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2005年5月に作成された記事

2005/05/29

5月29日 ソニーのハイビジョンTV篇

 連休前にテレビが壊れたのはこの日記で報告した。

連休明けに修理に出して、2~3週間音沙汰がなかったので心配していた。

音沙汰がないのは無事の知らせなのだろうか?

 結論としては数日前、無事に帰って来た。

今回はふうてんとテレビとの付き合いを少し話してみたい。

ソニーのトリニトロン28インチハイビジョンTV

 我が家に数あるTVの中でこのテレビがエースなのである。

ハイビジョンが映るのはこれしかない。

28インチという大きさも我が家では最大である。

エースだからして当然ふうてんの居室に置いてある。

(というよりも家人は大きなテレビを好まないので居間や寝室は15インチに限られる)

 そのテレビが壊れると何かと困ることになる。

屋根裏においてあった古い松下の15インチのテレビを代わりに持って降りようとすると、

(あれは僕のテレビが壊れたときに使おうと思っていたのになあ)

と、ガキが文句をいう。

 BSハイビジョンやBS1、BS2を自室で見られなくなったので、居間やら寝室やらでテレビを見る時間が増える。

居間やら寝室やらにいる住人が何となくウザッたそうな顔をしてコチラを見る。

 ソニーさん、早よう直してもらわんと困るんですわ。

国立におけるソニーの修理ネットワーク

 修理をお願いしたのは国立の(ビデオハウス)というソニー・ショップである。

昔はふうてんの家の近くにソニーの修理の拠点があって、歩いて1分のその店へ何度かソニーのベータ(β)のビデオデッキの修理をお願いしたことがある。

 その拠点は今はなくなって、この(ビデオハウス)さんが国立でのソニー・ショップを代表しているかに見え、新しい商品を売るだけじゃなく修理の相談にものってくれる。

国立のような小さな町でも、松下、ソニーのショップの名残はまだあるようだ。

 修理を頼んで数日後、(ビデオハウス)さん直系の修理屋さんが小さなトラックで来た。

二人で、重たい(50キロ以上)28インチのブラウン管型テレビを2階から運び下ろす。

ふうてんはハラハラしながら二人の回りをうろつくしかない。

愛でたくトラックに納まったあと少し話をした。

(どうでしょうねえ、4~5年前にも一度修理をしてもらったのですがねえ)

(ええ、ぁあ~?そうでしたか)

(いえね、テレビの水平やら垂直の同期が乱れて画面が揺れるんです)

(ハイっ)

(そんでね、色がつかなくなったり、チャネル表示も乱れたりするんですわ)

 ・・・・・。

ふうてんは5年前と同じことを今回の修理屋さんに言った。

(1993年製となるとなかなか厳しいものがございまして)

(テレビってのは何年くらいもつんですか?10年くらい?)

と、優しいようなイジ悪いような質問をした。

さらに、たたみかけるように、

(この前はコンデンサーが壊れてプリント板がメロメロになってたそうですよ)

(そうなんです、コンデンサーというやつは・・・・壊れやすいんですよね)

(工場へ持って行って直すとなると時間かかるでしょうね)

(いえ国立で修理するんです)

??・・・国立で?・・・???

 聴けば国立の、ふうてんの家からほど近いところに彼の(修理工場)があると言う。

ソニーともなると、そういう修理のネットワークを全国で築いているのだろうか。

国立市は人口7万人で3万世帯である。

おそらく数万台の(SONY)があるに違いない。

とすれば・・・壊れるものも出てきますわね、毎日のように。

その国立で、彼の(修理工場)が唯一であるとすれば・・・この修理屋さんも忙しいに違いない。

ハイビジョンて、ご存じですか?

 このソニー製のテレビは日本で最初のコンシューマ用ハイビジョン・テレビとして売り出された。

ハイビジョンという言葉はこれまで一般的ではなかったと思う。

HDTV、ハイ・デフィニション・テレビ、といっても何だかよく分からない。

HiVision。

どう考えても正式の英語とは思われない。

和製英語ではなかろうか?

