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2000年6月に作成された記事

2000/06/25

2000・06・25 村社会日本篇

   夕刻降ってないようだったので一旦ロシナンテで出かけた。

霧雨のような雨が降っていたので取って返してチャリに切り換えて投票所へ向かった。

歩いて5分の国立第二中学というのがふうてんたちの投票所で国立へ越して20年一度も投票を欠かした事はない。

 

 ふうてんの投票の原理はまことにシンプルで常に野党に入れることにしている。

理由も簡単で権力を持つと必ず腐るからである。

権力を今持ってない勢力を応援して権力が変わる、そしてまた権力から追われる。

それのギッコンバッタンが行われるようになれば、まあ少しは民主主義とやらに近づくのではなかろうかという幻想はまだ捨てていない。

 

 今回の衆議院の総選挙は今選挙速報の真っ盛りだけどどうなるのだろう。

確かなのは日本はいまだに村社会であることだけは確かだということのようだ。

山口、島根は言うに及ばず地方はいまだに圧倒的に自民党であるのが可笑しい。

農業、漁業という第一次産業で持って来た国だというのは分かるのだけど、今そういう産業が壊滅的状況にあることも確かなのに。

 

 ふうてんは四国の片田舎の百姓の小伜が故に今の日本の農業の荒廃は身をもって知っている。

日本の農民の屈折した心理は七人の侍の菊千代に代表されていると言えば言い過ぎだろうか。

三船敏郎演じる菊千代の姿、その論にふうてんは他人事とは思えない一種の共感を覚えるのである。

百姓はアホでノロマで晴れただ降ったで嘆いてばかりいる、気が小さくて弱虫でしかしどっこい隠れたところで食料をため込んだり、いざとなると人を殺したりする(落ち武者狩り)。

 

 でもなあ、と三船は涙ながらに主張するんですね。

百姓たちをこんな存在にしたのは誰なんだ、と。

それは侍たちじゃないか、と。

 

 この構図がまだ日本では生きておるんですね。

田舎の百姓たちは菊千代のように不満を持ちつつ、その百姓の立場に甘んじているんです。

まだお上があってその下部構造として自分たちの社会がある、と信じて疑わない衆生が多いんですな日本は。

そう考えた方が楽なのかも知れないね。

政治ということについては余り世界で偉そうな顔は出来ませぬなあ。

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2000/06/18

2000・06・18 梅雨の晴れ間篇

 久しぶりに日曜日晴れたのでロシナンテで出かける。

気温がちょうどよく、夏至が近づいたので夕方明るい時間が長い。

まことに単純な行動原理で国立駅前には沢山の人々が薄い涼しそうな衣服で行き来している。

 

 繁寿司では(茶)の話題が出た。

繁さんの奥方はもう10年も前から日曜日はお茶に通っている。

今日はその教室の後、山ちゃんちの(釜開き)に行ったと言う。

常連の一人の山ちゃんが家を新築して茶室を作ったらしい。

 

 東京に出て来てからふうてんはコーヒーやら紅茶やらばかりで抹茶というものをこちらでは飲んだ事がない。

たまに四国に帰った時、茶人をしているオジの家で飲むくらいである。

若年期京都にいた頃は下宿の狭い部屋で抹茶を楽しんでいたこともある。

畳のない部屋で抹茶もないものだけど、近くのお茶屋さん(祇園ではない)で若葉の季節になると(初音)という抹茶を買った。

100グラムいくらだったのかもう覚えてはいない。

 

 抹茶のことを何故お薄とか薄茶とか言うのかその理由をふうてんは知らない。

茶の粉をそのまま入れて葉っぱごと飲むのだから決して薄くはないはずなのに。

あの茶筅というのがよろしいな。

ササササッ、とかチャチャチャチャッとかかき回して泡立ててくるりと回してどうぞ、一服。

ふうてんの家は女房の趣味なので畳の部屋がない。

畳の無い家で抹茶というのは・・・無理でしょうね。

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2000/06/17

2000・06・17 マァーフィの戦い篇

   梅雨も本格的になってこの季節は降る方がいい。

ドンヨリと曇って思わせぶりに降らないのが一番いけない。

去年だか一昨年だか梅雨明けの時けじめが付かなくなって気象庁が(梅雨明け宣言)を出せないことがあった。

それ以来弱気になったのか今年もNHKで天気予報をしたあと画面をよくよく見ると、小さく、見えないくらいに(梅雨入り)と書いていた。

あれには笑ってしまった。

 

