦がこの線の雲雀丘花屋敷に住んでいた。

また(友だち)が豊中に住んでいた。

京都から京都線で十三まで行き、宝塚線に乗り換えて・・・・。

それをずいぶん繰り返した。

 しかし何故か宝塚まで行くことはなかった。

硬派だった当時のふうてんにとって女学校の学芸会みたいな宝塚歌劇は縁遠いものだった。

(友だち)は女の子だからして、行ってみない?という声は聴こえたような気がする。

うんにゃ、と答えるばかりだった。

今にして思えば一度くらい表敬訪問してもよかったのに。

ベルサイユのばら

 Googleに聴くと、

(フランス革命勃発直前の18世紀の激動のフランスを舞台に、1972年春から73年秋まで82週にわたって週刊「マーガレット」に連載され、少女マンガ史上空前のヒットを記録した。
 74年4月には、早くも宝塚で第1回目の舞台化が実現)

とある。

 1970年というのは日本では70年安保の年で、1960年代後半、中国の文化大革命の影響を受けたのかして学生運動が盛んだった。

ピークは1969年1月の東大安田講堂での学生と機動隊の攻防だった。

ふうてんはその安田講堂での攻防戦を九州の人吉温泉の駅前旅館のテレビでリアルタイムに見ていた。

 卒業間近ということで自動車部の友人などと三人で九州一周をしていたのだった。

 この攻防戦のあと学生運動は下火となる。

学生たちが願ったのは(革命)だった。

しかし高度成長真っ盛り、現実社会でそんなものが起こり得るはずもなく、学園の破壊が行われただけで学生運動は次々と挫折し内ゲバという暗闘へ向かって行った。

ただ気分として当時の若い人たちに(革命のロマン)への夢は残った。

 そういう時代に、池田理代子の(ベルサイユのばら)が登場したのだった。

折しもマンガ週刊誌大流行の時代。

バーチャルな(革命劇)にみんな男の子も女の子も酔ったのであった。

学生運動に参加したのは男の子だけではなかった。

ビックリするような別嬪さんが(学生闘士)の中に何人もいたのを覚えている。

原作者の池田理代子も1947年生まれとあるから、1970年は23歳。

70年安保の学生運動の渦に捲き込まれなかったとは考えにくい。

 まあそういう時代でしたね。

長谷川一夫の迫力

 我々の世代の長谷川一夫に対するイメージはNHKの大河ドラマ(赤穂浪士)の大石蔵之助役だと思う。

芥川也寸志の素晴らしい音楽とともに(おのおのがた)と鼻にかかった声で部下に語りかける長谷川一夫は全国に親しまれることになった。

 1908年生まれで(赤穂浪士)が1964年、(ベルばら)が1974年とGoogleは教えてくれる。

大石蔵之助を演じたのが56歳、ベルばらを演出したのが66歳となる。

66歳の長谷川一夫が素顔で宝塚歌劇を演出している姿形を見て、ふうてんは一驚したのだった。

 ちょっと日本人離れした鼻筋の通った顔で、少しかすれたような、鼻にかかったような声で、身振り手振りで宝塚の若い女性たちに教えていた。

長谷川一夫は歌舞伎で(おやま 女形)で鳴らしたし、映画でも例の(流し目)は彼の独断場だった。

その彼が女しか出ない宝塚歌劇で(男役)に演技指導している。

 1975年頃、テレビでその姿を見てふうてんは圧倒されたのだった。

時代劇の型にはまった人間像ではなく、モダンで自然な貫祿がにじみ出ていた。

人間の魅力というものは他の何物にも置き換えることが出来ない。

全く、当時既に衰えていた映画はこの素晴らしい役者を使い切ることが出来なかった。

本当に残念だと思う。

手塚治虫記念館のこと

 手塚治虫が宝塚に縁の深い人だったことはよく知られている。

5歳の頃、今の宝塚市に移り、お母さんに連れられてよく歌劇場へ通ったという。

彼のマンガやアニメに宝塚歌劇が深い影響を与えているのは当たり前ではある。

 1989年に手塚さんが60歳で亡くなって5年後の1994年に歌劇場の近くに、宝塚市市営の(手塚治虫記念館)が出来た。