 ふうてんがハイビジョンTVを初めて目撃したのは25年くらい前に逆上る。

パソコンをやり始める前に、ホーム・インフォメーション・システム、なんていうテーマで調査活動をしていた。

これからの家庭での主役は(デジタル・テレビ)になるに違いない、と見越して、テレビのことを調べ始めたのだった。

 それでNHK技研を訪問した。

小田急の成城学園前で降りてバスで15分くらいなところにある。

東宝の砧撮影所の近くではないかと思う。

 行ってみて一番インパクトがあったのがハイビジョンだった。

プロ野球中継の映像を写していた。

観客席のファンの顔がアリアリと分かる。

ピッチャーが投げたボールの縫い目までリアルに写し出されている。

何じゃこれは?

その印象は深く刻まれた。

写真とテレビの関係

 写真は、フィルムというものが使われていて、横:縦=4:3というプロポーションだった。

フィルムを連続して投影することで映画が出来て、やはり画面は4:3だった。

映画を放送で流すことでテレビになったのだけどやはり画面は4:3だった。

 映画は動画だからして静止画の写真とは違う。

ダイナミックな(動き)が重要となる。

テレビで動画が流されるようになって映画人は焦った。

映画の優位性を示す為に、横長のフィルムを使う工夫がなされた。

ワイドスクリーンの誕生である。

 人間には二つの目がある。

これが左右に付いている。

左右の耳に訴える(ステレオ)という音響装置が開発されたように左右の目に訴える表示装置が工夫されることになる。

それがワイドスクリーンだった。

シネマスコープ、なんてのもあった。

究極は70ミリフィルムで極端に左右の長い映画がそれで作られた。

(ベン・ハーやアラビアのロレンスという映画史に残る傑作もこれで作られた)

 ハイビジョンというテレビの工夫はこの映画の工夫を後追いする形で登場した。

4:3に対して16:9というプロポーションになった。

しかし、プロポーションの違う映像を、どうすれば放送で届けることが出来るのか?

NHKの悩みは深刻であったと思う。

テレビが直ってきて

 2~3週間かかって修理されたテレビが愛でたく帰って来た。

(どうでした?やはりコンデンサーですか?)

(はい、100個以上も取り替えました、チップ部品で細かい作業です)

(100個も?よく古い部品がありましたねえ)

(辛うじて、ですね、今後は・・・・)

(そうですか、・・・2度と修理は・・なるほどねえ、それで今回の修理代は?)

(13,500円です)

(コンデンサー100個取り替えて?)

(書き切れないので交換部品の数、少なめに書いてます)

 ・・・・・・。

 そのソニーの修理の人は、こんど壊れたら難しいですよ、という顔をして帰って行った。

松下とソニーには何とか頑張ってほしいと思う。

 写真とテレビ。

この二つともアナログからデジタルへ変化しようとしている。

これまでのフィルムが使えなくなり、これまでのテレビが使えなくなる日も近い。

ビデオテープも使えなくなる。

カメラがデジカメとなってフィルムがICメモリーになる。

ビデオテープが光のお皿になる。

 パソコンなんてのがしゃあしゃあと(俺は何でもできるよ)てな顔をしてエバッている。

妙な世の中になったもんだ。

(ふうてんアーカイブス)

 2005 猫のいる風景

(撮影 カメラマン助手、及びそのまた助手)

さくら通り 緑のトンネル(ネコはいない)

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ハナミズキが散って 白ネコちゃん何思う

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ハナミズキが散って 黒ネコちゃん何思う

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遠くの二人

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そろって食事

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黒ネコ クローズアップ

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二人 クローズアップ

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ロシナンテと白ネコ ルームメイト達p5200114

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2005/05/22

2005年5月22日 ラウンド・アバウト・ミッドナイト篇

 久しぶりに六本木ワイン・ガーデンで飲んだ。

(カリフォ~ニャの美味しいのない?)