  ひょっとして気象庁というのも今リストラ対象となっている官庁、省庁の一つなのだろうか。

別に気象庁が言ってくれなくても確かに梅雨は来ている。

それでいいじゃないか。

 

 梅雨のうっとうしさをしのぐ為面白い映画で時間をうっちゃりたいと思った。

出て来たのがピーター・オトゥールの(マーフィの戦い)である。

これはマイナーな映画で日本ではほとんど話題になっていない。

ふうてんはアラビアのロレンス以来ピーター・オトゥールのファンなので、(ロレンス)以降たてつづけに出た(ロード・ジム)や(何かいいことないか子猫ちゃん)やこの(マーフィの戦い)や(冬のライオン)や(ベケット)やあれやこれや大抵見た。

 

 アラビアのロレンスは第一次対戦(1918年前後)のお話だったがこのマーフィズ・ウォーは1945年の第二次大戦末期の物語である。

アフリカのどこかで、どちらも正規軍から離れたドイツ軍とイギリス人が最後の戦いをやらかすのである。

 

 アフリカのどっかの大きな川へドイツの潜水艦が登ってくる。

戦艦を沈められたイギリス海軍の生き残りがアフリカの同地区へたどり着く。

そこからバトルが始まる。

 

 監督はピーター・イェーツで我々に馴染みのある作品は(ブリット)であろうか。

ブリットの最後のカーチェイスは当時話題になった。

ふうてんはスティーブ・マックィーンが好きだしカーチェイス物が好きなのでブリットも何度も見るけど、あれはサンフランシスコの起伏の多い市街地から追っ掛けが始まるんですな。

やがて本格的にやったろか、となる時悪役側のドライバがシートベルトを締めるシーンがある。

あれは効いてましたね。

 

 そのピーター・イェーツがピーター・オトゥールを使って撮ったのがマーフィの戦いなんですね。

やはりアクションが素晴らしい。

古い複葉機、古い貨物船がイギリス将校オトゥールの武器となります。

対するゲルマン、即ちドイツのナチの残党は最新型の潜水艦という構図。

素晴らしいのはそれぞれのエンジン音です。

もうすぐに分解しそうな音をけたたましく鳴らして複葉機が波を蹴立てて飛び立つシーンにはふうてんも思わず手に汗を握りました。

 

 古ぼけた貨物船は典型的なロングストロークのディーゼル・エンジンの音ですわね。

どっか惚けたような、俺知らねえからな、という風情なのだけど獲物に向かってヨタヨタとしかし確実に距離を縮めるのですね。

対して一番モダンなドイツの潜水艦はル~ンルンルンルンという調子でやはり低音の不気味さは残しつつエアコンでも効いていそうな居心地の良い音にしている。

 

 考えてみれば(ブリット)でもイェーツはカーチェイスの時の車のエンジン音に随分気をつかっていたと思う。

マックィーンがサンフランシスコを外れていよいよ高速道路でのバトルにはいると普段の走行でのムスタングの音ではない低速ギアでの高速走行時の音を出していたように思う。

同じ速度でも3rdで5000回転なのか4rthで2000回転なのかは見ている方は分かるのですね。

ふうてんの想像ではイェーツという監督はマニュアルシフトのスポーツカーを余程楽しんでいるお人ではないのかしら。

 

 今テレビでルマンの中継が始まった。

車ではよう走ってどないするんや?

というお人は今すぐ死んだほうがよろしい。

 

 ルマンやらモナコやらのアホなレースで生きるだ死ぬだやるところに我々人間の唯一の生きる意味があるのじゃないの。

何かホカに生きる意味がある言うんやったら教えて欲しいわ。

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2000/06/14

2000・06・14 哲学の道篇

 梅雨真っ盛りという変な云い方をしたくなるくらい降っている。

朝のNHKテレビの番組で京都の哲学の道がチラッと出て来た。

谷崎潤一郎の話題にことよせて取り上げていたらしい。

瘋癲老人日記の颯子のモデルになった谷崎の息子の嫁さんも出ていた。

 

 ふうてんは谷崎の個人的な生活にはあまり興味を持たないのでそういうお人が現存していて170通もの谷崎からの手紙を今も大切に保管しているという話に驚いた。

彼女が嫁いで10年の間に170通の手紙を出している。

1年に17通、つまり一月に一通は出していた勘定になる。

 

 もし我が家の一人息子が嫁さんでも貰ったとして、そういうことをするだろうか?

