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2000年10月に作成された記事

2000/10/30

2000.10.30 姉貴たちの見舞い篇

 ふうてんの4歳上の姉貴と息子夫婦がオヤジの見舞いに来た。

日曜日の午後というのはふうてんの聖なる休息の時間であって、そこに来客があったりするとまずこの一週間のペースが乱されることは間違いない。

 

 旦那さん、来ましたよという女房の声で下へ降りていくと菓子と茶で始めている。

それに付き合うわけにはいかぬふうてん故、冷蔵庫からエビスの小瓶を持ち出す。

結局5人で乾杯となってやがて愛用の秋田産純米酒(飛良泉)へ移る。

来客があるとふうてんはサービス精神からついピッチが上がってしまう。

 

 姉貴が繁寿司へ行ってみたいと言うので電話するとハロゥインで子供たちが20人程来るので5時半頃の方がよいと繁さんが言ったと女房が言う。

最近日本でもアメリカのハロゥインにならって子供たちが家々を訪ねてお菓子を貰うということが行われているらしい。

 

 夕方5時過ぎになってタクシーを呼んで繁寿司へ出向く。

雨なのでロシナンテはお休みである。

昨日久しぶりにホコリを濡れ雑巾できれいに拭いたのだけど、夜来の雨が明けた今朝女房の報告ではまた綺麗にネコちゃんの足跡がトランクの上に付いていると言う。

本当に気に入られたらしく、さてどうしたものだろう。

帰って一眠りしてサッカーのアジアカップに付き合ってしまった。

シドニー・オリンピックの時から何となく見ているのだけど随分強くなった。

中村シュンスケというミッドフィルダーと高原というフォワードがこれまでの日本とは違う印象を受ける。

JOさんの好きな中田くんは今どうしているのだろうか?

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2000/10/23

2000・10・23  BYFW会篇

 Bring Your Favorite Wineという会が御殿場の小川くんの別荘であった。

もともとはNY会といってニューヨーク駐在員だった千谷、鎌倉、富田、小川の諸氏の会だったのが今回JOさん、ふうてん、アナザー筒井が呼ばれたのだった。

 

 JOさんはこのところ八面六臂のご活躍とてお疲れで参加は無理だった。

ふうてんは新百合のワインショップ(Wine Party)でボルドー、ブルゴーニュ、アルザスを各一本づつ買って町田から御殿場線直行の(あさぎり5号)に乗った。

 

 御殿場線の裾野駅でアナザー筒井にピックアップして貰ったのだけど彼とは1985年頃ニューヨーク駐在員事務所で1~2度会っただけでお互い顔が分かるか不安だった。

なに着いてみると降りる客は5人くらいしかいない田舎の駅だった。

小川くんの別荘までは駅から40分くらいだった。

道中昔話に花が咲いた。

 

 今回のBYFWの会は鎌倉さんの新会社設立の祝いとアナザー筒井のサンノゼ転勤の送別の二つを兼ねて開かれたのだった。

小川くんとこに着いてみると既にゴルフ組はビールを飲んでいて、ふうてん達が着いてからワインパーティが始まった。

まずはベネチアン・グラスで白から飲んだのだけどそのグラスを買った時の小川くんのベニス紀行の時のビデオを見ながら皆でああだこうだと話が始まった。

 

 ちょうど日本シリーズ第一戦が6時頃から始まり、それも肴として結局白3本、赤5本をいろいろ用意された料理と共に平らげた。

富田くんは昔からのホークスファンでまあその詳しいこと。

千谷、アナザー筒井、小川はアンチ巨人でふうてんは阪神、鎌倉さんはおそらく巨人ファンだろうと思う。

我々の世代はやはりサッカーよりは野球に馴染みがある。

ちょうどいい具合に日本シリーズの面白い試合が見れて悪くなかった。

 

 アメリカ帰りのピープルばかりの会合には一種独特の雰囲気がある。

少なくとも連中は(英語圏)でいろんな人種と付き合って来た経験がある。

その経験が日本にいるだけのピープルより少し心を広くしている面があるように思う。

以前JOさんが言っていた。

アメリカに行って、より日本を考えるようになった、と。

そんなところが皆にあって何事も歴史や文化を踏まえて考え発言するので、連中といると疲れない。

 

