2016/08/21

2016・8・21 男子400メートル・リレーでリオ五輪は終わった篇

Photo桜通り
夏の日の夕暮れ

 この2週間ほどテレビはリオ・オリンピックに占拠された。
隠宅に籠もっているふうてんは朝昼晩とだいたい観る番組が決まっている。
それがことごとくオリンピックになっちゃった。

 オリンピックというのはアスリート系の人々には楽しい祭典だろうと想像はできる。
運動競技には(する楽しみ)と(観る楽しみ)がある。
もう一つ(儲ける楽しみ)もあるのかもしれない。
ふうてん夫婦のように(運動競技苦手)の衆生には観るしか楽しみはない。

 運動競技には、また、プロの世界とアマの世界がある。
オリンピックはどちらなのだろうか?
4年に一回だからプロということはないはず。
しかし報奨金とか一生の生活保障とか競技者にお金が払われるという話も聴く。
金メダルを取った選手はオリンピックの後、テレビ・コマーシャルで引く手あまた、かも。
プロなのかアマなのか分からないけれど、今はオリンピックで巨額の金が動くようになった。

 オリンピックって何なんだろうね?などと(運動競技苦手)の夫婦はよく話す。
走りっこと泳ぎっこと投げっこくらいはよく分かる。
数字で決まるからスポーツらしい。
しかし(演技)を審判が採点して順位が決まる競技はスポーツらしくない。
運動競技苦手の女房どのなどもウサイン・ボルトの走りは好きでよく観ていた。
ふうてんなども陸上日本男子の400メートル・リレー銀メダルには快哉を叫んだ。
これこそ(スポーツ)だと。

 もっとも(スポーツ)の語源をたどると、ラテン語の(働かない)、フランス語の(気晴らしする、遊ぶ、楽しむ)から英語の(スポーツ)になったと言われる。
ラテン語では(deportareデポルターレ 荷物を運ばない)だったそうな。
語根は(port 荷物?)なのだろうか。
登山のときポーターという荷物運びの役割がある。

 スポーツがそういう意味だとすると、まあシンクロナイズド・スウィミングも許されるか。
ふうてんはあの競技だけは観ることが出来ない。
美を追及しているのだろうか?逞しさを追及しているのだろうか?
こちらにはよく分からないのだけれど、必死の努力をして楽しんでいる人たちに文句を言う筋合いはない。

 リオ・オリンピックで録画して残したのが二つだけある。
一つは男子体操の団体と個人総合の金メダル。
一つは陸上男子400メートル・リレーの銀メダル。
二つとも見応えがあった。

 観るだけで、応援にも参加していないけれど、観る側にも観る側の論理がある訳で。
やって好し、観て好し、運営して金儲けできて好し。
ただし、国税を2兆円も使ったり、伝統の築地市場を壊したりは無し。
そう願いたいものではありますね、(遊ぶため)のオリンピックと言ってもね。
 

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