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2001年11月に作成された記事

2001/11/26

2001.11.26 りゅうこうさん再来日篇

 りゅうこうさんが日本へ来た。

今年2月に来てから思いがけずまた会うことが出来た。

今度もまた郵政局の(研修)だった。

23日、勤労感謝の日に赤坂の全日空ホテルへ女房とりゅうこうさんを訪ねた。

 

 2月に来た時は芝のプリンスホテルだった。

その時は彼女の部屋から東京タワーが見えた。

今回の全日空ホテルの彼女の部屋からは国会議事堂が見えた。

(りゅうこうさん、あれが国会議事堂よ)

(ええ、どこですか?)

てな調子。

 

 このホテルはふうてんに言わせるとどうしようもないホテルだった。

ふうてんは大きなホテルは落ち着かない。

ふうてんが一番焦り狂ったのはニューヨークのホテル・ヒルトンだった。

フロントと言ったって長屋みたいなのがず~っと続いていてエレベータに乗るところも何だか厩舎みたよに長く続いていていざエレベータに乗るとシャーッと超高層まで猛スピードで上がりやがる。

ホテル・ヒルトンのエレベータにはエレベータボーイがいたように思う。

あれは嫌なホテルだった。

 

 赤坂の全日空ホテルも落ち着かないホテルだった。

2階にフロントがあるのだけどまあその前の賑やかで落ち着かないこと。

でかいクリスマスツリー風の飾りが何本もあり吹き抜け風の空間が広がっている。

沢山のオッチャン、オバチャン、ネーチャンなどなどが行き来する。

ここはデパートじゃなかったよな、全日空ホテルなんだよな、と自分につぶやく。

 

30年前の赤坂

 

 ふうてん達が東京に出て来たばかりの30年程まえの赤坂には(東急ホテル)しかなかった。

ちょっと歩くとホテルオークラがあった。

全日空ホテルとかプリンスホテルとかニューオータニとか、そういうニューカマー達がまだ浸食していない時代だった。

りゅうこうさんに会う為に赤坂へ行ってアークヒルズでテレビ朝日やらサントリー ホールやらの所在場所を確かめて、ふうてんはため息をついた。

(ここだったのか)

と。

 

全日空ホテルのイタリアン

 

 晩飯の時間だったのでどこで食べれば落ち着けるか少し探した。

六本木も近いのでワインガーデンに電話するのだけど出ない。

23日、勤労感謝の休日故、休みのようであった。

あのマスター休日まで働く人ではない。

 

 結局全日空ホテルの3階のイタリアンに落ち着いた。

サラダとパスタと魚とデザートのコース料理を頼む。

三人とも料理よりも話に夢中のようであった。

サラダとスパゲッティが美味い。

スペインの生ハムやらアワビやら、たらば蟹やらがはいいっている。

りゅうこうさんがスパゲッティを残しているので谷崎のハモの梅肉じゃないけどふうてんが残りを引き受ける。

あれは文豪谷崎の最高傑作(瘋癲老人日記)という小説の中だった。

 

 ワインが来た時、乾杯と言おうとしてリュウコウさんに聴いた。

中国ではどう言うんですか?と。

ふうてんは(乾杯 カンペイ)と言うのだろうと思っていた。

リュウコウ先生は乾杯(カンペイ)と言うのはグラスを飲み干す言い方なんです、と言う。

日本人のように何はともあれカンパイとは言わないそうである。

中国へ行ったら(乾杯)と発音する時には注がれたグラスの酒を飲み干す覚悟が必要なようだ。

 

 じゃあリュウコウさん、こんな風にワインで(乾杯)する時はどう言うの?と女房が聴いた。

(お元気で)とか(頑張りましょう)と言うんです、とのお答え。

そこで、乾杯ともお元気でともつかず、再会を祝して日本流の乾杯をした。

 

中国使節団が松山へ行ったという

 

 今回のりゅうこうさん達の日本出張で何故か真ん中の一週間四国の松山へ行ったという。

全日空ホテルの彼女の部屋を訪ねると先週行ったその松山での写真を一杯見せられる。

松山城、子規堂、坊ちゃん列車。

松山の郵便局や歓迎の会合の写真に混じってそんな写真が一杯ある。

 

 りゅうこうさんという北京出身の女の人とふうてんはエンもユカリもない間柄である。

そのりゅうこうさんが何故松山へ行き道後温泉にはいり子規堂を訪ねねばならないのだろう。

夏目漱石という文学者がいましたか?

なんて彼女は聞く。

 

次ぎに会うのは北京なのだろうか

 

 今回もいろいろ話すうちどうしても次回当たりは北京で会いましょうとなってしまった。

今から女房と二人して中国語を学ばねばならぬ。

ふうてんの老眼鏡を見てリュウコウさんは興味を示した。

お父さんに、というのである。

じゃあオミヤゲに、となる。

 

 いつまで続く付き合いなのかは誰にも分からない。

ただふうてん達夫婦としてはりゅうこんさんと付き合いを続けたいと思っている。

72歳のお父さんと67歳のお母さんが北京で悠々自適の生活をしてはる。

少しは中国の先人に学びたいとふうてんは思う。

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