 途中千谷さんがフト、筒井くんアメリカではアメリカ人と結婚した日本人の奥さんが日本からの駐在員と不倫になることが多いんだって、という話を始めた。

一般論なのか友だちの話なのかご自身の話なのか分からなかったけど、やはり現地で日本人同志が会うと心が安らぐものらしいね、という点では皆の意見が一致した。

そうか、惜しいことをしたなあ、なんて鎌倉さんまで言い出した。

ピアノ・バーで出会った夫人たちに(ナパ・バレー)へ行きましょうよと誘われて行く事になっていた当日、えらい大雨になっちゃって中止になったことがあったそうな。

そうか、そうだったのか、なんて(絵に描いた餅)を懐かしがる風情が可笑しかった。

 

 ふうてんも1985年頃の昔の話を思い出していた。

Logoをやっていた頃でモントリオールの会社へ出入りしていた時の事、ある日モンプチさんの奥さんとマニュアルをOASYSで書くのを手伝って貰っていた(みすず)さんの二人のご婦人とオールド・モントリオールのシーフードの店で時間を過ごしたことがある。

その日は、たまにはいい店へご案内しましょうと言ってモンプチさんの奥さんがモントリオールの発祥の地(オールド・モントリオール)の古式豊かなフレンチの店へ連れて行ってくれたのだった。

お二人の日本人のご婦人たちと話すうち、ふうてんは不思議な寛いだ気分になり時間を忘れたことを覚えている。

ふうてんが40歳前の頃で彼女たちはもう少し若かったように思う。

 

 ワインを次々と開けて、小川君がいろいろ出してくれる料理を食べるうち眠くなったりまた覚めたりした。

みんなそんな調子で居眠りしたり、イビキかいたり、ワイン飲んだり話したりした。

アナザー筒井と富田くんは車で帰り、千谷、鎌倉、小川、ふうてんは泊まった。

1時頃一番飲んで食べてイビキをかいている鎌倉さんを寝かしてふうてんは(小川さん、ウィスキーある?)と聞いた。

 それから千谷、小川、ふうてんの三人でスコッチとバーボンを飲みつつ世間話に耽り、翌朝9時頃長かったBYFWの会をお開きにしたのだった。

 

 土、日だったので肉体的には疲れたけど精神的には疲れなかった。

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2000/10/18

2000・10・18 本田のロボット篇

 このところロボットの話題が少しホットになってきている。

この間の日曜日NHKスペシャルで人間型ロボットを扱っていた。

その中で本田技術研究所の(二本足歩行人間型ロボット)がふうてんの目を惹いた。

ここまで進んでいるとは想像していなかった。

 

 この番組を見てふうてんはロボットに興味を持っているうちの若いのに以下のようなメールを送った。

 

 拝啓  足立くん、川本くん

 (CC  宗像くん)

 

 16日(日)のNHKスペシャルでロボットをやってましたね。

主役は人間型ロボットでホンダの二本足歩行ロボットが詳しく報告されていて楽しめました。

 

 (2001年宇宙の旅)の作者アーサー・C・クラークの本人が出てくる映像は初めて見ました。

まだ生きているんですね。

 

 人間型ロボットを作りたいというのは人類の永遠の夢でダビンチまで試みていた、というのにも驚かされました。

手塚治虫の(ロボットは神ではなく人間が作るものだから危険性を孕んでいる)という警鐘も、なる程と思わせられます。

 

 僕はホンダのアプローチは間違ってないのではないかと思いました。

人間が他の動物と決定的に違ったのは二本足歩行出来たからなんですね。

どちらが先なのか知らないけど二本足歩行するには脳の発達が必要だったし、二本足歩行出来ることで手が自由になり、さらに脳の発達を促したはずです。

ホンダのアプローチはそういう脳と肉体とが不可分の存在である、というポイントに立脚点を持って来たところが素晴らしいと思うのです。

 

