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2001年10月に作成された記事

2001/10/01

2001.10.01 仲秋の名月篇

 何がきっかけだったのか思い出せないのだけど、京都で月見をやろうやということになった。

おそらく今年は(花見)が出来なかったので(月見)になったのではなかろうか。

それで観月会となったのだけど今回は総勢四人、どれも一癖も二癖もある年季のはいったとっつぁんばかり。

なかなかに手応えのある(月見)となった。

 

この軽さは何なんだろう?

 

 京都へ行くときのパターンは決まっている。

前日だいたい飲み過ぎて寝不足になり朝起きると喉が渇いている。

エビスの小瓶を飲みながら旅支度をして(銀星タクシー)を呼ぶ。

 

 今回は東京駅で(のぞみ)の時間を見ると、もう発車寸前だった。

自動販売機でウロウロしていたらJR東日本のおねぇさんが見かねて手伝ってくれた。

(間にあいますかねえ?)

(あと4分あります)

と次々とボタンを押していく。

(どうもありがとう)

それでキップを手に入れて(ウナギ弁当)と(缶ビール)を買って乗り込んだ。

 

 いつものように列車が多摩川を渡る頃少し落ち着いてビールの残りを飲んでいる。

同じパターンの繰り返しなのだけど今回は何かが違った。

妙に軽い。

フワフワとしている。

何なんだろう?、この軽さは。

 

寺町二条、三月書房

 

 京都のホテルフジタにチェックインして現金がないことを思い出した。

フロントのおねぇさんに聞くと、近くのキャッシュ・ディスペンサーはこことここです、と教えてくれる。

何や、やっぱりホテルフジタからの最寄りのそれは寺町の京都銀行や。

それでそこで現なまを手にして、フト(三月書房)を思い出した。

3軒上がったところにその書店はある。

前来た時は閉まっていたけど、と覗くと開いていた。

主人はおるかなあ、と見ると座っている。

すぐにはいりました。

 

 グルッと一回りして、(吉田健一 対談集成)の一冊を買う。

別に古本でもないのに50%オフと案内があったので買ったまでである。

3800円の50%オフは、え~と・・・。

(御主人、テレビ見ました、なかなかいい番組でしたねえ)

店主は宍戸さんと言って今年の教育テレビの(三好十郎)に吉本隆明と出ていたのである。

(そうですか見られましたか、NHKのディレクターが熱心な人で来年本になります)

(NHK出版から?)

 

 あんまり長話をする積もりはなかった。

ただ本質だけは伝えたかったし、確かめたかった。

小さな店の本棚にはやはり一つのコーナーがあり一般の書店では絶対に売ってない(吉本隆明)の本やら資料やらが置いてある。

(僕も若い頃から吉本隆明のファンでしてね)

(そうですか、彼とは随分長い付き合いなんです、彼はテレビ取材が嫌いでね)

(そうでしたか、確かに彼がテレビに出ているの見たの初めてでしたね)

・・・・・。

 店を出る前に念のために聴いた。

(どのくらい前からのお付き合いなんですか?)

(そうですねえあれは・・・え~と、1957年頃でしたかねえ)

心の中で最敬礼して足早に店を出ましたな。

 

白貂を抱く貴婦人

 

 三月書房からホテルに帰る道すがら、幸先がいいなあと思った。

この月見は楽しいものになるかも、という予感がした。

 ホテルに早めに来ていた彦さんはやはりコーヒーを飲んでいた。

(彦さんお久しぶり、悪いんやけど研究者人丸どのとビジネスマンJOさんは都合が出来てダビンチの絵、見にいけへんわ)

 彦さん別に驚いた顔もせず、これうちの嫁はんが渡してくれって、と一冊の本を渡される。

ペンギンブックのアレック・ギネスのエッセイのようであった。

ふうてんはすぐにアラビアのロレンスを思い出したけど彦さんには言わなかった。

 

 タクシーに乗って京都市美術館へ急いだ。

岡崎、平安神宮、久しぶりに聞く名前である。

随分遠いと思っていたのにタクシーに乗って5分もするともう目的地の木々やらが見えてくる。

(エライ近いんやねえ)

なんて京都に住んでる彦さんが驚いたように言う。

(ホンマやねえ、運転手さん悪いなあ)

とふうてんも応じる。

 

 レオナルド・ダビンチの(白貂を抱く貴婦人)は素晴らしかった。

こんな凄い絵はおそらく生涯そんなに出会うことはなかろうと思った。

テレビやらインターネットやら写真やらでは見ていたのだけど、本物は陰影が深かった、奥行きがあった。

同じことをこの前東京の八重洲で初期のルノワールを見た時にも思った。

あらゆるコピーではどうしようもないものがある。

 

 ま、それはおいといて本物だから素晴らしかったという訳でもない。

1490年頃に描かれた絵だという。

モデルのチェチリア・ガッレラーニはおそらく18、9歳。

レオナルドは30歳代半ばだったと言われている。

まだ評価の定まっていな若い芸術家と若い女性が出会った。

500年たってあらゆる淘汰を受けた末に残った作品でもある。

奇蹟としか言いようがない。

ボッチチェリの(ビーナス誕生)とこの(白貂を抱く貴婦人)はイタリアの別嬪の絵の双璧なのではないかしら。

あるいは単にふうてんの好みなのかもしれぬ。

 

 列に並んで間近にも見た。

どうしてもふうてんには額縁が傾いているように思えた。

見終わったあと念のため絵の傍に立っている守衛のおっさんに聴いてみた。

(忙しいときに悪いんやけど額縁傾いてません?老眼のせいかなあ)