しかも170通全て速達便だと言うから恐れ入る。

テレビに映し出されたその手紙の封筒には速達、だけではない速達書留という文字も目立った。

つまりはバカ息子の嫁さんに小遣いでも送っていたのだろう。

瘋癲老人日記の颯子のモデルだったと言われるのももっともな話だ。

 きっと浜作でハモを食う時、例の梅肉の一件を実際にやらかしたに違いない。

全くなんちゅうオッチャンやろ谷崎というお人は。

 

 この番組の中で哲学の道や大文字山からの京都市街の眺めも取り上げていた。

ふうてんが思い出したのは学生時代の哲学の道での一件だった。

その日、北白川の下宿から親しい友人と歩いて平安神宮近くの京都会館(だったと思う)でのジャズコンサートに向かった。(エリントンだったかしらん)

銀閣寺のところから哲学の道へはいった。

道々ずっと文学の話、映画の話、音楽の話、はては(哲学)の話に耽った。その友人とはいつもそんな話ばかりで時間をうっちゃっていたのである。

 

 哲学の道が切れて右へ降りようとした時、どちらかは分からなかったけど お腹がグ~ッと鳴いた。

(やっぱり哲学も現実には勝てんなあ)

とお互い顔を見合わせてニャッと笑った。

そして二人とも空腹のままコンサート会場へ向かった。

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2000/06/12

2000・06・12 ホキ徳田に会った篇

    関東地方も梅雨にはいったようだ。

梅雨前線のせいで風も強く嵐のような木曜日の夜六本木へ出向いた。

飯倉片町のキャンティというイタリアンの店でホキ徳田と会った。

案内人の鎌倉大明神と一緒に。

パソコンの具合が悪くなって放っておいたのだけど最近使いたくなったので直せないだろうかという話が縁となった会合だった。

 

 ホキ徳田と言えばヘンリー・ミラーと結婚した人ではなかったかしらんという大昔のあやふやな記憶はあった。

彼女に会うんだけどと言ったら女房が(確かマリリンモンローと3サイズが一緒だったはずよ)と言うので、マリリンの夏という写真集を持って行った。

ナイアガラのロケ(当時マリリン26歳)の写真集でふうてんは一番好きな写真集なのである。

これは正解だった。

 

 ホキ徳田は年齢不詳なのだけどあるチャームを持っており、よくしゃべりよく弾きよく歌ってくれた。

かって3サイズが同じだっただけあってブラウスの胸のボタンがちぎれそうだった。

戦後間もない頃から現在までの50年間の話題が行きつ戻りつする不思議な一夜となった。

 

 ミュージシャンがパソコンを使いたがっているという話なのでミュージカルプランの江守さんにも同席して貰ったけど、国立の音楽学校の先輩、後輩であったのが分かったりして話が盛り上がった。

どうも音楽関係のピープル二人と残りの鎌倉、ふうてんの二人はやはり別世界に生きているのかなあと鎌倉さんと顔を見合わせた。

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2000/06/05

2000・06・05 長いお別れ、その2篇

   チャンドラーの(長いお別れ)という小説が大した小説だと言う事は何度か日本語訳で読み、友だちと話し、映画化はうまくいかなかった事を知り、沢木耕太郎はじめ何人かの日本の作家からも意見は聞いている。

 

  今回ふうてんはその(大した小説)を原文で生の雰囲気を楽しんでみた。

面白くなかろうはずがない。

前回も書いたが読み進む内に文体に慣れ、次どうなるの?と基本のストーリは知っているはずなのにディテールを楽しみたくなる。

 

  文学にもいろいろあって詩もあるし歴史物もあるしノンフィクションもあるし、エッセイもある。

チャンドラーの小説は中でも(完全なるフィクション)に位置づけられていると思う。

ストーリに骨太な骨格があって登場人物達が本物の生きている人間のように感じられて、彼らの生きている世界が架空の(エピソード 1)の世界ではなくまた我々の日常の生活と全く一緒ではないのだけど(近いところにある)よう

錯覚を抱かせる。

 

