« 2005年6月 | トップページ | 2005年8月 »

2005年7月に作成された記事

2005/07/25

7月24日 久しぶりのパコ・デ・ルシア篇

 20日、池袋の東京芸術劇場へ女房と出向いた。

パコ・デ・ルシアが4年ぶりに来日したのである。

出向くに当たってはかなりの葛藤があった。

先週書いたように、目がかすみ、腰はギックリと痛み、まともに歩けない。

 土曜日にギクッと来て、日、月の二日間様子を見た。

コンサートは水曜日である。

前日の火曜日には行くのか行かないのか決めねばならぬ。

行かないとすれば、せっかくのS席を捨てるのも勿体ない。

女房はピンピンしているのだから、彼女までギックリ腰に殉じさせるのはかわいそうだ。

 ほとんど鎌倉大明神にピンチ・ヒッターをお願いしようかと思った。

そんな時、昔の、若い頃の苦い思い出がよみがえった。

何だよ、足の一本くらい

 そう親しい友人に叱られたことがある。

ふうてんが20歳前後の学生だった頃の夏休みの出来事である。

自動車部の主将をやった土佐出身の男と彼のイスズ・ベレットGTで淡路島経由で四国へ帰省した。

徳島で、高知と愛媛に別れた。

(今年こそは高知へ来いよ、桂浜で泳ごうな、待ってるから)

(行くよ、必ず、オートバイで石鎚山越えてな)

 それから2週間後、ふうてんは松山でオートバイ事故をやらかしてしまった。

深夜、電車の踏み切りで電車が通過するのを待っていると、隣に若いのが乗ったオートバイが止まった。

遮断機が上がるのと同時に、ヨーイ、ドン!になったのである。

その踏み切りから300mほど先にはT字の交差点が待ち受けていた。

 交差点に猛スピードで突っ込んだ。

信号が赤だったに違いない、右から一台の車が来た。

それを避けようとしてハンドルを切った。

松山には今でも市電が走っている。

軌道敷内は、そりゃあ簡単にすべります。

スベッて、その車の後輪に嫌と言うほどの勢いでぶつかった。

カラン、カラン、カランとその車の後輪のホイール・キャップが転がって行った。

 倒れて、動けないでいると、そのぶつかった車の主が近づいてきた。

(大丈夫か?ケガはないか?)

(ハイ、大丈夫のようです)

その主は文句も言わずに車に乗って去って行った。

(大丈夫?かな?)

と、前輪のアームがゆがんだオートバイを何とか起こした。

フト見ると、うまい具合に近くに(派出所)があることに気づいた。

 学生の身だからして、このオートバイはオヤジの持ち物であった。

一応、ことの次第を報告せねばならない。

派出所で電話を借りてオヤジに電話した。

話しているうちに、フト、ズボンを見ると、白いズボンに一点、赤いものが目にはいった。

ハテ?痛くもないのにどうしたんだろう?と確かめるとズボンに穴が開いていて、まくってみると、膝の少し下に出血が見られたのである。

つまりオートバイの前輪のスポークが突き刺さった跡だったのである。

 オヤジの次に弟の友人のお父さん(開業医)に電話して深夜だったのだけど診てもらった。

(危なかったね、骨のすぐ傍だよこれは、今年は泳いじゃいけないな)

(そうですか、泳げませんか、約束があるんですが・・・)

(泳いだら骨髄炎になる可能性があるよ)

 それで結局ふうてんは、その土佐の友人との約束をホゴにしたのだった。

夏休みが終わって、京都で再会したとき、

(何だよ、足の一本くらい)

と、その土佐っぽは言った。

この事件以降、その坂本龍馬似の土佐男の信頼を失ったようだった。

 どうして赤信号のT字路に突っ込んで行ったのだろう?

20歳前後というのは後で考えてどうしても分からないことをやらかすものなのだろうか?

