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2000年5月に作成された記事

2000/05/28

2000・05・28 真夏のような篇

 2週間振りにロシナンテに一鞭くれた。

国立もこのところ雨がちで丁度新緑のいい季節なのにロシナンテの出番がなかった。

2週間振りの桜通り、大学通りは重たいような緑と薄着の男女であふれていた。

 

 先週は鎌倉大明神と2度飲む機会があった。

一度目は月曜日で青木の旦那が一緒だった。

溝ノ口の(まるや)で始めたのだけど、宗像、牛若も加わり結局青木さんを囲む会みたいになってしまった。

 

 その席で青木の旦那が、一枚の新聞記事のコピーをカバンから取り出した。

ふうてんに先日メールで書いて寄越した内容のいわば証拠物件である。

 それは今年1月6日の朝日新聞での水野監督と黒岩元オリンピック選手との対談の記事だった。

水野監督(京大のアメフトの監督)が言うんですね。

ベストは尽くすもんやない越えるもんや。

人間瀬戸際に立たされてここは戦うしかない、と言う時初めて自己認識出来る。

またそれを越えることで新しい自分を発見する、人生観、世界観が変わる。そういうことを追求する姿勢が僕は(知性)やと思うんです。

と。

 

 これには鎌倉大明神も賛同しましてね。

今まで肉体運動を語って知性まで昇華させた説は聞いたことがない。

素晴らしい。

これは世界初とちゃいますか?と(世界初)に力がはいっていた。

 

 2回目は水曜日に表参道から渋谷へ向かう明治通り沿いのビルで会った。

表参道やら明治通りはピンクや明るいブルーや白や黒の(軽いパステルカラー)のファッションに身を包んだ若いのばかりでこちらは(異邦人)みたいな感覚に襲われた。

そのビルの近くの一次会で鎌倉さんの会社設立の趣意書を見せて貰った。

 

 限界利益が益転とかフリーキャッシュフローがどうだとか、ふうてんには意味の分からぬことが一杯書かれてあった。

ただ一つ分かったのはワントゥワン・マーケッティングの世界で今はやりのインターネットが普及する前から彼が(世界で初めて)電子メール(パソコン通信)を使ったマーケッティング手法を唱えていて、それの真価を問う為に新会社を起こすということだった。

 

 会社としての、いわゆる(ミッション・アンド・ゴール)は明快だと思った。

ここにも一人自分のベストを越えようとしている男がいる。

彼へのエールを送ったのだけど、それの最後にふうてんはこう書いた。

(地図のないところに踏み出そうとしている、それがカッコいい)と。

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2000/05/16

2000・05・16  JOさんお久しぶり篇

 JOさん

  先週はじめ老人日記を読んでないようだったので、JOさんも5月連休の後リフレッシュ休暇をとったのかしらと思ったことがあった。

今日の電話でJOさんはその休暇を中国行きで使う予定だと知った。

中国旅行に付き合えなくて悪いような気もする。

 

 ふうてんは昔から旅をする方じゃなかった。

たいていが出張がらみか帰省がらみで純然たる旅というのは殆どしたことがない。

勤め人であることと田舎に故郷があることから自然とそうなった。

いやそういう言い訳よりも進取の気性がないのでしょうな。

社会人になって結婚した25、6歳のころ浮谷東次郎のオートバイ一人旅の本を読んで、しまった独身で学生の時代に一人で旅をしておくべきだったと悔やんだけど後の祭だった。

 

 本当にロマンチックでセンチメンタルな旅は若年期の一人旅だけなのに。

この頃は勤め人をやめてからしか旅には行けないだろうなと思う。

旅にはやはり時間の余裕か年齢の余裕か経済の余裕か、なんか無駄に使える要素が必要なような気がする。

この歳になっちゃった以上、旅から何かを得たいとは思わない。

時間か年齢か経済か何か無駄に使えるものが残っていたら旅でそれを使うのも悪くはないだろうなと思う。

 

 中国だと生活の中に古いものが残っているところへ行ってみたい。

北京なんかでも中心部はビル乱立で車の排気ガスで霞む程だそうだけど、ちょっと街の周辺部へ行くと古いままの昔からの暮らしぶりだそうですね。

そういう中に身を置いて安食堂でメシを食ったり痩せた老人と話をしたり酒を飲んだりしてみたい。

 

 フランスはもうワイナリとそこに必ずあるグルメの街へ行くことですな。

例えばブルゴーニュとリヨン。

パリは一生行かなくても全く後悔しませんね。

ま、フランスはもう10年も前に死んじゃったけど辻静男さんといういい案内人が何冊かの本を残してくれているので大丈夫だと思う。

 

 イギリスは今となっては昔の情熱へのレクイエムとしての訪問になりますか。

文学、映画、車、ウィスキーなどで随分楽しませて貰った。

ま、表敬訪問を一度はすべき土地です。

 

 スペインはやはりね。

光と影、生と死、情熱、芸術、脳天気、アバウト、食いしん坊。

同じラテン3国の中でもやはりネーチャンはスペインでしょう。

もうその歳は過ぎちゃったけど、ま、青春の残照という言葉もありますし。

スペインへ行ったらふうてんの神様の一人のニ~ニョ・リカルドの墓参りをして彼の残した絵を見てみたい。

彼はフラメンコ・ギターをギター音楽として確立した三人衆の一人であり代表なのだけど晩年好んで絵を描いていたそうな。

  

 以上のようにふうてんが行ってみたい国は中国、フランス、イギリス、スペインとなる。

困ったことにふうてんが操れる言葉は日本語とちょっとだけの英語しかない。

中国語、フランス語、スペイン語はどうすればいいのだろう?