(うちのは全部美味しいんです)

また同じ問答をマスターと繰り返した。

 7時に待ち合わせ、ビールを飲んでいると5分後に友人がはいってきた。

予感は正しかった

 (こちらもだいぶ状況が変わり、いろいろご報告したいこともございます)

と、その友人からのメールにあった。

どういう変化があったのだろう。

いい変化ならいいのだけど、ひょっとして店を閉めるというような・・・・・。

そんな最悪のケースも想定しながらワインガーデンへ向かったのだった。

 席に着いて、ビールの最初の一杯を飲みながら友人は、

(まずご報告ですが・・・・・)と切り出した。

(6月一杯で青山の事務所を閉じることになりました)

という。

20年以上続けてきたソフトハウスの東京事務所を閉じるという。

長野で小さな所帯で第二ラウンドを始める、という。

やはり予感は当たっていたようだった。

ラウンド・アバウト・ミッドナイト

 ワイン・ガーデンでいつものように(オードブル少し)を注文する。

女ソムリエがいなくなって、今は男のボーイさんである。

(メインディッシュは?)と聴くので、しばらく黙っていたら、

(小羊にしましょう)という。

(ウン、あれは店の名物だもんね)

と何故か調子を合わせてしまった。

(あなた、今NHKでやっている義経に似てると言われるでしょう?)

とそのボーイさんに聴いた。

(いえ、言われたことないです)

とそのボーイは答えた。

1分後に、

(でもそういわれるのは嬉しいですね)

とも言った。

(勘定に反映させといてね)

と、ふうてんは余計なことを言った。

 この日、その友人は小さな四角いバッグを持ってきていた。

まるで、かってのカネボウの女販売員が家庭に売り歩く時持っていたようなしろものである。

中に何がはいっているのだろう?

 その秘密は次の店へ行って明らかになった。

そのバッグから取り出した(トランペット)で一曲吹いてくれた。

マイルス・デイビスの名演で有名な(ラウンド・アバウト・ミッドナイト)だった。

プロにならなかったトランペッター

 その店は驚くほど(ワイン・ガーデン)から近いところにあった。

マスターやらお姉さん(この店ではお嬢さんというらしい)やら皆さん芸達者ばかり。

そんな店で、友人は(ラウンド・アバウト・ミッドナイト)を吹きます、という。

(ミュートはつけるんでしょう?)

(アレッ、どっかいっちゃったなあ、バッグに入れるの忘れたかも)

(僕のを使ってよ)

 とマスター。

(このトランペットは僕が最初に買ったペットなんです)

(いいじゃない、細身でスマートで)

(見かけによらず音は太いんです)

 ・・・・・・。

やがて演奏が始まった。

だてに音楽大学のトランペット科(?)を卒業した訳ではないことがたちどころに分かる。

見事な演奏だった。

(どうしてプロにならなかったの?)

(やはりペットで食って行けるか、限界を感じましたね)

(タモリもそうだってね、彼のバヤイは、お前のペットは笑ってる、言われたらしいけど)

(まあ似たようなもんですよ)

 彼との付き合いは、彼の大学がふうてんの住居の近くで、たまたまJR南武線で乗り合わせたことから始まったのだった。

当時、勿論もう卒業はしていたけれども彼はまだ国立に住んでいたのだった。

さよう、もう20年以上前の話になる。

ペットを諦めて音楽雑誌会社に就職してパソコンの音楽ソフトをやり始めた。

そういう時期に行方の分からない二人は出会ったのだった。

つわものどもが夢のあと

 芭蕉の(夏草や兵どもが夢の跡)という一句は大好きな俳句である。

この友人と六本木で別れたあと、真っ先にこの句が浮かんだ。

 パソコン商売を始めて沢山のソフトハウスさんとお付き合いした。

現在もなお残っているのはほんのわずかでしかない。

中には夜逃げ同然で音信不通になった人もいる。

家業を継ぎますので、と不動産業に転じた大阪の人もいる。

どうも(別荘)にはいったらしい、と噂されるような人もいる。

 パソコンのアプリケーション・ソフトがマイクロソフトから提供されるようになって、この傾向は加速した。

ゲーム・ソフトのピープルは任天堂とソニーの仕事をするようになった。

 そういう激変のこの20年の中で、小さな所帯で永らえたこの友人は立派だったと思う。

音楽ソフトがメインの商品だった。

音楽に関することは何でも相談出来た。

オッヅ・アゲインスト・トゥマロー

(で、これからどないします?)

(長野で、小さな所帯で、もうちょっと音楽ソフトをレベルアップしたい思います)

(まだプログラミングも出来ますもんね)

(あと10年くらいは若いもんには負けません)

 ・・・・・・。

(ところで例のPMLねえ、僕もこのごろデルファイ諦めよう思い始めました)

(やっとですか、前から私言ってるでしょう?)