 10年前にTownsをやったあと、歴史に学ぶという考察をしたことがあります。

コンピュータの役割について、1970年代は(電算機の時代)、1980年第代は(OAの時代)、1990年代は(表現の時代)、2000年代は(人工知能の時代)とくくってみたのですが、アーサー・C・クラークの言うように、知能と言える為には自分で考えるようにならないとダメなのだけど、そのことに(肉体)というものが深くからんでいるのではないか・・・・・。

人間の発達の歴史から素直に考えても僕はそんな風に思います。

そういう意味で物理的な(肉体)を持ったロボットの研究は人工知能の研究手法として間違ってないのじゃないか、それを今日の番組でも確信しましたね。 

                                 草々

追伸

7年くらい前Townsのことでサンフランシスコで喋ったことがあります。

Townsのソフトを作ってくれたソフトハウスさんを集めて僕たちが何故Townsを作ったのかの思いを喋ったわけです。

その時、歴史に学ぶということで1990年代までは分かるのだけど2001年以降についてはアーサー・C・クラークに聞いてくれと僕は言いました。

ハリウッドに近いサンフランシスコだから笑いを取るつもりでそう言ったのです。

そしたら手を上げる奴がいて、俺は彼を知っている、会いたいのだったら紹介するけど今彼は病気なので急がないと死んじまうぜ、と言われたことを思い出します。

 うちの若いのの中でも一番ロボットに興味があるのは川本くんでLEGO Mindstormsに入れ込んでいる。

趣味でやっているのだけど表情をLEDのパネルで表現する(例のへのへのもへ字)手作りの試作機で、ロボット何とかイベントでデモの機会を与えられたりしている。

 

 考えてみればふうてんがパソコンの仕事に引きずり込まれるきっかけになったのはLogoというプログラミング言語だった。

その開発者であるシーモア・パパートの著書がMindstormsという題名だった。

Logoという言語は物理的な原理を人間の言葉で表現するところに特徴があった。

前へ5歩行って、右へ90度曲がれ。

そんな命令の繰り返しで亀(タートル)に絵を描かせるのだった。

グラフィックスの前には実際に亀のロボットを動かしていた、そうな。

 

 ふうてんがLogoに最初に触れたのは1980年のBYTE誌(アメリカのコンピュータ専門誌)の8月号だった。

BYTE誌は毎年8月は言語特集だった。

それから20年たって本田のロボットが二本足で命令されることもなく、前へ3歩、右45度と勝手に歩いているのである。

階段を登ったり、ドアを開けて部屋へ入ったり、観客に向かって手を上げたりしおる。

ソニーのワンちゃんみたいに人に媚びたりしない。

朴訥だけど人間みたいに堂々としている。

聞けばホンダはこのロボットを15年間研究してきたと言う。

1985年ころ確かにそういう気運があったことをふうてんはハッキリと覚えている。

 

 本田宗一郎に見て貰いたかった、と本田技術研究所の社員でもないのに思った。

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2000/10/15

2000・10・15 ロシナンテと猫篇

 9月の初め頃だったろうか、一週間程ロシナンテにカバーをかけることもせず雨が吹き込めば濡れればいいさと放っておいたことがある。

数日後雨が降って、後で見るとロシナンテのトランクやボンネットの上に点々とネコちゃんの泥の足跡がついている。

(嫁さん、どうもネコに気に入られたみたいだよ)とその時は気楽に話をしていた。

その足跡が余りに芸術的だったので拭き取りもせずそのままにしている。

 

 そのうち、カバーをしても何だか後ろの方にくぼんだ様な跡が出来るようになった。

 (嫁さん、本当に気に入られたようだわ)と報告した。

 

 今日昼間南の庭に一匹のかわいい猫ちゃんがいた。

(旦那さん、あの猫ちゃんは初めてのお客さんよ)、と女房が言う。

見ると灰色の縞模様のまだ若い猫だった。

(真っ黒や白黒ブチの常連客は別にいる)

 

 夕方繁寿司へ行こうとしてロシナンテに近寄ると、ヒュ~ッと何かが飛び出した。

(旦那さん、さっきのネコちゃんよ)

