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2001年2月に作成された記事

2001/02/18

2001.02.18 リュウコウさんに会った篇

 先週金曜日にリュウコウさんと会った。

2年半ぶりだったけど元気そうだった。

彼女は今北京で中国の郵政局に勤めている。

12日から日本の元郵政省とのミーティングが5日程あり日本へ来た。

 

 芝のプリンスホテルへ女房と一緒に夕方4時頃中央線で出向いた。

国立から芝のプリンスホテルというと1時間ちょっとなのだけど我が女房殿にしてみればちょっとした小旅行なので一旦自宅へ帰り同行する。

折角東京駅近辺へ行くのならと東京駅で降りてルノアール展に寄った。

ブリヂストン美術館で2月から4月までやっているのは知っていたので地図も時間もインターネットで調べておいた。

 

 ルノアールは大昔京都の近代美術館で見て以来ファンとなった。

それ以来写真集は随分見て来た積もりだけど、今回の展覧会には一驚を喫した。

特に1870年代の初期の作品の素晴らしさに圧倒された。

色彩が鮮やかで筆致が細やかであることに驚いた。

1870年代ということはもう130年もたつ。

それなのにこの鮮やかさ。

絵の具も進化していたのだろうし保存も余程の注意が払われていたに違いない。

 

 写真集やカタログや何万円もする複製品がいろいろショップで売っている。

どれも決定的に色彩が違うことを思い知った。

それでもこの展覧会の代表的作品の少女の肖像のポスターだけは買った。

 

 芝プリンスホテルへ着くとリュウコウさん達は最後の日なので打ち上げのパーティを行っていた。

紅梅という部屋をチラッと覗くと約30人くらいの立食パーティで彼女の姿はすぐに分かった。

当然関係者だけの内輪の宴会なのでみんな名札を着けている。

こちらは単なる友人であって、参加資格はない。

係の人に断ってリュウコウさんへ来た事を伝える。

・・・・・・。

 

 それから1時間半後の午後8時半くらいまで結局そのパーティに付き合ってしまった。

日本にいた時大変お世話になった人ですと中国の郵政局や日本の郵政省の人々に紹介され、帰る訳にいかなくなった。

中国の人が10人、日本の郵政省から15人、通訳の人が5人くらいだったろうか。

リュウコウさんはその来日団の中で唯一日本語を話せる人なので忙しい。

こちらは夫婦で酒を飲んだり料理をつまんだりしつつ皆さんを観察させて貰った。

 

(旦那さん、お金がなくなったらホテルでこういうパーティに紛れ込めばお腹は空かなくて済むわね)と女房が不届きな事を云う。

(それにしても中国の人と日本人と見分けつかへんなあ)

(最初そう思ったけど、でもよくよく見るとやはり違いはあるような)

(髪形かなあファッションかなあ?)

(顔の表情かもね、やっぱ今の日本のお役人は優しい顔してはるわ)

 

 あれこれ評定するうちに会はお開きとなった。

最後に来日団の団長さんがお礼の挨拶で熱弁を振るった。

迎えた日本の郵政省の部長さんが一言答礼をし、10人を皆で会場から送った。

一人づつ土産を渡し、みんながその人と握手する。

ふうてん達夫婦も送る側であり全員と握手した。

謝々、という人もいる。

中で一人だけThank Youと云った女性がいた。

 

 その団長さんの挨拶で今回のリュウコウさん達の来日の目的が中国と日本の間での郵便為替に関する時間短縮の問題をどう解決するかであったことが分かった。

今7日間かかっているものを今年中に48時間、将来は10分にしたいと団長は挨拶した。

 

 中国の人を送り出して、さてこれからどうしよう、リュウコウさんはどこへ行っちゃったんだろう、と分からないままホテルのロビーへ降りると、今度は中国の人々が宴会に集まった日本人をホテルの玄関先で見送っている。

なるほど中国人も日本人もご丁寧な人種であるらしい。

今回のミーティングは成功裏に終わったんだな。

 

 リュウコウさんが団長を連れて来る。

今度是非北京へ来て戴きたい。

その時は私が案内役を勤めます、と彼は云う。

3度も4度も握手した。

 

 その見送りも終わって、やっとリュウコウさんは解放された。

こちらは女房が日本の菓子を買って行っていたのだけどリュウコウさんは中国茶のお土産があると云う。

それで彼女の部屋へ行った。

(リュウコウさん随分お元気そうね、安心したわ)

(そうですか、少し太りました)

(やっぱり中国の方が伸び伸びとやれてよさそうね、表情が活き活きとしているわ)

(ヒョウジョウってどう書きます?)

(それとちょっと綺麗になったね)

・・・・・・。

 

 たわいもない、懐かしい話、今の話を2時間程して彼女と別れた。

彼女が一橋大学へ留学生として来て、ちょっと辛い事があって北京へ帰って2年半たつ。

彼女の輝く姿を見て我々はすっかり安心したし嬉しかった。

やはり2年に一回くらい会わないといけないね。そうしよう。

というのが結論だった。

 

 再見、リュウコウさん。

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