(それでね、何でか言うたらブロッグ始めたからなんです)

(前にトランペッターのホームページで悩んでましたね)

(そうなのよ、あんな苦しい経験が案外役に立ちましてね)

 ・・・・・・。

(動画入れているのだけど何しろスペースを喰うので上映期間限定でね)

(音楽や映像は無くなるからいいんですよ)

(なるほどなあ、そうかもしれんねえ)

 しばらくインターネット、ブロッグ談義に耽った。

 

 20年後に初めて彼は一曲吹いてくれた。

(ラウンド・アバウト・ミッドナイト)

惜別の歌だったのだろうか。

次の楽章への予告だったのだろうか。

(ふうてんアーカイブス)

1997夏 東大寺

蝉しぐれの中、東大寺を訪ねた

しゅちほこ

shachihoko  

 

 

 

 

 

 

参詣の人々

sanpai  

 

 

 

 

 

 

鹿ちゃんもいた

shika  

 

 

 

 

 

 

2005初夏 国立

大学キャンパスも一番美しい季節

武蔵野の木々を残したという

campus

 

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2005/05/16

5月15日 アメリカン・グラフィティ篇

 連休が終わって、浮ついていた気持ちも静まった。

なんぞオモロイことないかいなと部屋の片づけを始めた。

 何しろここへ引っ越してから10年近く、一度も部屋の掃除をまともにしたことがない。

我が家のハウス・キーパーはことのほか(整理整頓)が好きなのである。

対してコチラはそれの正反対、ことのほか(整理整頓)が苦手ときている。

 そのハウス・キーパーにも一つだけ出入り禁止の部屋がある。

ほかならぬ我が(豊饒の)、じゃない(方丈の)部屋である。

昔の家で言うと(六畳一間)というくらいの小さな部屋。

小さな部屋なのだけれども10年間掃除をしないと、まあいろんなものが溜まる。

 足の踏み場もなくなって、ついに(整理整頓)することを決意した。

アメリカン・グラフィティ

 まずは硝子戸付きの本棚の上に積んである、ホコリまみれの書物から取りかかった。

野ざらし、というかホコリも風もタバコの煙もそのまんま10年間受け続けてきた古強者たちである。

 ヨイヤサッ、と下ろしてみる。

表紙の文字が読み取れない。

オヤッ?どうしたんだろう?と老眼鏡を取り出して見る。

何だかホコリが舞ったような気配もあった。

 いやあ、驚きましたね。

分厚く積もったホコリがこびりついて、視野を遮っているのでした。

5mmくらいの厚さにね。

 デューク・エリントンの分厚い本が出てきた。

スイング・ジャーナルの1969年5月号なんてのも出てくる。

フラメンコの世界1973年創刊号というのも。

現代ギター1969年9月号も。

キネマ旬報1982年5月号とかも。

・・・・・・。

一体何だこりゃあ?

まるで(青春グラフィティ)じゃないの。

いや、あの映画は(アメリカン・グラフィティ)だったかなあ。

ジャズとフラメンコと映画に明け暮れた日々

 1982年以前の雑誌やら写真集やらがやたらと出てくる。

コンピュータとかエンジニアリングとかビジネスに関するものは一冊も出て来ない。

ということは・・・・仕事をしていなかったのではあるまいか?

1969年に学校を卒業してすぐさま(就職)したはずである。

なのに1982年頃まで、1982-1969=13年間。

全く仕事をしていなかったのだろうか?

 そこいらへんから(回想シーン)が始まった。

ムアディブこと彦さんことMu老師の記事に時々、さあ~!整理整頓というのが出てくる。

あの方は自宅でも学校でも余程いろんなものを溜め込んでいるに違いない。

それらを(整理整頓)する時に、チラッと溜め込んだものの意味合いを見直しているのではあるまいか。

 ホコリをとって、シツコイやつは水やらウィスキーやらでぬぐって、一応読める形に戻した。

分類はまことに簡単に進んだ。

ジャズ、フラメンコ、その他の音楽、映画、くらいでお終いなのである。

それと何故かグレアム・グリーンの小説が全集、単行本含めて沢山出てきた。

 社会人になって10年ちょっと。

結婚は早くにしていたのだけど子供はいない。

仕事はしていないから上司も部下もいない。

たった一人で(自分探し)をしていたのだろうか?

