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2001年5月に作成された記事

2001/05/22

2001.05.22 帰郷篇

 10日から15日まで愛媛に帰って来た。

オヤジの納骨の為に帰ったのだけど女房との久しぶりの(小さな旅)となった。

 

ミカンの花

 

 松山空港でタクシーに乗ると運転手さんが(ミカンの花が匂いますね)と言う。

見れば空港の直ぐそばからミカン畑が始まってい、小さな白い花をつけている。

(そうですかあ?)と曖昧に返事するうちにトンネルにはいった。

すると濃厚にミカンの花の香りが漂って来た。

(トンネルに匂いが籠もるようです)と運転手さんは言う。

伊予の自宅に帰ってからもミカンの花、スィートピー、などなど花の香り、草木の香りがずっと漂っていた。

残念ながら我等が国立にそれはない。

 

ニッサン・レンタカー

 

 5泊6日の滞在なので数十年振りにレンタカーを使ってみた。

ホテル(東急イン)でパンフレットを見るとニッサンマーチ1日4900円というのが目についた。

保険料金を入れて1日6500円程だったけど重宝した。

ギックリ腰でも右足だけのオートマチック車だから何とかこなせた。

ただ、オートマチックギアシフトとパワーステアリングには最後まで馴染めなかった。

動力系や操舵系で自動(?)のメカニズムが人と機械の間にはいるのは楽ではあるけれど常に違和感を持たされ続けた。

やはり機械と人が直に接する我がロシナンテが懐かしく思い出された。

 

四国松山の東急イン

 

 1泊目は全日空ホテルに泊まったのだけどいま一つだったので2泊目からは東急インにした。

これはいいホテルだった。万翠荘と松山城が窓からそのまま見える。

この万翠荘は30年前にふうてん達夫婦が結婚披露宴を行った場所でもある。

 

コウモリ・・・4年振りの我が家

 

 人が住まないと家はダメになるという。

水道管は乾燥して裂けているしコンセントは接触不良を起すしホコリが凄い。

台所跡の井戸の汲み上げポンプを見る為ドアを開けると天井に蝙蝠が一匹。

ジッとこちらを睨んだ。

これにはまいった。

 

 しかし2日掛けて水道や電気系統を直し、そこら中を掃除し、ガラス窓を磨き、アレコレするうちにすっかり居心地の良い住居となった。

庭はなんせ目の前の全山が自宅の庭みたよなもので何万坪あるとも知れん。

全てが緑に覆われウグイスがしきりに鳴いている。

 

法要と納骨

 

 村の寄り合いと近しい親戚に声をかけて本願寺の住職にお経をあげて貰う。

この地でこういう法事を行うのはこれが最後かも知れない。

家からちょっと上がったところに墓地があり親戚一同で納骨した。

そこからは松山の城山や瀬戸内海がよく見える。

ふうてんが子供の頃田んぼだけだった平野が殆ど人家に覆われている。

 

ハーレーダビッドソン

 

 東急インを朝11時頃出て、昼メシを食べて買い物などをして伊予の家に行く ということを繰り返した。

松山の街は小さな落ち着いたところで皆おっとりとした優しい表情をしている。

店などで対応に出る男の子女の子達が例外なく快活で楽しげである。

何日目だったか喫茶店へ行こうとして路地に入るとドハデなハーレーが置いてある。

近くに男の子と女の子がいたので、話しかけた。

(いいねえ、ハーレーは、もうちょっと若かったらなあ)

(大丈夫ですよ、多いですよ、熟年ライダーも)

(いくらしたの?)

(250万円です)

(ヒェーッ、そんなにすんの、150万円でトヨタのスポーツカーが買えるよ!!)

(MR-Sでしょう?意味無いですよ)

(そうか、トヨタのスポーツカーは意味ないんやね諸君には)

(何CC?)

(1450CCです)

(重さは?)