当時ふうてんの同僚の(人丸どの)が手塚プロダクションと付き合っていた。

パソコンで(手塚治虫アーカイブス)を記念館用に作れないだろうか、という相談が持ち込まれた。

 アーカイブスといっても作品を次々と見られるようなものではなく、手塚ワールドとは?みたいな案内をパソコンでやれないだろうかという話だった。

Windows95がまだない時代で、動画の処理一つ大変に手間がかかった。

それでも1年ほどかけて何とか開館に間に合わせることが出来た。

 開館前のある日、現場を確かめ、手塚プロダクションの方々と一種の打ち上げみたいなので飲んだ時、宝塚歌劇で手塚作品をやるので見てみませんか?と誘われた。

(ブラック・ジャック)や(火の鳥)が宝塚の舞台にかけられるという。

東京宝塚劇場

 手塚フロダクションのせっかくの誘いをフイにする手はない。

じゃあお言葉に甘えてと応じた。

残念ながら宝塚でのチケットは売り切れで、東京になりますという。

ふうてんは一人で(女の城)に乗り込む勇気はないので(チケット2枚お願いします)と答えた。

 同伴者として当時馴染みの飲み屋の女の子に同行を頼んだ。

有楽町駅近くの(東京宝塚劇場)である。

劇場にはいって、舞台を見て、終わった後のファンの列を見て、有楽町駅に戻った。

この一夜の特殊な雰囲気は忘れ難いものだった。

やはり一人で来なくてよかったと思った。

 客は95%くらい女性客だった。

おばあちゃん、おかあさん、お孫さんの3世代。

男の客にも本当の宝塚ファンもいるのだろうけど、大抵はコチラと同様キョトンとしている。

 付き合ってくれた女の子と、熱演を見ながら、

(コリャすごいね想像以上だわ)

(ホントちょっと別世界)

(どうお?気に入った?)

(ウ~ン、ちょっと違うような・・・・)

 舞台を見ているうちに一つ不思議なことに気付いた。

理由が分からないのにワーッと歓声が起こり拍手が鳴りやまない、ということがある。

何度目かにやっと気付いた。

スターの登場なのですね。

ライトが舞台奥のまだ姿の見えないスターの方を照らす。

そこへチラッと姿が見える。

(ワァ~ッ、キャ~ッ、パチパチパチ・・・・)

みなさんスターを見るために来ている、ということを思い知らされましたな。

 そのスターたち(2~3人)は2時間ほど出突っ張りで歌い、踊る。

汗だくになって肉体の全てを使って演じる。

それを昼と夜と2回やって2週間もそれ以上も続けるのですね。

このスタミナは大したもんだと感心しましたね。

 スターだけではなく、どう見たって普通の女の子たちが集団で舞台狭しと踊りまくり動き回るシーンもある。

ああこれは(おばあちゃんたち)が元気を貰う為のシーンなんだと分かります。

ウン十年前を思い出しているのやも知れませぬ。

 演者たちと観客たちの女だけの集団のエネルギーに押されるように二人で会場を出ました。

東京には宝塚にあるような(花の道)はありません。

それでも会場を出るとファンたちが列を作ってスターのお出ましを待っているのですね。

花束やらプレゼントやらを手に持って。

(世界広しと言えど、これは日本にしかないやろね)

(私もそう思う)

(また来たいと思う?)

(・・・・)

などと話しつつ、ボ~ッとなった気分のまま二人は夜の街に紛れ込んだ。

(ふうてんアーカイブス)

2005初冬 国立

2座席のフォルムは同じだけれどz  

 

 

 

 

 

 

 

Zの一文字 フェアレディはないzonly  

 

 

 

 

 

 

 

350Z してみると3500CC?350z  

 

 

 

 

 

 

 

今年のコナラは綺麗に紅葉したkonara  

 

 

 

 

 

 

 

少し寒いニャ~shiro2  

 

 

 

 

 