 その虚しい探索の証拠物件がこれらの書物であるような気がする。

久しぶりの裾野小川別邸

 小川さんからお誘いがあって、アナザー筒井のレクイエムを兼ねて、新緑の富士山裾野小川別邸へ出向いた。

往きも帰りも千谷(ちや)さんのホンダ・レジェンドに載っけてもらう。

 この会は(BYFW Bring Your Favorite Wine)

だからしてワインを持っていかねばならない。

前日、立川のデパートやら酒店やらを冷やかして、何かいいのはないか?と試みるも、今一つシックリと来るのが見当たらない。

 結局国立に戻って駅前の(せきや酒店)のワイン売り場で一本買った。

ブルゴ~ニュの(無農薬)を売り物にした一本も心ひかれるものがあったのだけれど、味よりも無農薬を強調しているのが気になって、他の平凡な一本にした。

 小川別邸に着いてみると、楽しみにしていた(御殿場高原ビール)は先着組が飲んじゃってもうない、という。

参りましたね、と千谷さんとボヤキつつ、千谷先輩はボーズのオーディオセットの用意を始めた。

 ふうてんさん、まずは夕食の時にお勧めのCDは?

と千谷さんが聴く。

(ワルツ・フォー・デビー)がありますよ、とビル・エバンスのCDをかける。

それで調子よく楽しい夕食会が始まった。

 この日は鎌倉大明神が久しぶりにギターを持ってきていた。

赤やら白やらワインを散々飲んで、美味しい酒肴を平らげた後、小川さんの特製スパゲッティーまでムシャムシャと平らげて、大明神はギターを手にした。

 それから1時間ほど、ふうてんは思わずビデオ・カメラを回し続けた。

まったく、このように楽器を操れる人はうらやましいと思う。

楽譜は持ってきているのだけど見てやしない。

ふ~ん、なんて言ってふうてんが持って行っていたフラメンコの曲に伴奏を付けたりする。

 (あの人は現代のダビンチだね)

とホンダ・レジェンドの中で千谷(ちや)さんは言った。

  

(ふうてんアーカイブス)

  

2005ハナミズキに蝶々が来た

蝶々が見えますかな?

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家族を紹介しておこう

白ネコちゃんとシルエット

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カメラマン助手のシルエット

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黒ネコちゃん、どこかにいます

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2005初夏 裾野小川別邸

これくらいギターが弾けたらいいですね

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裾野の新緑と国立から引っ越したウグイス

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2005/05/09

5月8日 連休も終わって篇

 どうやら5月の連休も終わったらしい。

今日も雨模様だったのでチャリで繁寿司へ出向いた。

珍しく客が多く、山口夫人はいつもの隅っこの席で窮屈そうだった。

後に出てくるけど鎌倉大明神が三島由紀夫のことを書いていたので、フト夫人に、(瞳さんは三島由紀夫と付き合いはあったのですか?)と聴いた。

(エブリマン氏の優雅な生活)の中のあるシーンを読んで涙が出た、と書いていたという。

 このところ、ふうてん老人のことをふうてん親爺という人が増えて困っている。

親爺といわれると爺(ジイ)、爺(ジジイ)と言われているようで何だか落ち着かない。

中村錦之助がやった(若き日の信長)かなんかで、ジイ、ジイと錦之助が叫んでいたのを思い出すのである。

 ひどい人など、(爺さんや)ときた。

そろそろ、ふうてんも(花咲か爺さん)の年代に達したのだろうか。

出来れば、せめて、(ご老人、ここは一つ)という風に呼んで欲しいのではあるのだけど。

鎌倉大明神の三島論

 連休中のブロッグ鑑賞でギクリッと来たのは鎌倉さんの三島由紀夫論だった。

神奈川近代文学館で三島展を見てきたという写真入りのレポートだった。

(演劇部の部活のようなものだったようにも)