何だよ、ギックリ腰くらい

 この苦い思い出が、今回はふうてんを支えてくれた。

(何だよ、ギックリ腰くらい)と思うことにした。

まだ行けるかどうか分からないまま、女房に、今回は行くよ、と言った。

(身体障害者みたいな格好で行くと、回りの目や障害者の気持ちが分かるかもね)

これには彼女の直接の答えはなかった。

 そのうち、ところで双眼鏡が欲しいなあ、よく見えるから、と女房が言う。

(あれ、あったろう?)

(うん、でも重たいのようねえウチのは)

とゴソゴソと出してきて、

(アレッ?大した重さじゃないわ、コレ)

(そやろ、ついでに焦点合わせるのどないしたっけ)

(まず左目で合わせて、そのときはコレを回して、次に右目を合わせて、その時はコレよね)

とか、予行演習に余念がない。

池袋 東京芸術劇場

 コンサート当日の水曜日、ウソのように痛みは退いていた。

それでも、いつギクッと来るかわからないので用心しつつ、タクシーに乗り、中央線に乗り、山手線に乗って、池袋までたどり着いた。

ここまで来ればコチラのものである。

 開演30分前をめざしたのだけど早く着いて1時間もある。

で、最寄りの喫茶店のようなカフェ・バーみたいなところへはいる。

その前に、念のためコンサート会場を確かめる。

池袋駅の西口で、駅から至近距離にある。

こういうコンサート会場は、東京では珍しい。

新宿でも渋谷でも、駅から10分は歩く。

 カフェ・バーにはいると、若いニーチャン、ネーチャンが注文を取りに来る。

客も若いのが多く、働いている風のカップルも多い。

(これは国立にはないね、国立には会社がないから)

なぞと言いつつ、コーヒーとアイスクリームを注文する。

(アルコール類はあります?)

と聴くと、ボーイがメニューを指さした。

老眼鏡を取り出して見ると、あらゆる種類のアルコールがあるではないか。

さっそく、サントリー・ロイヤルをストレートで、と注文した。

これで、ニコチンとカフェインとアルコールを同時並行的に注入できる。

サントリー・ロイヤルはおかわりもした。

さて、パコのギターでも聴かせてもらいまひょか。

4年ぶりのパコ・デ・ルシア

 いつも一曲目はソロで始まる。

まず、たった一人、舞台の真ん中に座って弾くのである。

これで聴衆の心をわしづかみにすると同時に、パコの現在形を示すのである。

二曲目から同行しているメンバー(5~8人)が参加するというのがいつものパターン。

 今回は舞台へ向かう姿が少し丸くなったように感じた。

ライトが照らすと、何だか無精髭のようなものが見える。

そうして静かに(ロンデ~ニャ)の一曲を奏で始めた。

 この東京芸術劇場は初めてだったので、C-13、C-14というのがどういう席なのか、はいるまで分からなかった。

はいってみると、前からABC・・・、左から123なのだった。

ということは、C-13、14という席は前から3列目のほぼ真ん中当たり、ということになる。

 パコのギターはメロディもリズムも複雑に入り組んでいて、めまぐるしい。

左右の指の動きがハッキリと見えることは、演奏の魅力を倍加させるのである。

そういう地の利を得て、存分にパコの現在形を堪能出来たのだった。

アンコール 二筋の川 

 今回の特徴は、帯同して来たのが若い人ばかりだったことである。

これまでは歌い手の実兄とかベテランの人が必ずいて、パコも彼らに気を使う気配があった。

対して今回は若い人ばかりで、若い連中がチャンスを与えられて楽しそうに一生懸命演奏している形が好ましかった。

 前半、後半が終わってアンコールとなった。

女の歌い手二人のうちの一人が、4歳くらいのかわいい女の子を抱いて出てきた。

会場がちょっとどよめいたようだった。

その女歌手がパコの姪で女の子は彼女の子供だろうと我々は推察した。

そういうアットホームな雰囲気だった。

 曲は(二筋の川)だった。

パコが20歳になる前に作ったルンバの名曲である。

パコはこの曲でブレークした。

いつのコンサートでもこの曲だけは欠かせない。

 パコ・デ・ルシア 1947年生まれ。

同時代に一歳年下のこの(ギター弾き)がいたのはラッキーだった。

(ふうてんアーカイブス)