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2005/12/04

12月4日 奈良もおもしろい篇

国立のイチョウicho  

 所用で関西へ行った。

11月の京都は観光客であふれ、いつものホテルには泊まれない。

祇園祭のときのように奈良へ泊まることになる。

 奈良とふうてんの付き合いは極めて限られている。

何しろ近鉄奈良駅周辺、東大寺、法隆寺、長谷寺くらいなものなのである。

名所旧跡の観光という趣味がないので、どこへ行っても似たようなことになる。

京都だって立ち寄る場所はごく限られたところになる。

 同じところに何度も何度も足を運ぶことになる。

どうも、どこへ行っても(定点観測)しか出来ないタチのようだ。

法隆寺

 5年くらい前から機会があるとフラッと一人で法隆寺へ行くようになった。

それまでは大仏に興味があったので東大寺、二月堂をよく訪ねた。

歴史にも深い興味はない方だし、仏像にも殆ど興味がない。

ただ(もの作り)を職業としてきた人間にとっては、東大寺や法隆寺の建物や境内の設計に興味を覚える、ということなのだろうか。

 法隆寺にこのところ強く惹かれるようになったのはどうしてなのだろう?

梅原猛の(隠された十字架)を読んだのはもう30年も前の話である。

西岡常一棟梁の本を何冊か読んだのももう20年前になる。

予備知識としては蓄積されたものがあるのだろうけど直接の動機とは考えにくい。

 やはりあの(たたずまい)にあるのではないかと思う。

男性的な、そっけない、何気ない、たたずまい。

それでいて緩やかな斜面に作られた建物たちは柔らかさを感じさせる。

固い背骨と柔軟な精神。

貪欲に、必死に学問、宗教を体得しようと努めた若い日本の、当時の青年たちの息吹が伝わってくるような気がする。

 法隆寺へ行けばいつも(青年)の気分になれるのかもしれない。

奈良ホテル

 このホテルのシングル・ルームの居心地の良さは何なのだろう?

本館(旧館)のシングル・ルームである。

今回は2階の部屋だったのだけど、以前2階にも泊まったことを忘れていて、

(へえ~、2階にもシングルありましたかねえ?)

と聴くと、案内の人が、

(そうなんですよ、本館には1、2階合わせて7部屋あります)

と答えた。

 ギシギシときしむ階段を上がってすぐ近くの部屋にたどり着く。

部屋は極めて狭い。

狭いのだけど、居心地がいいのである。

エアコン、バス・トイレなどなどの設備がよく出来ているせいなのだろうか?

それにしても・・・待てよ、極めて狭い・・・ン?

 今回ハッキリと分かったことがある。

この狭さなんだ、秘密は・・・殆ど動かなくていいんだ。

その狭い空間の中でいろんなものがうまい具合に配置されていて全く不便を感じない。

ああしようこうしようと思うことが殆ど歩かずに実現出来る。

恐れ入りました、とこのホテルの設計者にあらためて脱帽したのだった。

 このホテルでの最高の楽しみは朝食にあるのかもしれない。

朝の7時からやっていて、今回は8時過ぎに訪ねてみた。

生ビール、プレーン・オムレツ、コーヒー。

以前はこれにタバコが付いていたのだけど今は禁煙となってしまった。

 窓際の席に陣取って、ビールとオムレツとコーヒーを注文する。

(ここからは東大寺が見えるんですねえ)

と給仕の女の子に聴く。

(あの光っているのがシビなんですよ)

(そうなんですか、あれがシビですか、シャチホコですか)

シビ、ジビ、ジビエ・・・。

と、夕べ京都の(めなみ)で話題になったジビエ(野禽獣)のことを思い出す。

 やがて近くの客が入れ代わり、中国からの4人組が向こうの席に陣取って、おしゃべりを始める。

ビールを飲み干し、オムレツを半分くらい平らげた時、先程の給仕の女の子が、

(ビールのおかわりお持ちしましょうか)