とか、

(オセロゲームの最後の一枚を究極の急所に置くことで、それまでの全部の駒をひっくり返して去って行ったような感じがする)

とか、珍しく鎌倉さんが熱く語っている。

詳細は大明神のブロッグ(またいらないモノ買っちゃったよ)を見ていただきたい。

 やはり鎌倉さんは東京の人なのだなあと改めて思った。

石原慎太郎、三島由紀夫など現代に生きる、或いは生きた東京人との接点をふうてんなどは感じることが出来ない。

 同じ文学者でも、漱石とか谷崎とか、近くは池波正太郎とか、考えてみれば(現代に生きる東京人でない人)の文学にはずいぶん親しんできたのだけど。

唯一の例外は吉本隆明くらいだろうか。

ひょっとしたら小林秀雄もそうかもしれない。

 鎌倉大明神は(現代の東京に生きている)人だと思う。

今年も孤独なウグイスが来た

 連休となると、明日も休みということになり、つい夜と昼が逆になった。

ある日、明け方、ウグイスの声が聴こえてきた。

ホロロロ、とか、ケキョ、とか、歌う練習をしている風である。

 どうもこのお一人は何年も前から我が家の回りにやって来て、半日くらいウロウロして(ホーッ、ホケキョ)の練習をする。

それを何日か繰り返して最後に(ケキョケキョケキョケキョ)の谷渡りを完成すると、知らぬ間にいなくなる。

始めから終わりまで単独行動でそれをなさる。

 ウグイスはシャイだから姿を見せない。

何年くらい生きる鳥なのだろうか?

そういうことは分からないのだけど、こやつは毎年来るやつに違いない。

来年も来てくれよな、とエールを送った。

クリフォード・ブラウンにも救われた

 書簡集マスターどのに戴いたCDを何回も聴くことになった。

ジャズのトランペットとなるとクリフォード・ブラウンとマイルス・デイビスが双璧でありましょう。

サッチモことルイ・アームストロングなぞ(俺は?)と言うに違いない。

(あんたはボーカルがあるやないの、ホワット・ア・ワンダフル・ワールドがあるやないの)

となだめておくしかない。

 それでマイルスの(ポギーとベス)もあらためて聴いた。

ギル・エバンス編曲・指揮のこのアルバムは何度も聴く。

これを初めて聴いたのは京都の四条小橋南のジャズ喫茶だった。

その店は無くなったのだけど、隣の(フランソワ)という喫茶店は今でも健在で、京都の友人(彦さん)と京都へ行くたびに訪ねる。

 クリフォード・ブラウンのは1954年、マイルスのは1958年の録音である。

当方が8歳から12歳のころ。

間もなく還暦だからして、え~と、といつものように指折り数える。

 しかし、なんですなあ、あのころ('50年代、'60年代)のジャズは凄いね。

人丸どののレポートもありました

 人丸どのは予定通り、萩・津和野へ行かれたという。

津和野の城跡から写したという俯瞰撮影のSL C57貴婦人の写真も添付されていた。

 こういう景色をゆったりと眺めていると、あと何年・・・という思いに駆られます。

とあった。

 人丸どのに返事は出していないのだけど、そのとおりやね、と思う。

あと何年もいいけど、これまで何年と考えるのも精神衛生上よござんすよ、と近々会って飲むときに伝えようと思っている。

(ふうてんアーカイブス)

1997夏 奈良

奈良ホテル 見たような初老二人 何を思う

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2005初夏 国立も新緑となった

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声はすれども姿は見えず

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ハナミズキが咲いて、散った

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2005/05/02

5月1日 連休がはじまったらしい篇

 世の中では5月の(大型連休)が始まったらしい。

今週初めに女房に(嫁さん、今年の連休は長いらしいよ)と言った。

(うちの三人には関係ないけどね)と女房が答えた。

確かに、会社へいかないダンナ、学校へいかないガキ、専業シュフ。

これじゃ(大型連休)も関係ありませぬわね。

 休み前に、人丸どのやJOさんにメールでお伺いをたてると返事がきた。

人丸どのは(萩、津和野を廻ってきます)。

JOさんは(飛行機の製作と千葉でのフライトで遊びます)

とあった。

お二人とも予定通りなされているのでありましょうや?