2005 パコ・デ・ルシア来日

前回は2001年5月 

パコ・デ・ルシア

東京芸術劇場 大ホール入り口hall  

 

 

 

 

 

 

 

パコ・デ・ルシアpaco  

 

 

 

 

 

 

 

長いエスカレータescalater  

 

 

 

 

 

 

2005 梅雨明け 白も衣替え

ライオンはネコ科だってねlion1  

 

 

 

 

 

 

 

確かに似てるかもねlion2  

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2005/07/18

7月17日 寄る年波には勝てず?篇

 どうも歳をとるにつれ、寒いと言っては嘆き、暑いと言っては溜め息をつくことが多くなったようだ。

この数年は、特に梅雨のこの時期の蒸し暑さがこたえるようになった。

温暖化にこの日本独特の梅雨の(湿度)が加わると・・・たまらない。

 蒸し暑さといえば京都が有名で、ふうてんも学生時代経験して、なるほど、これはたまらない、ヤケクソになってお祭りでもやらかすしかない、と祇園祭の(合理性)に感心したものだった。

しかし現在では日本中、かっての京都の蒸し暑さに負けないくらいになっているのではなかろうか。

海に囲まれた日本で温暖化が進むと・・・ほとんど亜熱帯地域になってしまう。

クール・ビズ

 小泉首相がネクタイを外して、クール・ビズという言葉が流行るようになった。

確かに蒸し暑い日本で夏にネクタイに背広で、というのは不自然ではある。

エアコンの設定温度を2°C高くすると30%の冷房用電力削減になるという。

 クール・ビズという言い方は、何でもカタカナ表現したがる今の風潮を表していて、ふうてんなどは非常に嫌な感じを受ける。

ネーミングしたのは誰だろう?とネーミングなんてカタカナ語がすぐに出てくる・・・。

 今ふうてんの部門は事務所の移転中で、民族の大移動が5月から続いている。

ほぼ2000人が引っ越すので、8月の半ばまでかかるらしい。

数日前、ふうてんのいる部隊も引っ越したので様子を見に行った。

 届いていたダンボールの箱を片付けようとすると、妙に汗ばむことに気づいた。

どうしてなんだろう?と回りを見るとみんな、管理職も含めて、ネクタイをしていない。

もともとパソコンの開発部門の若いのはネクタイなぞはしていなくて、ポロシャツ、Tシャツ当たり前だったのだけど、管理職までネクタイを外しているのは珍しい。

 帰りに、エレベータ・ホールに(地球環境・・・の為、当社ではノーネクタイ云々)という外来者に対する断り書きが張り出されていた。

来週から、堂々と、当方所有の唯一のクール・ビズ、即ちポロシャツで出社しよう。

 三木谷vsホリエモン=ホリエモンの勝ち?

目がかすむ

 先日、京都へ寄って、彦さんと別れ、錦市場を冷やかして四条通りへ出た時、車で一杯の通りが妙に白っぽく見えた。

オヤッ?これはどうしたのだろう?通りが白いのかコチラの目がかすんでいるのか。

 もう10年近く前から、光の変化に弱くなっている。

飲み屋の薄暗い部屋で酒食をし、勘定をすませて外へ出て、明るい照明に会うとクラクラと目眩がする、ということが、時々ある。

 もう一つ、ふうてんは若い頃から貧血の気があって、頭に血がのぼらなくなると、眼前が霞んで、立っていられなくなる、ということを何度も経験している。

今回の、この四条通りの現象は、どれに属するのであろうか?