と言った。

長谷寺

 ふうてんは長谷寺が好きでちょくちょく訪ねる。

学生時代はいつも車だった。

このごろは旅行者として訪ねるので電車でということになる。

 JR奈良駅から桜井線で桜井、あとは近鉄で2駅。

奈良からは近いと言えば近いのだけど、単線の桜井線に乗って、乗り換えて長谷寺までとなると、やっかいと言えばやっかいでもある。

そういう意味では外国からとか遠くからの参拝客よりは近畿一円の比較的近隣の客が多いのではなかろうかと想像する。

 この寺は東大寺や法隆寺とは全く異なる。

法隆寺が男性的なのに対して、こちらは女性的な感じがするのである。

山の中の寺だからフラットな地面は殆どない。

ひたすら登ったり下ったりのお寺参りとなる。

 近鉄の長谷寺駅は山の中腹にあり、そこから下って谷(初瀬川)を渡って門前町を長々と登って駅の向こう側の山にある長谷寺にたどり着く。

行きも帰りも下って登っての苦行が待ち構えている。

ヨロヨロと歩きながら、なるほど長い谷か、それで(長谷寺)言うんやな。

理屈は分かったけど、ちょっとシンドイなあ・・・・。

 花の寺、と言われるくらい、春から初夏にかけては様々な山の花が咲き乱れる。

初夏の牡丹はとりわけ有名で、長谷寺のシンボルとなっている。

一度季節は忘れたけど(舞台)からまわりの山を見ると、たなびく雲のように白っぽいものが見え、それが何かの花だと聴いてビックリしたことがある。

桜だったのか藤だったのか桐だったのかは忘れた。

藤色の雲を遠望する・・・・贅沢な話やおまへんか。

 というようなことで秋は当然もみじ、紅葉が適当に配置されているのですね。

それもそのはず、どうみてもこの長谷寺はこの世での(西方浄土)を意図して設計されているのですな。

奈良から桜井を経由して電車で来ると、車窓からの眺めはかなり悲しいものがある。

この40年ほどでそれは激変した。

極楽浄土どころじゃございません。

 しかし一歩長谷寺に足を踏み入れると事態は一変する。

ほんのわずか無粋な人家がこのごろ見えるようになったけど、まず完璧に景観が守られていて、ビルとか電柱とかの人工的なものが目に入らない。

東大寺境内でも法隆寺境内でもその空間だけはそれは守られている。

ただ長谷寺が違うのは、回りの山々を含めた広大な空間でそれが守られているということ。

 この寺は学問とか宗教とかではなく(美)を追求しているように思える。

それもかなり世俗的な美であって、精神よりも心、心よりも情(なさけ)。

そういうあたりが女性ファンが多い理由だと思われる。

女人という衆生は理屈よりも無条件の美しいもの、心地よさに包まれていたいものなのだろうか。

いやなに、野郎共だってそういう面なきにしもあらずで、当方などもちょくちょく足を運んでいるのだろう。

奈良と京都、そして東京

 奈良と京都、どちらも昔は都だった。

今の都、東京に住んでいる身としては、いつも時の移り変わりを考えさせられる。

奈良は既に現役を引退し田舎に戻っている。

京都はまだ現役部分が少し残っている。

江戸、東京は現役の部分しかない。

 高層ビルが増え続ける東京から奈良へ行くとその落差に驚く。

特にJR線で行くとその思いはより強くなる。

駅や回りの風景はふうてんの故郷四国のそれに限りなく近い。

そしてそのすぐ傍に東大寺があり法隆寺があり高松塚古墳がある。

東京には・・・現代人の経済と政治と娯楽しかない。

(ふうてんアーカイブス)

2005初冬 奈良

法隆寺

松がいいのですねmatsu  

 

 

 

 

 

 

 

謎の三本柱3honbashira  

 

 

 

 

 

 

 

雨樋(どい)がない・・・amadoi  

 

 

 

 

 

 

 

木が主役・・・1400年も裸でki  

 

 

 

 

 

 

 

奈良ホテル

ビールとオムレツ(ハム添え)omlett  

 

 

 

 

 

 

 

ジビエ?jibie  

 

 

 

 

 

 

 

向こうに中国からの4人組fromchina  

 

 

 

 

 

 

長谷寺

これが長谷寺の回廊kairo  

 

 

 

 

 

 

 

室生寺じゃございませんよmuroji  

 

 

 

 

 

 

 

甍ともみじiraka  

 

 

 

 

 

 

 

まだご不満ですか?monku  

 

 

 

 

 

 

富士山

富士の高嶺takane  

 

 

 

 

 

 

 

富士の裾野susono  

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