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2004年8月に作成された記事

2004/08/31

2004・08・31 七世 竹本住太夫篇

 内子座で文楽公演があると聴いて伊予へ帰ってきた。

竹本住太夫、それも近松ものをやるというので一も二もなく3月ころにインターネットで予約した。

伊予松山はふうてんの生まれ育った地でもあり、退役軍人となった今、故郷というのは嬉しくもあり重苦しくもある、という苦いものの混じった味を噛みしめる旅ともなった。

 

 四国はこの頃、(癒し系)の観光地として、面目を新たにしつつあるようにも思える。

八十八カ所巡りがその代表格であろう。

表舞台に立つことはなく、それだけにひっそりと静かに構えていて、来る人の心を慰める。

 

 内子(うちこ)というのはその名のとおり、四国の山に囲まれた小さな盆地にあるメルヘンの世界だった。

松山から内子は今は特急で一駅、20分である。

ふうてんが子供のころはバスで2時間以上かかったのに。

竹本住大夫

  

 やはり住太夫は別格だった。

8月27日と28日の2回、公演を見た。

午後の部で2時から5時まで、義経千本桜と曽根崎心中。

目当ては曽根崎心中の住太夫。

彼の出番は(曽根崎心中)天満屋の段、30分のみ。

 

 彼が語るとドラマが出現する。

27日は(に 12番)、28日は(い 16番)の席。

左端の前から4列目と右端の前から6列目。

二つの違う席から見聞きして、より楽しむことが出来た。

特に右端の席は、太夫と三味線が1~2メートルの場所。

砂かぶり、かぶりつきの席であった。

 

 住太夫さんはNHK教育テレビで文楽の講座に出たりもしていて、彼の語る解説も聴いている。

太夫というのは何しろナレーションも含めて登場人物の全てを語らねばならない。

男にもなり女にもなり主役にもなり脇にも回る。

 

 その、それぞれのパートの発声方法を住太夫さんはまことに明確に決めている。

太夫によってはそれが曖昧なのが多い。

曖昧だと聴く側は困るのである。

語っている方は一生懸命で顔を真っ赤にして気張っているのだけど、コチラへ伝わらない、ドラマが盛り上がらない。

 

 住太夫のバヤイはそこのところが全く他の太夫と違う。

地声が大きくはない、綺麗な声でもない、本人も悪声だと言っている。

しかし声色(こわいろ)を、相応しい出し方をするのである。

裏声の甲高い声ありの、腹から絞り出すような低音ありの、遠くから呼ぶ声ありの、まことにバラエティに富んでいる。

 

 しかもそれら声色を何の為に使うのか、という目的意識がこれまたハッキリとしていてコチラにもそれが伝わって来る。

当たり前のことなのだがドラマを盛り上げる為なのである。

本人が自分で盛り上がったり喜んだりする為のものであってはいけない。

声の大きいヒトや声のいいヒトは往々にしてそうなる。

自分で謡うことに酔って、ドラマを忘れてしまう。

住太夫にはそういうことがない。

 

 聴き終わって、印象に残るのは、役柄としての声ばかりである。

住太夫個人の印象は何も残らないのである。

 

文楽とフラメンコ

 

 歌、踊り、楽器の三位一体。

どれが欠けてもいけない。

余計なものが加わってもいけない。

そういう意味で、文楽とフラメンコは全く同じだと思う。

 

 フラメンコギターと文楽の太棹の奏法は驚くほど似ている。

例えばフラメンコギターにはゴルペと言って胴体を叩く奏法がある。

文楽の三味線もそれをちょくちょくやる。

楽器を単なるメロディ発生器としてだけではなく、あらゆるサウンドの発生源として駆使するのである。

喜怒哀楽の感情表現はもとより朝昼晩、春夏秋冬の自然現象まで表現するのである。

 

 歌、これもまことによく似ている。

美声であってはいけない。

しわがれていなくてはならない。

楽しいだけでもいけない、悲しいだけでもいけない。

 

 踊り、一方は人形で一方は人間のままやる。

フラメンコや文楽の(踊り)はビジュアルには目立つので、一番派手に見える。

しかし主役ではないのである。

繰り人形でなければならない。

歌と伴奏(ギターか太棹)にそそのかされるように動く、という風でなければならない。

個性よりも(それらしさ)が肝要な役割なのである。

 

 受け身でいて、決めるところは見事に決める、という二重性が要求される。

 

ミーハー族

 

 こういう言葉はもはや死語かもしれない。

ベッカムさま、とかヨンさま、とか言って見に行ってサインやら握手やらして貰って喜ぶ手合いのことを(ミーハー族)と昔は言ったものだった。

 

 ふうてんも若い頃からどうもそういう傾向があった。

中学生のころジョン・フォードの(荒野の決闘)を見て、オーマイダーリン・クレメンタインの女優リンダ・ダーネルに惚れてファンレターを出したりした。

 

 テキサス州ダラスでアラン・ケイのパネル・ディスカッションを聴いた時は、握手をして貰おうと並んだのだけど、ファンが長蛇の列でいつ果てるとも知れないので諦めてホテルへ引き上げたこともあった。

 

 今回は竹本住太夫である。

一日目、公演が終わって内子座から帰ろうとすると何人か道に立っていて、中の一人が小柄で洋服を着て夏の帽子を被っているけど、どうも住太夫さんのようであった。

近づいて行って挨拶をした。

大ファンなんです、握手して下さい、とか言ってズボンで手をぬぐうふりをして握手して貰った。

肉厚でフワフワとしていて柔らかくて温かい手だった。

先生の大ファンなんです、と思わず(先生)という言葉が出た。

 

 二日後、台風が来そうなので一日繰り上げて夕方の飛行機に乗る為、松山空港へ向かった。

送ってきてくれた従姉妹とビールを飲んでいると人形使いの文雀が店の傍を通るのが見えた。

ひょっとしたら、という期待を胸にゲートにはいった。

 

 松山空港は小さい空港なのである。

出発便の出口は一カ所でゲートと言っても3つしかない。

待っていると出発前15分くらいなときに、やはり小柄な、洋服を着て夏の帽子を被っているオッチャンがはいってきた。

間違いない。

 

 ほんの5、6分話すことが出来た。

(いやあ素晴らしかったです、一昨日握手して貰いました)

(そうですか、下手なんと比べてでしょう)

(先生、どこで生まれ育たはったんです?)

(大阪です、北、新地のど真ん中、堂島ですわ)

(は~っ、やっぱり純粋の・・・ところで文楽は幾つころからですう?)

(4歳くらいからでっしゃろか、もっともプロちゅうんやのうて、稽古事みたいな・・・本格的には8歳くらい・・)

(先生の語りはドラマですねえ、ドラマツルギー言うんですか?)

(そんな難しいこと私には分からんのですけど・・・不器用ですし声も悪いし、ただ努力だけは人に負けんようやって来たつもりです)

・・・・・。

(先生ご一行は今日は福岡ですか?)

(いいえ大阪です)

・・・・。

 

 そこでふうてんはサインのことを思い出した。

色紙なぞ用意している訳がない。

昨日内子座で買った住太夫のCDを思い出した。

(先生、サインして欲しいんですけど、ちょっとCD持ってくるんで待ってください)

CDの説明書にサインして貰おうとした。

 

 サインペンもない。

でも、ふうてんは細字の良く書けるペンを持ち歩いている。

それを渡すと、先生達筆で、七世 竹本住太夫 と書いてくれた。

 

 ふうてんの伊予松山への旅が完結した。

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