 主人公はフィリップ・マーロウという私立探偵である。

ロスアンゼルスで小さな事務所と住居を持っている。

古いオールズモビールに乗り、独身で金には縁のない生活を送っている。

元警官だったという説もある。

そういうチャンドラーのマーロウに関する当たり前の話をするのは意味がないかも知れないけど、(英語)で読むと何故か全てが新鮮に感じられるのだった。

 

 テリー・レノックスという男とマーロウとの(友情 こういう甘ったるい云い方は似合わない関係なのだけど)が縦糸になっている物語なのだけどアイリーンという女の存在、それが横糸になっていて、それはマーロウとの関係においては不幸な関係なのだけど、今回読んで、マーロウから見たアイリーンの描写にチャンドラーがいかにエネルギーを使ったかがよく分かった。

 

  最初の出会いは雑誌記者にどっかのプールバー(文字通りプールのあるバー)で引き合わされるのだけどアイリーンの登場のしかたとマーロウの受けとめ方のシーンが素晴らしい。

遠くの方に白い衣服に身を包んだアイリーンを登場させ、最後はバイオレットの彼女の瞳に殆どマーロウは、つまり読者は引き込まれてしまうのである。

 

  ま、この小説を大学時代読んだ時、ラストシーンでレノックスが言う、(ギムレットには早過ぎるね)というセリフが印象に残った。

(I suppose it's a bit too early for a gimlet,) he said.

とある。

このセリフ、即ち昼間っから一杯やりたいのだけど、まだやっている店ないよね、という云い方はふうてんは何度も使わせて貰った。

このセリフはレノックスとマーロウの二人みたいな関係の男同士にしか通じない云い方でもあるんでね。

 

  ふうてんが読んだペーパーバックの本の裏表紙に次のような推薦文があった。

(Chandler wrote like a slumming angel and invested the sun-blinded

  streets of Los Angeles with a romantic presence)-Ross Macdonald

とあった。

この推薦文を書いた男にふうてんは一票を投じたいと思う。

夜は街角に心優しい売春婦達がウヨウヨしていて昼間はアスファルトの道路を 太陽がギラギラ照らす。そんなロスアンジェルスのセンチメンタルな探偵の物語。

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2000/06/01

2000・06・01 長いお別れ篇

   レイモンド・チャンドラーの(長いお別れ)をまた読んでしまった。

三カ月程前久しぶりに読みたくなって本棚を探した。

見つからない。

文庫本(日本語訳)になってからも2冊は買ったと思うのだけど出て来ない。

ハハ~ン、また例によってこれは凄い小説だよとか言って飲み屋のネーチャンにあげちゃったのかなあ、と諦めかけた時、THE LONG GOODBYEという英語の本が見つかった。

 

 やむを得ず何度目かの原文ヘのチャレンジをしてみたくなった。

実は好きな小説やエッセイを何冊も原書で買っている。

でも最後まで読み通したのは数える程しかない。

 アラビアのロレンスことT.E.ロレンスの(知恵の七つの柱)なんてのは本当に読み通したいと思って買ったのだけど20ページも読まないうちに投げ出した。

中野良夫の日本語訳の方がよっぽどいいやと思った。

 グレアム・グリーンの(情事の終わり)も(第三の男)も数ページで投げ出した。

ふうてんが買った中ではヘミングウェーは割とスッスッと読めたように思う。

 

 それで(THE LONG GOODBYE)を読み始めた。

2~3ページまでは抵抗感があった。

またか、という気がしないでもなかった。

ところが今回は様子が違っていた。

数ページ読み進むうちに文体の魅力に引き込まれたらしい。

楽しみつつ最後の1ページまで読んでしまった。

珍しいことなので少し報告しておきたいという気になった。

 

 ふうてんとレンモンド・チャンドラーとの付き合いは大学の二年生頃からだ。

当時中学、高校、大学といつも一緒だったM君という友だちがいて、のべつ幕なし文学、音楽、絵画、などなど(アートの世界)の話に耽っていた。

チャンドラーの世界はそいつに教えられたのだった。

(ハードボイルド)という言葉もそのスタイルの作品もチャンドラーの小説を読む事によって初めて知った。

 

 それから35年もたつだろうか。

やっとチャンドラーの代表作(THE LONG GOODBYE)を彼の母国語で通読して、改めてその魅力を実感した。

 

 前置きが長くなり過ぎたので本論は次回以降に。

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