と女房が言う方を見ると、なる程夕闇の向こうに昼間の猫がいた。

雨模様だったので結局ロシナンテはよしてタクシーで繁寿司へ行った。

帰って数時間たって夜中に外の空気を吸おうと思って入り口のドアを開けると、又してもロシナンテの中から猫ちゃんが飛び出して来た。

 

 どうもこの若い猫ちゃんにロシナンテは気に入られてしまったらしい。

カバー(シート)をかけると猫ちゃん居心地悪いだろうし、さりとて雨が降る時風が吹けばロシナンテに雨が吹き込んでも困るし。

う~ん、ふうてんはロバ語も猫語も話せないので連中の意見を聞く訳にもいかんしな。

困りましたね。

 

 オープン故、はいり易いし、2つ程シートもあるし、猫ちゃんにとっては居心地のいい場所なのかもしれない。

ネコはイヌと違って勝手に粗相はしないので、その点は安心しているのだけど。

しかしなあ。

ちょっとお邪魔します、乗って貰ってよろしいでしょうか?

なんて断らないとロシナンテに近寄れない、となっても困るし。

 

 今度、どうせなら晩飯でも一緒にどうお?、と誘ってみようかしらん。

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2000/10/09

2000・10・09 しんゆり映画祭篇

 新百合丘で毎年10月にしんゆり映画祭と称して様々な催し物が開かれる。

今年は初日の6日(金)にアラビアのロレンスをワーナーマイカルで上映するというのでホイホイと見に行った。

大きなスクリーンでこの映画を見るのは何年振りだろう?

十何年前に京橋のテアトル東京の巨大画面で見たのが最後だったかしらん。

 

 客席はほぼ満杯だったけど圧倒的にジサマ、バサマが多かった。

ふうてんがたまに行く観劇の中では大阪日本橋の文楽劇場の観客層と極めて似ている。

それも当然であって封切りは1962年、ふうてんが高校一年か二年の時で、その頃生まれた子たちがもう40歳の中年である。

(開演前、劇場の椅子に座ってAsahiの栓抜き不要の小瓶を飲みながら、どうしてパコデルシアの演奏会だけは別嬪さんが異常に多いのだろう、それにしても、とおぼつかない足取りで席に着くジサマ、バサマたちを眺めたのでありました)

 

 この映画でふうてんがとりわけ好きなのはファーストシーン、シークェンスだ。

画面の左端にオートバイがあってそれをほぼ真上から捉えていてロレンスが右の端から現れてオイルを入れたり汚れを拭く布を持って来たりして用意をしている。

やがてタイトルが終わりブルルルンとオートバイのエンジンを掛けて走り始める。

ハーレーみたいなV型二気筒の大型で腹に響くような低いエンジン音。

 

 静かなイギリスの郊外を思わせる住宅街の細い道路。

最初道路工事をしている区間を低速で通って行き、やがてスピードを上げ始める。

森にはいり木々の木漏れ日がチラチラとロレンスの顔に当たる。

狭いワインディングロードをどんどんスピードを上げていく。

スピードを上げ始めてからはずっとロレンスの顔のアップが続く。

だんだんとエンジン音が高まりヘルメットもない普段着のままのロレンスの姿とその無防備な姿に似合わないスピード感に不安が高まってくる。

そして前方の坂の上にチラッと自転車が見え、次の瞬間それを避けようとしたロレンスのオートバイは急ブレーキ、急ハンドルあたわずブッシュに突っ込む。

 

 このファーストシークェンスに映像作家としてのデビッド・リーンの値打ちは集約されていると思う。

堂々としたカメラワーク、ディテールの表現、サウンド、巧みなカットの積み重ねによる緊迫感、そして何よりもそれらを通じたロレンスという主役の存在感。

もうその最初のシーンを見るだけで観客全員が(アラビアのロレンス)になった積もりなんですな。

 