(350キロです)

(僕の住んでいる国立に繁さんていう寿司屋がいてね、昔ハーレーに乗っていたんやけどコロんで100メートル滑った言うてたよ、重さは1トンはあったって)

(ウソやは、それはホラやは、昔の方が車体は軽かったんすよ、100メートルも滑りませんよ、ホラですよそれは)

(嫁さん、ホラやって、帰ったら繁さんに言おうな、ありがとう元気でね)

 

大名天ぷらウドン

 

 松山へ帰るとかならず寄るのが川福のウドン屋である。

5泊6日の今回の旅でも毎日通った。

ここの(大名天ぷらウドン)は素晴らしい。

(大名天ぷらウドン)と(天ぷらウドン)の2種類あって違いはエビの本数とその場で揚げるかどうかである。

 

(大名天ぷらウドン)を頼むとまずウドンを茹で始める。

大きな四角の備えつけの湯沸かしで強火で10分強茹でる。

途中から天ぷらを揚げにかかる。

ゆで上がったウドンを一旦冷水にさらし手でよく揉む。

しかる後に再び温め、温めておいたドンブリに入れ、揚げたての天ぷらをのせ、温めておいた汁を注ぐ。

 

 カウンター席だからその作業の全てが見える。

敵がそこまでやるのならこちらもそれに答えねばならぬ。

温かいうちに、天ぷらがふやけないうちに、麺が延びないうちに、とハフハフ云いながら大汗をかきながらアッと言う間に平らげる。

 

 天ぷらはエビ2本、茄子、ニンジン、しし唐、焼き海苔、大葉と決まっている。

この6種の天ぷらの味と香りがウドンと汁にからまって絶妙である。

だから(大名気分)になれる・・・・・。

 

近藤等則(としのり)

 

 ホテル近くの奇妙な喫茶店に何度か行った。

若い男女がトランプをやったり木のゲーム機械みたいなので遊んだりギターを弾いたりしながら何となく時間をうっちゃっている。

ふと見ると近藤等則の厳島神社での(聖なる音楽祭)のチラシが目についた。

その話しをするとマスターが、近藤さん今治と松山でコンサートをやるんですよ、そういえば今日は松山だったはずと言う。

 

 その時はもう夜の11時過ぎだったけど、打ち上げをやっているはずとか言って電話でいろいろ聞いて居場所を確かめてくれた。

女房とさっそくタクシーでその場へ向かう。

いましたねえ、特徴的な顔のトランペッターが。

向こうもビックリして、エエッ?何で??松山に??

 

 コンサートのあとファンやスタッフ達と宴会になったようで、女房にもこの異才を紹介出来たのはラッキーだった。

スタッフの一人(オーディオシステム担当)が私京都で(ブルーノート)やってます、というのでビックリした。

あの怖い顔のカンバン(絵)覚えてます、と言うと、まだありますよ、とのこと。

30年も昔のことなのに・・・・。

京都で行く所がまた増えた。

 

坊ちゃんスタジアム

 

 松山とふうてんの家の間に奇妙な構築物が目についた。

最後の夜に寄った居酒屋で聞くと、野球場だと言う。

城山の下にあった松山市民球場と競輪場がそちらへ移ったらしい。

松山はどこまでも漱石と子規の街であるようだ。

野球という言葉は子規が初めて使ったという故事もあり愛媛は野球が盛んな地である。

 

 帰りの飛行場までのタクシーの中でそんな話しをしていると、運転手さんが(坊ちゃん列車)が今年の10月から走るんですよ、と言う。

蒸気機関車やら客車やら当時そのままに再現して走らせるのだと言う。

明治21年ドイツから輸入した時9500円だったと言うから大変な額だったのでしょう、と運転手さんなかなか詳しい。

 

(今全部作るとなるとウン億円じゃ済まないでしょうね)

(そうですねえ数十億円と違いますかねえ、でも道後温泉にはいるお客さんが半分は乗るでしょう。いい投資だと思いますよ)

運転手さんは何度も(いい投資だと思いますよ)を繰り返した。

 これで伊予松山への旅は完結した。

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