(目よろしいわ、世界中どこでもこの絵展示する時はこう傾けているそうで)

(そうですか、おおきに)

 

 彦さんはあんまり(白貂)やら(貴婦人)やら(ダビンチ)はお気に入りではないようだった。

何故なんだろう?ふうてんにはその時は分からなかった。

その理由が分かるまでには24時間ほどを要した。

 

仲秋の名月、観月会

 

 さて、いよいよ月見である。

ホテルに帰ってみるともうビジネスマンJOさんは着いていた。

30分早ければ(白貂を抱く貴婦人)に会えたのに残念だった。

これで三人になった。

残るは研究者人丸どのだけである。

月が何時にどこに出るか分からんけど、取り敢えず一杯飲もか、ということになる。

 

 5時になるのを待って三条木屋町の(めなみ)へシケこむ。

観月会だから嵯峨野の大沢の池で月を見たい、というのが当初の彦さんの提案だった。

しかし遅れてくる人と大沢の池で待ち合わせるのは難しい。

暗いところで(あなたどなたさん?)と確かめ合う風雅な行いは、平安時代だったなら、と残念にも思う。

 

 それでやむを得ず人丸どのにも三条小橋上がるの(めなみ)に来て貰った。

7時も過ぎてたどり着いたジェントルマン人丸どのはやはりスーツに白いシャツだった。

これでやっと四人が揃った。

月見が始まった。

 

月は朧に東山

 

 木屋町、高瀬川から東山に昇る月を見た。

やっぱり秋は月見である。

(めなみ)で念願の土瓶蒸しを喰って木屋町をそぞろに歩く。

メシは喰ったし酒も飲んだ、ジャズでも聞きたいなと(ブルーノート)を探す。

昔行った事あるし、地図も確かめていたのに何故か見つからない。

しゃあない、先斗町の(ハロードリー)しよう。

 

 店に入り席に着くと窓の外に鴨川が見え東山の月が見える。

この店は金曜日にジャズライブをやっている。

このところのメンバーではベースが良い。

ちょっとファットなスコット・ラファロといったところである。

勘定を済ませて、皆さんにビールをと少しばかり置いて店を出る。

 

 朧の月は春やったかもしれんなあ。

 

橿原考古学研究所

 

 JOさんのリクエストで翌日は奈良を訪ね橿原まで足を伸ばす。

考古学研究所・・・どうも彦さんとJOさんは歴史の話に耽る気配である。

ふうてんは酒でも飲むしかやることがなさそうだ。

 

 近鉄特急で50分ほど、橿原神宮前に着く。

考古学研究所付属博物館を見学するうち、(マイウェイ)が口をついて出た。

なんていじらしいんだろう。

まさに(生きものの記録)である。

 

 とっつぁんが獲物を獲っておっかあがメシを作って顔を汚した子たちが嬉しそうにお腹を満たし無邪気に眠りに就く。

今の、現代の、我々の生活と一緒や。

ちょっとも変わってへん。

(マイウェイ)や。

 

 この博物館の圧巻は入り口にある(ジオラマ)だった。

(JOさんあれは凄かった、奈良平野て広いんやねえ、今まで奈良公園しか知らんかった)

(とっつぁんいくつになるの?)

(彦さんがこれを自宅に欲しい言うてたよ)

(小説書くんに便利なんとちゃうか)

 

奈良ホテル、三笠の山にいでし月かも

 

 奈良ホテルにチェックインしてラウンジでビールやらコーヒーやらを飲む。

刻限はまだ午後3時すぎ、晩飯やら月見まで随分時間を過ごさねばならない。

(彦さん白貂あんまり楽しめんかったようやね)

といきなり本題にはいった。

(あんな凄い絵見てな~んも感じへんかったあ?)

(ワシ構造がないもんには興味ないんや、絵ちゃうんは構造がないやろ)

と先生もズバリ本質的答えを返す。

 

 それからしばらく(構造)という話に耽る。

小説に構造はあるか?ありそうや。

音楽に構造はあるか?ありそうや。

絵に構造はあるか?意見が別れた。

ダビンチていろんなことやったなあ。

武器も作ったし街も作ったし運河すら作った。

音楽も残している。

その彼の(絵)にだけ構造がないんやろか。

 

 しかし(絵は構造がないから好きになれんのや)という彦さんの言葉は印象に残った。

小説を書いている彦さんの顔は確かに人丸どのが言われるように水上勉に似ている。

かなり前ふうてんもそう思った事がある。

あのお方も関西の人やったね。

出身地も彦さんとかなり近いように思う。

 

帰途、夷への帰還、反省会

 

(JOさんブルゴ~ニュの家どないするんや)

(だんな、ええとこやで、ノンビリしとって心が落ち着くよ、あんたにピッタリや)

(行きたいけど遠いやろ、飛行機代も高そうやしなあ)

(うん確かに遠いわ、チケットは安うに手にはいるけどな)

・・・・。

(まだワインに関しては諦めてないんや、あれは年取ってぎょうさん飲めんようになっても楽しめる酒やろ)

(だんな、そやけどフランス語できるか?)

(そやったそやった、西安いくとき中国語話せんとアカへん)

(年取ってもなんぼでもやることありまんなあ、だんな)

 

(のぞみ)が新横浜に近づいた。

JOさんは(のぞみ)に乗るのは初めてだと言う。

新横浜駅のすぐ近くに住んでいるのに。

案外そんなもんやね。

老眼になると近くが見えんのよ。

 

 帰途、十分に二人で旅の総括をし、人生の反省をし、明日を誓って別れた。

月見があったんや。

春夏秋冬の京都への旅にまた新しいメニューが増えたようだ。

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