北京郊外の寂れた街の安飯屋で痩せた老人と老酒や茶で無駄時間を過ごすには片言くらいはねえ。

NHKテレビの中国語会話やフランス語会話のテキストはもう何冊も買ったけど1ページも読んだことないなあ。

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2000/05/11

2000・05・11  けったいな人々篇

 今日は弟が久しぶりに国立へ来た。

松山の小さなテレビ局に勤めている弟も2年前から東京へ単身赴任の身である。

馬込に住んで銀座のオフィスへ通っている。

  日曜日の夕刻5時、いつもの時間に近くの音楽家夫婦の奥方も誘って4人で繁寿司へ行く。

チェリストの旦那は東北方面へ今日から演奏旅行に出かけたそうな。

  繁寿司では岩橋女史と山口夫人の仲良しコンビがカウンターでオシャベリの真っ最中だった。

この岩橋女史も昔からの常連の一人でいわゆる女流作家である。

細身の小柄な人なのだけどそのエネルギーにはいつも感心させられる。

店にいる間まずお喋りが途切れることはない。

この女友だちどうしは帰る時の勘定のしあいっこが面白い。

今日は私が、いえ私がと2~3分譲らない。

あいだに立って繁さん、話が落ち着くのを待っている。

  彼女たちが帰った後、話の流れで弟と繁さんがオートバイの話を始めた。

弟はオートバイが好きで松山では通勤に使ったりもしていた。

繁さんが私も20代の時大きなオートバイに乗っていたんですよ、と言う。

ハーレーダビッドソンの750CCである。

倒れると絶対に一人では起こせないそうで重さが1トンはあったと言う。

今のハーレーは車体が全く違っていてはるかに軽いけど当時はそうだった。

 最近その昔のハーレーが懐かしくて都内の中古を売っている店を冷やかすと2000万円の値がついていたそうな。

オジさんが自分で乗るの?それは無理よ、と店員にバカにされたと苦笑い。

確かに還暦をとっくに過ぎた繁さんは今は女房どのの許可が下りない。

  シャンブレットへ行くとマスターが異様なヘアスタイルをしている。

トラ刈りというよりもっとひどいギザギザの短髪になっている。

 素人?とふうてんは聞いた。

そうなんです鏡がよく見えなくて、と言う。

とかくするうち店の入り口の階段の踊り場で散髪屋の白い前掛けみたいなのをして誰かに電動バリカンで散髪をして貰い始めた。

 プロ?とふうてんは聞いた。

そうですと二人が答えたけどなる程帰りに見るときれいに整えられていた。

近くの散髪屋のオッチャンに来て貰ったらしい。

 昔NHKのテレビドラマでヒットした(けったいな人々)という大阪が舞台の物語があった。

どうもふうてんの住む国立にも(けったいな人々)は結構いるようだ。

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2000/05/05

2000・05・05 衣食住篇

   9日間の5月連休が終わった。

国立から一歩も出なかったけど車かチャリで1日に一回は家の外へは出るようにした。

今日の繁寿司は山口夫人だけだった。

繁さん夫婦とふうてん夫婦と山口夫人の5人で日曜日ごとに晩飯の食卓を囲んでいるようなもんだ。

   連休といっても若い頃とは随分感じが変わっている。

若い頃は新緑と明るい陽光にそそのかされて心が外に向かった。

束の間の自由な時間を日常生活以外で使おうと思った。

50を過ぎてからはむしろ心が内に向かい始めたようにも思う。

どこかへ出向くということは交通機関を利用したり宿泊所の心配をしたりせねばならぬ。

それは一種の社会生活になる訳でこの頃はそれすら煩わしい。

連休くらい完全な個人生活に当てたいような気もしていて出かけなかったことには何の不満もない。

  その完全なる(個人生活)を2~3日送るうち、フッと(衣食住)という言葉を思い出した。

最近はこの言葉は死語になったようであまり聞かない。

衣も食も住も(あることが)当たり前になったので話題にならないのだろうか。

それも考えてみれば妙な話だな、と思った。

  (衣食住)に関する渇望が戦後の日本の高度成長を支えたことは間違いない。

高度成長期が終焉したと言われる今、その渇望して手に入れたはずのものが(どないなっとんや?)と検証してみるのも悪くはないのではなかろうか。

ないよりはまし、ということは認める。

でもどういうものがあるのか、どうあって欲しいのか?の問いは小さくなるばかりだ。

  特に食に関して今の風潮はふうてんには非常に嘆かわしい。

食料の70%も80%も輸入に頼っている日本ではやむを得ないのだろうが、食材がどんな風に作られ、それがどのように調理されて食事出来るものになっているかの過程を知ることなく最終的な形になったものをお金で買って食べる。

スーパーやコンビニの弁当や自動販売機のあらゆる飲み物がその典型だ。

  どうもこの食に関する(効率化)というのは何だか不気味である。

  連休中にバスジャックという日本では珍しい事件があった。

ハイジャック、ピストルというハイカラな趣味ではなくバスと包丁である。

この頃の日本では17歳になると包丁で人を殺したくなるらしい。

昔フランスでアンファンテリブル(怒れる子供たち)という言い方がはやった。

それを思い出させる。

  この若い子たちの(衣食住)はどうなっているのだろう?

そんなことを考えさせられた。

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