などと考えているうち、光がますますまぶしくなって、歩道を行き交うピープルの会話、車道を行き交う車の音、が耐え難く大きく聴こえてきて、ふうてんは思わず(藤井大丸)の入り口にへたり込んだ。

 一息ついて通りを見ると、遠くまで白く霞んでいて、どうもコチラの目のせいだけでもなさそうだ、湿気のせいだよ、もともと青い空なんて一つも見えやしなかったじゃないか、ということにして、京都駅へ急いだ。

 京都駅の(ザ・キューブ)から京都市内と回りの山を見渡してやろうとエスカレータで昇り始めるも、真っ白で、視界が全く利かない。

比叡山もなにも見えやしない。

・・・気候のせいなのか、目のせいなのか。

 東京に舞い戻って、一週間以上たっているのだけれど、まだ結論は出ていない。

京都は気候のせいで霞んでいたことは確かだろう。

しかしコチラの目も、帰ってからパソコンの画面が霞んだり、部屋が霞んで見えるのだから、やはり尋常じゃない。

初めてGoogleに(白内障)と聴いた。

 目の老化で、60歳代で70%とあった。

水晶体をレンズに入れ換えるという風なことも出てくる。

手術をした日は、奥さんに手を引いて貰って帰宅した方がよろしい、てなのもある。

 視覚型の人間が、目が見えなくなったとき、どうすればいいのだろうか。

ギックリ腰まで再発しやがった

 金曜日だか、久しぶりに豚の水炊きを喰いたくなった。

極薄切りの三沢ポーク、ほうれん草、稲庭風細ウドンを柚子の利いたポンズで食するやつ。

前日から、極薄に豚をスライスして貰って、用意は整っていた。

 当日、やれ嬉しやとビールを一口飲んで、鍋を覗き込むように手を伸ばした瞬間、ギクッときた。

またきやがった。

イスに座ったまま、ちょっと離れた場所においた鍋を覗き込む、その姿勢をとっただけで、背中の下の方の筋肉がプチッとキレたのであろう。

 ギックリ腰を経験してない人にはこの痛みは分からないと思う。

できれば知らないままでいた方がいい種類の痛みではある。

数日間、これをなだめすかして生活せねばならない。

いこか!と走り出すわけにはいかない。

繁寿しは当分休むかもしれない

 ギックリ腰になったので、今日は行けない、と繁さんに電話した。

繁さんが、来週からしばらく休みます、という。

前から悪かった足がヒドくなって、しばらく入院する、という。

 繁さんの足が悪いのは今に始まった話ではない。

一種の職業病で、医者からは、働きすぎ、立ったままはダメ、重いものは持つな、と言われるのだけど僕は3つとも守っていない、商売柄しようがない、と繁さんは言っていた。

 今回はどういう展開を見せるのだろうか。

これまでは、入院します、なんて言って、翌日ケロッと戻ったりしていた。

(繁さん、入院する楽しみは別嬪の看護婦さんでしょう)

(それ以外あります?)

なんて会話を重ねてきたのだけど、はて、今回は・・・・。

 今日は、寄る年波、という話題になってしまったようだ。

(ふうてんアーカイブス)

1997 祇園祭 宵山

四条通りは人人人だった

ユカタのお姉ちゃんyukata  

 

 

 

 

 

 

 

四条通り ウン万人?shijotori  

 

  

 

 

 

 

 

JOさんワンjosan1  

 

 

 

 

 

 

JOさんツーjosan2  

 

 

 

 

 

 

JOさんスリーjosan3  

 

 

 

 

 

 

2005夏 国立

隠宅に咲いたアジサイajisai1  

 

 

 

 

 

 

近くのアジサイajisai2  

 

 

 

 

 

 

夏の花 むくげmukuge  

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2005/07/11

7月10日 梅雨の京都点描篇

 所用で西へ行ってきた。

ある先輩が社長業を退いたので工場見学も兼ねてご挨拶に出向いた。

空梅雨気味だったのに、その日は妙に雨模様で、家を出るとき嫌な予感がした。

 JR中央線に乗ると、(四谷-お茶の水)の間で信号機が故障したという。

それから2時間、地獄の時を過ごした。

車内もホームも満員の乗客で、身動きがとれない。

一駅進むのに10分以上かかる。

これでは予定の新幹線に乗れないどころか西へたどり着くのもおぼつかない。

大汗をかきつつ、人を掻き分け、2つ目の駅で降りて、雨の中を一つ前の駅まで歩いて戻り、別の線に乗り換えて、ほうほうの体で新横浜駅へたどり着いた。

時間を2時間失った。

 それでも何とか先輩の工場へたどり着くことが出来た。

社長を退いて、顧問室に先輩、チョコンと座っていた。

広い部屋の中にはパソコン1台しか置いていない。

(えらい殺風景ですねえ)

