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2000年4月に作成された記事

2000/04/30

2000・04・30 連休が始まった篇

  毎年のことだが5月の連休と夏の盆休みの頃国立は路上駐車の車が減る。

東京という街はやはり田舎者の集まりなんだと実感する。

連休を機会に連中どこか田舎へ行っているに違いない。

ふうてんだって若い頃はそうしていた。

カワイイもんだ。

  昨日女房と鎌倉さんのお家を訪ねた。

あざみ野から横浜市営地下鉄で一つ目の中川という駅で下りた。

女房殿設計の完全な洋風建物で烏山公園を借景にした庭で言うことなかった。

一応ノドが乾いているでしょうということでビールから始めたけど、そこはワインフリークの鎌倉さん故、白ワインから始まって赤、ブランデーに至るまでの酒とオードブル、サラダ、メインディッシュ、デザートに至る食事とのちゃんとしたシナリオを書いていたに違いない。

  昼過ぎの1時頃訪ねたのだけど、ふうてん達が家を出るのが11時も過ぎていたので、12時半ころになります、食事は朝昼兼用のをさっき済ませましたので、と女房殿に電話した。

女房殿のお答えは(そうですか、食事は用意していますので)というものだった。

コレって会話じゃないよね、と後でみんなで笑った。

結局鎌倉さんちを出たのは夜の9時も過ぎていた。

してみると8時間もお邪魔したことになる。

美味しい酒といい人々に囲まれるとふうてんはつい時間を忘れる傾向がある。

  今日の繁寿司は山口夫人と文春の豊田さんだった。

作家が世に出る時、編集者をしていてアレやコレやがあったことを豊田さんから聞く。

五木寛之の話題にもなった。

大河の一滴てな本が人気になっている。

さらばモスクワ愚連隊、青き馬を見よ、とは違うスタイルですよねと言う人もいる。

でもふうてんは、彼は一貫して(How to live)の世界ですよね、と言った。

そしたら豊田さんが、(How to live)をエンターテインメントに出来る人です。

と言った。

  豊田さんは山口瞳さんに関してふうてんが質問した時も、彼はエンターテイナーですね、読者が読んでいて嬉しくなっちゃう、そういうタイプの作家ですと以前言ったことがある。

今夜は今から熊谷へ行きます、とか言っていた。

国立のお家ではなく熊谷のホテルに泊まるんだと言う。

中学、高校の同期、同窓の仲間と明日ゴルフだとか。

(明日は雨だと天気予報で言ってますよ)

とふうてんは言って繁さんたちと豊田さんを送り出した。

サラリーマンとしては珍しい10日程の休みが始まる。

国立の地元の地やら漂泊者としての自己を確かめる時間に使いたいと思っている。

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2000/04/23

2000・04・23 オープンにいい季節篇

  毎年書くけどこの季節がオープンカーの最高の時だ。

服を着ているのかどうか意識しなくて済む気温。

緑のトンネルの中、オープンエアーを楽しむ。

歩いたり、チャリで流しても同じはずなのだけど、車だと何かが違う。

空気の触れ方と景色の移るスピードが違う、からだろうと思う。

  桜が散って5月の連休が終わるくらいまで、その一カ月くらいしかない。

もったいないので土曜日と日曜日午後の遅く国立をロシナンテで回る。

タバコを買ったりビデオテープを買ったり本屋へ寄ったりガソリン入れたりコンビニでVolvicの水買ったり(用事)を済ませる。

書簡集でビールを飲んだり葡萄屋でウィスキーやコーヒーを飲む。

こういう日が一年に2~3日あってもよい。

  阪神が8連勝している。

1985年以来優勝から遠ざかっていて今年2000年で15年振りできりがいい、という説をふうてんは嬉しく聞く。

オリックスの仰木監督はやっとイチローを4番に据えた。

今までに日本ではいなかったタイプの4番打者だけど、あんなのが4番に座っていたら相手は嫌だと思う。

  この間テレビでバレンタイン監督がイチローくん大リーグでどうでしょうね、と聞かれて、私は反対ですと答えていた。

彼みたいなスーパーな選手は大リーグでも活躍出来るに決まっている。

でも日本もレベルは大リーグと余り変わらなくなっている今は日本に残って日本の野球をもっとレベルアップするのに活躍して欲しい。

  いつまでも大リーグの方が上でそこで活躍するのが名誉だと考えてはいけません、とね。

  今年は人丸どのご夫妻が缶ビールを買って球場へ通う回数が増えることだろうと思う。

万が一甲子園とグリーンスタジアムで日本シリーズが行われるようなことにでもなればセパ両リーグを代表して夫婦同士で応援に行きますか。

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2000/04/16

2000/04/16 漱石先生の手紙篇

    葉桜になった。
  夕刻、道路の乾くのを待って桜通りと大学通りをロシナンテで流す。
桜にばかり目が行っていたけど既にいろんな木々が新芽を出し始めた。
毎年のことだけどこの2週間程の植物たちの活動には目を見張らされる。

