2012・2・29 真善美というのは死語なのだろうか篇
くにたち芸小ホール
土曜日に近くの芸小ホール(くにたち市民芸術小ホール)で珍しい人形浄瑠璃があるよと文楽仲間の村ちゃんに誘われて行ってみた。
こんな文楽は初めて見た。
小さな黒い箱に腰掛けて人形を使うのである。
この小さな箱には車が付いている。
八王子車人形という人形劇で今は西川古柳座という一座が残っており、今回はその一座の公演だった。
人形浄瑠璃は語りと人形と三味線の三位一体の芸能である。
その人形を普通は二人か三人で演じる。
この車人形では車を使うことにより一人で人形をあやつるのである。
江戸時代の末期に考案されたという。
ちょっと面食らってしまって楽しむまではいかなかった。
人形は車のおかげで左右前後の動きがスムーズに出来るので自由に動ける。
その自由さが良さでもあり限界でもあるような感じだった。
やはり首と左手を吉田玉男が操り、右手をもう一人が受け持ち、最後の一人が足を受け持つ。
三人で一人を演じる。
だから動きはぎごちなくなる。
しかし三人で受け持つが故に、それぞれのディテールは細かく表現できる。
顔の眉毛の動き一つ、手の指の動き一つ、その細部が肝心なのではあるまいか。
そういう風に思わざるを得なかった。
今日の日曜日も朝から快晴でその分冷たく、関東の空っ風が強かった。
今年の冬は本当に寒い。
この日記も毎週そればっかりとなっている。
地球温暖化の騒ぎはどうなっちゃったのだろう?
夕刻、風がやんだ。
思い切って完全武装して書簡集へ出向いた。
いつものように世間話になりやがて禅問答のようになる。
(スマホが流行ってもうパソコンの時代じゃなくなったのかしら)
(ワープロが流行ってパソコンが流行って今はスマホですかねぇ)
(この先どうなるのかしらねぇ)
・・・
(ところでマスター、これから日本はどうすればいいのでしょう)
(去年の東北大震災、原発事故がなかったとしても日本は困ったことになっていますよね)
(特に政治ですよね)
(民主党も自民党も政党の体をなしとりませんなあ)
(与党も野党も訳がわからない)
(マスター、今年は政治の世界が液状化現象起こしまっせ)
(そうなるでしょうね、でもどうしてなのだろう?)
・・・
(最近日本でもポピュリズムなんて言葉が聞こえるねぇ)
(ああ大衆迎合というやつですね)
(そう、だいたい大衆というのは物を考えない、考えないから大抵、大衆というのは困ることが積もってくると、誰かに救いをもとめるようになる。)
(そこへヒットラーのようなのが登場して、今までの政治は何をしてたんだ、みなさん、私はこう思うのであります、こうしてこうすれば世の中は良くなります、と大演説で大衆の心を掴む)
(ファシズムじゃないけどコイズムとかハシズムとか日本にもそういう傾向はあるかもねぇ)
・・・
(これからの日本はどうすればよろしいのか、問われても大抵の人は答えようがないよね)
(未体験のことを予想しろ、いわれても答えるのはむずかしい)
(そうそう、どうすればいいか、どうすれば使えるかはやさしいのよね)
(例えばスマホでも若い人はすぐに使えちゃう)
(How to はすぐに出来ちゃう)
(けどWhy?となると・・・・)
(若い人にどうしてスマホがいいの?と聴くとアレコレは言うやろけどね)
(あてがわれたものを使いこなしたり、理屈をつけることはできる)
(しかし、スマホの次どうします?と聴かれると・・・)
(答えられない)
(How,Why,Whatの中で一番むずかしいのがWhatなのよね)
(日本はこれからどうすればよいか、なんて話もそうかもしれませんねぇ)
(Whatを語ることが一番むずかしい)
・・・
(マスター、僕は手がかりはあると思うのよ)
(聴かせて下さい)
(昔(?)、真善美という言葉があったよね)
(ああギリシャ時代に確立されたという)
(そう、最近この言葉聴かないのよねぇ、メディアでも)
(ふうてんさん、真善美なんて今の若い人に言っても通じませんよ)
(若い人にねぇ、年寄りには通じるかなあ)
・・・
という風なことから真善美、衣食住という古典的言葉の話になった。
ふうてんの主張は、これからどうすればいいかを考えるとき、一応人間は、という前提条件をつけての話なのだけれど、人間とは何かを考えて望むとわりと見えてくるのではないかと思うのである。
人間が他の動植物と同じだと考えるならその動植物と同じようにやればよろしくて、別に悩む必要はない。
しかし残念ながら人間は他の動物とは違う属性を持ち合わせている。
必要以上に考えたり遊んだり動いたりする動物である。
その人間という動物がいかに生きればよいか、いかに生きれば他の動植物の生き物仲間に迷惑をかけないで済むかを大昔から人類は考えてきた。
それでやっとギリシャ時代になって、ひょっとして(真善美)ではなかろうかと気づいた。
真善美を追求することで一種の節度にたどり着く、はず。
その節度を持つことで人類という、道具を手に入れた動物は動植物の中で存在を許される。
食糧革命があり動力革命があり情報革命があった今、ふうてんはこのことを考える。
人間以外の動植物はこれらの革命の恩恵には浴していない。
人間だけのための革命であった。
しかも動力革命、情報革命と進んできて、肝心の(真善美)という概念の大切さを忘れ果てている。
(今度若い人に、真善美て知ってる?と聴いてみてください)
とマスターが言った。
(そうねぇ、衣食住における真善美とは何か?なんてね)
チャリで5分ほどの書簡集から家にたどり着く間に体は冷えきってしまった。
こういうとき温かいお風呂は最大の御馳走かもしれない。
帰って嫁はんに、
(寒いときの風呂がありがたいなんて、歳とったのかなあ)

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