(いや、パソコン1台で十分なんだ、やることないしね)

そういえば先輩は現役の社長時代も部屋にはパソコン1台っきりだったっけ。

 帰り、京都に寄った。

梅雨の終わりなのだろうか、激しい雷雨に見舞われた。

鴨川は増水して、いつもの流れとは違うようだった。

 木屋町や河原町の風情もずいぶん変わってきた。

ケバイ店がやたらと増えて、店が勝手にうるさい音楽をスピーカで鳴らしている。

これだと京都じゃなくなるよ、と市役所の諸君に文句を言いたくなった。

出だしが悪いと大体ロクなことはないようだ。

 それでも最後に彦さんが訪ねてくれて、ホッと気分が和らいだ。

イノダコーヒー本店で(ビーフカツサンド)を御馳走になった。

ビールにサンドイッチというのも悪くない。

 彦さんが蕎麦を喰いたいというので近くの店で(ニシン蕎麦)を熱燗でやった。

彦さんは、気前を見せて、勘定をさせてくれなかった。

終わりよければすべてよし、ということにしておこう。

(ふうてんアーカイブス)

2005梅雨時 京都点描

フランソワは静かだったfuransoa  

 

 

 

 

 

 

天井のシャンデリア?tenjo  

 

 

 

 

 

 

 

小さなステンドグラスglass  

 

 

 

 

 

 

四条小橋下る、にあるfrancea  

 

 

 

 

 

 

ホンダS800s800  

 

 

 

 

 

 

 

小さな車s800whole  

 

 

 

 

 

 

 

一力亭のれん どうして万?ichiriki  

 

 

 

 

 

 

 

専用駐車場ichirikiparking  

 

 

 

 

 

 

 

ホテルフジタ西は墓場である(雷鳴は写真には写らない)hakaba  

 

 

 

 

 

 

 

京都名物 鴨川zosui  

 

 

 

 

 

 

 

梅雨で増水していたkamogawa  

 

 

 

 

 

 

  

ホテルフジタfujita  

 

 

 

 

 

 

 

白いサギがいたsagi  

 

 

 

 

 

 

 

二人で魚を狙っていたnihiki  

 

 

 

 

 

 

 

