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2000・07・09 君は東山魁夷を見たか篇

 金曜日台風3号が東京を直撃するというので真っ直ぐに帰宅した。

台風で家に閉じ込められるとなると何か面白い映画でもみたいな、と会社においてあったシェーンとかセブン・チャンス(バスター・キートン)とかのビデオテープを持って。

 

 先週は久しぶりに人丸どのとゆっくり話す事が出来た。

水曜日だったか例のニコタマの蕎麦屋で会った。

フレンチの店で美味しいワインでも、とふうてんは誘ったのだけど人丸どのはこのところフレンチとか懐石とかの気取った食物よりラーメンとか焼き肉とかの下賤な食い物の方がお好みのようで、いや昔からその癖はあるのだけどなんせ出世しちゃって年寄りとばかりメシを喰っているからどうしても高級なお店で食事をすることになり小汚いラーメン屋かなんかでキムチで一杯飲み、タンメンかなんかでお腹を満たす事に餓えているとお見受けした。

 

 それで目的通りニコタマの店でハルピン・キャベツで一杯やってニシン蕎麦で満腹した。

よせばいいのに、何故かその日は人丸どのがワインでもいきますか?と言う。

六本木のワイン・ガーデンはもう時間が過ぎているので代官山へ行った。

最近この店にフランス出身のソムリエみたいなのが居つくようになって、どうもふうてんはゾッとしないのだけど、この日も彼がいた。

 

 せっかく人丸どのがワインでも、と言ったのでそれなりの物をと思ってブルゴーニュのマコンという銘柄を選んだ。

これが外れだった。

試飲(?)の時ふうてんは、これは香りがなさ過ぎると言った。

その日はジェントルマンである人丸どのは文句言わなかったけど数日後の電話であいつは詐欺師とちゃいますか、高い鼻をテイスティング・グラスの中へ入れて(スパイシー)と言ったけど、スパイシーというのはワインでは褒め言葉なんやろか。

スパイシー言うたら日本語で言うと唐がらしの味となるはずや・・・・。

次回人丸どのをワインの店へ連れていく時は気いつけなアカンと思った。

 

 台風一過の今日日曜日国立は晴れて人通りが多かった。

繁さんから帰ってNHKの教育テレビで東山魁夷の番組を見た。

昭和46年、魁夷63歳の時に唐招提寺の障壁画に挑むとあった。

当時ふうてんは多摩ニュータウンで新婚生活を送り始めたばかりだった。

以来彼の画集は何冊も買ったしカレンダーも使ったし本も代表的なものは読んだ。

番組でのピークはやはり昭和20年8月の熊本での心象風景でしょうな。

戦車に爆弾を抱いて飛び込むみたいな部隊で死ぬための訓練ばかりやらされていたある日、熊本城跡から阿蘇山の外輪山の山並みを見て心打たれるんです。

死を覚悟していて初めて素直にその風景の美しさが心にしみこんだ・・・・。

 

 戦後彼は画家としての名声を得るのと並行して肉親を次々と失います。

結局天涯孤独の身となって、奥さんはいるのだけど子供には恵まれない。

現世でのあれやこれやではない画業の世界に全力投球出来た所以がここにもある、とふうてんは思う。

 

 もう4~5年前になるけど夏休み日本橋の高島屋かなんかで東山魁夷展があった。

それを見に行ってビックラこいたのは唐招提寺の障壁画が全部展示されていたことだった。

それはふうてんにとって得難い経験となった。

額縁に飾られた小さな絵がいかにも卑小なものに見えてくる。

壁画というのはその点でも普通の絵画とは違うのかも知れない。

東山魁夷の唐招提寺障壁画はまことに見事だった。

 

 近いものと言えば大昔京都の近代美術館かなんかで見た法隆寺金堂の壁画の再現(修復?)展だろうか。

これも額縁という小さな空間に閉じ込めれられない大きなものだった。

レオナルド・ダビンチの(最後の晩餐)なんて見てみたいような気もしてくる。

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コメント

東山魁夷のこと

2000年の記事でしたか。私、いつ読んだんでしょう?
でも、はっきりと題名まで覚えているのですから、強く印象に残った文章でした。
今再読すると、ふうてんさんがまだお勤めになっていた頃なんですね。
台風直撃でもないと、まっすぐ帰れないほど忙しい毎日を送られていたのでしょう。

東山魁夷の文章を読んだのは、画を見てからずっと後のことでして、文章家としても素晴らしいですね。
魁夷の生い立ちについてはよく知らなかったのですが、この記事を読んで、鑑真の故郷、苦難の末やっと渡れた海、出会った日本の山々の障壁画を完成できたのは、魁夷の心象体験があったからなのだと思いました。

投稿: ほかも | 2009/05/02 17:53

ほかもさん

 2000年ということは(やまとしうるはし)の時代ですね。
4、5年前に日本橋高島屋で、とあるのは14、5年前のことでしょうか。

 確かに文章もいいですねえ。
テレビにも何度か出ていたので、おだやかな、やさしい語り口が記憶に残っています。
懐かしいような話し方でしたが、神戸で育ったようだし、お父さんが香川だそうですね。
つまり多少、関西なまりだったのではないでしょうか。

 日本画家というと西洋コンプレックスもあり、特に油絵の人はそれぞれに悩むのですね。
東山魁夷は油絵から始めたと思うのですが、ドイツへの留学体験もあり、西洋風の真似をしようとは思わなかったようです。
日本画の装飾性などもバカにしたものじゃあないとテレビで語っていましたね。

 それで結局彼の画風は写実をベースとしながらも象徴性、装飾性を合わせ持ち、それらを総動員して高い精神性を表現できたように思います。
その彼の技の全てを使って(唐招提寺障壁画)は完成したのでしょう。
一番驚いたのは厨子絵の(瑞光)でした。
ちょっとマンガちっくとさえ思えるデフォルメされた日本の海と山の上に細いお月さまが描かれていましてね。

投稿: ふうてん | 2009/05/03 18:29

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