 

 いくら関係ないとはいっても(気分)というのがあって、何故かコチラも連休気分になり普段とは違う日々が始まっている。

28インチ・ブラウン管型ハイビジョン・テレビ

 またしても色が着かなくなり、水平・垂直の同期が乱れるようになり、音が途切れたりするようになっていた。

ハイビジョン放送の映像だけはシッカリと映るのだけど、地上波やBS放送の画面が乱れに乱れるのである。

 連休中は修理を頼んでも無理だろうと、連休明けに近くのソニー・ショップに相談しようと思って、だましだまし使っていた。

そうしたらある日リモコンで電源を入れるもウンともスンとも言わなくなった。

こうなったらどうしようもない。

やっとフンギリが着いて、そのソニー・ショップへ相談に出向いた。

 テレビの型格をいい、症状をいい、念のため1993年製ですと伝えておいた。

う~ん、ギリギリですねとその店の内儀(おかみ)は言った。

ギリギリというのは修理出来るかどうかという意味のようだった。

(連休明けになるかも知れませんけど修理の見積もりをしてお電話します)

(よろしくお願いします)

チャイニーズ・レッスン

 ランちゃんが連休中特に予定はないのでレッスン出来ますよというので(集中講義)を受けることになった。

集中といってもどうということはない一週間に2回の意味である。

 ふうてんの中国語はまだ一言もしゃべれないのだけど、一応今年からは文法や発音の基礎を終わって、いよいよ(会話)のフェーズにはいっている。

最初は(挨拶)ですわね。

ニ~ハオ、シエシエのたぐい。

 これだけでも実はなかなかに難しい。

前にも何度か書いたけど、母音、子音の発音が極めて多様。

それに声調(上げたり下げたり)がある。

ニ~ハオといったってニ~は2声でハオは3声。

それもニ~はもともとは3声なのだけど、3声3声と続くと最初の3声は2声に変わる。

だからニ~ハオのバヤイのニ~は2声で発音せねばならない。

 ・・・・・。

 今回のレッスンで面白かったのは、中国ではメートル法が普及していないことだった。

(これいくらですか?)の例文に(一斤いくらですか?)と出てきた。

教科書に使っている本の注に、一斤=500gとある。

オャッ?と思ってランちゃんに聴きました。

(中国ではグラムとかメートルとかは使わないの?)

(ハイ、背の高さだけは1メートル何十センチというけど他は使いません)

(??ということは今でも尺や寸??)

(ハイ、そうです)

(重さは?)

(斤と両ですね:注 1斤=10両)

 ・・・・。

 中国おそるべし。こういう国とはケンカしとうないなあ思いました。

書簡集マスターとの会話

 マスターに(女房に、連休関係ないでしょう言われましてね)と言った。

それをきっかけに以下のような会話が交わされた。

(で、どうなんです?関係ないんですか?)

(マスター、それがね、大いに関係あるんですよ、世の中が休日かどうかはね)

(どのように?)

(俺だけが休んでいる訳じゃない、みんな休んでるんだという安心感があるのよね)

(ということは平日休んでいると居心地悪いんですか?)

 ・・・・マスターなかなか本質を突いてきよった。

(何となくネ、後ろめたいような気分は残っているのかなあ)

(それは逆じゃないんですか、平日みんなは働きなさい俺は遊ぶぜ、ていう優越感持てばいいじゃないですか)

(なかなかそういう心境になれないのよね、習い性なのかなあ・・・)

 ・・・

(ところでこれはビル・エバンス風のピアノやね)

(ビル・エバンスです)

(ソロか・・・All Aloneてアルバムがあったなあ)

(All Aloneです)

 (連休中)もう一度くらい書簡集を冷やかすかもしれない。

  

(ふうてんアーカイブス)

  

 1990ロシナンテ

  

スタート前のセレモニー1990roshinante2

  

  

  

 

   1990roshinante1   

  

  

 

  

  

         

 1997夏二月堂

   

真夏の二月堂は(蝉しぐれ)だった1997nigatsudo

  

  

  

    

   1997todaiji   

  

  

 

    

   

   

2005国立の新緑

隠宅のコナラ2005konara   

   

  

ご近所の藤棚2005fuji   

  

  

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