ホテルフジタのカモとコイkamo  

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2005/07/04

7月3日 都議選の日篇

 鬱陶しい雨模様の中、近くの学校へ投票に行った。

降りそうな時はロシナンテはお休みなので、風がないとチャリになる。

投票のあと、そのまま繁寿司へ行く。

 最近、この日記の読者の一人が、(勝手にベスト3)とかをやってくれた。

人間、自分のことは分からない。

人に言われてはじめて、ああそうか俺はそういう男だったのか、と気づく。

まこと他人様は自己を写す鏡なのだと思う。

 それで今日は少し緊張してこれを書くことになった。

もともとブロッグをやる人は(読者)というのをある程度意識しているはず。

しかし無意識の意識くらいの軽いものだろうと思う。

読者が特定されると・・・・いささか緊張するものですね。

学校でソフトボールをやっていた

 学校の運動場でソフトボール大会のようなものが開かれていた。

子供たちがユニフォームを着て、ヘルメットをつけてバッターボックスにはいっている。

単なる練習ではないようだった。

 バッティングて難しいんだよな、と子供のころを思い出した。

速く飛んでくるボールに細いバットをタイミングよく合わせて、ボールを遠くへ飛ばす。

ふうてんには結局、上手に出来ない(技術)だった。

 小学校のころの苦い思い出がよみがえった。

小学校のチームで、どういうわけか一応レギュラーになっていた。

ポジションはライトで打順は9番だった。

これはすなわち、中では一番(トロイ)という意味である。

 一番悔しかったのは、ある大会で、リードされていた9回裏、ツーアウト満塁で当方に打席が廻ってきた。

そうしたらアナタ、代打が告げられたのである。

それだけでも悔しいのに、ご丁寧にそいつは3球三振したのである。

3球とも見事な空振りだった。

 以来、ふうてんは決して(球技)に近寄らなくなった。

今でもゴルフとかやろうとも思わないのには結構根深い理由があるのですね。

今日も繁寿司に客は多かった

 今日はじめて気づいたのだけど、繁寿司は正式には(繁寿し)と表記するらしい。

割り箸の袋を見ていて、そのことに気づいた。

ヨミはシゲズシに間違いないのだけど、ひょっとしたら(老人日記)を書き始めて以来、殆ど10年くらい間違った表記をしていたのやもしれぬ。

 久しぶりに作家のI女史が山口夫人と楽しそうに飲んでいた。

このお二人は二人でいると本当に楽しそうに時間を過ごす。

同じ(作家)という立場での生活、に共感するものがあるのだろうと思う。

同じ(文学)に関わっていても、編集者とか出版社のピープルと一緒にいるときとは、雰囲気がまた一味違うのである。

 このI女史の話はまことに面白い。

話の内容も面白いのだけど、その表現が独特なのですね。

(芸術)とは(個性)なんだといつも感じさせられる。

ちょくちょく話題にでるのだけど今日もS.A.女史の話をしていた。

彼女が最初かくまったフジモリ元大統領の話である。

今も日本に住んでいて、まことに元気で、日本語がずいぶん上手になった云々カンヌン。

最近そういう会があって会ったらしい。

 このI女史は女流作家として若くしてデビューしていた人で、昔オートバイに乗って銀座界隈でブイブイ言わせていたらしい。

(女慎太郎)と言われていたとか。

ふうてん夫婦が繁寿しで初めてお会いしたのは20年くらい前だったろうか。

感心するのは決して偉ぶらないことですね。

邪宗門のシャンソン

 カフェ・ダンラ・シャンブレットがなくなって邪宗門にしている。

シャンソンがよくかかっているのだけど今日はジルベール・ベコーとエディット・ピアフだった。

 ジルベール・ベコーは本格のシャンソン歌手ではないと思うのだけど、彼の(ナタリー)はいつ聴いても素晴らしいと思う。

エディット・ピアフは・・・・彼女は別格でしょうな。

(愛の讃歌)なんて、他の歌手のを聴くと何だか胡散臭くて嘘っぽくて、やめてよ大げさな、と言いたくなるのだけど、ピアフのはまた別ですね。

フランス語は一言も分からないのだけど、言葉なんてどうでもいいのですね。

意味は分からなくても伝わってくるものがある。

 今日の邪宗門の女の子は以前にもいた懐かしい子だった。

(砂糖抜きのウィンナーですね?)

(お願いします)

 ・・・・・。

(ところで、それはチャイナ・ドレス?)

(マスターにも聴かれました、叔母の形見の布で母が作ってくれたんです)

(チャイニーズというよりももうちょっと南の方かなあその雰囲気は・・・)

やがて、買い物をすませた女房がはいってきて、チャリで雨のそぼ降る中、帰宅した。

(ふうてんアーカイブス)

1994 カフェ・ダンラ・シャンブレット

イタズラ盛りだったkun1  

 

 

 

 

 

 

 

kun2  

 

 

 

 

 

 

kun3  

 

 

 

 

 

 

 

シャンブレットのマスターshambretmaster  

 

 

 

 

 

 

 

同志社出身のラガーマンragarman  

 

 

 

 

 

2005 国立の梅雨模様

コナラのドングリの赤ちゃんdonguri  

 

 

 

 

 

 

 

秋には葉っぱもドングリもみんな落ちる・・ああ、掃除がdonguritakusan  

 

 

 

 

 

 

 

こう蒸し暑くてはatsuina  

 

 

 

 

 

 

ふて寝でもするしかないわいfutene  

 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

« 2005年6月 | トップページ | 2005年8月 »