 ふうてんがこの映画を松山の封切館で見たのは16歳の頃で既に小さなバイクに乗り始めており、それで尚更興味もあったし興奮したのかも知れない。

同じオートバイのシーンであってもこういう風に本格の大人の感じを出せるんだ、という思いは40年近くたった今見ても変わらない。

作り物と分かっていても没入させられちゃう。

優れた芸術のみになせる技ではあります。

 

 朝の10時から午後の2時までの4時間全く退屈しなかった。

朝飯は前記、栓抜き不要の小瓶、昼飯は12時半頃の休憩時間にやはりAsahiの缶ビール。

終わって事務所でボヤボヤと仕事らしきものをしていると、鎌倉大明神から(夕刻6時に神田神保町の書泉グランデに来られますか?日本語の文法の本お教えします)とのメールが届いた。

続きは次回ということで。

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2000/10/04

2000・10・04 毛沢東の私生活篇

 (毛沢東の私生活)という本が6年程前に日本でも話題になった。

ふうてんも前から興味があったのだけど本が分厚くて2冊だったので何となく読まずに来た。

 

 最近読んだ吉本隆明の対談集からの(書物連鎖)で読む事になった。

6年前の単行本は文庫本になっていた。

読み始めるとやめられない、ページが減っていくのが惜しい、という一冊だと思う。

ドキュメンタリの魅力というか魔力というか。

 

 まだ前半だけどこの本に関して言うと何よりも作者の李という医者の筆致が素晴らしい。

その冷静で抑制された語り口はやはり医者を職業とした人のものなのだろうか。

冷静で抑制されているが故に中国という国と毛沢東という人物の底知れない迫力が伝わってくる。

ただ一つ残念なのはこのレポートは毛沢東が(皇帝)になった1949年以降の報告であるという点だ。

ふうてんとしては延安時代までの毛沢東により強い興味を覚えている。

(皇帝)になった後は皆さん同じような道をたどる。

ネロもヒットラーも信長もそんな感じがする。

誰かが言っていたけど、幸せな人は皆同じような表情をしている、不幸せな人は皆それぞれに異なる表情をしている、と。

 

 この本がきっかけとなって、ふうてんはまた(映像の世紀 第6集 独立の旗の下に)を見直した。

第二次世界大戦後のアジアでの独立運動を取り上げたドキュメンタリだった。

ガンジー、毛沢東、ホーチミンの三人が主役で全部実写で構成されている。

この中で毛沢東の延安時代とホーチミンのゲリラ戦の時代はいつ見てもカッコいい。

ガンジーは(無抵抗主義)の開祖かもしれないけど、ちょっとねえ。

カッコよさにはいま一つ、という印象をぬぐえない。

 

 今夜NHKテレビのプロジェクトXで豊田商事事件での中坊公平を再び取り上げていたけど、野郎にとって大切なのは(大義)と(戦う姿勢)ではないのかしらん。

 

 しかし毛沢東という男は謎ですねえ。

李医師に言わせると蒋介石とは人物の魅力が決定的に違っていたとか。

ボ~ヨ~としていて、諧謔精神が旺盛で、絶対君主で、女好きで、歴史が好きで、哲学が好きで、詩が好きで、脂まみれの豚肉が好きで、そして何よりも(戦略家)でしたね。

ホーチミンも毛沢東も大した戦略家だったと思う。

毛沢東は以下のようなセリフを残しています。

 

 革命とは客を招いて御馳走することでもなければ、文章を練ったり、絵を描いたり、刺繍をしたりすることでもない。

そんなお上品でおっとりとした雅びやかなものではない。

革命とは暴力である。

一つの階級が他の階級を打ち倒す激烈な行動なのである。

 

 ま、こういう先達に負けることなく秋には(松茸の土瓶蒸し)を味わい、冬には(鴨鍋)やら(アン肝)で熱燗に身を任せ、春には(桜花)を愛で、夏には(ハモと梅肉)で谷崎翁を偲んでネーチャンを口説く。

そういうお嬢品(?)でおっとりとした雅びな世界の方がふうてんには合うようだ。

今年の冬は是非にも琵琶湖の北の方で(鮒鮨)を食したいと思っている。

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