    NHK教育テレビで人間大学という番組がある。
4月から出久根達郎の(漱石先生の手紙)が始まっている。
諸氏は出久根達郎という作家をご存じだろうか。

   ふうてんが彼の名を知ったのは6~7年前新百合の本屋で(漱石を売る)という変わった名前の本に目がとまって立ち読みした時だった。
(漱石を売る)?・・・ハテ妙な。
読むと彼は高円寺で古本屋をやっているのですな。
古本屋にとって一度は漱石の(書簡、有体に言うと手紙)を商売として扱うのは一種の夢であるそうな。
  その(漱石を売る)という短編は彼自身の経験を描いているのだけど、中で、虎の子の一通の大切な漱石の手紙の買い手候補の一人の余りに失礼な振る舞いについキレるんです。

  その思わずキレて矢でも鉄砲でも持って来いとタンカを切るシーンの描写がふうてんは気に入った。
この人はなかなか出来ると思った。
それ以来この出久根達郎という作家のファンになっちゃった。

  この出久根という人は茨城県の出身でふうてんと同世代なのだけど田舎出身故中学を卒業して集団就職で東京へ出て本屋さんへ就職したのだけど、何故か店に新刊本が置いていない、つまり月島の古本屋だったんです。
以来古本屋が彼の学校となり生活の場となった。
その中で夏目漱石という存在が一貫して人生の師・・・先生だったのですね。

   インターネットという電子的なメディアの全盛時代、古本屋なんてのは死語になりつつあるのかも知れない。
ふうてんのように子供の頃から本やレコードに親しんだ者にとっては古本屋、古レコード屋、さらには中古車屋というのは何とも言えない懐かしさを覚える。

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2000/04/09

2000/04/09 吉野桜篇

 吉野へ行って来た。
前夜は京都(めなみ)で筍尽くしを食べた。
翌朝近鉄京都駅で谷口先生と待ち合わせる。
吉野までの電車の旅はのどかなものだった。
橿原神宮前から特急電車が各停になった。
谷口先生がその理由を発見したが実は単線だったので皆驚く。

 吉野は想像以上に本当の田舎だった。
山と谷しかない地形なので当然なのかも知れない。
観光案内の地図やらで見ていたのでは分からなかった。
やはり3Dの地図じゃないと吉野は分からない。

 吉野で(花見)を終わって奈良にたどり着くのに2時間近くもかかった。
これがまたのどかなユッタリとした揺れ具合でふうてんも我知らず寝入ったようだった。
 晩飯は(万亀楼ならぬ万玉楼)でヌーベル・キュイジーンを楽しむ。
ヌーベル・キュイジーン(新しいフランス料理)とはフランス料理の様式を保ち
つつ、料理法が極めて簡便なイタリア料理とか日本料理とかの良さを生かし、 薄味好みになって来ている(忙しい現代人)に合わせた料理の一手法なのである。

 奈良ホテルは初めての和室に泊まった。
谷口先生、筒井どん、筒井どんの同僚、ふうてんの4人で一つの(5人)部屋。
新しい畳の匂いをふうてんは久しぶりに味わった。
ふうてんの家には畳の部屋は一つもない。
風呂は檜風呂、照明は天井の上の障子経由の完全な間接照明。
ま、奥ゆかしいもんです。

 翌朝目覚めるとボソボソと先生、JOさんの話し声が聞こえて来る。
Web大学を作ればいいんじゃなかろうかとか朝から風流でない生臭い話をしておった。
 先生うぐいすが来てますね、そうね雪月花の部屋に相応しいね、という声は聞こえてこないようだった。
 (ちなみに泊まった部屋は雪月花の中の月の部屋だった)

 朝食は生ビールとプレーンオムレツとコーヒー。
あれやらこれやら飲み食いした翌日の朝はこういうシンプルなのに限る。
ビールで目を覚まさせプレーンオムレツで胃をなだめコーヒーで心に活を入れる。
 9時を過ぎた後の食堂は人影もまばらで窓の外は四季折々の自然にあふれている。
奈良ホテルで一番いいのはこの朝食の時間なのかもしれない。

 今回の吉野行きは筒井どんが付き合ってくれて賑やかなものになった。
来年はもっと人を連れてきてな、と谷口先生は言う。
琵琶湖の北方の温泉がある宿がいいなあ、とも先生は言っていた。
どこかイメージしている場所がある風にふうてんには聞こえた。
今回のツァーに関する幹事としてのふうてんの感想を一つ書いておこう。

 三人以上の旅は余程計画をしっかりしないと難しい。
行程の始めから終わりまでの枠組みをまずシッカリと固めねばならぬ。
規定問題をハッキリと皆に認識させておくことがまず求められる。
みんな子供じゃないのでアッチャ向いたりコッチャ向いたり思い出に耽ったり急に思いついたりする。
 そういう自由度をある程度許しつつ無事旅を完結させる為には最初の規定問題作りが大切なのだということがよく分かった。

 今年は人丸どのは北京でペキンダック、鎌倉さんは兵庫で鴨鍋、どちらも鴨系を食する為にこのツァーには参加願えなかったけど来年は是非にも、と思う。
 ふうてんにとってこのところの京都行き、彦さんこと谷口先生との会談は句読点のようなものだ。
句点を打ち、読点を打たないと次の一行が書けない。

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